あと少し踏み込んだら、また崩れてしまうのか、でももうそんな躊躇なんて捨てて仕舞えばいい
ここのところの心のすべて






「ご飯の前にお風呂入る人?それともご飯食べてから?」
質のいい食材が並ぶスーパーマーケットを出て、七海の家まではおよそ十分ほど。なんでもない会話をしながら帰路をいく。


「風呂といってもシャワーだけで済ませてしまいますので、帰宅してすぐシャワーを浴びてから食事が多いですかね。」
「任務の後とかなら余計そうなるよね、私結構高専のシャワーで済ますことも多かったもん、医務室に着替え置いてあるの。」
「なるほど。」


可憐の家にも寄り食材の買い出しまでしたが、七海の家には六時前には着けそうだ。





「なんで、七階じゃないの?ななみんなのに。」「そんな馬鹿げた理由で部屋を決めるわけがないでしょう。」
「いいじゃない、ラッキーセブンだよ」

自分より背が高く、歳下とはいえそうは見えない雰囲気の七海をからかうのが可憐は楽しいのか、小さなことで彼をからかってはよく笑う。



七海はそれに対して溜息を吐きながら部屋のドアを開けた。まだ外が暗くなり切っていないからか、部屋の中は少しだけ明るい。玄関から正面に当たるリビングの大きな窓からはか夕方の日差しが綺麗に差し込んでいた。





「ななみん、先にシャワーしてきていいよ。私副菜だけ作ったら、荷物とか片付けるから。」
帰ってきたら座って一息ついても良いものだが、二人ともそういう性格ではないようで可憐は買ってきた食材を冷蔵庫にしまい、七海は彼女のスーツケースを寝室に運び入れ、トートバックに入っていた靴は玄関に置く。



「エプロンとかある?」「私のでしたら冷蔵庫の横にかかっています。」
そのエプロンを一瞥してから「引きずりそう」と笑って、つけないことにしたのかそのまま手を洗って、いくつか食材を取り出す。


「何か分からないことがあれば聞いてください。適当に使って頂いて大丈夫です。」
「ん、ありがとう!ゆっくり入ってきて。」



キッチンからひらひらと手を振る彼女を横目に七海は寝室に寄ってから、浴室へ向かった。





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(不思議な感覚だ、)
この一人で住むにはやや広いこの部屋に引っ越して約三年ほど。初めて自分以外の人間がいるのに特に違和感を感じない。それが、彼女だからどうかは自分だけでは決めてはいけないような気がした。



湯船に入ることはないが、いつもより気持ちゆっくりとシャワーを浴びる。一緒にこの部屋を出て、この部屋に帰ってきた今日、自分は彼女に大切な話があるからと無理矢理引き込んだようなものだ。






『可憐はさ、僕じゃダメなの。七海じゃなきゃダメなんだよ。』
ふと、高専で五条に言われた言葉が脳裏をよぎり、それからすぐに彼の強い意志を感じた言葉も思い出す。

『死ぬ気で護れ』
呪術師の第一線から彼女を退かせた五条の言葉には説得力があるし、何より何があるかわからない世界だ。そして彼がどのくらい彼女を思っていたか、胸倉を掴んだ彼の力でもよくわかった。





熱めのシャワーで、頭から全身を洗い流し、最後に冷たい水で顔を洗い、セットを取るとひらりと落ちてくる髪をかきあげる。


浴室から出ると、料理のいい香りがほのかし、少し表情が無意識に緩む。大きなバスタオルで身体を拭き、髪をドライヤーで乾かすと、すぐにリビングに向かった。





「あっ、副菜だけできてるよ。簡単なものでごめんね。」
キッチンとリビングの間にあるカウンターに、小鉢が二つ並んでいて、その中にはどうやらポテトサラダが入っているようだ。

