君はルギアに愛された
- ナノ -

白波


ジョウトでの幼少期の記憶は、海の香りよりもパレットのような落ち葉を踏みしめる香りの方が強く記憶に刻まれていた。
何せジョウトの中でもエンジュシティには海がない。友人である二人の少年やキキョウシティに暮らす少年と遊ぶ時の思い出には海という景色はない。
馴染がなかったはずの景色は、気付けば当たり前のようなものへと変わっていた。
クチバシティという街だからこそ。
そして何より、海を司る白銀の翼のパートナーに出会ったからこそ。

海は、今ではシロネにとって切り離せないものとなっていた。
部屋には朝日が差し込み、窓を開けると潮の香りが鼻をかすめる。
ルギアが少しでも海を感じられたら、という想いから、アサギシティの中でも海が近い場所に家を借りていた。
外に出たシロネはルギアと共に海岸線を眺めながら、朝の散歩に勤しむ。

「アサギシティの周辺のフィールドワークも終わったし……キキョウシティとか、コガネシティの方とかまで広げてみようかな?アルフの遺跡は没頭しちゃいそうだから後回しで……」
『もしうずまき島周辺のフィールドワークをするなら、私が連れて行こう』
「ふふ、ありがとうルギア。ルギアのいた場所だから……もう少し、ちゃんと集中出来るタイミングで行きたいの。特別な場所だから」

ヒトとポケモンが自然に会話が出来るのは、当たり前のことではない。
ルギアが人の言語を理解し、テレパシーを通じて会話をできるからこそ、シロネとルギアの間のコミニュケーションはより豊かになっている。

古い友人と再会したシロネの日常は大きく変わった訳ではなかった。
エンジュシティに家を借りるのではなく、今まで通りアサギシティに借りた家に帰る。

その日々は何も変わらない。

エンジュシティを立ち去った後のルギアが長年過ごしてきたアサギシティとタンバシティの間に位置する、激しい渦潮によって阻まれたうずまき島。
ルギアゆかりの地であることを考えるとジョウトでも特に行きたい場所ではあったが、ふわふわと揺蕩うような意識のままでは行けない──シロネが落ち着かない様子になっているのは、やはり数日前のマツバとの再会があったからだった。

『今日は、平地を歩いてコガネシティへ向かうのか』
「たまにはオオタチを歩かせなきゃいけないし、それに……何時までも子供みたいに、避けてちゃいけないかなと思って」
『私が居たばかりに、すまないシロネ』
「ううん、違うの。ルギアのせいじゃなくて……私が勝手に、マツバ君に対して引け目を感じてただけだから」

変わったことがあるとすれば、ルギアの背に乗って避けるようにエンジュシティを通らずコガネシティの方に向かっていた経路が、エンジュシティを経由するようにしようと思うようになったことだろうか。
そして、シロネのポケギアにはマツバの名前が登録されていた。

自分と出会う前に、シロネはエンジュシティで暮らしていたということは知っている。そして、先日判明したのが、彼女の幼馴染の一人がエンジュジムのジムリーダー、マツバであるということだ。
ホウオウに選ばれるために修行を重ねてきたジムリーダー。
人同士、一言では説明がつかないような縁があるようだが、ルギアにとってはそのマツバに対しても敵対心はない。
ただ一点。
シロネに悪意を持って近付き、シロネを困らせるというのなら、彼女が止めようと然るべき対処をするだけだ。

「選ばれたいって頑張ってた人を、小さい時から知ってたから……余計にそう、思っちゃって」
『塔が焼けてしまって以来、海の底で心の綺麗なヒトに出会う日を待ち続けていた。……落ちそうなポケモンを助けようと船から海に飛び込むのも厭わない少女を、見つけた時まで』
「他にもそういう人は沢山居ると思うし、あまり自分にその実感はないんだけど……否定すると、私とパートナーになってくれたルギアのことも否定することになるから。ありがとう、ルギア」

微笑むシロネに、ルギアは波が凪ぐような心地だと目を閉じる。
心の綺麗なトレーナーに出会う時を待ち望んでいたが、誰でもよかったという訳ではない。純粋な子供がいいと選り好みをした訳でもない。
あの日出会った少女に、この子がいいと思ったという直感を信じた。

