Before Blue
- ナノ -

クロウは未だ迷っていた。戸惑っていたという方が正しいのかもしれない。

先日フランに言われたことが頭の中を廻る。何時もと何一つ変わらない日常な筈なのに、たった一つのことで足取りが重くも感じられて、どこかに寄って帰ろうという気にもならず、第二寮の二階にある自分の部屋に直行していた。
途中で誰かに声をかえられて挨拶されたかもしれないが、自然と流してしまう程にぼうっとしていた。

──クロウは時々見えなくなる。クロウのこともっと知りたい。

その言葉に深い意味がないなんてことは分かっている。フランにとって俺はそういう存在じゃない。
あまりにも影を感じるし自分と何か似たものを感じているからこそ何となく気になるんだろう。
階段を上がり、自分の部屋に戻ってきて上に羽織っていたシャツを脱いで椅子に投げた。

「あー……くそ……」

蒸し暑くなってきた部屋でバンダナを外してベッドに投げ、ベッドに倒れ込むように仰向けになり、頭をがしがしと掻いた。

次の作戦こそ、鉄血宰相の終焉の為、世に帝国解放戦線の名を知らしめる作戦だ。注目も集まる帝都での夏至祭で事件を起こし、そこで俺も姿を見せて名乗りを上げる。しかし、帝都となれば実際にどこまで干渉してくるかは置いておいてフラン家も動くはずだ。そうなると当然フランも干渉してくるし、Z組の実習日と被る確率が非常に高い。そうなると夏至祭を行っている帝都に実習を合わせて来るだろう。

フランのホームグラウンドで行われる実習ーーそれはフランにとっては恐らく宜しくない物だろう。
フランは良くも悪くもあの帝都では有名だ。それはカイエン公やルーファス卿まで知っている周知の事実のようだった。
名前の権力こそ発揮できるが、あくまでフランは家の人間に、そして帝都の貴族街の連中に認められていない。罵詈雑言を浴びせられながらも幼少期から気丈に振る舞い続け、闇雲に努力を重ねて来たフランにとって帝都は決して居心地のいい場所ではない。

よく頑張ったね、ありふれたそんなたった一言をフランにかける人間は誰一人居なかった。何よりフランの今の状態で兄弟がそれを口にすることは憐れみとしか受け取られないからだ。自分自身を認められず、これ以上妄執に囚われるなら、あいつは色んな意味で壊れる。ただの、象徴に成り果てる。

「……頼り方も、必要も知らない、か」

だが、その一線を越えることは俺にとっても退路を断つという意味に繋がる。
これ以上深く関われば俺自身戻れなくなると解っていた。だからこそ戸惑っている。いつの間にあの小さな手を引っ張ってやりたいと思うようになっていたのかと。

するとその時ARCUSが鳴り響いて、トワ達かはたまたリィンかと考えながら通話ボタンを押して出たが、耳に届いたその声に一瞬目を開くことになった。


『クロウ?』
「……おう、フランか。どーしたよ?」
『えぇ、それなんだけど明日のお昼……良かったら、屋上で一緒に食べない?』
「……」


追い打ちをかけるような誘いに、端末機越しに固まった。
いや、多分フランのことだから奢られてばかりは申し訳ないから律儀にお返しに、という気持ちで言ってるんだろう。多分間違いない。

「……ってか、屋上ってことはどっかで飯奢りって訳じゃねぇのか」

フランは確か料理が出来ると聞いている。ということはこの間冗談半分で言ったお弁当を期待していいのではないか。上機嫌になって思わず緩む顔に、ため息を吐いた。
何馬鹿みたいに喜んでんだよ。


ーー土曜の朝、フランの姿はキッチンにあった。シャロンが朝食の準備をする前から何品か簡単に料理を作っていたのは、お弁当作りの為だった。フランがシャロンが来る前に活用していた弁当箱と、もう一つ大き目な弁当箱がテーブルには用意されていた。
慣れた手つきで卵焼きをフライパンの上で丸め、切って他の出来上がっていたおかずと一緒に詰めていく。


「あら、フラン様は今日はお弁当なんですね」
「えぇ、偶にはいいかなと思いまして」
「察するに、誰か男性の方の分もありますがお兄様か、それともZ組の誰かか、それとも……」
「もう、シャロンさん」
「ふふ、余計な詮索はやめておきましょうか」


意味深に微笑むシャロンの追求をかわしながらお弁当をこしらえたフランはその日の昼、Z組の誘いをやんわり断って階段を上っていた。
クロウは適当でお調子者な所があるけど、やはり先輩であり年長者というのもあって面倒見はいいし観察眼にも優れていて、意識しているかは分からないが時折的確な指摘をしてくれる。
まったく不思議な人だし、居心地悪くないのだから気付けばクロウのペースに順応してるのかもしれない。

