誰かを好きになって、誰かを守りたくなって、誰かの方が自分より大切になる、人間なんてそんな不思議ないきものだ
その謎は解かないほうがいい









「ははっ!イカれてんなー。」
「五条さんはそう仰るだろうと可憐も言っていましたよ。」


「いや、だって七海もそう思うっしょ?
自分が祓えなかった呪霊にマーキング遺されててそれが発動して、そこそこ死にかけてたんだろ?棚ぼたで呪力戻ったとはいえ、また呪術師戻るか、普通。」



「イカれてるんですよ、きっと。」
「よく七海も許したねー。そりゃ可憐は優秀だし一級だし、戻ってきてくれるのは万々歳だけどさぁ。」




「条件を飲んでくれたので。」
「条件?」「ええ。」
「えっ、なになにーーー?」
「結婚することです。」
「は?」
「結婚することです。」
「は?」
「聞こえてますよね。」








可憐が呪術師に復帰することをすぐに耳にした五条は、たまたま高専に報告に来ていた七海を捕まえると自販機でメロンソーダと珈琲を買って応接室に引き込んだ。

彼女の呪力が戻ったのが一ヶ月ほど前で、そこから少し休養をし、家入の検査もまめに受け、ゆっくりだが鈍った身体を鍛えた上で夜蛾に復帰することを伝えたのだった。










「ふーーーん、結婚ねぇ。」
五条は向かいに座り、表情をひとつ変えずに珈琲を飲む七海を少しニヤつきながら覗き込む。




「あーあー、僕の方がお似合いだと思ってたのになぁ。」
「すごい自信ですね。」
「学生時代なんか、七海は憧れの目で可憐と僕のこと見てたのになぁー。」
「少なくとも五条さんのことは見ていませんよ。」
「あの頃から好きだったって認めるんだ?」
「いま思えばそうだったんだろうなと思うだけですよ。」
「勝ち組かよ!七海のくせに!」
「五条さんには、呪術師という面では敵わないかもしれませんが人間性では劣るとは微塵も思いませんから。」

「かーーっ。ムカつくなーーー。」
「呪術師には戻りますが、高専での教職は気に入っているそうで、五条さんのおもりも含めて頼むと学長に言われていましたよ。」

「ふーん、じゃあワンチャン僕にもまだチャンスあるね?」
「それは有り得ませんね。」








七海の即答に五条は笑ってから席を立つ。
「じゃっ、幸せにしなかったら僕が殺しに行くからね。」と本気なのか冗談なのかわからないトーンで七海に言う。それに七海も深い溜息を吐くと、「ご心配なく。」とだけ返した。








「かわいくねー後輩。」
五条は七海の肩をそこそこの強さで叩いて笑う。








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「ねぇ、硝子ー、いる?」
「なんだ可憐、どした?」


仕事の合間に家入の好きな珈琲を持って医務室のドアを開けたのは可憐だった。家入の座る椅子の向かいに腰掛けると彼女は「ううん、なんもない」と肩をすくめる。



「その顔はうそだな。」
「えー?」「勿体ぶらなくてもいいよ」

「私ってさ、結婚向いてると思う?」
「あぁ、思うよ。」
「え?」
「向いてるよ。」
「.....え?」
「なに」
「いや、なんか、その返事が意外すぎて。」
「なんでよ。向いてるよ、可憐は。
家事だって出来るし、掃除とかも好きだし。料理に至っては得意な部類に入るでしょ。独身でも家できちんと作ってたし。
まぁ、呪術師って言うのが結婚に向いてるかは置いといて、可憐は結婚向きだよ。」
「硝子が言うなら、それは正解だわ。」



「なにその信頼」と家入は笑って、珈琲を一口飲んだ。二人は眩しいような青い春も共に過ごし、一緒に失ったものもあれば、補ってきたものもある。時代にそぐわない女性蔑視されやすいこの世界で、信頼できる互いの存在というのは他人が思うよりも尊いもので。





「プロポーズでもされた?」

「そう、ベッドの中で。」
悪戯に笑う可憐の笑顔は家入もよく知る学生時代と変わらない。


「案外やるな、七海も。
まぁ、あいつも呪術師にしとくには勿体ないくらい普通にいい奴だしな。結婚向きだな。」
「呪術師に戻るならそれが条件なんだって」
「ふーん。最高のプロポーズなんじゃない?」
「ははっ、私もそう思う。」
「おめでと。」「ありがとう。」



