Mrs. Velvet Doll
- ナノ -
Mrs. Velvet Doll
その女性は、快晴を知っていた。曇り空を知っていた。
空を照らし続ける象徴の太陽にもなれず、暗闇を時に惑わしながら照らして導く月にもなれず。
──影を伸ばす斜陽。

それが彼女の特徴だと男は知っていたし、知っていたから自分のような人間が隣に居てもいいのかもしれないと思う要因となった。
このミッドガルではその傾いた太陽の光だって、スラム等の一部のエリアからしか見られない景色だったが、ある人にとっては毎日ある当たり前の景色で、ある人にとっては馴染のない焦がれるような景色。
暗い道も突き進むレノにとって当たり前ではないその光は、大変心地よかったのだ。

空は依然として世界の終わりがすぐ目の前まで迫ってきている。
リーブとアンナは、ヴェルド元主任率いる元タークスの面々と手分けして避難誘導を行っているが、未だに避難した所で未曾有の星消滅という状況は変わらない。
ケット・シーから聞かされたセフィロスを止めに行くクラウド達と、アンナは敢えて別行動を取ったのは運び屋として自分が出来る他のことを優先したからだった。

「八番街の方の荷物は大方運び終わりました、リーブさん。それでも、まだまだ他のエリアはどこにいっても同じだと諦めている方も多いですが……」
「ありがとうございます、アンナさん。そう思うのも、仕方がないのかもしれませんね」
「えぇ、最後まで足掻いてもどうにもならないかもしれないと思うのは……変ではないし、寧ろ普通のことですから」
「アンナさんも、あと数時間……"その瞬間"くらいは自由に、アンナさんの思うままに行動してください」
「……!リーブさん」
「あの時やっていればよかったと思っても。果たせなくなってしまっては意味がないですから」

戦闘はケット・シーに任せている筈のリーブの手は傷だらけで、何時もはプレスをして綺麗に整えているスーツも所々汚れが見えるほど、彼は神羅のしてきたことを最後まで償うために──一つでも多くの命を救う為に行動している。
そんな尊敬する上司の元で同じく最後まで避難誘導に尽力して命が尽きたとしても。
それはそれでアンナにとっては後悔のない生き様になりそうだと思ったが。
目を静かに閉じて浮かぶのは、古代種という使命を抱いてセフィロスの手にかかった親友の姿だ。

「……そうですね、一つやっていないことと言えば……エアリスに、挨拶をしたいんです」

エルミナと共に住んでいたエアリスの家。
もしくは、ザックスに連れられてエアリスと初めて出会ったスラムの教会。
自分が世話になった家よりも、そこに足を運んでおきたかった。跡形もなくなっているかもしれないけれど、自分が生まれ育ったスラム街にも足を運んでおきたかったのだ。

リーブに「悔いのない一日を」と笑顔で送り出され、アンナはバイクに跨って燃える空の下、スラムへと駆け抜ける。
しかし、ティファ達が居たスラム街からはかなりの人が避難場所へと移っている。
失われる時は一瞬であることを身に染みて知っているからこそ、彼らは避難してほしいというリーブや元タークスの言葉を受け入れたのだ。

「ミッドガルがまさかこんな形でぼろぼろになっていくなんて……想像もしてなかった」

完成された都市として計画的に、緻密な計算の上で造られたミッドガルは第一魔晄炉の爆発、それからプレートの崩壊でプレート上部の街も、その下のスラム街を巻き込む崩壊。
ウェポンの攻撃によって爆発と業火にのまれた一帯。
傷跡はあまりにも大きく、更にメテオによってすべてを破壊していくのだ。

「エアリスが唱えてたっていうホーリー……どうか、星を守って」

彼女の最後の祈りが、なくならないように。
この世界を包んで残り続けるように。

風を切って走っていたアンナはバイクを停めて、エアリスがよく訪れていたスラムの教会の扉を開いた。
この場所だけは、まるでミッドガルから切り離されたように何時も清廉な空気が流れている。
ミッドガルでは咲かない筈の花も、この教会とエアリスの家の前では美しく咲き誇る。

