氷菓童話
- ナノ -

Hide in aurora

泪で氷を溶かせるのなら。家族の愛情で溶かせるのなら。
とっくにこの身の全てを溶かそうとしている。

氷の魔女――その中でも雪の女王と呼ばれる存在の末裔。そう名乗るには、申し分のない力なのだろう。
羨むもの者も、妬む者も居る。
血を吐くような努力をせずとも、生まれながらに身に付いている魔法。
しかし、少女にとってはそれは決して祝福ではない。呪い以外の何物でもなかったのだ。

魔法の鏡のかけらが心臓に入ると、心臓が氷のかたまりのようになってしまう――それは代々言い伝えられていることではあるが、そんな物が胸に刺さっても居ないのに。
この手のひらは、まるで死人のように凍て付いていたのだ。
血族も、同じ種族の知り合い達も、その体温は普通の人と同じだった。
それなのに、自分の身体は凍て付いている。故郷の皆が心待ちにしている春に芽吹く芽さえも時に凍て付かせ、容易に底冷えの冬にしてしまう。

誰かと過ごす笑顔に溢れた温かい夏?
そんなもの、あったことがない。極光なら何時だって見せられるのに。
そう思いながら、本音を薄い氷の下に逃すしか、少女には術がなかったのだ。



「サムさん……最近凄くツナ缶が売れる個数が増えましたね。おかげさまで私もツナサンドを食べることが増えました」
「何せ1ケースで売れる日もあるからね」
「ユウさんとグリムさんですか。あのお二方は本当に不思議ですね」


使い魔のようなアザラシだとか狸だとか散々色々なものに例えられている黒猫のグリムと、オンボロ寮の監督生となったユウ。
この間初めて購買部で見かけたエースとデュースと親しく、彼らと行動を共にすることも多いようだ。
どうやら監督生である彼女は魔法を使えないようだが、不思議と彼女の周りには一癖も二癖もあるはずのこの学園の生徒が集まる。
個人主義が強いこの学園で協力関係や友人関係を早々に築けるのは人徳というものだろう。

そして、そんな協力者がもう一人増えたことはエミルにとって非常にありがたい話だった。
オクタヴィネルの情報網と流通経路を所持している副寮長、ジェイド・リーチ。
何か含んでいる物があるかもしれない可能性はジェイドの人柄を考えれば当然あるのだが、それでも触れた時に反射的にでも蔑むような表情を見せなかったことはエミルの中で信頼に値する項目だった。

そもそも、彼が"友人"という言葉を使用すること自体が意外だった。
何せ、基本的にはジェイドのパーソナルスペースというのはフロイドやアズール位にしか開いていない所があるからだ。

学友と親しくする行動も、物腰は柔らかくとも、時にそこには打算が入り混じる。
まさにそれを体現するような会話が、植物園近くで行われていた。


「ありがとうございます、カリムさん。助かりました」
「ジェイドがこの素材を欲しがるなんて不思議だな。いいぞ、是非とも使ってくれ!錬金術か?」
「えぇ、今開発したいものがありましてね」


ジェイドがカリムに砂漠の国だけで取れる素材を貰っていたのには理由があった。
熱を放っているのか、温かな石。彼女が砂漠の国の素材を調べていない訳ではないだろうが、ジェイド自身が研究する理由がそこにはあった


彼女が作れないようにするために、作る手段を自分なりに探っていくことは重要だからだ。


――エミルは専用のビンに入れた温かなレモンティーを飲みながら、この間の無礼を思い出して溜息をおもむろに吐いた。
折角わざわざ呼んでくれてかなり品質のいい紅茶を淹れてくれたのに、たった一瞬で急いで飲み干して席を早々に立ってしまったなんて非常に失礼なことだった。
体質について知られた以上、恐らくティーカップが冷えていた原因とジェイドなら結び付けてくれているだろうが。

