自分の小さな感情が貴方のためになら大きくなってわからなくなってしまうんだ
感情線路は回帰する









「早かったな、七海。」
「ちょうど高専に向かっているところでしたので。連絡ありがとうございます。」

「可憐ならさっき起きたところだ。奥でまだ横になってるよ、」

家入は心なし息が上がって医務室に入ってきた七海を見て少し笑うと、学長のところに行ってくると、医務室を出て行ってしまう。












「.....可憐?」
「ん、あっ、建人ーー」
カーテンを静かに開け中を覗くと、点滴をつけられ、上半身を起こしていた彼女は小さく笑って手を振った。声は元気がないが、とても顔色がよかった。そして、七海は彼女に二つの目で真っ直ぐ見つめられ少しだけ驚いた顔をする。




何かを聞くより先に、七海はいつもより華奢に見えた可憐を優しく、でも強く抱き締めた。その瞬間「痛いよ、」と彼女は小さく笑う。







「....っ、........良かった...」
「ふふっ、泣いてもいーぞ」
七海の背中に腕を回して、可憐はふざけたように小さく笑いながら、少しだけ震える七海の肩を優しく叩く。彼は何も言わずにしばらくそのまま彼女を抱き締めていた。







「可憐」「ん?」
「何処か、異変は?」
「あちこち痛い、よ?」
「それはもちろん理解しています。


何か変なところはありますか?」
「ねぇ、見て!!目!」
「......わかっていますよ。」
「えーもっと、びっくりしてよ」
一度身体を離して、可憐は両目でまっすぐ七海を見る。学生時代ぶりに合う彼女の目は、あの時と同様に人の温もりも見つけることができるようだ。あまりに真っ直ぐ見つめる彼女を七海はまた抱き締めるから、可憐は「どうしたの、」と優しく声をかける。「何でもありませんよ。」とだけ七海は静かに答えた。







「無事で....、本当によかった....」
「....建人こそ、」
可憐は自分を抱き締める七海の髪を優しく撫でる。温もりを分け合うように、心が抉られるような痛みを互いに癒すように。









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家入の話によると、今のところ体に異常はなく毒による後遺症は見られないとのことだった。喉の奥や首などに痛みは少し見られるがそれは時間が経てば自然と消えるもので、家入の仮説の通り可憐の呪力を乗っ取る形で呪霊は爪痕を残していたため、彼女の呪力は以前のように戻り、左目は義眼のままだがまた開くことができるようになったそうだ。家入が作った義眼は元々精巧で義眼だと言われなくてはそうとはわからない代物だった。



「点滴をしていたとはいえ、三日以上寝てばかりだったから筋肉は少し落ちているだろう。暫く休みながら様子を見ろ。


今日は家に帰って、風呂にでも入るんだな。」
「やったーーー!お風呂!!!


あっ、ねぇ、私臭ってない?平気?」

家入が医務室に戻り話を聞く。可憐はいつものように明るい声を出す。七海の方を少し不安そうに見上げたので「問題ありませんよ」と彼は短く答えた。




「硝子」「なんだ?」
「本当にありがとうね、硝子がいなかったら私死んでたでしょ?」
「まぁ、三回くらいは死んでるな」
「やばっ。硝子様硝子様ー!」
「まだ油断するなよ、なんかあればすぐに連絡するように。」

「はーい、ありがと、硝子。」
「はいはい、じゃ、あとは七海よろしくな」
「わかりました。」


家入に一礼してから、七海は可憐の腰に手を回し身体を支えるようにして医務室を出る。彼女もまた家入に手を振った。














「可憐!!」
廊下に出て歩いて外に向かっている途中、聞き慣れているはずなのにそこに焦りや恐怖が上乗せされているのか、まるで知らない声が彼女の名前を呼んだ。

七海と可憐が振り返ると、肩で息をして珍しく目隠しを外して、綺麗な白髪が乱れている五条の姿があった。






「さとる、」
「.....っはぁ、お前、無茶しやがって」
五条は二人の前に追い付くと、可憐の頭をくしゃくしゃと撫でる。何かを言うわけでも無く彼女はいつもとは少しだけ違う五条を見つめて、優しく笑う。




