『もしもし、五条?』
『..あー、うん、なに。こんな夜中に』
『さっき夜蛾先生から電話が来て、可憐が勤務先で怪我したって。』


『..は?』
『で、近くの病院で手当して休んでたみたいで問題ないから今こっちに戻ってる途中みたい。』





もうすぐ着くと思う、という硝子の言葉に被せるように「すぐ行く」と考えるより先に声が出ていた。






『じゃあ、よろしく』



深夜にかかってきてた硝子からの電話。
それが自分への助け舟だって事くらい分かっていて。


それと同時に怪我なんて当たり前で、死がすぐ隣にいる世界にいるのに、可憐が怪我したと聞いただけで身体の奥の方が痛くなった気がして、自分の気持ちを痛い程理解する羽目になった。



可憐が出ている任務は思ったよりも長引いていて、もう三日も高専に戻って来ていない。






『...今度なんか奢る』
『夏油にもな。じゃ、お休み』





お休み、と答える前に切られた電話。
寮のベッドは少し硬くて、まだ重い身体を起こしてもそこまで名残惜しくない。


部屋着のスウェットのまま、顔を洗って少し雑だけど歯も磨いてすぐに部屋を出る。





誰もいない寮の廊下は、少しひんやりとしていて目を覚ますのにちょうどよかった。


何処にいけばいいかなんて聞くのを忘れたけれど、車で戻ってくるなら高専の入り口のあの馬鹿みたいに長い階段の下がいい。




いつもよりも早く、足が動く。
いつもよりもうるさく、心臓の鼓動が聞こえた。














闇が光を覆うならば、力づくで追い払うしかない。闇に紛れ誤魔化してばかりでは、自分の気持ちさえも曖昧になってしまうのだから。
















「あれ、悟がいる」
「...おう。」



補助監督が車のドアを開くと、脚に包帯を巻いた可憐はゆっくりと車から降りた。
すると近くにいた五条に気が付いて、目をパチパチさせながら彼を見上げる。



首を傾げつつも差し出された手を取れば、少し楽に立ち上がれたらしく可憐は「ありがと」と笑う。それからすぐに振り返ると、遅くまで付き添っていた補助監督に挨拶をして車を見送った。








「大丈夫かよ、怪我」
「ん?んーー、痛いけど硝子に反転術式やってもらう程じゃないかな。普通に病院で手当してもらったよ」
「..そ。」
「あれ、夜蛾先生、悟に連絡したの?わたし、硝子にしてると思ってた」





補助監督から受け取った荷物を可憐が肩に掛けようとしたのを五条が制してそのまま持つ。制服は所々に汚れや破れがあるようだが、包帯を巻いているのは右脚だけのようだ。


先に荷物を持ち階段を登り始めた五条の少し後ろを歩きながら可憐が尋ねると彼はそれにはっきりとは答えずに誤魔化した。








「..思ったより元気そうじゃん」
「車の中でずっと寝てたからかも。むしろ寝付けなそう」
「子供かよ」
「あれかな、任務結構イレギュラーな感じだったからアドレナリン出てるのかな」
「なんだそれ」


五条が階段の途中で足を止めて振り返る。少し楽しげに笑う彼に、可憐が追いつく。そこから、右足の怪我のせいもあり歩くペースが少し遅い彼女に五条は合わせて階段を登り始めた。







「あっ、そうだ。護衛任務お疲れ様。沖縄まで行ったって聞いたよ」
「おー。なんて事なかったけどな」
「それはなにより」
「てか、そんな怪我の事、親父さんにバレたらやばいんじゃね?」
「大丈夫。お父さんには絶対バレないようにする」
「ははっ、やばい自覚あんじゃん」
「でもほら、呪術師に怪我なんて当たり前だって結局言うだろうけど必要以上に時間がかかっちゃったことの方が怒られそう」
「あー、まぁ確かにな」
「だからバレないようにする。悟ももしうちに行くことあっても言わないでよ」
「はいはい」





階段を登りきると、可憐は軽く息を吐いてから伸びをする。それから隣にいる五条の方を見上げたが、まともに灯りもない高専敷地内では相手の表情なんてうっすらとしか見えはしない。








「お迎え、きてくれてありがと」
「..ん。」




五条がきっと、少しだけ顔を赤らめて目線を逸らした事なんて可憐はまだ気がつく筈もない。






「荷物ありがと、貸して」
「いいよ、寮まで送る」
「えっ」
「なんだよ」
「ううん、ありがと。とても助かる」
「代わりに今度いちごミルク奢れよ」
「あっ、それならいま奢る!自販機寄ってこ、わたしも喉乾いちゃった」
「じゃあ、買って帰ろうぜ」
「学校で夜中に自販機買うのなんか楽しいね」
「確かに」





二人で足並みを揃えて、目的地まで歩く。
その間話すのは任務の話がほとんどだが、自分がいなかった時の同級生達の話を聞くのも楽しいようで、可憐は時折楽しげに声を出して笑った。
五条はいつも通りをきっと装いながらも、少し前に言われた家入と夏油の言葉が頭の中をぐるぐると回っている事だろう。








