君はルギアに愛された
- ナノ -

星霜


──ミナキ君に言われた「少し様子を見たらどうだ」という言葉が、頭の中を反芻する。
シロネにも、マツバが純粋な心のままに接してくれていることは分かっていた。

勝手に引け目を感じて、彼が抱いてくれているという恋心が子供の頃の他愛もない口約束で縛り付けてしまったのでは無いかと恐れている感情に、恐らくマツバも気付いている。
人の心の動きやこれから起きるかもしれないことを見通す千里眼があるからこそ、マツバはシロネの壁を察知し、その上で純粋な感情を伝え続けることを選んだ。
そうでもしなければ、マツバが察したようにシロネはエンジュシティを再び訪れることはしなかったのだから。

マツバがあの日、幼少期の続きの告白をしていなければ、二度と会えない可能性があったのは、本当のことだった。


「今日マツバさんの試合あるんだってー!」
「聞いた聞いた。アカネさんが久々に泣いちゃったって……そんな強い相手とマツバさんが戦うなんて楽しみだよね」

エンジュシティが朝から少々騒がしい今日。シロネの姿は偶然エンジュシティにあった。
エンジュシティのすぐ近くの道路に時々現れるというウソッキーをフィールドワークしようかと考えて空を飛んで行くのではなく、エンジュシティを経由した所で噂を耳にして足を止める。

「……マツバ君の試合があるんだ」

ジョウトのジムリーダーとして活躍するマツバの試合。彼が強いということは知っていたし、昔からポケモンバトルも強かったけれど、今の彼の試合は見たことがなかった。
一般の人が見に来てもいいんだ。
ぼんやりと考えながら、ジムへと向かって行く女性達や少年達の背中を目で追う。

(……見に、行ってみたいけど)

誘われてもないのに勝手に行くのってどうなんだろう。
そんな葛藤が、足を止めさせる。確かにマツバとは幼馴染という関係ではあるが、告白をされている中で明確な答えを出せていない今、気になったから遊びに来ましたなんて。
ジムと反対方向に向かいそうになったシロネの服を掴んだのは、隣でシロネの表情から葛藤を察したらしいオオタチだった。

「オオタチ?ど、どうしたの」

短い手を伸ばしてシロネの背中をジム方向に向かって押して背を伸ばすオオタチの姿に、解けたように微笑み、その背中や首周りを撫でる。
オタチの頃からマツバを知っているからこそ、シロネの葛藤を察したうえで、避けるのは良くないと訴えているのだ。

「マツバ君、千里眼があるから気付かれるかもしれないけど……そうだね、女の子たちに混ざってひっそり見に行こっか」

──マツバ君が一番輝く、ジムリーダーとしての活躍をこの目に納める為に。


挑戦者によっては部外者の観戦を嫌がる人もいるけれど、今回挑戦する予定のトレーナーは特別そういう訳ではないらしく、試合が始まる前から一般観戦客が多く押し寄せてきている。
リーグに挑戦するとなると、スタジアムの中で多くの観客に囲まれながら試合をすることになるため、緊張感を楽しむトレーナーも多いということは、オーキド研究所に度々顔をのぞかせてくれるジムリーダー、グリーンから話を聞いていた。

「改めて……マツバ君ってすごいジムリーダーだよね……」

こんなにも多くのファンがついていて、応援されて。
尊敬されるようなポケモントレーナー。ただポケモンバトルが強いだけではなく、人格者であることもシロネは良く知っている。
幼馴染が尊敬される立派な人物であることは誇らしく──同時に、遠い人であることを実感する。

(マツバ君が遠い人なんて、昔から解ってたことだけど……)

幼い頃から修行を積んでいる彼が、何処までも一般的な自分とは違うなんてことは分かっていたし、その上であまり立場を気にせずに親しくしていた。
そんな価値観で線引きをして遠ざけるのはマツバに失礼だという意識はあった。ルギアの件で引け目を感じて避けていたのは確かだが。

エンジュシティのジムは、他のジムよりも厳かな空気感が特徴的だった。寺院の内装のように装飾は少なく、ゴーストタイプのジムでもあるため、少々薄暗い照明が印象的だ。
ジムに入る前は黄色い声を上げていた観客も、ジムに入るなりひそひそと声のトーンを落として会話をしている。

「ゴーストタイプってなんだか怖いイメージがあるけど……マツバさんの試合見てると怖いだけじゃないんだなって思えるよね」
「格好良く見えるよね。凄く分かるよ」

観客席の中でも後ろの方の目立たない席に座ったシロネは、近くの女性たちの会話に目を丸くして、嬉しそうに隣に座るオオタチに視線を向ける。
マツバの影響でゴーストタイプのポケモンが魅力的に映っているのは幼馴染としても嬉しかっただけではなく、ポケモン研究者としてもポケモンの魅力が広がっていることにもう嬉しく思えた。

このジムに辿り着くまで順調に勝ち進んできたトレーナーがフィールドに立ち、向かい側にエンジュシティのマツバがやって来て、会場は静かに声を抑えながらも静かにどよめく。

「マツバ君だよ、オオタチ」
「オタチ……!」

マツバの姿を捉えると、自然と背筋が伸びるような気持ちになる。
気付かれていなさそうだとほっと一息吐いて試合を見つめるシロネだったが、マツバは視界の端に居たシロネの姿を捕えていた。