ただ、今感じている居心地の良さに、シロネを選んでよかったのだと何度でも再確認する。
ルギアが首を寄せてきて、シロネは見た目よりも温かいその首元を撫でる。

「……百年以上、待ってくれたんだよね。当然のことかもしれないけどルギアは長生きだね。私よりもずっと」

シロネの言葉の裏にある種族の違い。
自分が死んだ後も、ルギアは長く長く生き続ける。人とポケモンの寿命は、それぞれ異なるのだから当然だ。
別れの時はいずれ訪れるし、必ずルギアを置いて逝ってしまうことを今から気にしても仕方がないのかもしれないけれど。
彼女の葛藤に、ルギアは無言でシロネの身体を包むように翼を折りたたむ。

彼女の最期の時まで共に居たいと決めているが──別れを惜しみ、拒みたくなるようなこの感覚は、ポケモンであるルギアにとっては不思議な心地だった。
他のポケモンと時折触れ合いながらも、孤独に暮らすのは苦ではないし、その日々が寧ろ当たり前だ。
シロネが居なくなった後は、きっと次の誰かを見つけようとするのではなく、静かな渦巻く海へと戻るのだろう。

彼女との思い出を巻貝に閉じ込めるように。


──エンジュシティを経由して、キキョウシティとコガネシティに繋がるどうろのポケモンのフィールドワーク。
ルギアの背中に乗ってエンジュシティを避けるように移動していたシロネにとっては行動範囲も含めて大きな変化だ。
オタチの頃に見覚えのある景色を歩くオオタチはどこか落ち着かない様子で目を輝かせながらシロネの隣を走ったり、辺りを興味深そうに首を伸ばして眺めていた。

「オオタチ、懐かしい?ふふ、そうだよね。あの町並みは……私たちが初めて出会って、一緒に過ごしてきた場所だもんね」

頷くオオタチは、エンジュシティの近くの草むらでシロネと初めて出会った時のことを思い出す。
オタチだった頃、怪我をして他のポケモンに見つからないように木の影で蹲っていた所を、優しい少女に助けられた。
ポケモンを持っていない人が草むらに入ってきてくれたのは今となっては普通のことではないと分かるが、同時にマツバという友達と一緒だったからだとも理解していた。

「わっ、くすぐったいってばオオタチ」

彼女は怪我したオタチにキズぐすりを使い、ポケモンセンターへと連れていってくれた。
その縁があって彼女のポケモンになったのだから、心に惹かれたというルギアの想いにオオタチは共感していた。
そして、出会った頃から彼女がよく遊んでいたマツバと再会出来たこと。
色とりどりの鮮やかな椛が秋には美しいエンジュシティにこうして再び思い出を辿るように帰ってこられたこと。
一つ一つがオオタチには胸躍らせるようなことだった。


「困ったな……マツバにアサギシティに住んでいるとは聞いたが、肝心の連絡先も知らないのはどうやって会うべきなんだ……?」

シロネが今まさに町に入ろうとしているとは露知らず。
彼女が帰って来たという話を耳にしたスイクンハンターは、スイクンが目撃された可能性があるアサギシティへと向かうと同時に彼女に会いに行こうと考えていたが。
連絡先も知らなければ、マツバは写真を撮っていなかった。
ルギアやオオタチを連れていれば辛うじて面影で分かるかもしれないが。
ぼんやり思案しながらエンジュシティを出ようとしていたが、自分が向かう方向からエンジュシティに入ってきたオオタチを連れた女性の姿に目を留める。

「ん……?まさか!」

親友から聞いていた特徴にそっくりで、尚且つ自分の記憶にある少女の姿を綺麗な大人に成長させた姿そのものだったからだ。
ルギアの姿は見られないが、彼女こそがシロネに違いないと確信する。

「シロネ!アサギシティに行こうとしていたがまさか君からエンジュシティに来てくれるとは。シロネで合っているよな?」
「え……もしかして……み、ミナキ君!?わあ、久々だね」
「本当に居るとは……マツバに聞いて来てみたが、ジョウトへおかえり、シロネ」

幼い頃にマツバと共によく一緒に遊んでいたミナキ。彼はホウオウやルギア等の伝説のポケモンには興味を示さなかったが、昔からスイクンに憧れていた人だった。
そのまま憧れをスイクンハンターという形で職業にしてしまっているとは思いもしなかったが、スイクンに特化したフィールドワークをしているという点で、ポケモン研究者の道を歩んでいるシロネにとっては少し親近感が湧く所でもあった。

「マツバ君に、ミナキ君がスイクンハンターになったって話を聞いたんだけどミナキ君は変わらないね。安心しちゃった」
「それを言うならシロネ、マツバに聞いて驚いたぞ。シロネがあのルギアに選ばれたという話を聞いたんだからな」
「選ばれたって言い方が合ってるかは分からないけど……一緒に暮らしてるよ」
「それは、プレミアボール?」

