氷菓童話
- ナノ -

花冷えのティータイム

――ふむ、成程。
貴方の事情は承知致しました。
初めは正直商売も既に成功している商人の貴方が"わざわざこの学園で"商売をする必要があるのか?と疑いましたが、そういうことでしたか。
各地域からこれほどまでの生徒が集まる学園はうち位……あ、いえ、ロイヤルソードアカデミーもありますけど……。
彼らに先手を打たれて、こちらの学園は思慮の欠片もなかったなんて思われるのも癪ですからね。
あくまでも合法的な物に限定して、商売を許可致しましょう。

それ程までに強力な魔法なら喉から手が出る程羨む生徒も数多くいる気はしますが……貴方の希望が"どんな形であれ"、叶うといいですね。



――少しだけ眠気が残る今日。小さな欠伸をして彼女の吐く息は白い。
まだ冬というには遠い、秋風が吹く季節には違和感が残る光景だった。

今日は少々調子が悪いかもしれないと眉を顰めながら、エミルは何時もの服にもう一枚ジャケットを羽織って、厚着をする。
しっかりと常に欠かさない白い手袋も忘れずにはめて。
自分の店の倉庫となっているエリアに置いてある、珍しい商品とは別の氷の商品をぼんやりと見詰めながら、エミルは先日、太い顧客の一人であるジェイドとの会話を思い出す。

確かに彼の疑問は当然というものだろう。
実際、溶けることのない氷だとかそれに連なる商品は実用品・観賞用も含めてエミルにとって半分くらいの収入を締めている。
それもあって現在物々交換に専念している状況とは言えども、この年齢にして何不自由ない生活を送れているのは事実なのだ。
そんな貴重品を物々交換で学生に融通しているということに、聡い生徒ならば少しくらいの疑問を覚えてもおかしくはないかもしれない。

「勿体ない、か……」

――私の願いが叶ったその日には、もしかしたらこの花も消えてしまうかもしれないけれど。
満開の状態だと凍傷させる危険もある冷たい花の茎を持ち、呟いた彼が何を思って「勿体ない」と零したのかは分からない。
人に伸ばされた手を何時も敢えて取らないことを自覚してはいるが、人に触れられない。触れたくなかった。
一瞬、人魚である彼等にとってはさして気にならないのではないかという考えが過りはしたが――それはただの例外だ。万人がそうではないのだから。

昼食時間のナイトレイブンカレッジは、購買部も来客する生徒の数が増える。
サムもエミルも、昼食の時間をずらして営業していた。サムも居る時間帯は、店番というよりも店の手伝いだ。仮にもスペースを借りているのだから、お会計を行うのだとか要望があればラッピングの手伝い等は当然だろう。
カランと音を立てて開いた扉の先から入って来たのは赤い髪と黒い髪という対照的なカラーリングの二人の生徒だ。目元にはそれぞれ赤いハートのフェイスペイント、スペードのフェイスペイントを付けている。
腕についているリボンは赤色で、ハーツラビュルの生徒だとすぐに解った。
サムが迎え入れている様子を眺めながら、エミルは二人の生徒を眺める。

彼らの名前は間違いなく、一年生のデュース・スペード、エース・トラッポラだろう。
初日から騒ぎを起こして、危うく退学になりかけたという話を聞いている。彼らはサムに挨拶をした後、カウンターテーブルに座っている初めて見る少女に目を開く。


「いらっしゃいませー」
「あれ、女の子が居る」
「へぇ、この学校ってなかなか見かけないのに、もしかしてバイトの子?」
「そんな感じです。君達は今年入学の一年生ですね。オンボロ寮に入った子と同じく入学初日早々退学処分騒ぎになりかけたという楽しいお話はお聞きしましたよ!」
「げっ、そんな有名になってる訳……?」


エースという名の少年は肩を竦めて、折角事なきを得たのにその話が伝わっているのは心苦しいと溜息を吐く。
オンボロ寮という名前を当てられた、新しい寮の生徒と使い魔らしき黒猫と共によく行動しているという話は耳にしていた。
一年生全員の名前と顔なんて現時点で把握している訳ではないけれど、彼らが起こした騒ぎを考えると印象に残っていたのだ。


「オレ達とそんなに歳変わらない感じ?オレはハーツラビュルのエース・トラッポラ!今後も来ると思うからよろしくお願いしまーす」
「俺はデュース・スペードです。よろしくお願いします」
「エースさんとデュースさんですね。ふふ、覚えました。私はエミルです。サムさんのお手伝いですが今後ともお見知りおきを。……今日は何かお求めで?」
「あ!そうだった!サムさん、ドリンクちょうだいよ」
「オーケーオーケー!購入サンキュー!」