「ごめん、マヨネーズ全部使っちゃった」
「大丈夫ですよ。そんなに使いませんから。」



「荷物片してから、シャワー入ってくるね」
「荷物は寝室に好きに置いて下さい。」
「ん、わかった」

パタパタと寝室へ向かった彼女を見送り、ふとキッチンを見ると自分が使用したものは綺麗に片付けてあり、野菜の皮などのゴミも綺麗にまとめられていた。やはり、料理に慣れているようだ。


冷たい水を取り出そうと冷蔵庫を開けると、大きめのボウルにポテトサラダの残りが入っている。



「美味しそうだ」
思わず出た、小さな小さな、独り言。






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寝室に七海が運び入れてくれたスーツケースを広げながら、思ったより多めの荷物を持ってきたことに驚く。

荷物を出すといえ、ハンガーを忘れたことに気づき、恐る恐る寝室のクローゼットを開けてみる。するとそこには綺麗に仕立てられたスーツが数着並び、その下の引き出しにはスーツ以外の服が綺麗に仕舞われているようだった。

とはいえ、服の数がすごく多いわけではないのでクローゼットの中には隙間がある。余っているハンガーを借りて、七海のスーツの横に持ってきた服をかけて行く。




(わ、すごいなんか、)
「恋人みたい」小さくつぶやいた言葉をすぐに飲み込んで、シャワーに必要なものだけ取り出し、スーツケースを適当に片付けると足早に浴室は向かった。


洗濯機の上にバスタオルがまた置かれていて、抜かりのない彼に感心しつつ、ゆっくりとシャワーを浴びる。




(痣は消えないのか)
眼帯を外し見える痣は、今朝よりも色は薄くなっていて痛みはもうなかった。
身体にも呪術師として働いていれば仕方ないがある程度小さな傷がある。でもどの傷も家入がうまく治してくれているのでほとんど目立たない。彼女の体の中で一番目立つ傷は、左目の痣。


仕方ないとはいえ、たまに思うのだ。それを拒絶するような人はいないと分かっていても、心の何処かで怖くなる。




(胸を張って、私はこの傷を好きとはいえない)自分の誇りであることに違いはないのに。






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七海に何度もパジャマは持ってくるように言われたので持ってきたパジャマは、シャツタイプのトップスにショートパンツのもの。
形自体はシンプルだが、ネイビーのシルクの生地でできていて肌触りが気に入っている。

今日は七海のものではなく自分のボディクリームと化粧水で肌を整えて、パジャマに身を包み、ドライヤーをして、手慣れた手付きで眼帯をつけてからリビングへ。





「わ、すごいいい香り!」
「もうすぐ出来ますよ。もうパスタ茹でてしまいますね。」

キッチンには可憐が着るのをやめた丈の長いベージュのエプロンを身につけ、料理を進める七海の姿。


「パジャマにエプロンってなんか、ななみんでも決まらないね。」
思わず笑いながら彼女が言えば、「こんなの決まる人の方が少ないでしょう。」と七海は一瞥した。





ダイニングテーブルには、先程彼女が使ったポテトサラダの他に、コーンスープとグラス、それからカトラリーが綺麗に並んでいる。

「何か手伝う?」と声をかけるが予想通り断られたので、大きな窓から外を眺めた。帰宅した頃から時計は進み、外はすっかり真っ暗だ。それでも都心の夜は人工的な灯りでかなり眩しい。




「出来ましたよ。」
七海は二つのお皿をダイニングテーブルに置くと「何か飲みますか?」と聞いた。

「何があるの?」
「ビールか、ワインですかね。」
「そしたら、ビール!!」
七海は冷蔵庫から冷えた缶ビールを二つ持って、ダイニングテーブルに座る。向き合う形ですぐに可憐も座った。




「お口に合うかわかりませんが、」
「いえいえ。こちらこそ。」
ふふっ、と彼女は笑い缶ビールを開けると手慣れた手付きで七海のグラスに注ぐ。七海も彼女に注ごうとするが、手酌でいいよと断られてしまった。



「いただきます!」「頂きます。」
それから、乾杯と静かにグラスを合わせた。







夜は静かに全てを包み込む
そんな闇すら明るく照らせ











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