氷菓童話
- ナノ -

透き通るまであと少し

ナイトレイブンカレッジのミステリーショップ二階に暮らすエミル・リズベット宛に届いたとある郵便物。
毎年届く其れを見たエミルは配達員に「ありがとうございますー」と朗らかに礼を述べて、配達員が立ち去ったのを見送ってからその封筒を眺めてぎゅっと拳を握り締めて溜息を吐く。

「……形式的とはいえ、本当に調子のいいことです」

――こんな物を貰ったって、ちっと嬉しくなんかは無いのに。
瞳を閉じて息を吐いたエミルの周囲は、やけに寒々しかった。


ミスター・リズベットの店を利用する人間は実に幅広い。
新しく入って来た一年生から寮長まで様々だが。一番名が知られている客はこの人以外に居ないだろう。
漆黒のマスクを付けた、夜のようなマントを羽織ったこの学園の学園長、クロウリーだ。
エミルがこの場所で商売をしたいという申し出の本当の理由を知って融通をしてくれた彼には、エミルも感謝をしていた。ことあるごとに「私、優しいので」とその件の恩を売って来ることだけは少々気にはなるが。


「しかし、困りましたねぇ。一年経っても手掛かり無しですか」
「別に学園長は解決法を探してくださってる訳ではないと知っていますけどねー」
「えぇ!?そ、そんなことありませんよ?忙しいですけど、片手間で探しているのですから」
「何という胡散臭い言葉でしょう……それ、グリムさんとユウさんにも同じこと言っていませんか?グリム君はともかく、彼は帰る方法を探しているんでしょう?」
「ギクッ……嫌ですねぇ。時々貴方の会話は笑顔の尋問ですよ。あっ、そうだ。エミルさんは情報収集も得意ですよね」
「……」
「家賃だけではなく、光熱費・水道代も賄いましょう」


クロウリーの提案に、エミルはにこやかに笑って「引き受けましょう」と答えた。
帰る方法を探して寮に住まわせる代わりに、学園内の面倒事を引き受けさせているというのに、帰る方法を探すのを委託するなんて何事かと思わずにはいられないのだが。
情報収集を行うだけで食費以外はかからないとはなんて好条件なのだろうかとエミルは目を輝かせる。
そして「何時もの物です」と学園長に、封筒に入ったとあるチケットを取り出す。それを受け取った学園長は「流石エミルさんですね、素晴らしい!」と感極まった様子で高揚しているようだった。

学園長とそんな会話をしている所に、カランと音を立てて扉が開き、ミステリーショップの客である生徒が入って来る。


「学園長……?」
「おや。別のお客さんが来たようですね。私は失礼しますよー」
「いいえー今後とも御贔屓に」


ミステリーショップを訪れた客はオクタヴィネル寮の寮長と副寮長だった。
笑いながら店内に入って来たアズールとジェイドの横を通り過ぎようとするクロウリーに、二人は目くばせをして「学園長」と声をかける。
そして、ジェイドは指を口元に当ててエミルに目配せを行い、学園長の後を追うように二人してミステリーショップを出て行く姿にエミルは苦笑いをする。

「……わあ。あのお二人に捕まってしまいましたか、学園長……」

今学園長が貰って行った物にも目敏く気付きそうだとエミルは溜息を吐き、裏に戻っていたサムに声をかけてただのバイトとして店番へと戻るのだった。


――そして案の定。エミルが心配した通りに、学園長は二人の生徒に掴まっていた。
別に脅しているのではなく、あくまでも生徒の興味本位で聞いているという体で。


「学園長はエミルさんと一体何のお取引をしていたのでしょう?まさか……生徒に言えないようなものを取引してるなんてことはありませんよね」
「あぁ、いえ?当然ですとも。別に毎年下さっている氷の城のホテル、スイートルームの利用券を今年も下さったと言うだけですよ。何も非合法ではありませんからね!」
「……」
「まあお礼としてここに住むことを許可しているなんて。私、なんて優しいんでしょう!」


