Before Blue
- ナノ -

星の瞬くノルド高原──そこにクロウ・アームブラストの姿はあった。しかし彼は黒衣と仮面を被り、帝国解放戦線リーダー《C》としてその場に現れていた。
Z組のA班がこのノルドに来ていたからもしやとは思ったが、予感が的中し、ギデオンの作戦は途中でZ組に阻まれたとのことだった。
しかし両国の緊張状態を生み出しそれが宰相の居る中枢にまで伝わってさえいれば、この作戦に躍起になる必要はないと判断していた為、クロウも左程途中で邪魔が入った事は気に留めていなかった。


「本来なら共和国との紛争が始まり"あの男"の隙を作れたはず……それがこの体たらくだ」
『フッ、しかしこの結果すらも我々にとって今度有利に働く……あらゆる所で"楔"を打ち込まれるリスクを意識させることでな。《氷の乙女》にも《かかし男》にも読み切ることは叶うまい』
「……違いない。さっそく"次"の一手の仕込みに取り掛かるとしよう。いよいよ我らの存在を世に知らしめるためにもな」
『フフ、その調子だ。しかし今宵は聊か客人が多いようだな』
「……?」
『まぁいいだろう。……クク、流石は行動の早い娘だな』


姿を確認される位置には居ないが二人ほど気配を感じる。恐らく一人はサラ教官で、もう一人はまたその領域の使い手だろう。
そしてもう一人──遠く上空に羽ばたく一見普通の鳥に見間違えるが、ノルドには似つかわしくない機械仕掛けの鳥。
その存在にクロウは気が付いていた。
噂には聞いたことがあるが、ラングリッジ家の使用人が情報収集に使っているものだろう。巨大なネットワークがある訳ではないが、事件や陰謀を感じ取る嗅覚に優れている分、あの家は敵となった場合は非常に厄介だとクロウも認識していたし、それは貴族派、そして革新派にとっても同じだろう。
しかし、今回は恐らくフランが今回の一件に第三勢力が絡んでいることを早めに察知し、帝都に居る筈の使用人に命じて調べさせているんだろう。


「……ったく、Z組として行動中だろうが、あいつ」


──俺が言うのも何だが、余計なことに首を突っ込み過ぎだ。
危険を冒しているというよりも、フランの考え方に問題がある。今は一学生として己を見詰めなおす為にこの学院に入った筈なのに、やはり家の名前を捨てられない。Z組を守ろうとするだけではなく、ラングリッジ家の人間としての務めを果たさなければならないと考え過ぎだ。

後日学院で会ったら、様子を見に行ってやるかと考えた所でふと足を止め、仮面の下で低く笑った。本来の干渉しようとしていた範囲をいつの間にか自分でいとも簡単に超えようとしている事実に自嘲した。


──Z組の実習も終わり、もう七月を迎えようとしていた。
本当にあっという間に夏が来てしまった、という印象だった。もう既に衣替えも始まっており、クロウは早々に夏服に切り替えていた。一日の授業が終わり、クロウは一階のある部室の扉を叩いた。


「よっ」
「……、クロウ?」


手を上げて挨拶をすると、扉をあけながら驚いた様子で瞬きながらクロウを見上げるフランが居た。フランの服も夏服になっていて、涼しげな印象を受けると同時に冬のブレザーが無い為かどうしても薄着で、目が行ってしまうものだ。


「お前も夏服に切り替えたんだな、似合ってんじゃねぇか」
「あ、ありがとう……クロウも凄くらしい格好というか」
「こんな暑い中ブレザーなんか着てらんねーし」
「まぁね。茶道部に遊びに来たの?」
「おう、お菓子に集ろうと思ってな」
「まったく……どうぞ、入って」


案内されて茶道部の部室に入ると、帝国には馴染みが無い畳が敷かれていて、二年生で顔見知りの部長と副部長はクロウを見てクロウが何の目的で遊びに来たのか直ぐに分かったのか呆れた顔に変わるが、クロウ君ならいっかと許されるのも彼だからだろう。

お茶を点ててお茶菓子を用意しようとしたが、クロウはフランの分も用意しろよと声を掛けてきたものだからフランは首を傾げながらも自分の分もお茶を用意した。
一緒に飲みながら話そうぜと誘って来るクロウに本来の飲み方ではないような気もしたが、談笑するのもいいだろう。


「そういや、今回の実習はどうだったよ?」
「……そうね、今まで以上に気になることは沢山増えたし、何やら陰謀が渦巻いてるみたいだけど……その点を除けば、ノルドは本当に素敵な所だった」
「あー、そのことはなんかトワがサラ教官から聞いたって話してたな。お前らも危なかったんだろ?」
「何とか無事だったから良かったけど。……どうも鉄血宰相を憎んでいるようだし。ま、その件は今は置いておいて。ノルドに行って良かったわ」
「……、あそこは帝都とは大違いだろ?」
「えぇ、色々なしがらみや身分の違いも無くて、雄大で……自分の小ささを改めて見詰め直せた気分だった」