あっという間に目的地に着けば、古びたベンチに五条は彼女の荷物を置いて自販機にお金を入れる可憐の横に立つ。

迷わずにいちごミルクを選ぶと、ガコンという音と共に排出されたそれを五条に渡し自分用の飲み物は少し悩んでから冷たい紅茶を買った。






「いこっか」
「...あー、ちょい待ち」
「どしたの?」
「眠くねぇなら、とりあえずここで飲めば?」
「確かに寮戻ってもすぐ寝れなそうだしね、悟は眠くない?」
「舐めんな、余裕だわ」
「じゃあ、飲んでく」



古びたベンチの上に置かれた荷物を端に寄せて、二人で並んで座れば少し軋む音がする。遠くもなければ近くもないその距離に、何処となく緊張しているのは五条だけだろうか。




ストローを指して、甘いそれを吸い上げてから五条はゆっくりと可憐の名前を呼ぶ。ペットボトルの紅茶を飲みながら、彼女は横目で彼を見た。








「ん?」
「...ん、あー、明日ってか今日か。授業出れんの」
「えー、起きれるかな。怪我もあるし体術だけ念のため休むとかしようかなぁ」
「..悪化しても困るしな」
「ははっ、そんな大怪我じゃないけどね。悟がそんなこと言うの珍しいね」





いつもと変わらず、柔らかい笑顔で笑いながらそういう可憐に五条は何も言わなかった。けれど、彼女もまた言葉を求める訳でもなく「一時間目だけなら、サボるのセーフかな」と悪戯っ子のように笑う。









「...怪我したって聞いてさ」
「わたしの話?」
「他に誰がいんだよ」
「だってこれまでも怪我くらいしてきてるしさ」
「それはそうだけど、違うんだよ」
「..なにが?」








初めて二人の目が合う。
自販機のチカチカと点滅する照明のおかげで少しだけ互いの表情が見える。

瞬きをして不思議そうな顔をする可憐の頬に、五条が優しく包み込むように右手で触れた。


目元に少しついていた砂埃を親指で優しく擦ってそれが落ちてもそのまま右手を離さない。








二人の呼吸が重なる。
再び目が合うと、先に口を開いたのは可憐だった。









「...目、もっと綺麗な蒼になってる」
「....そ?」
「うん、何でも、見えそう」






―――――――自分だってすべてを見透かすオレンジ色の目を持っているというのに。









「でも、それ以上、誤魔化すのがうまくなるのはやだな」






―――――――ほら、君のオレンジは全部を明け透けにしてしまうじゃないか。











「誤魔化さねぇよ」
「..悟?」
「もう、誤魔化さねぇ。だから、聞いて」









―――――――この気持ちは、全て知って欲しいから。昔、心を奪ったであろうその夕焼け色に誓うよ。












「俺は可憐が好き。


だから、怪我したって聞いたら嫌だったしすぐに会いたくなった。呪術師なら怪我も死ぬ事も身近で当然な世界だけど、それでも、お前が怪我するのも居なくなるのも嫌だ。」





澄み切った蒼色の目に真っ直ぐに見つめられ、可憐はオレンジ色の目を見開いてから一度瞬きをして頬に添えられた彼の手に自分の手を重ねた。








「また、取り消ししない?」
「しない。ちゃんと、待つから、考えて欲しい」



申し訳なさそうに目線を落とした五条の右手を自分の頬から離れさせると、今度は可憐が彼の頬を両手で摘む。

予想外の行動と軽い痛みに五条が目を大きく開けると可憐は何処か楽しげに微笑んだ。






「待たなくていいよ」
「..は?」


「告白してもらったあとも、なかったことにしてって言われたあとも、わたしちゃんと考えてた」





頬から手を離し、可憐はベンチの上の彼の手に触れる。指先だけが重なり合う。


指先が互いに少し冷たいのに、少しずつ体温が上がりそれが伝わるような気がした。







「当たり前にずっと一緒に育ってきた。だから、悟のことは好きだしもちろん大切。

でもそれが、悟がくれた好きと同じなのかずっと考えてたの。」





特殊な世界を牽引する家に生まれ、それに相応しい能力も持っていて。
だからこそ、選択肢なんて与えられる筈もなく。気がつけば当たり前に研鑽を積み重ね能力を磨き上げる日々。