開き直ったクロウリーの言葉に二人は瞬時に理解する。
エミルが高級なホテルの何らかのスイートルーム使用権を学園長に所謂賄賂を渡していることもあって、彼女が学園内で商売をするだけではなく、敷地内で暮らすことも認めたのだろうと。
アズールが「生徒達との契約を持ちかけてカフェの経営を認めさせたのは流石だ」と言っておきながら、自分もそもそもこの学園内に訪れる為に色んな材料で彼を揺さぶっていたことにアズールは感心したように笑った。
「忙しい私がバカンスを楽しむ余裕もないので、毎年このチケットをどうしようか悩んでいるんですけどね!」と明らかに嘘くさい言い訳をしたクロウリーはその場を立ち去る。


「しかし、雪の国の有名な城でのホテルなんて、あの場所しかないじゃないですか」
「あぁ、確か氷だけで出来た城は観光地として非常に有名ですね。あれが出来てから一気に街の知名度も上がりましたし」
「そんな人気観光スポットのスイートルームが用意出来るなんて、流石ですねぇ」


ジェイドとアズールが話題にしていたのは、雪国の街から少し離れた不便な所にあるが、氷だけで出来た城だ。
一部の家具を除けば全てが手すりや階段や照明に至るすべてが氷で創り上げられている城は、およそ五年前に完成し、その神秘的な観光地として有名になった場所だ。
最上階のバルコニーが付いた人気のスイートルームは一年以上予約待ちだと有名なホテル。
しかも、氷で出来ているというのに不思議なことに室内は程々に温かく、キッチンも併設されているというのだから構造が謎だと噂にはなっているが、恐らく魔法によって生み出された物だろうと囁かれていた。
しかし、あの大きさの城を魔法だけで創り上げるなんて相当強力な魔法だろうが、製作方法は秘密にされている謎が人気を生んでいるとのことだった。

アズールとジェイドは再び店内に入り、本来サムの店を利用するだけだったが、店のレイアウトを整えていたエミルに声をかける。


「エミルさん、聞きましたよ。流石の手腕です」
「あはは、アズール君にお褒め頂くとは光栄です。……この様子だと学園長、大分話しましたね」
「えぇ、チケットを融通してもらって非常に喜んでいましたよ。貴方ほどの歳の方がどうやってそのチケットを入手できたのか気になりますね」
「私、ブローカーですよ?色んなルートを使えば学園長が喜んで下さるものを用意することも可能ですから」
「やはり貴方はいい商人ですね」


アズールに尻尾を掴ませないように会話するエミルに流石だと思う反面、ジェイドは彼女の表情に思案する。
そしてアズールがサムと買い物の話をしている間に、レジカウンターでぼうっとしているエミルにジェイドは声をかけるのだ。


「……エミルさん、大丈夫ですか」
「何でしょう、ジェイド君」
「いえ、今日の貴方は貴方らしくないように見えて」
「……っ」


ジェイドの鋭い指摘にエミルは一瞬目を開いたが、にこやかに微笑んで「あのチケットを用意するのは私も身を切る思いですからね。ここに住む為とはいえ、遠い目になってしまうものです」と答えるのだ。
勿論、それはそうなのだろう。
人気観光地の人気のホテルのスイートルーム予約券なのだ。その金額を考えると家賃を普通に支払った方が容易なのではと思わずにはいられないから、それを用意する難易度を考えると確かに骨が折れる。
しかし、ジェイドはその話をこれ以上ここで掘り下げなかったのだ。

何となく、彼女があまりこの話を掘り下げて欲しくは無さそうだったから。


――この日の夜のモストロ・ラウンジも相変わらず客の入りは上々。一年生達の中でリピーターとなった客が最近ではよく来ているように感じられた。
店が賑わえば賑わう程、アズールの機嫌も非常に良くなる。
そしてこのモストロ・ラウンジに新しく勤めながらオクタヴィネル寮の一年生に指導しながら給仕を行うのはリーチ兄弟だ。
新しく来た客に気付いたのは入口に近いホールを担当していたフロイドだった。それまでの少々やる気が失われてきた表情とは一転して上機嫌になったフロイドは大股でその客人を迎え入れる。


「あっれー、ハマシギちゃんじゃんー!なになに、アズールもジェイドも今日は来るって言ってなかったから普通に来てくれたんだぁ」
「こんばんはフロイド君。偶には美味しい夜ご飯を食べたいと思いまして」
「いいよぉ。あのソファ席使ってよー」
「いい席をありがとうございます、フロイド君」