家の名に縋らなければ生きる目的も直ぐに見失いかねない自分の危うさを知りながら、変わろうとする自分を認められなければ誰かに頼る手段も意味も知らない。すぐ傍でその状況を見守っていない分、クロウがフランに頼られる存在になっているかどうかは怪しかった。
お茶を飲み干したクロウは最後の一口のお菓子を口に放り込むと、立ち上がってフランの手を掴んで立ち上がらせた。そして扉を開けて振り返ったクロウは二年生二人に笑顔で声を掛けた。


「フラン借りてくぜー」
「えっ」
「ちょっとクロウ君!」
「あっ……もう、勝手なんだから……フランちゃんもクロウ君にはちょっと甘いと言うか」


クロウに文句を言いながらも引っ張られるまま付いて行ったフランの様子を見送った部長はやれやれと肩を竦めた。フランは先輩の目から見ても真面目な模範生のようで、素行が良いとは言えないクロウとは正反対な筈なのに気が合う所があるようだから不思議な組み合わせだ。
そしてクロウに連れられてやって来たのは学院を出たトリスタの街にあるキルシェだった。


「ほれ、何か食べたいもの頼め。何でもいいぜ」
「え……で、でも」
「お茶も貰ったことだし、俺の奢りだ。自分で言うのもなんだが、俺が奢るのは珍しいからな」
「それはちょっと……」
「おいおい、先輩の厚意を無碍にするつもりか?」
「う……わ、分かったわ」


妥協したフランの申し訳なさそうな顔にクロウは悪戯に笑った。クロウに促されてフランはサンドイッチと紅茶を頼み、クロウもプライムコーヒーとピザを頼んだ。
一緒にご飯を食べながら会話をするが、今更ながら不思議な気分だ。クロウと日頃頻繁に会う訳ではないし、同じ部活に所属している訳でもなく、Z組の中でも他にクロウと面識があるのは主にリィン位しか居ないだろう。
それなのに気付けば彼と過ごす時間も増えて来ているし、悩んでいる時に背中を押してくれて胸の奥で閊えてたものが軽くなるのだ。クロウが面倒見の良い兄貴肌だとは分かっているけれど、何故立場も違う自分を気にかけてくれるのか、分からなかった。


「……」
「どうした、フラン?」
「……単純な疑問だけど、どうしてクロウは、私に構ってくれるの?」


フランが不意に口にしたその疑問にクロウは瞬いた。

それはクロウ自身いまいち答えの分からない質問だった。邪道を知り、己の願望を叶える為に生きるフランに親近感も覚えたし、たった一人の人間に大きく生き方を狂わせられた点も憐れむと同時に道標が必要なのではないかとつい世話を焼きたくなってしまう。孤独に敵わない理想に縋るのも限界がある。傷付いていることを無かった事にして健気に前に進み続けるフランを放っておけなかった。フランという個人を捨てて家名を体現する象徴になり果てるなんて胸糞の悪い話だった。
クロウ自身には関係ないと言いきれたらもっと早く割り切れていた筈なのに。


「変なこと聞いたわね。私にとってあまりにも新鮮だったから」
「……頑張り屋過ぎて困った後輩だからな。危なっかしくて色々と心配にもなるんだよ」
「む……それは私の台詞よ」
「はは、強がりか?」
「……だって、クロウって必要以上に人に干渉されるのを避けてる所があるでしょう?」
「へ」
「何時も……軽い調子に誤魔化されてるような気がするから。クロウは……時々見えなくなる」


的確な指摘にクロウは感心しながらも、考え過ぎだろと笑って答えたが、本人も多分こういう所が誤魔化して他人の関心から外れようとしていると言われる最大の理由なのだろうと分かっていた。

「……そんなに、俺自身の話してなかったっか。なんだよ、普段素っ気ないってのに、俺のこと知りたくて堪らないってか?」

からかうような冗談めいた口調で問いかけたクロウはフランが何時も通りからかわないでと注意してきてそれを宥めるーーそんな流れを期待していたのだが。
肩をすくめてカップをかちゃんと鳴らして机に置き、クロウを見上げて優しく微笑んだ。

「そうね、もっとクロウのことを知りたいわね」

ーー何なんだ。
自分で振った筈なのに、その返事に顔が熱くなって、フランの真っ直ぐな眼差しを見ていられなくなった。
何だよこれ、調子狂うじゃねぇか。どうしてフランに、自分で冗談のつもりで振ったそのたった一言に動揺してるんだ。

らしくもないと頭を掻いてクロウは席を立ち上がり、コーヒーのおかわりをしにカウンターへと向かった。一線を引いて関わって居るはずだった。あくまで時々ちょっかいを出す後輩ーー特別な関心は無いはずだった。
なのにも関わらず、自分を知りたいと願っていることが堪らなく嬉しいと感じている自分が居て、フランのことをただの情報として知っているのではなく本人の口から頼って打ち明けてくれないだろうかと思っている時点で。

「……ははっ、嘘だろ……」

手遅れだなんて、自分でも信じられなかった。


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