Mrs. Velvet Doll
- ナノ -
猫の妖精と運び屋
あれからたった二日後の出来事。
ミッドガルは大きく変わった。当たり前の日常というのは、前触れなどなく突然奪われるものなのだと実感するには十分だった。
崩壊していく地鳴りのような轟音と、爆音は今も耳に焼き付いて残っている。
下にスラム街があると分かっていて、神羅はタークスに命じて七番街のプレートを落とした。

あの瞬間に一体どれだけの人の命が失われたかと想像するだけでも背筋が凍るような人為的な災害。魔晄炉爆破という事件を続けるアバランチを潰す為の災害。
七番街の人だけではなく、先日クラウドと会った自分の故郷であるスラム街は甚大な被害を受けた。
たった一瞬。プレートの支柱の爆破という形で故郷が奪われたのだ。
タークス、ということは実行犯は自然と参謀役が多いツォンを除くなら、レノとルードになる。

──もしも、自分がこの瞬間も神羅に所属していたのなら、この作戦に何を思うだろう。
決まりきっていた。リーブさんは、この作戦に賛成はしない。そして、私個人もまた賛成はしない。

(レノさんとルードさんは……自分達がやらなければ、神羅の誰かにその役が回るばかりか、自分の死に直結することを解ってる)

ザックスの件をあんなにも歯切れが悪そうに語ったあの人たちが。
喜んで、楽しんでやっている訳では無いことくらいは、付き合いが長くなってきているアンナにも分かっていた。

「タークスを辞める時は、死を意味する……ツォンさんが昔、そんなことを言っていましたっけ……」

彼等は仕事を遂行するという行動に誇りを持っているけれど、タークスの齎す仕事の結果自体は後暗いものばかりだ。
ハイデッカーを始めとする幹部、および、決定権のあるプレジデントの決定を遂行する為の駒であることには、違いなかった。
つまりプレートを落とすという意思は、彼らではなく、神羅の上層部なのだ。

八番街は奇跡的に崩壊していないけれど、その傷跡は凄まじいものだった。隣の地区である七番街のプレートは崩落し、七番街に隣接している居住区は被害を受けた。
その前日にも壱番魔晄炉の爆破によって魔晄炉に近い東のエリアの八番街は相当な死傷者を出していたそうだ。
そして、自分の家も崩壊していないとはいえ、借りているアパルトメントの大家と連絡が取れなくなった──事故によって亡くなったという話を聞いたのは昨日の事だった。

今も時々物が崩れ落ちてくる街に気を付けながら、アンナは家の屋根や瓦礫の山を飛び移りつつ、高台に登って崩落した七番街が見える場所に腰掛ける。


「……スラム街、本当に……、……」


二日前まで見ていた景色が、本当にあっという間に変わってしまった。
リーブに拾ってもらった場所である、あの貧しく、狭くも逞しく生きていた街が。

黄昏ながら街をぼんやりと見下ろしていたアンナの姿を、遠くから見付けた者が居た。
無抵抗で無関係の市民を巻き込むプレート崩落作戦を止められなかったことを悔いながら、七番街の被害を確認しに来た猫だった。

王冠を被り、赤いマントを翻す猫──ケット・シーは久々にその姿を見かけた特に信頼していた元部下の姿に拳を握りしめる。
久々に会えたことは非常に嬉しいけれど。彼女の故郷がプレートの下に潰されたことを解っているからだ。
それでも。だからこそ、無視は出来なかった。止められなかった身として、責任を感じていたからこその贖罪を考えて、ケット・シーは小さな体で瓦礫を飛び移りながら、アンナに駆け寄る。

「アンナさん!!」

突然名前を呼ばれたことに驚いたアンナは、声が聞こえた方を振り返り。
そして、泣きそうになりながら、破顔した。敬愛する上司に、どんな形であれ久々に会えたのだ。


「リーブさん……っ!」
「あぁアカンアカン、アンナさん!その名前で呼ばんといてください!ボクの名前はケット・シー。ケット・シー君って呼んでくださいな」


この独特な訛りを聞くのが久々で、張り詰めていた緊張が解けていくのが分かった。
ケット・シーと名乗るこの猫は、元上司であるリーブがインスパイアという能力を使って命を吹き込んでいる。


「私、リーブさんのその徹底っぷり本当に好きですよ。……私に、声を掛けて下さってありがとうございます、ケット・シーさん」
「……」


本当なら、顔を合わせづらいと思っているだろう自分を無視することだって出来たはずなのに。リーブはそんなことはせずに、声をかけてくれた。
間違いなく彼は善人と言える人なのに、損をするようなその痛々しい程までの生真面目さが、アンナにとって敬意に値した。


「ボク、正直アンナさんをもっと引き止めれば良かったんちゃうかって何度も何度もこの数年間思ってきましたんや」
「……はい」
「ボクと同じような考え方で……きっと、一緒に居たらプレートを落とす作戦も反対してくれるような子やったって」
「……、それは、間違いなく」


ケット・シーの言葉に、アンナは静かに頷く。
やはり、リーブはこの作戦に反対だったのだと、本人の口から聞けて、この人について行こうと思っていたのは間違い無かったのだと再確認する。

「せやけど、せやから。……アンナさんをあのタイミングで神羅に居させなくて良かったんかもしれへんって思ったんや。虐殺をした側としての、責務を感じさせるなんてそんなん、させられへん」

止めたいと願いながらも、リーブ同様に止められなかった罪悪感を、アンナも真面目に考えてしまうことだろう。それはリーブだけではなく、アンナを知っている人間なら誰もがそう思っていたことだ。