「七海が好きそうなワインでも今度探しとくよ。」
「やった、また今度飲みに行こね」
「悟に奢らせようか」
「それはいいね。楽しみ、...っと、ごめん。伊地知くんだ。」



ポッケの中でスマホが鳴ったのに気が付き、可憐はまたねと家入に声をかけるとパタパタと慌ただしく医務室を出ていった。








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伊地知からの電話の内容は明日からの任務のことで、おそらく駐車場に止めてある七海の車に気が付き、彼女も高専にいると思ったのだろう。教員室に資料がまとめてあるので取りに来て欲しいとのことだった。明日の任務に伊地知は同行せず、他の補助監督がつくためその引き継ぎもあったのだろう。教員室に行けば、割と新人の語尾に特徴がある話し方をする補助監督を紹介され、任務についても軽く説明を受けた。高専で働いているころから、可憐はかなり人当たりがよく、補助監督はもちろん、学生からも評判は高い。そんな彼女が呪術師に復帰したとなると、どうやら新人補助監督の教育にも一役買われそうな勢いだ。





「わかった、そしたら明日ピックアップお願いね。新田さん。」
「はい!よろしくお願いするっす!」
「じゃ、伊地知くんもお疲れ様。今日はこのまま帰るね。」
「はい、お疲れ様でした。」

可憐は二人に手を振ると荷物を持って教員室を出る。腕時計をふと見ると6時を回ったばかりで、車で帰るなら7時過ぎには帰れるだろう。冷蔵庫の中になにがあったか思い出しながら、長い廊下を歩き外に出ると駐車場に向かう途中にある自販機の前で名前を呼ばれた。









「あっ、建人。おつかれさま、おわった?」
「はい、少し前に戻って報告書も出してきました。」
「ちょうどよかった、車あったら電話しようと思ってたの」
「そろそろ終わる頃かなと思ったので、タイミングが良くて良かったです。」
「随分朝早くから行ってたんだね、私寝てて知らなかったよ、出て行ったの。」
「起こすのが気の毒なくらいよく寝てましたから。」
「え、お腹とか出して感じ?」
「いえ、むしろ私の布団まで全て朝方に奪い取って眠っていましたよ。」
「えー、ごめん。あ!そうだ、朝ごはんありがとう。ハムのサンドイッチおいしかった」
「口にあったならよかったです。」
「ていうか今日、車で行ったんだね」
「高専で猪野くんと合流してから、伊地知くんと現場に向かったので。」
「あー、なるほど。」





七海と過ごすようになってから、長く眠れるようになった可憐は早朝から任務のため先に出た七海が、自分のものと一緒に作って行ってくれたサンドイッチとサラダを朝ごはんに食べてから、高専に向かい、学生たちの任務に同行していた。






「結局報告よりも任務が軽かったのもあって、2件追加になってしまい朝7時から5時くらいまで働きましたよ」
「あははっ、それは残業だね。お疲れ様」
「可憐は?」
「今年の一年生は優秀だからさ、本当に引率って感じだったよ。ちょっとだけ結界でヘルプしただけかなぁ。」
「そうでしたか。」

駐車場に向かいながら話していると、車が見えてきたので七海がすぐに開錠する。「私運転しようか?」と尋ねる彼女に七海は少し悩んでから、自分で運転することを選び運転席に乗り込む。可憐もそれに倣って助手席に乗り込んだ。








「そーいえばさ、」「はい?」
車の中でなんの気無しにスマホをいじりながら可憐が口を開く。

「結婚するなら、ひとつだけお願いがあるの」
「なんです?」
「敬語。」
「はい?」
「敬語、やめない?」


彼女の提案があまりに突飛に感じたのか七海は助手席に座る可憐を横目で見るがスマホに目を落としたままでいつも通りの彼女が目に入るだけだった。







「建人は学生の頃からずっと敬語だし、会社員の時も上司部下関係なく敬語使ってたって言ってたから、別に敬語でもいいんだけどね。結婚するならたまには敬語なしでもいいかなーなんて思ったり思わなかったり、したりして。」

「どっちなんですか。」
「思ってます。」

七海は少し困ったような顔をしてから、助手席の彼女の名前を呼んだ。









「可憐、わかりました。」





「ん?」
「敬語、なしにしよう。」
「.....わっ。」
「どうした?」
「ちょっと待って、思ってるより慣れない、わたしが。待って、密かにあった歳下感が全く無くなる。え、緊張する。え。」
「可憐が言い出したんだろ。」
「一旦敬語に戻って。」














