氷菓童話
- ナノ -

ベールの裏側

愛称。笑顔。饒舌な口。
それらは全て仮面だ。薄い氷一枚を被せたベール。

男性名称であるミスター・リズベットという名を名乗って商売人の仕事に徹してきたし、このナイトレイブンカレッジに来てから一年間はその在り方を貫いていたと言えるだろう。
それなのに、素の自分を隠せなかった。もう暫く人に見せることも無かった商売人になる前の少女としての顔が顕になった。

エミルには未だに、なぜあの日、一年間頑なに足を運ぼうとしなかったモストロ・ラウンジに誘われたわけでもなく自主的に向かったのかという動機が自分のことながら、不思議で堪らなかった。
本人に指摘されたように、無意識のうちにジェイドに会いに行っていたのだ。
それはつまり、「ジェイドを頼った」のだ。そのことに間違いはない。

ただ、何故?
そんな疑問は浮かんでは消える。確かに彼は性格に多少難があるとはいえ、友人と呼べる人ではあったし、自分の秘密を知る言わば協力者だ。
そういった意味ではフロイドとは異なるし、友人と呼ぶにはおこがましい相手であるマレウスとリリアという協力者とはまた異なる位置付けだ。

そのことを、張本人であるリリアと話しながら、一層エミルは実感していた。
「エミル、今日は休みと聞いたが、休みならわしとネットゲームでもせんか?」というメッセージに対して、エミルは「ヘルプです、リリアさん」とだけ返した。
エミルが休みを取ったうえで何らかのヘルプの信号を出す時は決まって校舎の上層階に位置する尖塔に潜り込んでいることを知っているリリアは、一日の授業が終わってから、ミステリーショップを休んでいたエミルの元へ訪れていた。


「エミル、今日は一段と寒いな?」
「ご明察ですリリアさん……手に持った物を凍らせるどころか、サムさんのお店に居たら商品を駄目にしそうだったので。はぁ……どうしてこう時々溢れ出てしまうんですかね」
「お主の氷の魔法、ユニーク魔法を組み合わせればとりあえず暴発は抑えられるんじゃなかったか?」
「うう、学園で派手にオーロラを出す訳にはいかないじゃないですか……マレウス君にはディアソムニアでやってもいいと言われましたけど、流石にそんな訳には。そりゃあパーンと発散できますけど」


エミルの周囲の空気だけ、地上の気温よりも20度位低くなっていることにリリアは腕を擦った。
彼女が特異体質を直したいと思うようになるのも当然というものだろうと納得せずにはいられない。魔法が当たり前のように生活にある妖精の谷では指をさすものなんて居ないだろうが、普通の人や、並みの魔法士に混じって生活するには浮き過ぎるのだ。
周囲とずれていることから生じる苦しみも、反対に楽しみもリリアは知り尽くしている。


「己の呪いは消せぬが……それがあったからこその別れもあれば、出会いがあるのも確かじゃ」
「リリアさん……」
「だからと言ってお主の悲願への協力は惜しまないつもりじゃ。だが、エミルがその力に悩んで我らに声を掛けたからこその今の縁もあるというものだからな」


長い長い時を生きてきたリリアの言葉は、身に染みる。
呪いゆえに失ったものも多いけれど、氷のような体温だからこそ、このナイトレイブンカレッジにやって来ることになった。
その結果リリアを始めとする生徒達と出会い、縁を結んだというのも事実だ。
自分の個性の一つであることは理解しているが、それを手放したいという無謀な傲慢さ。そのことを否定せずに、優しく見守りつつも協力してくれている彼らはやはり優しいのだ。


尖塔から離れた場所に位置するミステリーショップには、エミルの不在を知らずに訪れていた客が何人か居た。
魔法薬学の授業で手に入れた素材をエミルに渡そうと店の扉を開いた二年生でエミルの店の常連であるラギー・ブッチは店内をきょろきょろと見まわして首を捻った。
毎日、自分の客人が来るまでは暇そうにサムの店のただの店番を演じている筈のエミルの姿が無いのだ。