「悟、いろいろ調べてくれたりありがとね」
「......別に、」
少し無愛想な返事をする五条はまるで学生時代に戻ってしまったかのようで七海は少しだけ笑ってしまった。五条はそれに軽く舌打ちをしてから大きく深呼吸した。


「七海、連絡ありがとうな。」
「いえ。当たり前のことをしたまでです。」
何処までも真面目な返答をする後輩に五条は溜息をついてから、乱れた髪をかきあげると美しいなんでも見えてしまうであろう碧い目で可憐のことを見る。




「目、治ってる。」
「懐かしい?」
「あぁ、」五条はぐいっと彼女を引き寄せて軽く抱き締めると、すぐにその身体を離した。







「もう大丈夫そうだね」
「悟にはそう見えてる?」
あまりにも可憐が真っ直ぐに五条を見るから、彼は彼女の髪を優しく撫でてから小さな頷いて外していた目隠しを付け直す。






「んじゃ、僕は学長に報告でもしにいくかなーっと。」
「あ!!悟!!」
いつものように軽い口調に戻ると、後頭部に腕を添えながら歩き始めた五条の背中を可憐が呼び止める。








「んー?」
「おかえり!!」
いつも通りの何でもない挨拶に、五条は振り返ることなく手を振った。











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「あれ、伊地知くん。」
「お疲れ様です、七海さん、可憐さん。」
高専の出口で車の前に立っていた伊地知に可憐は驚いたように手を振った。



「どして?」
「そんなボロボロで電車で帰るつもりだったんですか?」
七海に言われ、彼女は自分の綺麗とは言い難い服装を見て確かにと納得したように頷く。


「どこかでアイスクリーム買っていかない?私お腹空いちゃった」
「五条さんみたいなこと言わないで下さい。」
後部座席に乗り込んで早々そんなことを言う彼女に七海はいつも通りの小さいため息を吐いた。そんな二人を伊地知は運転席から鏡越しに見て小さく微笑む。




「あっ、伊地知くんも、いろいろありがとうね。」
「いえ、お礼を言われるようなことは何も。」
「相変わらず優しいなぁ」
可憐は座席に寄りかかると、隣に座る七海に寄りかかりながら、外の景色に目をやった。







(あぁ、ちゃんと生きている。)
なんてことない景色すら、何処か新鮮で、どうしてだろうと少し考えたら、久しぶりに両目で世界を写しているからだとわかる。左目は変わらず光は写せないけれど、人の温もりはきちんとわかる。











「.........ただいま。」
大袈裟かもしれないけれど、この世界に、大切なあなたたちに。










小さな彼女の挨拶に、二人が答えることはなかったが小さく微笑んでいた。









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久しぶりといっても3.4日ぶりの自宅。
普段は滅多に使わない浴槽に七海がお湯をはってくれたので、可憐はゆったりと久々の入浴を楽しむことにした。


汗と汚れをシャワーでしっかり落として、髪も身体も洗ってからゆったりと湯船浸かる。身体の芯から温まり、それまで自分の身体が思っていたよりも冷えていたことに驚く。身体に傷こそないものの、あちこちによくわからない痛みは残っていて、毒の影響と家入に説明されたそれは不思議と生きていると言う感覚を彼女に教えた。


ふと、左目に触れる。
一年以上閉じていたそれが開いているだけで世界がまるで一変したように思えて、不思議だ。あの日、左目に写った過去の映像は彼女に七海を守るためのものだったのか、それとも単なる偶然か、それはもう誰にもわからないが、ひとつだけわかるのは、今彼女も七海も生きているということだ。





「わたし、ちゃんと、生きてる」
可憐の小さな呟きは、浴室の湯気に隠れて何処かへ消えてしまった。










風呂から上がり、七海が用意してくれたであろうタオルで身体を拭くと着替えに袖を通す。髪を乾かして、廊下に出るとほんのりと出汁の香りが鼻を掠めて、包丁のリズムのいい音が聞こえた。

(帰ってきたんだ)
なんて事のない日常の音が可憐の心を弾ませる。








「もうすぐ、ご飯できますよ。」
「ん、ありがとう。お腹空いたぁ」









もしまた生まれ変わったとしても
私はここに帰りたい











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