このまま曖昧にしていたらずっと曖昧なままな気がして。それは結果的に僕たちを絶対に苦しめる、
やさしいこころはここにあります






髪をドライヤーで軽くセットしてから、眉毛だけ整えるように描いて口紅を塗った。それから手慣れた手つきで眼帯をつけると、可憐は洗面所を出て寝室で着替えている七海に声をかけた。


「できたよー出かけられるよー」
「.....早くないですか。」
「なんだ終わってるじゃない、」
寝室から出てきた七海は普段のスーツではなくグレーのハイネックにベージュのジャケットを羽織り紺のスラックスを履いていた。


「あれ、いつものサングラスじゃないんだね」
少し色のついたサングラスをかけて、髪も少しだけラフにかきあげている彼の姿を少しだけ見慣れないのか可憐は眺める。




「準備早いですね」
「普段はもっとかかるよ。今日は服選び用がないし、メイクも眉毛と口紅だけだから。」
「なるほど、」
「じゃ、いこっか。」



都心部の七海の家から高専まで電車でおよそ1時間ほど。昼頃には着けるだろうと二人は静かに家を出た。







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「可憐、七海。」
校舎の入り口で頃合いだろうと思ったのか、二人を待っていたのは家入だった。

「あれ、硝子。いいのにお迎えなんて」
「珈琲、買いに来たついで。」
近くにある自動販売機を家入は指さした。

「その珈琲、校舎内だとなぜか売ってないやつだもんね。」



「私は報告書を提出してきます。」
七海は一言そう言って頭を下げると二人が何かを言う前に足早に去ってしまう。




「じゃあ、私たちも行くぞ。」
相変わらず何も詮索をしない家入に、可憐は安心しながら共に医務室へ向かった。



「痛みは?」
「昨日冷やして、かなり寝たからもう大丈夫。でも少し痣の色、濃くなってるかも。」
「そう、わかった。」

医務室でいくつか質問をされた後、ベッドに横たえて眼帯を外すと家入はすぐに術式で可憐の目の治療に入る。

時折「痛いか?」と聞いてくるあたり、だいぶ慎重に治療してくれているのだろうと可憐は身を委ねた。






「ね、硝子。痣はやっぱり消えないよね。」
「.....少し、難しいな。」

あの日闘った呪霊の残した爪痕。それを見たことがあるのは、治療した本人である家入以外は五条と七海だけ。


「ん、そっか。」
「...ここは痛むか?」「ううん、」




(なんでこんなこと思ったんだろう、)
可憐は考えても答えが出なそうな問いから目を背けるように右目もゆっくりと閉じた。






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「五条さん!」
人影もない廊下で、長身の男を呼び止める。
その男はヘラッと笑いながら振り返ると、また軽い感じで手を振ってきた。



「あっれー、七海、どしたの。スーツじゃないなんて珍しいね」
「報告書を出しに来ただけで、休みですので。」

ふーんと、どうでも良さそうに言う五条に対して七海は真正面に立つと、深々と頭を下げた。




「えーー!どしたの七海!」
「以前、胸倉を掴んだ件謝ります。

それから、もう私は五条さんに遠慮しません。」



七海は頭を上げると、両目を隠し表情がよくわからない五条の目をしっかりと見て続けた。









「可憐さんは、私が護ります。」











後輩の真っ直ぐな目を目隠しの下でしっかりと見ている五条は、小さく舌打ちした後に笑った。







「おっせーよ。ばーーーーか!ばかななみーーーーーーー!」

そう小学生のようにふざけたと思えば、瞬時に七海の胸倉を掴み学生の頃のような強い口調で、でも声は小さく呟いた。













「死ぬ気で護れ。傷付けたら俺が殺す。」








すぐに七海の胸倉から手を離すと、パンパンと七海の肩を叩き「じゃっ」と背中を向け片手を上げて歩き始めてしまった。








「五条さん!」
「可憐はさ、僕じゃダメなの。七海じゃないとダメなんだよ。



もう、ずっーーと前から。だからおっせーよ。ばーーーか。」

不意に振り返りそれだけ言うと、またヒラヒラ手を挙げて去っていってしまう。





その背中にもう一度だけ頭を下げて、七海は報告書を届けに教員室に向かった。






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教員室で報告書の提出のためパソコンを操作しそれが終わると、隣で突然七海と可憐が休みになったせいでいつもに増して仕事に追われていた伊地知の仕事を少しだけ七海は手伝った。





「可憐さん、何処か体調でも悪いのですか?」
「いえ、あくまで念の為でしょう。」
伊地知の質問に何処まで答えていいか分からず適当に七海は流す。



「左目は、もうずっとあのままなのでしょうか。」
「どうなんでしょうね。」


七海の知らない、可憐が左目を失った日。そこに伊地知はいたのだ。だから彼女のことを心配しても当然なのにどうも冷たいような受け答えしか出来ない自分自身に七海は溜息をつく。




「怒っていませんよ。」
怯える後輩にそう声をかけると安心したような表情を浮かべた。





「七海いるか?」
教員室に入ってきたのは家入一人で、自分の名前が呼ばれた七海は立ち上がるとすぐに彼女の元へ歩み寄る。

「五条には会えたか?」
「ええ、問題なく。

可憐さんは?」

「無事終わったよ。今は寝てる。もうすぐ目を覚ますと思うから行ってやったら?

私は煙草買いに行ってくるから。」




わかりにくい先輩の優しさに軽く会釈して、七海は医務室へ脚を走らせる。








曖昧なものをかなぐり捨てて
今手が届くものだけを










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