今日は彼女の周囲にルギアは居らず、代わりにシロネはルギアが休んでいるプレミアボールを取り出す。
研究者としてポケモンを捕まえる際に必要な分だと、モンスターボールと共にオーキド博士から渡されたプレミアボールだった。
オオタチは居たものの、ポケモンバトルは音痴なシロネが捕まえづらい筈のプレミアボールでルギアを捕まえられているというのは、信頼の元、ルギア自ら入ろうとしたのだと実感させられる。

「普段はボールにはなるべく入れないようにしてるんだけど、エンジュシティの街は特に道が狭いし……それに、エンジュでルギアを見かけたら卒倒されそうだから」
「そうだな……ホウオウと違って祀る塔が壊れてエンジュから居なくなった関係で、伝説は薄くなってきてるが……それでもエンジュでルギアの名はやはり有名だからな」

舞踊でルギアの物語も語り継がれているように、エンジュシティにルギアが来なくなってもう百年以上が経つが、それでも信仰は残っている。
その街に、街を横断するように一人のトレーナーと並んでルギアが羽ばたいていたら、大騒ぎになるだろう。
この場所ではマツバが見たというルギアを直に拝見することは出来ないことを残念に思いながら、ミナキはマツバと会話をした時の様子を頭に浮かべる。

「なぁ、シロネ。マツバと何か話したのか?」
「えっ……?」
「いや、シロネが帰ってきたという話をしてくれた時のマツバの様子に……少し、違和感を覚えたものでな」

ミナキの指摘は、あまりにも的確だった。
彼が知っている人間の中でも、マツバという人は感情を制御することに長けていた。何せ幼少期から修行し続け、千里眼も有しているような男だ。
自分の感情の波を制御し、瞑想するなんて彼には難しいことでは無いはずだ。
だが、その反面分かりやすい所もあるというのが長い付き合いになるミナキのマツバへの見解だった。
幼少期はシロネへの好意を隠していなかったし、素直に口に出していた記憶がミナキにもある。
大人になった今となっては子供頃の好意なんて可愛い一過性のものだというのが一般論だが。

「ミナキ君は、何でも分かっちゃうんだね。私が居ない間のマツバ君も……ずっと、ちゃんと知ってるから」
「マツバのことだから、シロネがルギアとパートナーになっていること自体には別に思う所はないだろう」
「うん……私が勝手に心配してたけど、そうだったみたい」
「そうなると、シロネに会えたこと自体だったか」
「……!」
「あぁ、いい。何となく今ので分かった。まったく……案外あれでマツバは純粋というか、自分が運命だと思ったことに一直線だというか」

詳細は知らないが、シロネの目が大きく開かれた反応で察する。
マツバの好意は一切色褪せてもいなければ、子供の恋心だと思い出にもしていないのだろう。
そのままの形を保って、大人になったシロネと再会出来たことで動き始めて、また更に鮮やかに色付いたのだ。
再会したばかりの彼女が驚き、戸惑う反応を見せているのも無理はないとミナキは頭を押えて溜息を吐く。

「シロネも知っているだろうが、悪気はないんだ。言い訳のようだが……」

マツバがいい人であるなんてことは分かっている。
だからこそ、戸惑っていた。
誰もが憧れるエンジュシティのジムリーダーで、性格や容姿を含めてもマツバと付き合いたいと思う女性は少なくないだろう。
そんな彼を、知らぬ間に幼少期の約束で縛らせているのではないか。
きっと幼かったマツバという少年の好意に見合う大人になれていない、と。
好意を疑うというよりも自分に自信がそれ程ある訳ではなく、勝手に避けていたのにもかかわらず、彼の優しさや変わらない愛情に付け入るように甘えてしまうことがきっと、怖いのだ。

「マツバが何を言ったかは知らないが、少し様子を見たらどうだ?自然と誤解だとか違和感も薄れていくかもしれない。これは私の連絡先だ。困った時やスイクンを見かけた時は連絡をして欲しい」
「ふふっ、変わらないねミナキ君は」

気を遣いながらも、スイクンハンターとしての輪を広げることも忘れないミナキのミナキらしさに安堵して、シロネはポケギアを取り出す。
ミナキに撫でられながらオオタチは気持ちよさそうに目を細めている姿にシロネはふっと綻ぶように微笑み、旧友に会えて良かったと、初めて純粋にその感想だけを抱いたのだった。
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