氷菓童話
- ナノ -

サンセット・クレバス

日光が差し込み、植物園の中に生み出された庭園を照らす。
この場所を頻繁に利用するのは、サイエンス部に所属しているポムフィオーレ寮のルークや、ハーツラビュル寮のトレイ。
それからこの場所を絶好のサボり場所にしているサバナクロー寮の寮長であるレオナだろう。

そして、それ以外にも私用でこの場所を利用している者が居た。自分の趣味の為に栽培をしているジェイドだ。
彼はエリアの一角に作った高山を再現した氷雪地帯を眺めながら、笑みを浮かべる。
照らされる日光を反射しながらオーロラの輝きを放つ新しい氷の花を眺めていたジェイドは、彼にとっては心地の良い気温に笑みを浮かべる。
この花の周辺5mは氷点下の気温になっており、とあるキノコの栽培には必須の条件だった。
制服でこの空間に入るのは、寒さに凍えてしまうだろうが、北の深海育ちのジェイドにしたら慣れている気温だった。

「これだけの効果の物を仕入れるのではなく、作り出せる魔法……ユニーク魔法なのでしょうか」

彼女のユニーク魔法は知らなかった。何せ、その辺りの個人情報も彼女はひた隠しするからだ。
氷の魔法を得意としている以上、恐らくそれに関わる魔法を所有しているのだろうが。

今日の動植物の世話を終えたジェイドは、枯れる寸前の氷結の花を手に持ち花弁に触れると、はらりと氷の薄い花弁が砕けてほろほろと地面に舞い落ちる。
見た目こそ花の形をしているけれど、それは見た目以上に冷たい。氷の塊を持っている気分だ。
普通の生徒に持たせたら数秒で手放しかねない代物だからか、彼女は必ず専用のガラスケースに入れて譲渡してくれる。
全て砕いてしまえば手に残らずに処理を出来るが――ジェイドは一瞬考えた末に、半分ほどの花弁になったそれを胸ポケットに挿した。
布越しだというのに、その小さな花から伝わって来る冷たさは、見た目に寄らない。

ジェイドが自分が借りているエリアを出て、出入り口へと向かっていると、見覚えのある副寮長二人の姿が目に入って足を止めた。
白衣を着て水やりを行っている所を見ると、サイエンス部の集まりなのだろうと察したジェイドに気付いたトレイは振り返り、挨拶を交わした。


「ジェイド。来ていたのか。今日も栽培か?」
「こんにちは、トレイさん。えぇ、手のかかるものを育てている関係で、一日として欠かしてはいけませんからね」
「相変わらず熱心だな」


物腰が柔らかく、周囲への配慮を欠かさない副寮長という同じ立場の両者だが、トレイを評価しているジェイドとは対照的に、トレイはジェイドに対する見解をつい先日の入学式で改めていた。
実際にその現場を目撃した上でリドルの話を聞くまでは、『彼はフロイドとアズールに無茶振りをされて苦労している唯一の常識人』だとトレイは勘違いしていたのだ。
だが、その実、謙遜して遠慮して振り回されているように見えて、彼は悪戯心と呼ぶには物足りない本心の為に自ら進んで行動し、状況を最大限楽しんでいる。
リドルが近付きたく無いと零すのにはそれなりの理由があるのだ。普段そのように見えない分、一番底が知れないのかもしれないとトレイは評価を改めていた。

学年も異なるし、副寮長同士のやり取りを始めてからまだ日が浅い中で、そんな印象を持って警戒し過ぎるのは宜しくないとは分かっているのだが。
――如何せん、オクタヴィネルの三人はそれ程までに、確かに少々厄介なのだ。


「しかし、ジェイドが来た途端少し寒いんだが、何か魔法でも使ったのか?」
「え?あぁ、これは失礼致しました。恐らくこれが原因でしょう」
「氷の花……?」


ジェイドが指をさした枯れかけの氷の花に、トレイは目を瞬かせる。
錬金術の授業でも見たことのない素材だったし、このテラリウムで栽培されているものでもなかった。
二人の会話に気が付いたルークは、手を止めて立ち上がり、ジェイドに軽く挨拶をしてから彼の胸に挿されている氷の花をまじまじと見つめて指を鳴らす。


「成程。それはグラソン・マルシャン――かの氷の商人から手に入れたものかな?」
「ふふ、その辺りの取引内容は企業秘密です。ですが、ルークさんもご存じのようですね」
「彼女の店は一品が多いが、その中でも氷に関する物は本当に他所では手に入れられないようなものが多い。ヴィルの化粧品にも利用させてもらったことがあるよ」
「そういった利用方法もあるのか……」
「ふふ、あの店を知っている辺り、君もただ真面目な生徒と言えないというものさ」
「だが、俺は普通の物しかエミルに頼まないぞ?というより、何処まで特殊なものが出てくるか俺も知らないんだ」


苦笑いをしながら、そこまで利用頻度が高い訳ではないと語るトレイに、ルークは肩を竦めて彼の"普通"の生徒という定義は一体何なのだろうかと笑った。
大半の生徒がエミルという少女はサムの購買部を手伝っている少女だと思っていることだろう。三年生でもそのように勘違いしている生徒は多い。
一見の客の場合、彼女は試すのだ。自分がものを融通するに値する人間なのかどうかを見極める。
そうして認められたうえで、彼女の顧客となる。既に顧客となっている生徒に同伴する形で紹介すると、比較的ハードルは低くなるのだが。