他愛もない会話をしながらサムの所で商品を購入していく二人の会話を聞きながら、ドリンクを準備し、エミルは彼らの人柄を観察する。
良くも悪くも純粋で、少々短絡的な所がありそうな印象を受ける。何か色々事情はあったのかもしれないが、それでも彼らが何故入学早々退学騒ぎを起こしかけたのか、少しだけ理解できた所はあった。

「何というか……凄くアズール君たちのカモになりそうな子達ですね……」

――真っ先に感じた印象がまさにそれだった。
彼らの大規模な商売について別に止める立場には全くないし、そこに関しては関わらないスタンスにしているが、彼らは非常にアズールの及びモストロ・ラウンジの顧客になりそうな気がしたのだ。
可哀想に、と心の中で憐れみつつ、サムの商品棚の整理をしていると、世話しない足音がコツコツと外から聞こえてくる。
全員を把握しきれている訳ではないが、この特徴的な歩き方と足音はきっと彼だろうと思いながら頭を上げると、開かれた扉の先にはアズール・アーシェングロットの姿があった。


「今日は沢山お客さんがいらっしゃいますね、サムさん。こんにちは、アズール君」
「小鬼ちゃん達が今日は本当に多い!嬉しい悲鳴だ!」
「こんにちは、サムさん。それにエミルさんも。……そういえばジェイドがまた貴方にモストロ・ラウンジに来るのを断れたと残念そうにしてましたよ」
「本当にそれ残念そうでしたか……?」


モストロ・ラウンジの支配人であり、オクタヴィネルの寮長であるアズールはエミルにとってもよく来るお客の一人だった。だが、彼との取引はエミルにとっても一際慎重にならざるを得ない。
それ程までに商売上手という言い方が出来るが、言い方を変えれば少々がめつい程に守銭奴だ。
しかし、彼の考え方の一部は理解できる部分から、人柄自体はエミルにとっては嫌いではなかったし、話の一部は合うと言えた。それに何より、彼は類まれなる努力家だ。

しかし、ジェイドが残念そうにしていただなんて――本当にそれは残念そうなのかと疑う所がある。
何せこの学園の生徒は食えない生徒が非常に多いけれど、その中でもジェイド・リーチという青年は群を抜いているという印象を持っていた。
恐らく何かの打算があって自分を招待しようとしているというのは分かっていた。
それでも、付き合いは長くて多い方だし、一応他人行儀な「ジェイドさん」ではなく、「ジェイド君」とは呼んでいる中ではあるのだが、それはアズールも一緒だ。


「僕としても是非ともエミルさんを招いておもてなしをしたい所なのですが……」
「えぇ……それって、何か契約を持ちかけられたりしませんか?」
「はは、まさか!ウェルカムドリンクどころか、色んなメニューも僕たちのサービスで提供できる位にはお世話になっているというのに」
「もう、それはこちらのセリフでもありますよーアズール君。でも……新入生が来たことでモストロ・ラウンジも忙しいでしょう?私にお気遣いしなくても大丈夫ですよ」


それらしい理由を述べてするりとすり抜けるような話術に、アズールはこれはジェイドもなかなかモストロ・ラウンジに連れて来られない訳だと肩を竦める。
至極正論――というより、モストロ・ラウンジの盛況ぶりも既に把握されているのかと肩を竦めた。
一見の客が多くなり、忙しくなるこの時期は、なるべく早く帰そうとする程に手があまり空いていないというのが本音だが。


「しかし、モストロ・ラウンジに貴方も足を運べば、貴方の新しい顧客が増えるとも思ったのですが……」
「……。でも、アズール君を頼って来る生徒の大半の方は、既に大事なものを担保として取られた後だとか、お客として少々信頼に欠ける所がある方が多いような気がするのですが」
「あはは!それでも、そんな質の悪い客にもギブアンドテイクさえしっかりさせれば幅広い顧客からの利益が得られますから!」


そういう考え方は商売人としてやはり理解出来るというものだとエミルは感心した。
顧客を選ばずに、客層を増やせる彼の商売方法は時々難があるにしてもだ。

(確かにモストロ・ラウンジの顧客の多さは魅力的だけど……一応、自分からは営業を積極的にしないことにはしてるし)

アズールは目当ての商品を購入をしていき、「今度は良い話を持ってきますよ、エミルさん」と声をかけてサムの店を後にする。
今日は自分の店の利用ではなかったのかと思いつつ、エミルは浅い目息を吐いた。アズールの口ぶりからして、やはり自分をモストロ・ラウンジの顧客の一人に加えることには先に繋がるメリットがあるのだろう。
だが、彼らに主導や手綱を握られるのは非常に宜しくない。

もう一つ息を吐いたその時、その息が白く染まっていることに気付いてエミルは目を開く。
――今日はどうも不安定な日のようだ。能力があっても、このコントロールの出来なさは如何したものかと自分のことながら肩を竦めてしまう。