「今日エミルはお休みだよ小鬼ちゃん」
「えー、エミルさんにいい素材持って来たんですけど今日不在っスか。昨日そんなこと言ってなかったのに珍しいッスね」
「『たまには突発的にバカンスを楽しんできます!』って言ってたな」
「へぇ〜あんな仕事人のエミルさんが珍しいこともあるもんだ。仕方ない、また出直しますかね」


ラギーが思うに、エミルは商売においては信頼関係の構築の為にも突然休んだりするようなタイプではないような気がしたのだが。
珍しいこともあるものだ。
釈然としないまま、ラギーはまた明日改めて今日仕入れたものを渡そうと引き返し、店を後にする。
多くの生徒は「サムの手伝いをしているアルバイトの女の子が今日は休みなのか」程度にしか認識していないだろう。彼女の擬態するスキルの高さは一つの店を経営する店主として相応しいと言える。


「おや、ラギーさん」
「あ、どうもっス、ジェイド君。なーんか今日はエミルさんお休みみたいッスよ。今日店休みにするとか言ってなかったけどな」
「なるほど……しかし、エミルさんが突然休みにするのは珍しいですね」
「ジェイド君も思いました?なんでも突発的にバカンスを楽しんでくる〜とか言って店を出たみたいですけど、なんか特殊な商品でも仕入れにいったんスかね〜」


サバナクロー寮のラギーとジェイドは決して仲が良いと言える間柄ではないが、モストロ・ラウンジにアルバイトとして仕事をアズールに貰いに来るラギーとは程々の間柄だ。
彼女の言葉をストレートな意味では受け取っていなかったラギーに、ジェイドは同感だった。
朗らかに本当のことを語っているようで、煙に撒くような言動を得意としているのが彼女という人間だった。
ラギーの言う通り、何かを仕入れに行く為に店を開けたか、それか、ジェイドを含める四人しか生徒では把握していない彼女の体質的な問題の二択だ。

それじゃあと手をひらひら振って寮の方へと向かって歩き出したラギーを見送り、ジェイドは思案する。
この間モストロ・ラウンジに突然来たことといい、ジェイドとしても少々心配になる所があった。
連絡を取るものかと考えながら歩いていた所で、メインストリートの方からハーツラビュルの二人がこちらの方に歩いて来ていることに気づいて顔を上げる。
今日はミステリーショップの近くでよく顔見知りと会う日だ。


「ジェイド君じゃんおつおつ〜」
「リドルさんにケイトさん。お疲れさまです」
「ミステリーショップから出てきた所なのかい?」
「えぇ。ですが、今日はエミルさんはいらっしゃらないようでして」
「エミル?居ないのなら今日は、バイトが休みなんじゃないのか?」


リドルの素朴な疑問に、横に居たケイトの笑顔が固まる。
真面目な寮長であるリドルは、ブローカーとしての一面もあるリズベットの店を一度として利用したことが無ければ、生徒達も首を跳ねられるのを恐れて、噂をリドルの耳に入らないように配慮しているのだ。
それは、よくリドルと会話をする先輩であるケイト・ダイヤモンド、トレイ・クローバーも然りだ。
目配せをして「リドル君に余計なこと言わないでね」と無言で訴えるケイトに、ジェイドもまた無言で微笑み、承諾する。
エミルの店を利用しづらい環境になるのはジェイドとしても困るのだ。

興味本位でエミルについてマジカメで調べ始めたケイトがハッシュタグを駆使して検索をかけた所、ヒットしたことに「ビンゴ!」と声をあげる。


「あっ、マジカメ情報なんだけど、うちの二年生の一人がエミルちゃん見かけたって写真アップしてるね」
「エミルさんの写真を?おや」
「……またなんでそんな所に。彼女、ミステリーショップの店員とはいえ、自由過ぎないかい?」


