氷菓童話
- ナノ -

エゴイズムのリピート

ハロー、ミスター。

何をご所望で?情報でも、物でも。
私が揃えられる特殊な物なら、何でも揃えましょう。
対価は何が必要か?金銭?いやいや、それも魅力的ではあるけれど、どちらかというと釣り合う珍しい物――或いは情報がいい。

何せ私は藁にも縋る思いで砂漠の中のひと欠片の砂金を探しに来ているんだから……いやこんなのはどうでもいい話ですね、ごめんなさい。
私のお客さんとなり得る方ならばどなたでも大歓迎です。

それでは、今後とも、御贔屓に。



少女は秋風を感じながら、朝の陽ざしを浴びて一つ欠伸をする。
一年前までは埃っぽかったこの屋根裏は、今ではこの少女の手によって少しは快適な空間となっている。とはいえ、半分は商品用の物で溢れかえっており、居住スペースと倉庫を兼ねている。
さながら屋根裏に勝手に住み着いた野良猫のようだが、しっかりと許可と正式な手順を踏んだ上で住まわせてもらっていた。

「新しい生徒さんもこの間増えたことだし……新しいお客さんが増えるといいけど」

魔法に携わる者ならば憧れを抱く伝統校、ナイトレイブンカレッジ。
そこの購買部、ミステリーショップに居候している少女、それがエミルだった。

彼女がこの場所での商売を行う手続きを取ったのは、非常に合理的な理由だ。
サムの交易範囲が自分とあまり被っていなかった為。各地域から集まる生徒達から多種多様なものを入手出来る為。学園長、クロウリーとの話がスムーズに進んだ為。
そんな幾つかの条件が重なった場所がここだったから、彼女はとある目的の為に商売をこの場所で行うことを決めたのだ。

手早く着替えて、身だしなみを整えたエミルは配慮で付けてもらった部屋の鍵をかけ、階段を降りて一階の購買部へと姿を見せた。
既に店の開店準備をしているのは、このミステリーショップの店主であるドクロのペイントが褐色の肌に映える特徴的な男性、サムだった。


「サムさんおはようございます」
「やあ、エミル!今日も店番宜しく頼むよ」
「私としては店番だけで終わる一日は少し悲しくはありますけど……」
「じゃあ配達をオレの代わりに行くのはどうだい?」
「そうですね……それも偶にはいいかもしれません」


客のことを小鬼ちゃんだとか、色んな呼び方をするサムが何故エミルのことを普通に名前で呼ぶのか。
それを本人に問いかけたことがあるが彼は「年下であろうと同業者である君とオレは対等で、この店の居候もギブアンドテイクで成り立っている対等な関係性だからだ」と理由を語ってくれた。
その意味でも、彼を同業者として、一商人として信頼に足る人だとエミルは判断していた。
卵や薬品など、本当に様々な物を置いているこの店は少し狭く感じられるが、いい店だと断言出来た。実際、この店を活用している生徒は非常に多い。

勿論、昼休みや放課後、或いは消灯時間の前の夜にこそ出入りは多く、日中は各方面への連絡や流通の手配に時間を当ててることが多い。
朝はというと――ぎりぎりの時間に登校する生徒も多いから、余裕をもって朝起きて、行動出来る生徒だけに限られてくる。

そう、彼のように。


カラン、と音を立てて扉が開き、サムが客人を出迎える。
店に入って来た生徒の身長の高さに、レジカウンターに設置していた椅子に座っていたエミルは首を動かして見上げる。
紳士に挨拶をする彼は物腰が柔らかく、微笑みを絶やさない。それは一年生の時から変わらない。

オクタヴィネル寮の二年生、ジェイド・リーチ。
190センチの身長は何時も見上げなければいけない。
オクタヴィネルの副寮長である彼の卒なさや隙のなさ。それからサムとの交渉の駆け引きの上手さには舌を巻く。
寮長であるアズール・アーシェングロットと気分屋である彼の双子のフロイド・リーチと合わさると、大抵の交渉を優位に進められてしまう所があるから、商人としてはかなりいい取引相手な半面、気を付けなければいけない客であった。


「こんな朝早くから購買部に。おはようございます、ジェイド君」
「おはようございます、エミルさん」
「モストロラウンジでの材料が届かなかったとか、そんなトラブルでしょうか?」
「いえ……ミスター・リズベット。"こちら"の話です」


彼がその言葉を伝えた途端、空気は一瞬で変わる。
サムは「ごゆっくり」と笑って奥に引っ込み、エミルはレジの椅子から立ち上がって「ようこそ」と丁寧に会釈をする。その挨拶に、ジェイドは慣れた様子で「失礼致しました。戻ります」と答える。
それで合言葉は成立だ。エミルは笑顔で「月ごとに変えている挨拶の返しも完璧です。流石ですね!」と小さく拍手をする。
可憐な少女の見た目には相応しくない"ミスター"という形容詞と、普段彼女が名乗らない苗字は、彼女の店の戸を叩く言葉だ。
スミス――職人であるとある生徒の店を利用する時の合言葉よりも簡単にしているが、あまり客層を絞り過ぎてしまうのは宜しくない。


「ミスター・ジェイド。本日は何をお求めで?」
「……何時も思うのですが、もう大分付き合いが長くなるというのになぜ何時も一度余所余所しくなるのでしょうか?」
「うっ、店としては形式的な物があるじゃないですか……少しは格好つけさせてください、ジェイド君」
「ふふ、それは失礼いたしました。僕達がモストロ・ラウンジで給仕をする時と一緒ですね」