(あれは……映像で一瞬頭にシロネちゃんがジムへ来る姿が映ったような気がしたけど、本当に来てるなんて)

エンジュシティに来ること自体を避けていたシロネが、こうしてエンジュジムの試合を見に来てくれるなんて。
マツバも予想していなかったことだし、好意を受け取ってもらうようになるまで強引な行動は時と場所を見ようと意識していた中で、彼女から多少なり意識をして来てくれたというのはマツバにとってはシロネが思っている以上に重要な転機だった。

(あぁ、うん。本当に素直に嬉しいな。シロネちゃんが僕の試合を見に来たいと思ってくれてることが、こんなにも……)

彼女が観客として見に来ているのなら、何時ものように最高の試合を出来るように努めるだけだ。
挑戦者を迎え入れる挨拶の言葉を述べたマツバは、苦戦を強いられる映像が視えた件は口にはせず。
千里眼で見えた未来の予想を超える試合を常に目指す。

「勝たせてもらうぞ、マツバ!」
「君の噂は聞いていたから戦えるのを楽しみにしていたよ。ここまでの戦績、本当に見事だ」
「ジムリーダーにここまで褒めてもらえるのは有難いが……貴方は一筋縄ではいかないことは分かってる」
「光栄だね。……何時も負けられないけど、今日は特に負けたくないね」

ポケモンバトルは当然、自分とポケモンの為に戦うものだ。
それでも、その姿が他者にとってどう映るのか。それを全く意識をしないという訳ではない。

悪戯好きなマツバのゲンガーも、試合の時は鋭い眼差しで闘志が漲っている。
エンジュジムのジムリーダー、マツバとしての最高のパフォーマンスを出し切るまでだ。


──試合はマツバの想定通り、苦戦を強いられるフルバトルだった。最近の挑戦者の中でも特に実力が頭一つ抜けているという噂は耳にしていたが、確かに手強かった。
最後の一体のゲンガーまで試合はもつれ、勝敗はお互い最後の一体次第となっていた中。
勝利をもぎとったのは、ゲンガーのシャドーボールの一撃だった。
マツバに軍配が上がり、ファンはマツバが勝ったことに喜ぶよりも、まずは熱戦を繰り広げた両者に惜しみない拍手をした。
それだけ、両トレーナーの戦いぶりが人の心を揺さぶるようなものだったのだ。

「本当にいい試合だったよ。再戦、楽しみにしているよ」
「……っ、はい。また鍛えて来ますから……!」

再戦の約束をして挑戦者を見送り、観客席からも人が徐々に居なくなり始める。
その流れに乗るようにシロネも密やかにジムを後にしようとしたのだか。

「ゲン!ゲンガー!」
「わっ!?ゲンガー?さっきまでそこに居たのに……」

シロネの行く手を阻むように下から出てきたゲンガーに驚いてひっくり返ることも無く、少し慣れている反応を見せる。
ゴース、ゴーストの時から知っていた上に、その頃から悪戯好きな性格の彼がこうして驚かしてくることは日常茶飯事だった。
驚ききってくれないシロネの反応が懐かしくもあり、少し残念なのか肩を落とすゲンガーの頭に手を乗せて「お疲れ様」とシロネは声をかけた。

「見に来てくれたのかい、シロネ」
「ま、マツバ君……!やっぱり気付いてたんだ」
「うん、シロネがジムに入ってくる姿が浮かんでまさかとは思ったけど。嬉しいよ、本当に」
「突然何の連絡もなしに来ちゃったのに、そう言ってくれてありがとう」

密やかに帰るどころか、やはり最初から来ていることに気付かれていたことに、苦笑が零れる。
オオタチに背中を押されなければ、このジムには来なかったかもしれない。マツバのジムリーダーとしての活躍を目にすることも、もしかすれば随分先送りになっていたかもしれない。
しかし、マツバの試合を見終わって純粋に思うのは「今日の試合、見ていなかったら後悔していただろう」だった。

「楽しんで貰えたなら良かったけど……」
「ううん。格好いいなって、思って」
「……!」
「皆が尊敬するのも凄く分かるよ。昔だってそうだったけど、今の方が、もっと」

──やっぱり、マツバ君は何時だって少し遠くて。眩しくも、儚く見える人。
それが少しだけ、寂しく思えてしまう程に、彼は多くの人の手本となる尊敬される星なのだ。
その星に手を伸ばす人は沢山居て。星はたった一つしかない特別な存在だけれど、それを見上げる人々は、星にとっては異なる。

「皆にとって僕がどう映ってるかは分からないけど……シロネちゃんに格好いいと思われるのは僕にとって特別な餞別だよ」
「ぁ……」

シロネにとってマツバが大衆の、自分の星であると思うように。マツバにとってシロネは無二の特別な存在であるのだと自覚させられたと同時に、言葉が出なくなった。
恐れ多い?嬉しい?恥ずかしい?
一つの感情の枠にはまりきらないような感情が混ざって溶けて、シロネの心を揺さぶる。

ありがとうと青年らしく綻んで笑うマツバに熱が集まる感覚を覚えて、頭に反射的に浮かんだ本当に格好いい人、という言葉を呑み込んで。
「皆もマツバ君のこと格好いいって絶賛してたよ」と、本音を覆い隠すのだった。
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