ハーツラビュルの生徒の一人があげた写真に写っていたエミルらしき姿は、ナイトレイブンカレッジの校舎内ではなく、尖塔にディアソムニア寮の副寮長であるリリア・ヴァンルージュとらしき人物と談笑している写真だった。
遠くからズームして撮った写真ゆえに、ぼやけているが、小柄な二人は分かりやすい。
彼女がそこに居るということは、飛行術でそこまで登ったことを意味しており、生徒ではないものの、飛行術も得意としていることが伺える。


「へぇ、エミルちゃんって飛行術得意なんだ?」
「尖塔ですか……少し遠いですね」
「え。ジェイド、行く気かい?」


ジェイドは飛行術が苦手だろうと言いかけたところでリドルは咄嗟に口を噤む。
「ありがとうございました、ケイトさん。リドルさん」と礼を述べたジェイドは校舎へと早足で向かっていく。
その様子から、彼は箒に乗って行くのではなく、歩いて塔に向かうのだろうと二人は顔を合わせて納得する。
その点を弄りすぎると報復が恐ろしいし、リドルとしてはオクタヴィネル寮の副寮長といえども、アズール以上に関わりたくない男だったからだ。


「おや、目が合ったのう」
「え?」
「わしはそろそろ戻るが、今度シルバーも誘って一緒にパーティゲームをやろうぞ」
「えぇ……リリアさん強いじゃないですか。手加減してくださいね?」
「手加減は苦手なんじゃが……まぁよい。エミルはこのままここに居た方がいいと思うぞ?」
「?そのつもりですが……」


自分達の居る尖塔を見上げる一人の男の目が合ったリリアはくすくすと微笑む。
視線が合い、真っ直ぐ校舎に向かって来ていることを考えると恐らくはエミルに用事があるのだろう。オクタヴィネル寮の副寮長が。
リリアは尖塔からひらりと身軽に魔法で風を起こしながら降りて行く。

どういう経緯かは知らないが、マレウスが言っていた新しい協力者なのだろう。
ーー薬となるか、毒となるかは賭けになりそうな相手だが。


校舎の階段を上り、エミルが居る尖塔に出たジェイドは扉を開いてバルコニーに出る。扉を開いた瞬間に流れ込んできた空気は、秋とは思えない程に冷たい空気だった。
突然の来訪者にエミルは青い顔をして振り返ったが、そこに居たのはエミルにとって事情を知っている知人だったことに安堵する。


「ジェイドくん。よくこの場所が分かりましたね」
「目撃情報がありまして。しかし……今日はまた一段と寒いですね?」
「……えぇ。この尖塔の使用許可は学園長に頂いております。生徒に影響を与えない場所ですから」


エミルが今日突然休みにしたのは、以前もティーカップを凍らせてしまった冷気以上の冷気が溢れているからなのだと理解するには十分過ぎる寒さだった。
厚着をしているし、手袋もはめているが、彼女の周囲2メートルほど、雪国の寒い日の気温になっていたのだ。
エミルの避難場所がここなのだろう。生徒とすれ違う危険性も少なく、人目につかず、ミステリーショップの商品に悪影響を与えない為にも。


「……、エミルさん、山登りはお好きでしょうか?」
「山登り、ですか?えーっと、確かジェイド君は『山を愛する会』でしたっけ」
「えぇ。山の生物も、植物も、景色も。毎日違っていて飽きることがありません」


人魚である彼がこんなにも純粋に山への興味関心を語るのは意外だった。
山登りが好きかどうかという問いに、エミルはなんと返したものかと頭を悩ませる。

ーー何せ、街全体が山の斜面に作られた街に 幼少期から暮らし、雪が振り積もった真っ白な山が近くにあった。
その山に向かう事も多かったエミルとしては趣味で山登りをするというよりも生活の一部だった。故郷の一部なのだ。
人が居ない山に向かうのは魔法を放出するという意味では理想的なのかもしれない。
「一緒にどうでしょうか?」と誘うジェイドに、エミルは考えた末に頷いたのだ。