しかし、流石に詫びが必要だろうと考えたエミルが『ジェイド君。放課後にでもお時間がある日はあるでしょうか?』とメッセージを打つと、即座に『勿論。今から購買部に向かいますね』と返って来る。
足を運ばせる程出のことでもないのに、と思ってその旨を伝えるメッセージを送るのだが、ジェイドからは返信が返って来ない。
そして元々何処に居たのかは分からなかったが、五分後には購買部にジェイドは姿を現した。サムに対して今日はサムさんのお店での購入ではない用事ですみませんと声をかける辺り、そつなかった。


「エミルさんからお誘いのご連絡が来るとは思わず驚きました。如何しました?」
「来させてごめんなさいジェイド君……。この間、手早くあんなにいい紅茶を味わう暇もなく失礼したお詫びを考えていたのですが、何かありますか?」
「それでしたら、そうですね。同じものをモストロ・ラウンジで是非とも提供させてください。場所はあの場所を使いますが、お代などは頂きませんので」
「えっ……」


其れは商売上問題がありますよと言いたげなエミルに対して、ジェイドは先手を打つように「友人への振舞ですので」と微笑んだ。

サムの店の掃除だけ行い、日が傾いてこの時期は日が短くなってきている関係でもう深い夜が見え始めた午後六時。
鏡に触れてオクタヴィネル寮に二年目にして初めて足を踏み入れると、海に反射した日光の光が揺らめいて煌めく。話には聞いていたが、本当に海の中に貝殻をモチーフとした寮が築かれていたのだ。
そもそもエミルは基本的に学園関係者にしてもらっているとはいえ、男子寮である各寮の庭や入口までは行けるものの、建物自体には入れないことになっている。
しかし、モストロ・ラウンジはあくまでも誰もが利用できるカフェとして営業していることもあり、問題は無いのだと学園長に確認する前に確認していたらしいジェイドが丁寧にも教えてくれた。

同じく利用者であるモストロ・ラウンジに向かう生徒達に「あれ、エミルさんがオクタヴィネに居る……!?」と声を掛けられるものだから「初めてカフェを利用しに来てみたんですよー」と笑って手を振る。
神秘的な光景は、好奇心をくすぐる。商談に持ち込まれるのを警戒して頑なに来ようとしなかったが、美しい景色が見られたのは良かったのも知れないと開き直るようにポジティブに考えていた。
生徒達が吸い込まれていくように入って行くモストロ・ラウンジの扉を開くと、学内のカフェとは思えない美しく温かな海の底のような光景が目の前に広がった。


「いらっしゃいませ、エミルさん。お待ちしておりましたよ」


モストロ・ラウンジの入り口で待っていたのは、寮服に身を包んだジェイドだった。

「今日はアズールがVIPルームに居ますので、僕がお迎えいたしました。席は特別なカウンター席を用意しましたので」

完璧な案内に、エミルは舌を巻いた。
知ってはいたが、まるで付き人や執事のようだと思う程の完璧な仕草だ。
紅茶と、モストロ・ラウンジだけで頂ける料理を頂くつもりでメニューを受け取ったエミルは其れを眺め、店内を見渡して感心した。


「完璧なサービスに拘り抜かれたメニュー、それに洗練されたインテリア……アズール君は流石ですね!話には聞いて写真でも見ておりましたがえぇ、完璧です!」
「それをアズールに言えば、かなり喜ぶと思いますよ」
「一生徒が一年でここまで経営を成り立たせるとは。契約を交わした生徒達をダシに学園長を脅しての手腕といい流石です」
「ふふっ、お褒めにあずかり光栄ですよ」


エミルの的確な指摘に、ジェイドは笑った。
それは事実だったし、情報として知っている内容を純粋に語ったまでのようで、それが悪いことだとは思っていないような口ぶりだった。
こんな風に努力を純粋に色眼鏡なく、蔑みもなく評価をしてくれるタイプの言葉を、アズールは喜んでいない風を装ってかなり喜ぶタイプであることは長い付き合いになるジェイドもよく知っていた。
だからこそ、取引相手という間柄以上に人柄が素直に気に入っているのかもしれないが。きっと、普通に照れそうだ。

