泪の刺青







「可憐.....っ!」
霞む視界の中で彼の大きな声だけが耳に残った。その声に手を伸ばして、意識が途絶えた。












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「ここですね。」
「うん、間違いない。残穢を隠すのがかなり上手いけど、絶対ここだね、」
「夜ですし、人気もないので帳は不必要そうですね」
「そしたら、ここで待ってるね。」
「了解しました。気をつけて、」

可憐は七海の背中を優しく叩いて、笑顔で送り出した。






△県における一級呪霊の祓除。町外れにある廃れた神社が任務地だった。昼間は町外れといえど、人目につく可能性があったので深夜に到着する様に高専を出て、現在の時刻は深夜2時を回ったところだ。報告書の通りその神社の周りには下級呪霊が屯っている。それらを、本人曰く鈍だというナタで簡単に祓いながら、七海は神社の奥へと消えていった。






(後ろ姿を見送るのって、いいものではないな)
闇夜に消える背中をしばらく見て、可憐は何かを振り切るように車に乗り込んだ。



























廃れたとはいえ、神社の中はかなり広く七海は一級呪霊の場所の索敵に少々苦戦していた。ガタッと、賽銭箱から物音がする。わかりやすい気配に罠の可能性もあり得ると周りに警戒しながら無闇に近付いたりはしない。







「.........クソッ...!」
刹那、完全に気配のなかった背後から足元へ攻撃を受ける。すぐさま反応し周りの地面を砕き、呪霊を瓦礫で埋めた。これで終わりなはずがない。再び地面から這い上がる瞬間を狙おうと身構えるが、それは思いもよらぬところから攻撃を仕掛けてきた。



「....!?」
瓦礫で埋めたと思っていたのに、空高く飛び上がっていたようで七海の頭上から液体のようなものが飛び散り、それを避けると地面が一瞬で爛れる。









「.......時間をかけるのはいい策ではありませんね。」
そう言うと、七海はネクタイを解きそれでナタを手に巻き着けた。七海の急激な呪力の上昇に呪霊の気配が一瞬揺らぐ。その隙を七海が見逃すはずがなかった。














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「.....痛っ..!」
車内でタブレットを使い報告書の作成などできる仕事をこなしていると、突然左目と首の後ろから激痛が走り、思わずタブレットを落としてしまう。




「........っ、なに、」
左目を抑えると一瞬映像が流れ込む。あの時の映像だ、可憐が左目を抉られた瞬間の。一体だと思って対峙していたのに、気配が全くない呪霊が自分の足元から現れ出て、左目は失われた。





「もし、かして....っ」
左目から血が出る。首の後ろから何かを刺されたような痛みが走る。動くなんて無理だった、それでも行かないと取り返しのつかないことになりそうで、可憐は車からどうにか出ると神社の奥へ向かった。


手には万が一のためにと、補助監督になってから持ち歩いていた呪力が込められている弓矢を入れた鞄を携えて。









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気配をどうにか追い、一級呪霊と対峙する七海を見つけたとき、彼は少し傷を負っていたがそこまで苦戦をしている訳ではなさそうだった。しかし、可憐の左目がそれを否定する。少し距離を取ったところから、痛みを振りきり叫んだ。







「建人...っ!下.....!!!!」
彼女が叫んだ瞬間、七海の足元から三体の呪霊が現れる。等級はおそらく一級相当。

彼女の声のおかげで、呪霊より七海の方が一瞬反応が早く冷静に状況を判断し傷を負わせた。




七海はここに彼女がいることよりも、まずは呪霊を祓うことに精神を統一させる。可憐は弓矢を出すと、地面に潜り込もうとした呪霊に狙いを定めて矢を放る。祓うまでは行かずとも動きは止まり、その隙に七海はすぐにナタを振りかざす。その後も三度彼女は矢を放った。七海もそのタイミングを逃すことなく攻撃を畳み掛ける。







「...っ、なんで...っ」
痛みが耐えきれない強さになり、可憐は左目を押さえてしゃがみ込む。動け動けと身体に念じても、身体は痺れて動けない。喉に激痛が走り、口を押さえると掌には血が付いた。彼女の異変に七海は気がついているがまずは呪霊を倒さないと全滅もあり得る。彼は瞬時に優先順位を判断し、力を振り絞り一級呪霊を全て祓った。