瓶を開けて、温かい飲み物を喉に流し込みながら店の掃除をしていた時、エミルの個人のスマホに連絡が入る。
メッセージを確認すると、それは珍しくもジェイドからの連絡だった。メッセージを取れるようにしている生徒は、実はあまり多くはない。
大前提がエミルの顧客であるからだ。
何せ、ただのサムの店の手伝いだと思ってナンパしてくる生徒の誘いは上手くかわして連絡先を交換しないようにしている。

『今からお時間ありますでしょうか?購買部となりの食堂にお越し頂けたら是非とも振舞いたいものがあるのですが……』

非常に珍しい、相談事ではなさそうな内容に、エミルは目を瞬かせる。
サムに断りを入れて、三十分ほど離籍する旨を伝え、ジェイドに手早く『今から行きますので少々お待ちくださいね』と返信する。
購買部の横にある建物に寄ると、そこに居た生徒達に「エミルちゃんじゃん」「昼に購買部居ないの珍しいー」と声を掛けられるものだから、手を振ってにこやかに挨拶をする。

隅の席に居るジェイドは良く目立った。何せこの学園の生徒はサバナクローの面々も含めて体格のいい生徒も数多いが、その中でもリーチ兄弟は背が高く、少々圧を感じる程だ。
彼が居た席には、ティーポットとティーカップが用意されていて、きょとんと瞬いた。


「こんにちは、エミルさん。急なお呼びたて申し訳ありません」
「いえいえ!……これってもしかして、紅茶ですか」
「はい。実は趣味の一つでして」
「そういえば、ジェイド君は紅茶が好きなんでしたよね。いいんですか?」
「えぇ、何時ものお礼です。カリムさんに新しい紅茶の葉を頂きまして。モストロ・ラウンジだと少し緊張させるかと」


席に着かせたジェイドは、今日くらいはと、焔の魔法を使用して、お湯を沸騰させる。
ジェイドが淹れる紅茶なんて、それこそモストロ・ラウンジのメニューの一つになっていそうだとまじまじ見詰める。
給仕を任されているジェイドの作る食事やドリンクは格別だいう話は有名だ。メニューも彼に考案を任されているとはアズールやフロイドに聞いていた。
それも、スカラビア寮の寮長のカリムから貰った茶葉なんて相当高級なのだろうと、好奇心が疼く。

「どうぞ、お飲みください」

振舞われた紅茶の透き通った色合いと、ふわりと鼻を掠める香りに、エミルは目を輝かせる。
流石、この学園でもカフェを経営しているだけあって、非常に美味しそうだ。


「ほ、本当に良いんですね……!」
「えぇ、勿論ですとも」


興味津々な様子で目を輝かせ居ているこういう所は本当に年相応の少女に見えた。
エミルがカップに口を付けてごくりと喉を鳴らした時、美味しいという高揚した感情と同時に――すっと自分の周りの空気が凍て付いたのを感じ取る。
まずい――そう思いながらも、折角目の前で淹れてくれたものを放棄なんて出来ず、風情が無いと思いながらも一気にティーカップ半分まで淹れてもらった紅茶を飲み干した。


「っ、ジェイド君、ありがとうございました」
「おや、もう飲んでしまわれたのですか?」
「あはは、風情なく急いで飲んでごめんなさい。普段こんなに高い茶葉で飲むことは無いので……とても美味しかったです。ジェイド君はお礼に振舞うと言っていましたが、今度お礼をしますね」


頭を下げて「午後の授業も頑張ってください」と告げて早足で去ってしまったエミルを見送ったジェイドは、彼女の姿が見えなくなったと同時に深く息を吐いた。

その息は白くなっており、体感温度が一瞬下がったことに気付いていた。
そして、彼女が握っていたティーカップを手に取って眺めたジェイドは笑みを浮かべた。その、尖った歯を見せて。


「……成程、そういうことでしたか」


彼女が握っていた部分の持ち手は凍り付き、カップが冷蔵庫に入れて暫く経った後のように冷たくなっていたのだ。
沸騰したてのお湯を注いで作った紅茶だったのにもかかわらずだ。
温かい紅茶を飲んでいる時に、わざとその飲み物を冷たくしようと考える人間はいないだろう。恐らく無意識に、意図せずに凍らせてしまったのだ。

頑なに個人的なことではアズールと契約を結んで頼ろうとしないエミルの秘密の片鱗を掴んだような気がしたのだ。
勿論、彼女に魔法をかけられるかは別として、隠している嘘だとか本音を無理やり言わせることは、ジェイドのユニーク魔法、"かじりとる歯"的には可能だった。
しかし、それで無理やり言わせるのでは、ジェイドにとってはそれこそ風情のない行為で、全く持って意味が無かったのだ。

「フロイドの策を僕の方法で実行してみる算段が付きましたね」

単純な心理戦だけでは一年間平行線だったが、少しだけ変化を加えるタイミングが来たのかもしれない。