屋上へ出る扉を開くとその勢いで風が髪をさらい、思わずスカートを押さえる。晴れてはいるが、今日は夏でも過ごしやすい気温で風が吹くから比較的涼しかった。
そして既に屋上に居たクロウがよっ、と手を挙げてフランを出迎えた。


「クロウ、もう来てたのね」
「おう。今日風ちょっとあってよかったな。外も最近暑かったからなー」
「室内にすればよかったかしら……あ、はい。これお昼ご飯」
「……まさかとは思ったがマジで弁当作ってきてくれるとは……!流石フラン!」
「奢られてばかりは私も肩身が狭いから。お、美味しいかどうかは保証しないわよ?」


屋上脇のベンチに座り、フランはクロウにお弁当箱を渡した。それを受け取って開けたクロウは笑みを浮かべた。一段目は彩りも鮮やかなおかずが並べられており、二段目はトマトやベーコンを挟んだサンドイッチが入っていた。
そもそも貴族のお嬢さまがここまで手際よく作れることに驚くが、それが自分の為に作られたものだというのが大きいだろう。フォークを手に取りおかずを一口食べ、そしてサンドイッチを食べたクロウをフランは落ち着かない様子で見ていた。


「ど、どう……?ちょっと冷えてるけど……」
「いや、お世辞抜きに美味いぜ」
「よかった……」


美味しそうに頬張るクロウの感想にほっと胸を撫で下ろしたフランは漸く自分も食べ始めた。最近は頼めばシャロンが用意してくれるのもあって人の分まで料理を用意することはなくなっていたが、久々にこういうのもいいかもしれないと頬張りながらふっと微笑む。


「最近の貴族ってのは、料理出来るし武術も達者なもんか?」
「私の場合を一般論だと思わない方がいいわ。何せ、……」
「フラン?」


一瞬フランの表情が曇ったのをクロウは見逃さなかった。確かにフランの状況はあまりに貴族として一般的ではない。しかし、その現実に抗おうとしているフランはそれを引け目に感じている筈だった。


「いえ、武術は貴族の嗜みの一つでもあるし……普通は料理とかに触れ合う機会はないわね、確かに。私の所は使用人が教えてくれたから」
「そいつに教わったのか?」
「えぇ、歳の近い使用人が居るのよ。贔屓目無しでも優秀でね。彼のおかげで帝都の市民街にも頻繁に遊びに行くようになったし」
「帝都って平民と貴族の仲よくねーだろ?フランなんて名前知られたやつが行って大丈夫なのかよ?」
「えぇ、あそこは私にとって故郷みたいなものだから」


懐かしむように、愛おしむような目をしてそう語るフランに、クロウは何処か安心感を覚えた。家で蔑まれていたフランにも居場所と呼べる場所が帝都にあったのだと、ほっとする反面、作戦でそのエリアは対象ではないとぼんやり考える自分が居たことに呆れさえもした。
弁当箱を空にし、ご馳走さまでしたと声を掛けて弁当箱を持って帰ろうとしたが、フランはついでに一緒に洗うと言ってクロウから空になった弁当箱を受け取った。


「いやー美味かったな。また今度、一緒に飯食おうぜ。何なら毎日俺の昼食を用意しくれても、」
「楽しようとしないの」


途中でぴしゃりと却下され、だよなーと笑いながら頭を掻いてクロウはベンチから立ち上がった。
この日常が好きだった。フランと居る時間を楽しいと思っている。

屋上を出て二階の廊下を歩いていたフランはZ組の教室の前で足を止め、クロウに釘を刺した。


「ちゃんと授業、出なさいよ?」
「げ、ばれてら」
「まったく……」


呆れたように顔を顰めながらも、またねと声を掛けてフランは教室に入って行った。そんなフランを見送ったクロウはゆっくりと一人廊下を歩きながら深く息を吐いた。

学生としての自分の感情を優先すべきじゃないだろうなんてことは分かってる。これはあくまでも作戦の為の足場に過ぎないし、余計な繋がりは妨げになり兼ねない。そんなことは分かってる。
俺も引き返せなくなるし、フランを俺の問題にまで巻き込むことになる。考えているだけ馬鹿げた話だろう。

よく頭を冷やして考え直せ──頭をぐしゃりと掻いて無意識のうちに早歩きになる。先程食べた弁当の味が忘れられなかった。


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