「アンナさん、どのタイミングになるかは分からんのやけど、ボクのこの体をいつか運んで貰いたいんや」
「……、えぇ、分かりました」
「!」


リーブからの、運び屋であるアンナに対しての依頼がどういう意味を示しているか。
アンナは直感しながらも、疑問を追求することはせずに、ケットシーの目を真っ直ぐ見てただただ頷いた。


「……神羅のヘリコプターでも行けるはずやのにって、思うとるやろうに、詳しく聞かへんのやなぁ」
「リーブさんにとって重荷な言葉かもしれないです。でも、私は、最終的にリーブさんは正しい選択を出来る方だと信頼していますから」
「あぁ……ほんまえぇ子を護衛にしてもらっとったなぁ……やっぱついつい戻ってきて欲しくなってしまいますんや」
「神羅を離れた今だって、私にとっては変わらず大好きな元上司ですよ」


目元をごしごしと拭うケット・シーに、心が穏やかな気分になる。
穏健派であるリーブは神羅では寧ろ浮いている方だったのかもしれないけれど、今だって間違いなく今も好きな元上司だと断言出来た。
そんな上司の元を離れてでも、ザックスとクラウドの件を隠蔽した神羅のやり方にこれ以上自分の心を偽ることが出来なかったのだ。

タークスは女性が何人か当時居たけれど、女の護衛なんてソルジャーと比べたら。
そんな雑音を気にしなくていいと言って信頼してくれたリーブに、どれだけ救われて来たことだろうか。


「だからその時は、貴方が何をするかは聞きませんが……道中、私と旅を楽しみましょうね、ケット・シーさん」
「!楽しみにしてまっせ!」


ケット・シーを膝に乗せて、荒れ果てた七番街とスラム街を共に眺める。
哀悼するように。
手向けるように。


数日後、アンナの姿は八番街でも破壊された七番街でもなく、神羅カンパニーにあった。自分の故郷をアバランチの破壊工作という印象を植え付けて、アバランチの根城を滅ぼすために壊されたことを思うと、神羅の考えをやはり許容することは出来なかったし、そのことはこの先も許せないだろう。
それでも、呼び掛けに応じてくれた理由を、呼び出したツォンはなんとなく察していた。


「レノ、そろそろ治療に専念したらどうだ」
「大人しく医務室にいるんなんてそんな気分になれないぞ、と」
「……相棒」


神羅カンパニーのタークスのオフィスのソファに寝転がるレノは、暫くの休養が必要となり、オフを与えられていた。
しかし、家に帰ることもなく。そして医務室で十分な治療を受けることもせず。
適当な湿布やガーゼで傷口や打身を処理しつつ、物思いに更けながらソファに体を沈めていた。

自分達が拒もうとも、七番街のプレート爆破は誰かがやることになっていたから、仕事であると割り切って行ったものの。
後味の悪さも、罪も消えはしない。
仕事である以上、成し遂げるが。なんて気の乗らない仕事だったのだろうか。

多くの市民の命が失われた。
多くの人が絶望に打ちひしがれている。
そのトリガーを引いたのは自分達だ。

(アンナの故郷を、俺は潰した)

顔も知らない市民に対してだけではなく、身近な人にまで合わせる顔がないなんて。後味の悪さに未だに軋む体を動かして、レノはオフィスを離れてリフレッシュルームへと足を運ぶ。

(それに、あのアバランチを引っ張ってた元ソルジャー……アンナの知り合いとか言ってやがった)

アンナにとってはもう数少ない昔から生きてる後輩で、友人だとクラウド自身が語ったことに、僅かに動揺したのは事実だ。
無駄な殺生はしない主義とはいえ、彼女が大事にしている友人だろうと、神羅カンパニーにテロリストとして始末を命じられたら。
これから先、彼を始末することに躊躇はしないのだから。
そうやって、また傷付ける。
ザックスの死を知ったアンナの姿をあんなにも近くで見たはずなのに。

その後ろ姿に、書類に目を通していたツォンとルードは視線を向けて、彼の姿が見えなくなった所でルードは深く溜息を吐いた。


「……治療くらい普通に受ければいいんだが」
「……レノの復帰には暫くかかるだろうが。逃げられない相手を呼んである。この薬を運んでくれる"腕のいい運び屋"だ」
「それは。今のレノには……特に複雑な相手だろう、ツォンさん」
「だからこそだ。もうすぐアンナが神羅の本社に来る約束だ。……蔑まれるかもしれないが、この数日……アンナへの向き合い方も思案していたようだしな」


アンナから逃げるという選択ではなく、向き合おうと考えるのがレノだった。
粛々と今回の件をレノなりに受け止めているのが、その一環なのだろう。

しかし、ツォンの中で希望はあった。
先ず、電話に出て、仕事の話の為に神羅に来ることを承諾してくれた。
着信拒否も出来たはずだし、「どの面を下げて依頼しようと思っているんですか」と糾弾されても普通だ。
次に、友人らしいクラウドと接触をして情報を得ていたら、エアリスを連れ去った件も責められていたはずだ。
──彼女は、タークスの在り方を解っている。今回の件を許している訳も無いだろうが、それでも縁を切ろうとしなかった。
アンナの判断に甘えているだけかもしれないが、可能性があるのなら。縁が切れないようにと、ツォンは願う。
監視対象と監視相手だろうと、アンナにとってはレノは特別な友人であり。
レノにとってはアンナは特別な相手なのだろうから。
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