Mrs. Velvet Doll
- ナノ -
記憶が降り積もる夜明け
僅かな日の光が差し込んで、伏せていた睫毛が動く。
身体にはずっしりと気だるさと、甘い痺れが残っていた。
地肌に触れる毛布の温かさに微睡みながら、上体を起こす。
鼻に香るほんのりと苦いタバコの匂い。

「レノ、さん……?」
「起きたか、アンナ。最高だったぞ、と」

ベッドサイドに座ってメールを確認していたらしいレノは、アンナが起きたことに気付いて、晒されている肩を撫でる。
生娘でもないのに、どこがむず痒くて羞恥心に布団を顔まで被りたくなる。

「アンナが煽るから止まらなくなっちまった」
「あっ……」

ちらりと胸元に視線を落とせば、赤い痕が幾つも幾つも散らされて、昨晩の激しい行為を物語っていた。
ゴミ箱にはティッシュと縛られたゴムが乱雑に捨てられていて、それだけ回数を重ねられたのだと視覚的に自覚させられる。
アンナ自身に煽った記憶は無かったが──彼女がぽろりと口にした「感じにくいらしいから、つまらなかったらごめんなさい」という言葉は、レノの対抗心に火をつけた。
過去の男がどんな下手くそだったかは知らないが、蕩かしてよがらせて、お前のことなんて忘れさせてやると柄にもなく熱くなったのだった。

「感じないどころか、気持ちよさそうに鳴いてたもんな」
「っ……レノさん……!」

つうっと背中を撫でる手に、引いたはずの熱が集まる感覚を覚えながら、アンナは後ろに下がる。
中に出さない一線を保ったのは、まだこの関係が付き合っているわけでは無かったからだった。
ベッドサイドに置いていたシャツを手に取って、レノは袖を通す。

レノは行為中、度々口にした。
オレのせいにしていいぞ。
アンナはオレに絆されただけだと。
告白の答えを保留している中で、致した行為の理由をレノは自分のせいと言って、抱いたのだ。
実際、不安になって不安定になっている彼女の隙間を埋めようとしたのだから、言い訳ではなく付け込んだというのは事実だったが。

「……仕事がある筈なのに、ごめんなさい。引き止めて」
「ごめんは無しだぞ、と。役得だったし、その身体にオレを覚えさせられたんだからな」
「レノさ……」

角度を何度も変えて口付けて、舌を絡めとる。
くぐもった甘い声に、昨日散々吐き出した欲が戻って来そうなことを感じて、名残惜しげにレノは唇を離した。
甘く解けた顔は情欲をそそられる。

マジで、いい女。
本命として惚れる男が多かったのも今ばかりは鬱陶しく思うのではなく、理解してやる。

「ま、だからって早く答えろなんて言うつもりはないぞ、と」
「……甘えてばっかり。ありがとう」
「しっかし、これだけは聞いときたいな。オレはヨかったか?」
「〜っ、レノさん、セクハラですよ……」
「くく、久々にその言葉を聞けたぜ」

もう一度出来る日が近く、あるようにと。
アンナの服に仄かについた煙草の香りに、笑みを浮かべるのだった。


それから1週間が経った日。
飛行艇ハイウィンドにルーファウス社長、ハイデッカーにスカーレット。
宝条まで同乗して北の大空洞に何らかの目的をもって向かったとされる日。

世界が震撼した。
海が悲鳴を上げた。
星が、燃えた。

「な、に、あれ……」

窓ガラスが震えるような音と、強烈な殺気にも似た嫌な予感に、アンナは窓を開いて息を飲んだ。
比喩表現でもなく、世界の終焉を見ているかのような空。
空に浮かぶ、燃え盛るような隕石。
まだ遠く空の彼方にあるようだったが、それは徐々に、こちらに向かって近づいてきているように見えた。

直感的に、あれが降ってきたら、街は壊滅どころか世界が壊れてしまうだろうと感じるような隕石だった。
一体何が起きているのだろうと困惑すると同時に、直感で"クラウド達が関係しているのではないか"と何となく思ってしまった。
誰かに聞いて、この状況が分かるものなのかと思っていた時。アンナの元に電話が入る。
リーブの名前が表示されて、アンナは慌てて通話を繋げる。

「……!リーブさん!」
「よかった、アンナさん!今、空を見ていますか」
「え、えぇ……アレは、何ですかリーブさん……隕石が、星に向かって迫ってきているように、見えますが……」
「……その通りです。私の本体は幹部の中でも唯一社長達と同行しませんでしたが、ケット・シーを通して大体のあらましは、把握しております」

リーブは説明を始める。
黒マテリアがセフィロスによって発動し、メテオという名の隕石がこの星に迫ってきていたのだ。
星を滅ぼすような絶望的な状況は空から迫り、そして地上にも星の危機にすべてを無に帰すという兵器、ウェポンまで発動してしまっている状況だった。
しかし、黒マテリアはクラウド達が所持している筈だったのに。
所持していればメテオの発動は防げる筈だと思っていたのは、ケット・シーも同じだったが。
ジェノバがティファに擬態をしてナナキを騙して黒マテリアをセフィロスの居る最奥部に持ってこさせただけではなく。