「あまり僕がこの場所に留まると、このあたりの動植物に悪影響を齎しそうですね。お先に失礼致します」


二人の先輩に丁寧に礼をして、ジェイドは植物園を後にする。
放課後の時間帯から作業を始めると、もう陽も傾いて夕暮れが自分の影を伸ばす。
陽射しに照らされてもすぐに溶けるどころか冷たさを保ち続けているのは流石の一品と言えるだろう。確かに化粧品等、応用すれば様々な素材に使える代物だ。

(そういえば、今日は購買部に立ち寄っていませんね)

フロイドは「ハマシギちゃんとちょっと遊びたい気分」と言って購買部へと向かって行ったのを知っていたから、あまり店に多くの人間が立ち寄るものでも無いと足を運ばなかった。
知る人ぞ知るショップの店主であるエミル・リズベット。彼女のことをルークが氷の商人と呼んでいるのはその商品性や氷の魔法を得意とするという意味だけではないだろう。
この歳で一人商売をしているからか、朗らかに見えて、彼女は線引きを誤らない。
アズールも一年生の頃、最初の方はかなりこちら側に有利な条件で言葉巧みに契約しようとしたが、意外と確信を捉えて言及し、手玉に取られないのだ。
だからこそ今では彼女とモストロ・ラウンジは程よい協力関係に落ち着いている。


――クレバスに気付いた上で、その周辺を叩く人はいないでしょう?


そこに潜在している愉しさに思わず歯を見せていたことに気付いたジェイドは感情を露にしてしまったと平常心を取り戻す。
その時カツカツと後方から聞こえてくるヒールの駆け足の音に、ジェイドが前方を見ると、予想通りの女性がショルダーバッグを斜めがけして駆けていた。
方向的には、各寮に飛べる鏡のある鏡舎から来たのだろう。


「こんにちは、エミルさん。おや、フロイドは居ないのですか」
「え?フロイド君?私がサムさんの代わりにサバナクローに配達しに行ってたからすれ違ったのかな」
「そうだったんですか。フロイドならきっと別のことに興味が移っているとは思いますが。貴方が、購買部に居ないのも新鮮で……」
「――、ジェイド君!?」


会話を続けていたジェイドだったが、エミルの表情があるものを見た瞬間に、文字通り凍り付いた。
そして凄まじい剣幕で詰め寄ってくる彼女に一体どうしたのかとジェイドは目を丸くする。


「!?枯れかけとはいえ、その花を心臓に近い場所に挿すなんて、正気ですか!?」
「?あぁ、これのことですか」
「枯れかけなので周囲の気温を氷点下にまではしませんが……!」
「僕は北の深海育ちなので、これ位の冷たさは寧ろ故郷を思い出すというか、心地いい位なんですよ」
「――っ」


彼女の瞳が大きく開かれた。ポーカーフェイスに見えないポーカーフェイスが得意な彼女の、初めて見る動揺した様子だった。
確かに、普通の人間が心臓に近い場所にこんなものを挿していたら健康に何らかの支障をきたしそうだ。
指で茎を持って「ほら」と微笑むジェイドに、瞬き、エミルは深い息を吐く。


「……それだったら、良かったです。ジェイド君たちが人魚という話は知っていますが、まさかそれに触れても大丈夫なんて。下手したら凍傷しますよ?」
「お気遣いありがとうございます。何だか勿体ない気がしましてね」
「……勿体ないですか。そんな、氷が」


『そんな氷』という表現が、ジェイドの中で引っ掛かる。
これは、掘り下げるべきポイントだろうが、下手にワードのチョイスを間違えると、彼女は笑顔を浮かべながらも警戒心を高めるのは分かっていた。


「貴方の取り扱っている物は一品ですが、氷の商品に関しては見たことが無い物も多いとトレイさんやルークさんと話していたくらいですから」
「そうですね……外に出せば確かに高値で取引されますよ」
「そんな貴重なものを金銭ではなく、珍しい物だとか調合の情報だとかで頂いてもよろしいのですか?」
「……えぇ!何せ学生ですから。物々交換で大丈夫ですよ。飛行術の助けになる物もうちには置いてありますからね、ジェイド君」
「……それは是非アズールにこそ渡して頂けると」


痛い所を突かれて、ジェイドは肩を竦める。彼女は学校に通っている訳でもないし、授業の様子を見ている訳でもないのに一体どうやってそんな情報を仕入れているんだか。
決して飛行術が上手いとは言い難いジェイドの弱点を悪戯についてきて、話を逸らされたのだ。
「それでは」と頭を下げて駆けて行ってしまったエミルの後姿を見送りながら、ジェイドは目を伏せてそっと息を吐く。


「……ふう。困りましたね」


――その表情は誰が見ても、全く困っているようには見えないものだったが。
彼女は恐らく単なる商売をしたいのではなく、何らかしらを求めてこの学園に訪れているのは間違いない。
しかし、やはり今日も肝心の尻尾は掴めずに、すり抜けられる。

だがそれも愉しいものだとくつくつ喉を鳴らして笑いながら、氷の花を指でなぞる。
枯れかけているのもあってか、それは体温が移って先程よりも少しだけ、温かいような気がした。