君はルギアに愛された
- ナノ -

隙間


故郷のはずのエンジュシティには一切寄らず。
アサギシティ彼女が僕と会うつもりがなかった理由をこの時漸く理解した。

シロネが宥めると、感情をむき出しにしていたルギアは翼を広げて海へと戻っていく。
今は一時的に干渉をするつもりはないということなのだろう。
それは有難かったけれど、どうして彼女がルギアと出会い、一緒にいるのだろうかと言う根本的な疑問が残る。
──今のは、どういうことだい?

シロネはそのまま立ち去ることはせず、雨でしっとり濡れた髪を耳にかけて振り返り、頭を下げてきた。

「……ごめんなさい、マツバ君」

其れがどういう意味でのごめんなさいなのか──流石に全てを汲み取ることは出来なかった。
ルギアに襲われそうになったことなのか。
エンジュシティに帰ってこなかったことなのか。
ルギアという伝説と共にいるという罪悪感なのか。
それとも。
僕の想いに応えることは出来ないということなのか。

「……マツバ君が、ホウオウに選ばれる為にどれだけ修行して来たかも知ってる。だから、ルギアと出会った後の私は……マツバ君に会う資格、ないと思ってた」
「……それは誤解だよ。僕が選んで貰えるかどうかは僕自身の問題で、シロネちゃんが罪悪感を覚えることはないし……君は、僕にはないものを持ってると昔から思ってたよ」

トレーナーとして強かったという訳では無いが、彼女から感じられる空気が澄み渡った清廉さがあることは感じ取っていた。
スズネのこみちに溶け込んで、そのまま神隠しにでもあってしまいそうな、そんな雰囲気。
伝説のポケモンへの特別な想い入れはないタイプの人だったかもしれないが、彼女はこのエンジュの守り神ではなく、エンジュには無い海の守り神に愛された。

罪悪感に頭を下げている彼女に向けて傘を傾けて、濡れないようにする。
これ以上外で話すのは風邪をひいてしまうから、ポケモンセンターに行こうと提案すると、彼女は逃げずに着いて来てくれたのだ。
──今は、それだけで十分だった。

「オーキド研究所で助手をしてるなんて凄いね。何となく、シロネはトレーナーじゃなくて違う道に進みそうだと思ってたけど」
「見る分には好きなんだけど、自分がバトルをするのはあまり……オオタチも、あまり戦闘が好きじゃないみたいだし」
「オオタチ……あぁ!エンジュの近くで会ったオタチか!今でも仲良しなんだね」
「マツバ君のゴースは?今も元気?」
「あぁ、ゲンガーになっていてね。元気どころか悪戯好きで時々手を焼くよ。そんな所もゲンガーらしいんだけどね」

コガネシティのポケモンセンターでバスタオルを借りて温まりながら、エンジュシティを離れたあとの彼女について知るために談笑をしていた。
オオタチとゲンガー、お互いが知っている頃から一緒にいる相棒の話に緊張もだいぶ解れてきたのか、彼女はふわりと微笑んでくれたのが何よりも嬉しかった。
ゲンガーがエンジュジムにおいても挑戦者にとって難関となっている話を聞くと、自分の事のように喜んでくれるのがやはり、愛おしく感じるのだ。

「マツバ君のジムは難しいって話は聞いてたんだけどゲンガーが大活躍なんだね。マツバ君がこうも強いとミカンが退屈になっちゃうかも」
「ミカンって、ジムリーダーのミカンちゃんかい?知らなかった、シロネちゃんと知り合いだったのか」
「うん、知り合ったのはこっちに戻ってきてからだけど、よく話をするの。特にカントーで、私の周りでははがねタイプのポケモンってあまり見られないから新鮮で、声をかけさせてもらったのがきっかけだったかな」
「あぁ、なるほどね。確かに生息地を考えると発電所とか洞窟とか行かないとはがねタイプのポケモンはなかなか見られないかもね」

彼女がアサギジムのミカンと親しいというのは意外だったが、穏やかで淑やかで、でも芯が強い所は確かに通じ合う所があるのだろう。
最近ではリニアモーターが出来て、簡単にカントー地方とジョウト地方を行き来出来るようになった。
数時間、座席に座っているだけであっという間に着いてしまうなんて非常に便利な時代になったものだ。
彼女がフェリーでジョウト地方に戻ってきてそのままアサギシティに滞在していたのなら、ポケモン研究員としてジムリーダーと知り合うこともあるだろうと思うと同時に、やはりエンジュジムは避けられていたことを痛感する。

「話しづらいならいいんだけどアサギシティに滞在してるってことは、最近……ルギアに会ったのかい?」
「ううん。会ったのはクチバシティに引っ越す、フェリーに乗ってた時。オタチがオオスズメに驚いてフェリーから落ちそうになったのを、助けてくれたの」
「そうだったのか。オタチにとっての恩人なんだね」
「そうなの。その時はありがとうって手を振って別れたんだけど、クチバシティの海で遊んでたら、ルギアが顔を出してくれるようになって、そこからかな」