最近はキッチンに入ることは無かったが、彼女に振るまう為に、ジェイド自らが紅茶を淹れる準備を行う。
選び抜かれた群青に金色の淵のラインが美しいカップに紅茶を注ぎ、カウンターテーブルに差し出した。
そのカップの持ち手を摘まんだエミルはほっと安堵したような顔をして、カップに口を付けて一口飲んで喉を鳴らした。


「美味しいですね、凄く。一口一口味わうと余計に」
「この間のことは気にしておりませんよ。しかし、ティーカップが非常に冷たく、持ち手に氷が付いてたのでもしかしてとは思いましたが」
「やはりそれで疑われましたか……調子が悪いと手袋をはめてもそうやって溢れ出してしまうのは申し訳ないです」
「なるほど。一種の制御の品だったんですね」


周囲の気温を下げてしまわないように制御の品を付けているとはいえ、彼女が頭を悩ませて、その力を無くしたいと言う訳だと納得する。

新入生たちの見張り役についていたフロイドが「あ、ほんとに連れてきてるじゃん!」と声を上げて、大股で駆け寄って来る。


「あれー、ハマシギちゃん……冷たくね?めっちゃ冷た、きもちー」
「……っ!」
「いけませんよ、フロイド。そんな風に触れては」


フロイドに頼んだわけではなかったが、兄弟が戯れで急に起こした行動に、ジェイドは思わず笑みを浮かべかけてしまった。
今までどれだけ声をかけても一度としてモストロ・ラウンジに来ようとしなかったエミルの姿があって、今日は素直に嬉しかったのだろう。
絞めるとまでは言わない強さで後ろから羽交い絞めにするように抱き締めた、フロイドにとってのただのスキンシップは、エミルの秘密を簡単に暴いたのだ。
客人としてドリンク等を堪能しているその油断している隙をつかれるのは、やはり彼女のテリトリーではない場所だからだろう。

表情が凍り付いて目を開くエミルに、フロイドは「えっ、なんか怒ってね?」と気まずそうに顔を顰める。


「エミルさんが来て嬉しいとはいえ、フロイドが失礼致しました。ただ、僕と同じでその体温は心地よい位だと思いますが」
「……フロイド君にも悪気はないですもんね。それに、ジェイド君、フロイド君にも言ってなかったんですね」
「?えぇ、そんな大事なことを誰かに言う訳もありませんから」
「……そっか」


リリアとマレウスも当然のように語っていない時点で別にそこには打算もなかったのだが、一瞬エミルの口調が少し砕けたのを聞いて、ジェイドは瞳を丸くする。きっと今のは、彼女が滅多に見せることのない本来の顔だった。
――ぞくり。そう例えるのが最も適切な擬音語なのかもしれない。


「どーいうことだよ。オレに説明なし?ジェイド説明してよ」
「細かな説明はジェイド君がしてくださると思いますが、……でも、今のはくれぐれも厳重に秘密にしてください、フロイド君」
「ふーん?じゃあその分楽しませてもらおー」
「その分とはどういうことでしょうか……」


好き勝手に「きもちいー」とエミルの頬をペタペタと触ってくるフロイドの自由さに諦めたように肩を竦めて、エミルは「フロイド君のこれを他の人が見て真似されると流石に困り果ててしまうのですが……」と疲れ切った顔でジェイドに零す。
エミルが絡まれている時でも、それ以外の時でも何度も姿を見せれば、オクタヴィネルの話を知っている生徒ならば警戒心を流石に強める気はするが。


「暫くはその方針で行きましょう」
「え?」
「いえ、こちらの話です」


ぞくりと震える心臓は、まるで氷の破片を飲み込んだようだ。
そっとお代わり用の紅茶をそっと注ぐ。この間程ではなくとも、やはりほんのりと冷たくなっている持ち手をなぞって笑った。