そんな特殊な日常を、共に生きてきた存在は当たり前に特別で。








「悟はわたしに、誰かの隣に行かないで俺の隣にいて欲しいって言ってくれた。


でね、考えたの。
悟の隣にずっといたけど、それが当たり前じゃなくなって誰かがいたら、わたしはどう思うんだろうって」






可憐は笑って「ねぇ、悟」と優しく声をかけると蒼い空のような色をした目と、オレンジ色の夕焼け色の目が互いを映す。








「わたし、いつも悟の隣にいるのは自分がいい。当たり前に、これからも隣に居たい」






その言葉を聞いて五条はベンチの上で可憐の手を包み込むように上から握った。それから、反対の手で僅かに乱れた彼女の髪を耳に掛けると安心した様に表情を緩める。








「友達でも幼馴染でもなくていいのかよ、」
「うん、」
「...恋人に、なってくれんの」
「悟が、もう上手に誤魔化すのやめてくれるなら」







五条が優しく可憐の腕を引き寄せて抱き締める。飲み切ってベンチに置かれていたらしいいちごミルクのパックが落ちてもそんな事に構うはずも無く、彼女も身を委ねた。






「...何でもわかるその綺麗な目が、わたしは大好き。でも、わたしには何も誤魔化さないで欲しい」
「..おう」
「悟は?」
「ん?」
「何かある?わたしにしてほしいこと」




少し身体を離して自分を見上げる可憐の頬に手を添えると、顔を近付ける。互いの呼吸が、鼓動が聞こえてしまいそうな距離でも二人とも目を逸らす事はない。










「好きって言って欲しい。
それから、ずっと隣に居て欲しい。」









あまりに素直で、真っ直ぐな言葉に可憐は少しだけ恥ずかしそうにしてから彼の目元に優しく触れた。







「好き、わたしは悟のことが好き。

これまでみたいに、わたしはずっと隣にいるよ。」



「...俺も、好き。」










目元に触れていた手を握って、そのまま五条が可憐に口付けをする。
触れるだけのそれは、あまりに初々しくて何処かぎこちなくて。


唇が離れて、目が合うと二人で揃って恥ずかしそうに額を合わせて笑い合う。









「..いちごの味がする、」
「...うっせ」











君がいるだけでいいんだ、
世界が変わる条件なんてそれだけでいい。
たったそれだけで目に見えるものが全て輝いている様な気がするんだから、人間なんて単純で純粋な生きものだ。




















「あっれ、先生ー?」



古びた自販機が数台置かれた場所には、座る前から軋むのがわかるベンチがある。

そのベンチに長い脚を投げ出して座り、紙パックの飲み物をストローで吸い上げている担任に気がついたのは虎杖だ。

グラウンドで体術の授業を受けていてどうやらそれが終わったらしい。Tシャツを捲り汗を拭く彼に、五条はひらりと手を振った。







「二年と合同授業どうだったー?」

「いやーしごかれたしごかれた!
伏黒と釘崎疲れて動けねぇって言うから飲み物買いに来た!」

「お疲れー。悠仁は余裕そうじゃん」
「体力くらいはね、勝てないとさ!」



ニカっと歯を見せて笑い虎杖は自販機の飲み物と睨めっこを始める。古い自販機のラインナップはなかなか渋いものも多くなかなか決められない彼の隣に五条は立つと、適当に小銭を自販機に入れた。







「二年のも買ってきな、適当に」
「マジ?!あんがと!先生!」


「あっちの自販でも買う?
いちごミルク、僕のおすすめ。」
「買う!いちごミルクは運動の後はちょっと勘弁だけど」
「えー、おいしいのにー」
「先生って昔からいちごミルク好きなん?」
「そ、むっかしから。」
「甘いの好きだもんね、あーどれにしよ」



虎杖に紙幣を渡すと、五条は元から座っていたベンチにまた腰掛ける。

少し迷いながら全員分の飲み物を買ったらしい虎杖は抱える様に飲み物を持って五条の方を見ると嬉しそうに「みんなで飲むね!」と笑った。







「先生、午後は授業?」
「あー、これ飲んだら任務行くよ」
「そーなんか!じゃあ、また明日だね!」
「明日は僕が久しぶりに体術見よっかな」
「マジ?!楽しみ!」





微かに残ったいちごミルクを飲み干してゴミ箱に投げ入れると「期待してるよ」と声をかけ立ち上がる。

五条のスマホがポケットの中で振動していたがそれには気付かぬふりをして「じゃ、また明日ね」と歩き始めた担任の背中に虎杖が声をかけた。










「先生、気ぃつけてね!行ってらっしゃい!」








「悟!気をつけて行ってきてね!」






振り返れば、飲み物を両手で抱えて見送ってくれる教え子の姿。彼がどうしてか、恋人のかつての姿と重なった。












「うん、行ってきます」




かつての自分が、きっとそう答えたように返事をして。
不意に感じた懐かしい面影思いを馳せた。







歩きながらポケットの中で振動を繰り返すスマホを取り出して、通話ボタンを押す。








「はいはい。今行く。

あー、伊地知。今日爆速で終わらせて寄りたいところあるからよろしくー」















―――――――会いに行くよ、肩書きも名誉もなんだって全てを殴り捨ててでも一緒に生きていきたい君に。





(日常の中に、あまりにも君が溶け込んでいてその場所にいないはずなのに思い出す。それが幸せでもあり、少し苦い気もして。
だけど、忘れる理由になんてなるはずも無い。)







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