「え……」
「えぇ、クラウドさんがセフィロスに渡してしまった」

クラウドは自覚していなかったが、宝条によって作られたセフィロス・コピーであったことを重々しく真実を告げたリーブに、アンナは息を飲んだ。


──どうして、彼を放っておいてしまったんだろう。

クラウドとの再会の際、あれだけ違和感を覚えたはずなのに。
自分の知っていた筈のクラウドが見えなくなってしまって、代わりにまるでザックスの経歴や言動を自然と自分の物のように思い込んでいるように見えていたのに。

「……私……クラウドを、助けられなかった」
「アンナさん?」
「……確かに私はクラウドと知り合いでした。でも、彼はソルジャーでは無かったし、自信と勇気が持ちきれない……何処までも普通の、青年だったんです」
「それは……アンナさんが知っているというクラウドさんの、お話ですか」
「はい……だけど、5年ぶりに再会した彼は、まるでその記憶が抜け落ちてるみたいだった。ザックスのようだった。……5年前、ニブルヘイムで亡くなったと思ってたけど生きていたのが嬉しくて……でも同時にザックスを覚えていないかもしれないクラウドの話を聞くのが怖くて」

再会したクラウドが、クラウド・ストライフという人間を模して造られた自分の知っているクラウド本人ではないのか。
それとも、本人ではあるけれどセフィロス因子を埋め込まれた結果、自分というものが薄れてしまっている状態なのかは、この時点では分からない。

しかし、彼がニブルヘイムへと任務でソルジャー二人──ザックスとセフィロスに同行した一般兵であることは知っている。
ニブルヘイムでクラウドと、ザックスの姿が消えて、五年後にクラウドが戻ってきた時に気付くべきだったのかもしれない。
なのに。


「……私は、逃げた」


電話越しに聞こえたアンナの声が震えていることに、リーブは気が付いて静かに目を閉じる。

クラウドから、目を離してしまった。
ザックスの剣を持ち、ザックスと同じような経歴を語り。
でもザックス・フェアという男を知らないと言われそうで。
それを確かめるのが怖くて、クラウド自身から背を向けてしまったのだ。
心のどこかで、ザックスを知っているエアリスと、クラウドがソルジャーとなる前から同郷で顔見知りだというティファが居ればクラウドは大丈夫だろうと自分の中で納得させてしまっていた所があったことを、ようやく自覚した。

「クラウドさんが今どこに居るのか……神羅も捜索を始めるそうですが、爆発の中でどうなったか分からず」
「そう、なんですか……」
「キャハハ……失敬、スカーレットからの情報ですと、ティファさんとバレットさんをジュノンで捕えてクラウドさんをおびき出す予定で、それが不可能な場合は……一週間後を目安に、彼らを利用して記者会見を行うそうです」
「記者会見ってなんですか……?」

彼らを利用した記者会見なんて──嫌な予感しかない。

「メテオを呼び出した責任をクラウドさん達に取らせるつもりです。バレットさんとティファさんを公開処刑し、スケープゴートに使う予定……なんでしょうね」
「公開処刑……!?っ、元はといえば、セフィロス因子を植え付けた宝条の行動がなければ……!」
「えぇ、だからこそです。神羅に責任があるからこそ……そういうパフォーマンスが、必要なんでしょう」

宝条が行った実験によって、宝条によって失敗作だと思われたセフィロス・コピーのクラウドは誕生した。
そして宝条はジェノバ細胞が埋め込まれた人々はリユニオンしようとするという仮説を立てていた上で、セフィロスのコピーを作ったのだ。セフィロスの復活を促す可能性があると知り、それを見ようとした。
勿論、事の発端は神羅に原因がある。
しかし、クラウドが引き金となったことは事実であり。
世界が滅ぶかもしれないこの危機的状況を、神羅のせいではないと訴え、世界中の人に説明するにはうってつけの身代わりだったのだ。

「……アンナさん、ホンマやったらこんなこと、頼むべきじゃないもんやって分かってるんですけど」
「……えぇ、ジュノンに居る彼等の元に向かいます。ケット・シーさん、危険を顧みずに二人を助けるつもりですよね?そこまで、運ばせて頂きます」
「アンナさん、えぇんですか?これは間違いなく、神羅に敵対する行為や。……二つ返事で同意されると、ボクも心配になってまうんや」
「ふふ、口調がケット・シーさんになってますよ、リーブさん」
「あ、あれっ……!?ごほん、申し訳ありません」

ケット・シーとリーブの区別が時々つかなくなっている彼に、どちらも本当の彼なのだと実感する。
リーブにとっては真剣なのだろうが、ユーモアを感じてしまうものだ。
危険な仕事を提案しながら、リーブが身を案じてくれているのは分かっている。リーブを支援する者以外の神羅の人間を敵に回す危険もある。

「でも、リーブさんもそうするって決めたんですよね?でしたら、護衛します。ケット・シーさんを運び……そして、元貴方の護衛として。ケット・シーさんも、クラウドの大事な彼らも守りますから」
「……本当に、いいんですか?提案している私が言うのも何ですが……アンナさんが協力したことに気付かれたらソルジャーや……元々貴方の監視の任務に就いているタークスにどんな命が下るか」