「この場所は本当に綺麗なまま……」

空気を大きく吸って、濁っていない空気を肺に入れる。

その時、携帯の着信音が鳴り、アンナは慌てて画面を表示する。
リーブからの緊急の用事だろうかと思っていたが、そこに表示されている名前は『レノ』だった。

「もしもし、レノさんですか?」
『出てくれてよかったぞ、アンナ。アンナはどこにいるんだ?』
「今はスラムの教会です。避難誘導をし終わってここに足を運んだんですけど……花が、綺麗ですよ」
『あぁ、あそこか。俺達も今からそっちに行ってもいいか?』
「えっ……えぇ、是非とも」

自らレノに来て欲しいとは言えなかったが、連絡を受けるとどうしようもなく嬉しくなるのだから、受け身な自分を痛感する。
最後かもしれないのに、ルードさんは。社長は。タークスの皆さんや仕事は。
そんなことを考えて、きっとそっちが優先だろうから邪魔してはいけないという遠慮をしてしまう。
でも、最後くらいは我侭になってしまってもいいのでは──そう、自分を鼓舞する。

──だって、まだちゃんとした答えをレノさんに伝えられていないのだから。

暫くすると教会の扉がギギギ、と開かれる音が響く。
振り返ったアンナは、入ってきたその人の姿に解けたように笑顔が零れた。
今日もタークスの制服とも言えるスーツを身に纏って、何時もと何も変わらない姿だった。

「待たせたな、アンナ。メテオが落ちてくる日に……会えてよかったぞ、と」
「こちらこそ会えてよかった。あの、ルードさんとか他の方は?」
「ルードも一緒に来てるが、今は空気読んで外で待ってくれてるぞ」
「そ、それは申し訳ないです……」
「いや、俺もクラウドとエアリスがここで会ってた時はちょっと空気読んで入らなかったぞ?ルードもそれ位してくれないとな」
「そうだったんだ。それは初耳かも。話が終わったらルードさんにも入って頂かないと」

クラウドと幾度となく戦って来たとは聞いていたが、エアリスを保護するための任務で訪れたレノが初めてクラウドと邂逅した場所がこのスラムの教会だった。
あまりいい思い出がこの場所にはないと言えるのは、このスラムの教会でのクラウドとの戦闘で、クラス1stと名乗るクラウドをはったりだと舐めて、撃退されている。

「アンナがこの場所を選ぶっていうのは……納得だな」

メテオが落ちてくるその瞬間。
彼女は神羅という場所でもなく、リーブの元でもなく。
エアリスやザックスがよく訪れていた、今はもうライフストリームに還ってしまった友人たちとの思い出が深いこの教会を選んだのだ。
過去を偲んだ上で、未来を歩き出すのならこの場所が、アンナにとってのスタート地点だった。

レノに対して言わなくてはいけないことなんて山ほどある。
大切なものを増やさないように。それでもこれ以上手から零れ落ちないようにとだけを願って過ごしてきたアンナにとって、自分の女性としての幸せというのは二の次だった。

どうしたって、命を時に賭けるような危険な仕事をやめられなくて。
おとなしく家庭に入ることも出来なくて。
何よりも、臆病で。
そんな人間を理解して、そのままでいいと、レノは受け入れてくれた。
レノの歩む道が光射さないものだとしても、それがどんなにアンナの心の奥底まで照らしたことか──それは、レノも自覚しきっていないだろう。

「ねぇ、レノさん。……ゴールドソーサーでの告白のお返事。生きていたら、なんて言ってましたけど」
「あー……こんな形でおじゃんにされるとは俺も思ってなかったな」
「本当にそうですね。まさか星ごと壊されるかもしれないなんて。でも……私もこのままでは後悔しそうだから、言わせてください」

レノの翠色の瞳が開かれる。

彼は神羅時代からの今ではもう数少ない知人で、そして元監視者で。
レノに危険性があると思われれば、処理をされる可能性も零ではなかった。

命を握られていることを知りながらも、どうしようもなく彼の存在に足を止めたアンナは救われたのだ。
愛を、知ったのだ。


「レノさんが、好きです」


それが、答えだった。
混じり気のないストレートな情愛。漸くアンナから聞けた『好き』という言葉に、レノはアンナの腕を引いた。
唇に指を当てて、ゆっくりと重ね合わせる。