上機嫌なフロイドはエミルの背中を押す。他の人だったら触れられる前に飛び退いているが、もうフロイドに対しては諦めたというのがエミルの考えだった。逃げた所で彼は好奇心のままに動くし、その手の長さから逃げられる訳でもないだろう。
フロイドはエミルを水槽が近いこの店で一番見栄えが良いと言えるソファ席へと案内する。
注文を待ってくれているフロイドに「メニュー見るの時間が少しかかりそうなので……また後でお呼びしますね」と声をかけると「はいはーい」と歯を見せて笑ったフロイドはホールへと戻って行く。
ぼんやりと水槽を眺めながら物憂げに溜息を吐くエミルの姿に気付いたのは、奥のホールで給仕をしていたジェイドだった。

「エミルさん……?」

あんなにも一年間頑なにモストロ・ラウンジに来ようとしなかった彼女が、誘ったからではなく、自ら来ていることにジェイドは驚いた。
嬉しいという感情以上に、純粋な驚きがジェイドの中に芽生える。
理由を考えようとしても、あまり思い浮かばないのだ。普通に料理を食べに来たのだとしても――あれ程までに今まで来ようとしなかった彼女が?


「ジェイド君、こんばんは」
「エミルさんの姿があったので驚きました」
「ここはご飯が凄く美味しいですから。人に作ってもらうものを食べたい時もあるんですよー」


メニューを開いて料理とドリンクを頼むエミルに、ジェイドはオーダーを取り、畏まりましたと丁寧に頭を下げる。
笑ってはいるけれど、やはり彼女の表情は僅かに曇っているように感じられた。
何時もポーカーフェイスに見えない朗らかな顔のポーカーフェイスが得意だというのに。本当にどうしたのだろうかと勘繰るのではなく、純粋に心配にもなるのだ。
何か気が滅入っているように見えるが、理由までは分からない。

そんな弱みに付け入るように。少し意識してもらうのなら上々だと、ジェイドは腰を曲げて悪戯に微笑み、エミルの顔を覗き込んで視線を合わせる。


「僕に会いに来てくれたんですか?」
「……、……」


本音を薄い氷一枚下に隠して朗らかに笑い、何時ものようにするりとすり抜けていく。
この学園生のどんな人に対しても適度な距離感を保つ彼女に限ってそんな訳がないのに。
「何言ってるんですかー」と笑うエミルの返しを想像していたジェイドだったが、言葉を返してこない彼女が気になり、ちらりと顔を覗き込む。

エミルは、驚いていた。目を丸くして、瞬かせて。髪の毛先を指でくるくると弄りながら、自分の行動に自分でも納得をしたのか、エミルは肩を竦めた。


「エミルさん?」
「いえ……今言われて気付きまして……無意識に頼ろうとしていました、ごめんなさいジェイド君」
「……そう、でしたか」
「お昼の会話で……図星を突かれて受け流せないなんて……店主として駄目ですね。美味しいご飯でも食べて、少しリセットしようと思います」


苦笑いをするエミルに、今度はジェイドは目を開いた。
朝から何か思いつめた様子だった彼女は無意識のうちに、モストロ・ラウンジを――否、自分を頼ろうとしたのだ。
それだけ彼女の中で、自分と言う存在が大きくなっていたということなのだろうか。

「注文してくださったものを持って来ますので少々お待ちくださいね」と伝えて早足で立ち去ったジェイドは、モストロ・ラウンジのスタッフルームへと入って、人が居ないのを確認すると帽子をずらして顔が隠れる位置にする。
鏡が無くて良かったかもしれないと息を吐く。
自分にもこんな風に人並みに動揺することがあるのかと、ジェイドは自分自身に驚いているようだった。


「アズールにも……フロイドにも、見せられませんね」


この緊張は、人に恋をした王の娘である人魚が足を得てまで陸にあがった時のような感情なのだろうか。
あぁもっと彼女の中で自分という存在が大きくなってしまえば。
そうしたら、容赦なく、食らうのに。

鋭く細めた目を普通に戻して、ジェイドは顔を隠していた帽子を元に戻して頭に被り、ホールへと戻るのだった。