リーブの心配の裏にある配慮に、アンナは何となく気付いていた。
イリーナを除く3人とはアンナが神羅に所属をしていた頃からの知人で、彼らのリーダーであるツォンの命もケット・シーと共に救いに向かった程だ。
そして、ケット・シーはアンナの知らない所で、レノのアンナへの感情を知っている。

だが、直属の上司にあたるハイデッカーの指示で、今タークスの命令はクラウド達の捕獲を最優先としているものの、もし"テロリストの処刑を阻止したアンナを発見し次第、殺せ"という命令が下れば。
アンナに対してどんな恩や縁があったとしても、彼らは、仕事としてこなす。

アンナは静かに目をつむり、目を閉じれば思い出せる一週間前に与えられた熱に、腕を摩る。
自分は、レノという人に惹かれているのはどうしようもなく事実なのだろう。
でも、自分が自分であるために。
そして、エアリスの思いを想像する度に。
この足は、止めてはいけないと感じるのだ。

「私は二人をよく知りません。でも……このメテオをどうにか出来る何かを知ってるのなら、エアリスが守ろうとしたクラウド達をみすみす死なせる訳にはいきません」
「……ありがとうございます。本当に、アンナさんに助けられてばっかりや。いい子に恵まれたわ」
「スラムで目的もなく刀を振るってた私をそういう人にしてくれたのは、間違いなくリーブさんですよ。……早速ジュノンへ向かいます。ケット・シーさんは今どちらに?」
「ミッドガルにいますで。部下に手を回してみたり、色々と今回の為に準備をしていまして」

リーブの手の回す速さも、他の幹部と違う行動をして神羅を裏切るような行為をしていたとしてもついてくる部下が多いのは、彼の人望なのだろう。
クラウド達のことがあるとはいえ、もしもリーブに声をかけられなければこうしてアンナが関わることはなかったかもしれないのだから、彼女もまたその一人であった。

ホテルのチェックアウトを済ませたアンナはバイクに跨り、ケット・シーを迎えに行くために八番街へとバイクを走らせた。
北の大空洞から避難する際に、クラウドを除く一行もルーファウス社長が乗ってきたハイウィンドで脱出したようだが、捕まったのはバレットと意識を失っていたティファだけであり、他のメンバーはどうやって逃げたかは分からないが、既にジュノンからは離脱しているらしい。

「アンナさん!」
「遅くなりました、ケット・シーさん」
「ん?このバイク、何時ものアンナさんのやないですね」
「えぇ、神羅のものです。ジュノンに潜伏するなら、私のバイクはバレそうですから」
「成程……流石、優秀な運び屋ですなぁ」

不審なバイクがとまってると思われて、バイクに仕込んでいる武器等を見つけられると身元がすぐに割れてしまいそうだという判断で、以前別の依頼で融通してもらった神羅の汎用のバイクを今回は使う予定だ。
ケット・シーをサイドカーに乗せて、二人はミッドガルを飛び出してジュノンへと走らせる。

「具体的な案はどうするつもりとか、ありますか?ケット・シーさんのその体は目立ちそうですし……」
「それは部下に変装用の服を用意してもらうつもりでな。それと、ジュノンからの脱出方法は、飛空艇ハイウィンドの予定です」
「……リーブさん、やることが派手ですね。ハイウィンドなんて……流石に他の幹部の方やハイデッカー、社長にばれませんか?」
「大空洞からジュノンに着いた時に、シドさんがクルーと一緒に盗んでくれはったんです。どうもクルーにもハイデッカーはごっつい嫌われとったみたいで」

殴られても耐えて憧れのハイウィンドの整備を行っていたクルーたちの前に、伝説のパイロット、シドが現れた。
そして彼が「星を救う旅をする」と声を掛けた時、ハイデッカーによって曇ってしまっていた夢は、新たな夢として輝いた。
ジュノンに着いた次の日、火事だと叫んで目を盗み、ハイウィンドはシド達クラウドの仲間を何人か乗せてジュノンから姿を消した。
それがたった昨日の出来事だった。

「ほんで、アンナさん。記者会見が行われるまでの数日間やけど、ジュノンの宿に潜伏しはります?神羅にバレへんとは言えませんけど……逆に僕の部下が見張る要塞の部屋で待機もアリですが、安全の保障は出来へんっちゅうか」
「いえ、もう連絡はしてあります」
「えっ」
「以前私がジュノンで入院した病院……あそこに経過観察を見てもらいたいと打診しました。お世話になって親しくなりましたし、ウェポンが現れてからこの二日間、外来も減ったそうで、割増にして払うと言ったら喜んで一室お貸ししてくれました」
「……アンナさん、ホンマ仕事が出来るっちゅうか……一人で商売してけてるんも納得やわ」

利害が一致したのもあるし、お金だけの縁ではないお陰で密告される心配もあまりしないでいい協力者が得られたのは心強い。
ティファが目を覚ますまであと5日ほどの期間。アンナとケット・シーは内部から彼らを助ける為に動き始めるのだ。
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