レノは照れくさそうに頭を掻いた後。
後ろに視線を流して、閉まっている扉を見つめる。
扉の外からは音もしないが、当然会話は僅かにでも聞こえている筈なのだ。

「……いつまで外で聞いてるつもりだぞ、と。ルード」

空気を読んで、外で待機してくれたレノの無二の相棒。
レノに声をかけられたことで扉がゆっくりと開かれて、スキンヘッドとサングラスとスーツ姿はやはり変わらないルードが教会の中に入ってくる。

「……空気を読んで、外で待っていたんだが」
「聞き耳立てて小さく拍手してるじゃねぇか相棒」
「あっ、る、ルードさん」

ルードが入って来たことで、今までの会話を聞かれていたかもしれないと気付いたアンナは動揺してさっと2歩、レノから距離を取る。

赤らんだ頬をぱたぱたと仰ぎながらルードに手を振って挨拶をするアンナは、レノと会話をするルードの様子に、安堵を覚えた。
レノがこの場所に来てくれたのは嬉しいけれども、最後の時に彼が大事だと思うものや人の代表が、相棒であるルードである筈だとアンナも長年の付き合いで解っていた。

「……すまない、無粋だとは思ったんだが」
「いいんです、ルードさん。寧ろ、今日もレノさんと一緒で安心しました。もうすぐ、ですか?」
「あぁ、もうメテオの大きさも1週間前とは比べ物にならない程に大きくなっている。もう間もなく、だろうな」
「……最後くらい、外で顛末を見守るか」

レノの提案に、ルードとアンナは静かに頷いた。

──そういえば、あの子はザックスと会った時。
空が怖いって言っていたんだっけ。
ザックスからの又聞きであったからエアリスがなぜ空が怖いといったのかは今も分からない。
メテオが降ってくるかもしれないから、ではないにしても。この燃えるような終末の空を目にすると「空が怖い」と言うのは必然的だろう。

震える手を固く握って空を見上げて、その瞬間を見守っていた時。
温かい熱が自分の手を包み、アンナは咄嗟に顔を上げる。
レノの大きな、それでいて武器を握り続けてきた固い手が安心するようにと、包んでくれていたのだ。

メテオがもうすぐそこまで迫ってきて、轟音と振動が世界中に響き渡る。

今にも爆ぜそうな炎と爆発が生まれそうで、目を閉じたらもう世界と命が終わっているのだろうと思った瞬間──淡く温かい光が、空に弾けた。

「……っ、エアリス……?」

白く輝く光、世界を救う白マテリアの究極呪文、ホーリーが発動したその光を、目にした。
眩い光がメテオと衝突して、衝撃波を生む。
エアリスの祈りは星を包み、防御壁となってメテオから星を守ろうとしていた。
親友が遺したものを目に焼き付けるように眺めていたアンナの目の端からはぽろりと涙が溢れて、落ちる。

「あっ……」
「ホーリーが崩れちまった……!」

ホーリーの光が弾けて消えたものの、メテオの終焉の焔は未だに空を覆っている。
あぁ──もう、星を守ってくれるものはもう何もないのだ。

世界の、終わり。
命の、終わり。
それを覚悟して目を瞑りかけた刹那。

空に白とは異なる光が舞い上がっていくのを目撃した。
碧いその光は、見慣れた色。ミッドガルに住んでいる人間なら、その魔晄の色をよく知っている。

「あの光は、ライフストリーム……!?」

世界中から魔晄炉の魔晄の量とは比べ物にならない程の幾つものライフストリームの奔流は空へと延びて、ホーリーの代わりにメテオから星を守る防御壁となる。

星が、生きることを選ぼうとしているのだ。
衝撃波が伝わり、遠くの神羅ビルは崩壊して崩れ落ちて、一瞬で崩壊していく。

暴風は振動はスラムの教会にまで伝わり、転びかけそうになるが、教会は崩れ落ちなかった。
激しい風に目を瞑り、そしてゆっくりと開いたその時。
星は悲鳴を上げて、幾つもの傷を作って。
それでも生きる産声を上げて。
メテオは、消滅していたのだ。


「……マジかよ、生きてるぞ、と」


大喜びするよりも何より、その言葉がレノの口から零れた。
ホーリーも弾かれた時点でもう星が無くなってしまうと誰もが諦めたが──今もこうして、生きていた。
自分達が生きていることが今も信じられなかったが、燃えるような空が魔晄の淡い碧い光で輝く空へと変わっていた。


