氷菓童話
- ナノ -

妖精の優しい嘘

ジェイドと、一応フロイドという協力者を得たとしても、やはり魔法薬学に精通しているジェイドも現時点で体質改善が出来る魔法薬のレシピに心当たりはなかった。
それも当然というものだろう。人魚が足を得るというのも魔法の神秘ではあるが、魔法と種族が結びついて構成されている特殊な肉体のバランスを壊すのはそれだけ大変なことなのだ。
魔法に精通している妖精族であるマレウスと、膨大な知識を持つリリアに相談はしてみたのだが、エミルの体質改善には辿り着かない。

一日の営業を終えたエミルは直ぐに道具屋の二階へと戻らず、夜闇の帳が降りたナイトレイブンカレッジの敷地を歩く。
モストロ・ラウンジ等、夜まで営業しているような施設はあるが、基本的に消灯時間があるこの校舎内では夜遅くまで出歩いている生徒はそう居ない。
昼までの多くの生徒が行き交う校舎とは異なり、しんと静まり返った校舎は新鮮だった。
そこら中に魔法を感じ取ることが出来るこの学園に潜り込むことが出来たのは非常に運が良かったと言えるだろう。
実に多くの生徒が居て、交流も含めて新しいものを調達するには持って来いと言える場所なのだ。

あまりに辺りが静かだからか、カツカツと石畳を歩くヒールの音が響き渡る。
それは始めは一つの音しか聞こえなかったのだが、別の足音が聞こえきて、エミルは顔をあげる。
前からやって来たのは、暗闇の中に溶け込むような漆黒の髪と角、それからナイトレイブンカレッジの制服を身に纏った、この学園内ではあまりに名高い生徒だ。
ディアソムニア寮の寮長、マレウス・ドラコニア。あまりに強大な力を持つが故に、他の生徒からは尊敬と共に畏怖の念を抱かれている生徒。


「どうした、リズベット。こんな夜遅くに女子が出歩くものでもないだろう」
「マレウス君ですか……というより、そろそろ消灯時間が近いはずなのに大丈夫です?セベク君とシルバー君が心配しますよ」
「これ位の散歩は良いだろう。僕も時には一人で散歩がしたいものなんだ」
「ふふ、マレウス君らしいですね」


肩を竦めるマレウスに、エミルは丁寧に会釈をする。
マレウスを見上げる時は何時だって首をかなり上げなければいけないけれど、この学園の生徒は背の高い人も多くて、大分慣れたものだ。
エミルがこの学園にやって来たのは一年前だが、マレウスとは道具屋に居候をするようになった頃からの縁だ。
彼らが魔法に長けているという話を聞いて、藁にもすがる思いでコンタクトをエミルが必死に取ったというのが縁の始まりだ。


「進捗はどうだ?リズベット」
「いえ……他に協力してくださる方が増えたというのに、一向に解決の糸口は見付けらないのですよ。お二人も調べて下さっているというのに私のこの体たらく」
「他の協力者……?僕達以外にか?」
「えぇ。魔法薬学が得意な方なんですけど……それでもやはり心当たりはないようですね」
「ふむ……」


生まれ持っている物を無くすなんてことは出来ないのではないか――強大な力を持つからこそ、ついその言葉を言ってしまいそうになるマレウスだったが、彼女の願いを土足で踏みにじるようなことは無かった。
何せ彼女はその為だけに、この学園に訪れたのだから。その行為が無意味であるなんてことは、他人が言ってはいけないのだ。
そして、自分とは異なるのは、彼女は地元においての協力者を誰も連れずに単身で訪れているということだ。


「……極光を生み出しそうなら、ディアソムニアを訪れればいい。我が寮生は落雷等に慣れているだろうからな」
「あはは……相変わらず優しいですね、マレウス君は」
「ふふ、そんなことを言う人間はなかなか居ないというのに」
「そうですか?私の願いに、どう思おうと『馬鹿じゃないの』と言わない時点で……優しいですよ」