彼女は自然体だった。ルギアを追いかけたわけでもなく、ルギアに選ばれるために何かをした訳でもなく。
ルギアは、シロネという少女に直感で見出したのだ。
選ばれる人というのを僕が見たのは二度目だけれど、どちらも納得が出来た。
ただ、ルギアと彼女の件は自分でも驚くほどに、羨ましさだとか僕が彼女の立場になれたら良かったのに、だとかは無かった。
興味が無いという言い方は適切ではないが、スイクンを追うミナキ君になりたいかと問われたら別にそうではないと即答するように、その人にとっての特別なポケモンというのは千差万別で。
僕にとってはそれがエンジュシティに住まう者にとっての神であるホウオウだったというだけなのだ。
──だから、別にシロネちゃんが僕に負い目を感じる必要は無いんだよ。
そう言葉で伝えても、彼女に本当の意味で届くのは暫くかかりそうだと思った。

「ルギアのことをもっと解りたかったし、世界には色んなポケモンが居るって分かって、オーキド研究所の門を叩いたの。まだまだ未熟なんだけどね」
「スイクンハンターを職業にしてしまったミナキ君を見てると、シロネちゃんのその決断はルギアのためを思ってるなって思うよ」
「ありがとう、マツバ君。ミナキ君、スイクンハンターになったの?昔からスイクンのこと、すごく好きなんだなぁと思ってたけどそうだったんだ」

懐かしいエンジュシティでの昔の思い出に、抵抗感が無くなってきているように感じた。
それまで負い目でエンジュでの思い出から遠ざかろうとしていた彼女が、徐々に溶けだして、綻んで。
戻ってきてくれようとしているのだろう。
でも、焦ってはいけない。ここで変に彼女に追い打ちをして、もう二度と戻って来ないようになってしまったら本末転倒なのだから。


「くしゅっ」
「ほら、雨に濡れてたから。風邪をひくといけないよ」
「ルギアと居るようになってから海に入ったりすることが増えたんだけど」
「そうだ、これを巻いて。少しでも温かくなった方がいいから」

小さくくしゃみをした彼女に、身に付けていたマフラーを渡すと目を瞬かせて。
それからまた花のように綺麗に綻んだ笑顔を見せる。
僕と彼女は、一緒に過ごしていたたった数年よりも、離れていた時間の方が圧倒的に長くなってしまった。
それでも、焼き付いた自分の感情を再確認する。
僕は、彼女を愛しているのだと。

「同じでんせつのポケモンではあるけど、ルギアとホウオウは違うからね。羨ましいとかじゃなくて、純粋にシロネちゃんを尊敬してるよ」
「マツバ君……マツバ君は、優しいね。ありがとう。私が勝手に、マツバ君とミナキ君に引け目を感じて……エンジュシティに帰りづらいと思い込んでたから」
「気にしなくていいよ、シロネちゃん。これから、エンジュシティだとかジムに立ち寄ってくれると嬉しいよ」

その言葉に対して彼女は「うん」と言いかけたのだろうけれど、無意識にだろうか。
視線が泳いだ。
何故彼女がそんな反応を見せたかなんて、僕自身の言動が理由だ。
しかし、後悔していないし、撤回するつもりもなかった。

それは言霊となって、彼女に楔を穿つ。

「さっきのこと、気にしてるのかな。再会してすぐに混乱させてごめんね」
「えっと……その。私こそ、12年前に言ってくれたこと、今も覚えてくれててありがとう」
「さっき言ったことは別に冗談じゃないけど、少し、考えてみてくれると嬉しいな。離れてたし、子供と大人では違うと思うけど……やっぱり僕は、君しか居なかったから」
「あの、マツバ君……もう少しお互いのことが、分かってから……で、いいかな……今すぐに、首を横にも、縦にも……振れなくて」
「うん、考えてくれるだけで嬉しいよ。僕の好意はともかく、エンジュジムに遊びに来てくれるようになったら嬉しいな」

あくまでも自然と、流れるように。
彼女がエンジュシティに来てくれるようになる為の道を整える。
罪悪感を抱かないように。それでいて気まずさを少しでも減らせるように。
君のことが好きだけれど、先ずは再会できたことを素直に喜ばせて欲しいし、離れていた時間を埋めるようにただ話がしたいというのは本心だ。
──僕にとって付き合って欲しい、という思いの先に既に彼女と結婚したいという本心もあるけれど。
12年振りに、僕は初恋をまた踏みしめて歩く。彼女との未来がどうなるか、僕にも予想はつかないけれど。
でも、この未来だけは掴み取りたいと誓うように、彼女の肩から落ちそうになるマフラーを直して、大人になった彼女の姿を目に焼き付けるのだった。
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