「可憐!!!!!!!」
その場に倒れ込んだ彼女を七海は抱き抱える。彼女の首筋には痣のようなものが広がり、熱を帯びていた。左目の眼帯からは涙のように血が流れる。


「........け、んと、」
「喋らないで。今すぐ高専へ、」
七海は汚れた上着を脱ぎ彼女にかけると抱きかかえると急いで神社の入り口に止めた車へと向かった。












車の後部座席に可憐を寝かせるように乗せると隣に座り、自分の膝に彼女の頭を優しく乗せた。肩で息をする可憐が何度か咳き込むと口から血が少しだけ溢れ落ちた。首筋に広がる痣は先ほどよりも色が濃くなっているような気がする。


スマホを取り出し七海は家入に電話をかけた。




「もしもし。今から高専に戻ります。緊急で一名、治療をお願いします。

.....はい、可憐です。おそらくあの傷が、はい...。いえ、私が運転して戻ります。」
手短に電話を済ませると、可憐の額を撫でてから名前を呼ぶ。







「今から高専に戻って家入さんに治療してもらいましょう。」
「....まっ、て」
「なんですか」
いつも冷静な声の七海の焦った声に、力なく少しだけ可憐は笑う。





「聞いて、あのね...見えたの、多分、あれは私が...払えなかった呪霊で...


それで.......だから目が.....っ..



でも建人が、...無事でよかった、」

血がついた手で、彼女は七海の頬を触れるとすぐにその手は力を失った。












「可憐.....っ!!!!!」











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「七海さん!!」
「七海、それ。」
「私のではなく彼女のです。治療、お願い出来ますか。」
「......あぁ。」


高専の入り口の前で七海を待っていたのは家入と伊地知だった。車を止め、七海は可憐を後部座席から抱き抱えて下ろすと、彼女にかけていたジャケットには血痕がこびりついていて一瞬家入が驚いたような顔をした。伊地知は七海から車の運転を引き継ぐと駐車場へ向かう。

七海は彼女を抱き抱えて、家入と共に医務室へと急いだ。車を出発させる前に気を失ってから可憐の意識は戻ることはなく、首筋の痣も消えることはなかった。










医務室のベッドに彼女を優しく寝かせると、家入に一度外に出ているように言われ、廊下に出る。家入の表情から察するに、治療にかなりの神経を削ると判断したのだろう、彼女に呼ばれるまでおそらく部屋に入ることはできない。







廊下に出ると七海は乱れていた髪をかきあげて、深い溜息を漏らすと、そのまま廊下の壁に寄りかかりながら座り込んだ。



「...........クソ...ッ」









高専に無事辿り着き張り詰めていた糸が緩み、突然襲ってきたのは可憐を失うのではないかという恐怖、自分が巻き込み彼女を護れなかったという後悔、様々なものが溢れ出し、七海の肩を震わせる。










呪霊は確実に祓った。
だとしたら可憐の傷が仮説の通り呪霊が残したものならばもう消えるのだろうか。
それとも呪霊を祓ったことで彼女の身は滅ぼされてしまうのかもしれないのか。
あの時、足元にいた呪霊には彼女の声がなければ気付くことはできなかった。おそらく自分は死んでいただろう。自分ばかり救われて、可憐はどうなるのだろうか、最悪なケースばかりが脳裏を過ぎった。







(こんなにも怖かったのだ、)
命を失うのが当たり前のこの世界で、もうわかりきっていたことなのに、こんなにも可憐を失うことが恐ろしい。わかっていた筈なのに、目の前に突き付けられた現実はただただ残酷で、何も救えない無力さで身体が沈んでしまいそうになる。










「........可憐...っ」
七海が呼ぶ彼女の名前は、廊下の闇に静かに消えた。











ほら、顔をあげてとすぐに声が聞こえたならよかったのに
昨日の笑顔すらもう遠く感じる











家入が青白い顔で医務室から出て、伊地知に言われ仮眠室で横になっていた七海に声をかけたのは、もう陽が登り暫く経った頃で、外はすっかり明るくなっていた。










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