ーー故郷では聞けなかったから。そんな言葉を飲み込んだエミルに、マレウスは「そうか」と呟く。
畏怖の念というのは、人の心を傷付ける。異物として隔絶されてしまうのだから。
「お散歩の邪魔をしてごめんなさい。セベク君が追いかけてくる前に堪能してくださいね」と声をかけて、オンボロ寮の方へと向かって歩いていくマレウスを見送ったエミルは空を仰ぐ。


「諦めろ、と言わないマレウス君とリリアさんは、優しいよ」



――ナイトレイブンカレッジの授業がない休日。この日はそれぞれ休日を謳歌する。部活に勤しんだり、勉学に励んだり、鏡を利用して街へと向かったり。
お陰様で正直な所、土日はエミルにとって道具屋で手伝いをしていても自分の客は来ないこともあり、暇を極めることがある。
それならばいっそのこと休みにしてしまおうと、休暇を取ってしまうことも多々あった。

少し遅めの時間に起きて、朝からネットサーフィンをして様々な情報を確認して、お昼には冷製パスタを仕上げて。
マジカメ映えするようなお洒落なお店に行く訳ではないけれど、悠々自適に自室で休日を楽しんでいた所にメッセージが入る。
それは今日も開店しているモストロラウンジで給仕を務めているはずのジェイドだった。

「本当に……どこから聞いてくるのやら」

メッセージに「今日ミステリーショップに行った生徒がエミルさんがいらっしゃらないと言っておりまして。もしかして休日でしょうか?」と書かれていたのだ。
「自室でまったりと過ごしていますよ」と返信すると、「僕にこの後の時間を頂けますか?」とメッセージは返ってくる。
何か昼のティータイムにでもタルト等をご馳走してくれるつもりなのではないかなんて勝手な期待をしながら「美味しいタルトをご馳走してくれたり?」なんて送ってみると「モストロ・ラウンジの物でよければ」と返って来たのだから、言ってみるものだとエミルは自室で笑顔を見せる。
正直、オクタヴィネルに属するあの三人に何かを要求すると恐ろしい所があるというのが本音ではあるのだが。そう言われても常にお返しできるネタを持っている状態でそんな風に軽口を言うのは心掛けている。

下ろしていた髪をハーフアップにまとめて、クローゼットに入れて普段あまり袖を通さない私服を身に付けると、軽い足取りでエミルは食堂近くへと向かった。


――そして、オクタヴィネル寮のモストロ・ラウンジでの仕事を終えたジェイドは寮服のままエミルとの集合場所へと手土産を携えて向かっていた。
彼女がハーツラビュル寮の「何でもない日のパーティ」で振舞われるタルトを貰いに行くようになるよりも、モストロ・ラウンジのタルトを食べに来てくれるようにするという意味も込めて。
女性の姿はやはりこの学園内では目立つ。しかし、エミルらしき人影を捉えたジェイドは目を丸くした。


「ジェイド君、こんにちは。……どうしました?」
「どうも、エミルさん。何時もと服装や髪型が違うので驚いて」
「休日と思ってる日にまで仕事着を着たらなんだか心が休まらなくて」
「なるほど、そうでしたか。てっきり、意識して服装などを変えてきてくださってるのかと」


さあどのような反応を見せてくれるのだろうか。
そんな期待を込めて、ジェイドは敢えてそんな期待するような言葉を口にする。
歯を見せないように。口角を上げるだけに留めて彼女が照れたり慌てたりする反応を想像していたのだが。


「ふふ、ご想像にお任せします」


ーー彼女の言葉は含んでいるようで、それ程深い意味は無いのだろう。
煙に巻くような言い方で避けているのだろうとは分かっていたのだが。
どくりと疼く胸の感覚はやはり何とも例え難い高揚感がある。悪戯に笑うというよりも清々しい程の笑顔は、悪意や計算を感じなかった。