「もう駄目。」
赤く変わった信号を言い訳に、七海は可憐を引き寄せて触れるだけのキスをした。






「.......心臓がもたない。」
可憐は赤い顔をして、靴を脱ぐと助手席で小さく体操座りすると膝に顔を埋める。そんな彼女の頭を軽く撫でるとなにも無かったかのように七海は青に変わった信号に合わせてアクセルを踏み込んだ。







「今日の夕飯は?」
「.....家にあるものでなんか作る。」
「私が作ろうか」
「今日は私の当番だからいいの、」
「そしたらデザートだけ買って行こう、何がいい?」
「......アップルパイ。」
「珍しいな。」
「この前テレビでやってたのよ、アップルパイ特集。高専でちらっと見ただけなんだけどさ。バニラアイス乗せて食べるの。」
「ふ、了解。お店の希望は?」
「んーん、特になし。」
「そしたら駅前のケーキ屋に寄る?」
「おけ。そーする。」


可憐はまだ恥ずかしそうに膝から顔を上げて、スマホをいじると駅前にアップルパイのお店を見つけたようで、七海に行き先変更を申し出た。










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夕食は可憐が冷蔵庫にあるものを使って簡単なパスタとスープを作り、デザートには帰りに買っていったアップルパイを七海が軽くオーブンで温めてから彼女のアップルパイにだけバニラアイスを乗せた。

突然の敬語なしにも少し慣れたようだが、まだ少し可憐はぎこちない。そんな彼女を気にするでもなく、七海は食後に珈琲を二つ入れるとアップルパイがのる皿の横に静かに置く。








「んーー!美味しいっ!」
「甘さ控えめの味だ」
「建人、甘いの好きじゃないでしょ?ここのはシナモンが効いてて少し甘さ控えめなんだって」
「なるほど」
「アイスはいらないの?」
「大丈夫だよ、」
からかう様に言う可憐に苦笑してから、一度七海は立ち上がると寝室に行った様だった。特に彼女は気に留めるわけでもなく、嬉しそうにアップルパイとバニラアイスを頬張る。






コトン、と音を立てて、寝室から戻った七海は可憐の前に小さな紙袋を置いた。綺麗なネイビーの少しだけ光沢感があり高級感漂う小さな紙袋には控えめなシルバーのロゴが書かれている。見覚えのないそれを見てから、可憐は七海の顔を見上げた。彼は小さく笑ってまた彼女の向かいに腰掛ける。







「開けてみて。」
「え、ちょっと待って。」
「綺麗な夜景のレストランの方が良かったか?」
「いや、そうじゃなくて...」
「いいから開けてみて。」
恥ずかしそうにその袋を開けると、心のどこかで予想した通り、小さなベロアの様な素材で出来ている箱が入っていた。




それを紙袋から取り出すと、なにも言わない七海の顔を見てから可憐はゆっくりと箱を開ける。












「.......わっ....綺麗。」
シルバーの華奢な指輪は少しウェーブしていて、そこに小さな石が埋め込まれていた。

七海がその箱を彼女から静かに取ると、指輪を取り出して「右手を」と声をかけて片手を差し出す。可憐は恥ずかしそうに右手を彼に預けた。












七海は優しくその手の薬指に指輪を通す。
綺麗にケアされた可憐の華奢な指に、美しくウェーブした指輪はより輝いて見えた。










「結婚しよう、可憐」
「.....ほんとずるい。」
「幸せにする、必ず。」
「ん、一緒に幸せになろ。」


豪華なコース料理がテーブルに並ぶでもなく、綺麗な夜景がある訳でもなく、テーブルには食べかけのアップルパイといつものマグカップに入った珈琲。でもそれが、日常の中で命と隣り合わせで、いつ互いがいなくなるかわからない、それでも見知らぬ誰かを助けるこの2人には、1番の幸せの景色なのだろう。




指輪がつけられた右手を天井から吊るされるライトに照らして、嬉しそうに笑う可憐をみて七海も満足そうに珈琲を口に運んだ。








あなたがいるから、わたしは笑えて、わたしがいるから、あなたも笑う。そのくらいがきっとちょうどいい。
しあわせの定義








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