「復興、忙しくなりそうですね」
「あぁ……神羅は取り返しのつかないことをしかけた分、壊れた街も全部償っていかなきゃいけないだろうな」
「レノ、イリーナとツォンさんに連絡をとってくる。この状況下で我々が出来ることと、しなければいけないことを、決めないとな」
「ちっ、ルードのやつ格好付けやがって」

二人で話すことがあるだろうというルードのアシストに、格好良い相棒だとレノは肩を竦める。
星の存続と自分達の命が助かったことを祝福する宴会をするのが今やるべきことではない。
助かった以上次に何をすべきか。
レノとアンナの中では瞬時に決まっていた。

「俺はやっぱりタークスだから、世間的に厳しい立場になろうと、そこでタークスのレノとして責務を果たすつもりだが……アンナの人生までそれに巻き込むのは別だ」

アンナと付き合いたい──あわよくば結婚したい。
そんな男の欲望とは別に、彼女を幸せにしきれる自信はない。
何せセフィロスを生み出し、星の命の源でもあるライフストリームを資源として汲み上げ続けて、ジェノバを巡る動乱に世界中を巻き込んで。

世界を滅ぼしかけた神羅のタークスだ。
総務と言えば聞こえはいいが、後ろ暗いことだって仕事ならば行う特殊実行部隊だ。

いわば、世界を滅ぼしかけた罪人。

だからといって、タークスを辞めるというのはレノの美学ではなかった。
社長も生きていて、神羅が復興できる芽が遺されているのなら、タークスとしてこれからも尽力するというのがレノの矜持だ。
そんな男の身勝手な生き方に彼女を巻き込んで幸せにできるとは、レノも思わなかった。
しかし、同じようにアンナは考えていた訳ではない。


「言ったじゃない、レノさん。そういう所も含めてのレノさんらしさというものに、惹かれて……尊敬したんですから。それは変わらないし、巻き込まれるのだって上等です」


レノは反射的に腕の中に抱きしめた。

──マジで、いい女。何度だってそう思って来たが、今日で再度実感する。
巻き込まれてもいい、なんて。
容易く言える言葉ではないことを神羅に所属していたからこそ、アンナは痛い程知っている。
タークスのレノという男に、女性を巻き込むことはせずに一線を保っていたレノが、初めて女性を巻き込んでいくことを選んだ。
幾度となくタークスを助け、社長を助けて。蛇の道を知りながらも、異なる道を歩むアンナだからこそ。

「アンナにそこまで言わせちまうなんてな。これからも、俺に巻き込まさせてくれ」
「ふふ、あのレノさんがそんなことを言ってくれるなんて。嬉しいですよ」

プライベートにおいては人との距離を保つレノがその言葉を口にしてくれた特別な意味を噛みしめるように、花弁が広がるような笑みを零す。
愛しているという言葉以上に、レノからの信念と愛情が籠っていたのだから。

「この後、アンナのことだ。リーブの所に戻って避難準備とか救護に回るんだろ?」
「ふふ、レノさん本当に私のことよく知ってますね。私はリーブさんと避難誘導に戻りながら……帰ってくるケット・シーさんやクラウドをよくやったねって褒めてあげようとおもいます」
「おいおい……クラウドの奴を甘やかしすぎだぞ、と。それに……アンナもよくやっただろ?」
「えっ……」
「自分のできる範囲しかできなかったって思ってるかもしれないが……アンナが誰にも真似出来ないようなことをしてる。褒めさせてくれよ、と。俺の知る限り、最高の運び屋だってな」

──最高の運び屋。
それは、アンナが神羅を出てから5年。最高の賛辞の言葉だった。
深紅の瞳は泪で輝き、ほろりと零れる。
中途半端な立ち位置で、肝心な時に友人の傍にも故郷にも居られなくて。
この手から零したものは沢山あるけれど、それでも自分ができる範囲で必死に駆け抜けた日々を、仕事を。
彼は認めてくれたのだ。アンナという女の生き様を、彼は肯定してくれた。

「……ありがとう、レノさん」

誰かを特別に想って。一緒に生きていきたいと想うようになってから。
二人で見上げる魔晄の光にも、プレートにも塞がれてない夕暮れの空はそれはとても綺麗な橙で。
影は伸びて、重なり合うのだ。
今日も、明日も。
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