「ジェイド君、モストロラウンジは大丈夫なんですか?」
「ランチの時間は終わりましたから。休日の食堂が空いていない日ならエミルさんも休日に居らして下さるかと思っていたのですが」
「お昼の沢山お客さんがいらっしゃるお店に行くと……接触や相席になると、困りますからね」
「それは……失礼しました。無粋なことを聞いてしまって」
「いいえ、気にし過ぎと言われると確かですし。それにフロイド君とジェイド君がその辺を配慮しない接客はしないだろうとは想定してはいたんですけど」
「ふふ、流石ですね」


人の本質や行動パターンを把握する能力は流石だと感心した。明朗快活で陽気に見えて、やはり何処までも冷静に判断している。
しかし、確かに普段はセーブ出来ているようだが、調子が悪い時にはカップの持ち手ごと凍らせてしまう彼女が警戒心を強めるのも無理はないというものだろう。
ジェイドはモストロ・ラウンジから持って来たフルーツのタルトを出して、エミルに差し出すと彼女は「やっぱりモストロ・ラウンジの料理は美味しそうですね」と表情を緩めて嬉しそうに笑う。
そして、何時も貰ってばかりは悪いから自分で食べようとしていたらしいマカロンの詰め合わせをジェイドに渡したエミルの卒なさは相変わらずだ。


「エミルさん、食堂がやっていないこういう日はもしかして自炊されているんですか?」
「私も自炊しますよ!……冷えた料理が得意ですけど……」
「あぁ、なるほど」
「ジェイド君笑ってますね?火だってちゃんと使えますし手袋をしていればちゃんと温かい料理だって作れるんですから。ふふっ、料理も錬金術も大差ありませんよ!」
「錬金術がお得意なんですか」
「あれ、意外ですか?」
「同じ年齢で学園生として学んでいる訳ではないと思い込んでしまっていましたが……あれだけの花を作り上げていることを考えると当然ですか。ふふ、アズールととことん話が合いそうですね」
「本当に……アズール君は基本的な話だとか考え方は非常に合うんですけどね……商談となるとお互い正直嫌だというのは仕方のない話ですね」


お互い嫌っている訳ではなく、寧ろ気が合うとさえ思っているのに、お互いの商談の際の駆け引きが厄介だと思っている所が面白いものだとジェイドは笑った。
一年間、彼女の個人的な情報をあまり知ることが出来なかったというのに、最近ではぽろぽろと彼女の方から零してくれているのは嬉しい話だった。

どれ程得意かどうか見たことは無いけれども、独自の売り物も作り上げる程には錬金術が得意な彼女が錬金術というアプローチでは未だに解決法を見付けられていないということになる。
アズールに契約を持ちかけなかったのは、警戒心もそうだろうが、アズールが得意な錬金術という方法では解決法には辿り着かないと解っていたからだ。
そして魔法に精通している妖精族の二人にも未だに解明できていないということになる。エミルにとって、魔法薬学に詳しい人間が協力してくれるのは非常にありがたいのだろう。

(解決出来たら居なくなるのが分かっている以上、協力する気はありませんが。それに、冷たい体温というのも僕にとってはあまりにも都合がいいですし)

和やかな空気でティータイムを楽しんでいる二人の姿に少し離れた所から気付いた生徒は、信じられないと目を瞬かせた。
エミルが普段ミステリーショップに居ることでサムに守られている形になっていることと、口説こうとしても上手い話術でかわしてしまうから、一年男子校に居ても大した問題に巻き込まれていないのだが。
それは同時にそういう人こそ落としてみたいと思う男子生徒も居るということになる。


「普段と服装とか違うけどあれエミルちゃんじゃん……って、横に居るの……!」
「げっ、ジェイド・リーチ……!?」


そんなエミルの隣に居る男に問題がある。オクタヴィネル寮の副寮長、ジェイド・リーチ。
彼らを知っている人間なら、アズールやフロイドだけではなく、ジェイドにも関わりたくはないと考えるというものだろう。
ジェイドは横目で自分達のことを密やかに会話をしている集団を見て、にこりと微笑む。

牽制するように、見せ付けるように。
――貴方たちが遊びで手を出そうかと目論んでいる彼女は、もう既に誰も触れないようにしている真っ最中なのだから。
氷が覆う深海に、氷の花が咲く光景は、美しいでしょう?