恥ずかしい所を突かれて、エミルは気恥ずかしそうに苦笑いをする。
商売人である以上、相手に"ちょろい"と思われたら終わりだ。少しは威厳を保ちたい所なのだが、自分の店の常連である彼にそれを求めるのはもう遅いのかもしれない。


「何時もお世話になっているお礼に、今度こそモストロ・ラウンジにどうでしょうか?」
「毎回言っておりますが、結構ですよ」
「ふう……何だか警戒されていませんか?アズールもエミルさんを招待するなら最大限サービスをしなさいと言っている程なのですが」
「私からするとオクタヴィネルの寮長と副寮長との取引だとかサービスは少々危ない橋を渡る所があるのですが……」
「おや、そんな風に言われるなんて。流石にそこに他意はありませんよ」


ジェイドの笑顔に、エミルは肩を竦める。
彼の表情や態度は読み解けない所がある。完璧なポーカーフェイスだ。
寮長であるアズールの無茶振りに対しても動揺せずに補佐を務めている苦労人の副寮長――に見えるが、その実、彼が一番楽しんでいるような気がしてならないのだ。
マジカメの裏アカウントの特定なんて、まったくモストロ・ラウンジの顧客リストは恐ろしいものだと思いながら一部の情報提供を商売として行っている時点でエミルもまた人のことを言えないのだが。

本意は笑顔の裏側に隠したが、ジェイドの言葉に嘘自体は無かった。
商売の契約に関する取引を持ち掛ける材料にする気はない。そこに関しては間違いない。
ただ、自分の興味を満たす為である――それは、言う訳にはいかないだろう。


「それで、本当に今日は何でしょう?」
「あぁ、エミルさんが作って下さる氷結の花がそろそろ枯れそうでして……」
「あっ、そういえばそんな頃でしたね。すみません、半年ほどしか持たなくて……」
「いえいえ、あれだけの気温低下を持続し続けられる魔法は他にありませんから。テラリウムでの氷点下の環境維持を出来るという時点で、素晴らしいですよ」
「物は使いようですね。あれを植物育成の為に使用するとは思いませんでした。ありがとうございます」


ジェイドが注文した氷結の花。それはエミルが開発した"ある一定の範囲で周囲の気温を氷点下にまで下げて維持をする"という花だ。
山菜――特にキノコを育てる趣味があるジェイドにとって、欠かすことの出来ない材料だった。消耗品故に、半年に一度は取り換えなければいけない所があるのだが、これだけ長期間持続できる時点で感心するに値することだった。
手をすっと差し伸ばして握手をしようとしたジェイドに、エミルはおどけるように手を広げて「私は大したお手伝いは出来ておりませんよ」と困ったように微笑む。
そして、屋根裏に置いてある在庫を取りに席を外したエミルの背を見送ったジェイドは、手を口元に当てて思案する。


「やはり、彼女は絶対に手を触れようとはしませんよね」


エミル・リズベットの秘密。
これは一年経った今でも、オクタヴィネルの情報網をもってしても未だに学園生は誰も知らない。
何故自分と歳の変わらない少女が一人で名門の男子校でブローカー或いは商売人として商いを行っているのか。理事長に許可を取っているようだが、そもそもそこが謎だ。
気さくで窓口の広いタイプの性格に見える反面、彼女には非常に隙が無い。それだけでもジェイドにとっては感心に値することではあるが、少しずつ彼女のパーソナリティが分かって来ているのは楽しくあった。

彼女について分かっていることは数少ない。フルネームに年齢。それから氷の魔法を得意とするようで、相当魔法を使い慣れているということ。
美味しい料理が好き。温かな紅茶を飲むのが好きなのか、常に温め続けられるポットを持ち歩いている。マジフトを見るのが好きで、学校内の大会は必ず観戦しに来ている。
アズールとの交渉は少し苦手だが、人柄自体は嫌いではない。フロイドの気分に振り回されるのは楽しい時もあれば疲れる時もある。彼女の顧客は実に幅広いが、どうやら寮長の中でもリドル・ローズハートだけは利用していないだとか。
――案外、知っていることはあるのかもしれない。と、冷静に判断する。

握り返してこなかった手をぼんやりと見詰めながら、やはり何かありそうだと考えずにいられない。

エミルは専用のガラスケースに入った氷の花を持って一階の売り場へと戻って来る。
水槽に飾られる鑑賞用の魚の様に、その花はケースに綺麗に飾られていた。ただ、あのケースが無ければ冷気が途端に零れだしてしまう制御用の織なのだ。


「お待たせしました、ジェイド君」
「ありがとうございます。何時見ても思いますが、これは綺麗ですね」
「……」
「エミルさん?」
「い、いえ……褒めてもらえてうれしいです」


一瞬見せた動揺に、ジェイドは金とオリーヴの瞳を細める。
照れただけとは少し異なるような反応だった。びくりと一瞬のたじろぎに、彼女の何か琴線に触れかけたような気がしてならなかったのだ。
これを褒めているということは、彼女の魔法を褒めているようなものなのに――それが、何か都合が悪かったのか。
お代となる珍しい素材を渡し、交渉は成立だ。
「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げて帰ろうとするジェイドを呼び止めたのは、エミルの悪戯にたしなめる声だ。


「新しい子達を虐めるのも、程々に」
「ふふ、そんなことはしておりませんよ。ただ、借りたものは返す――そんな当然のことでしょう?」
「……その考えには商人として同感ですよ」


振り返ったジェイドは普段あまり見せようとしない鋭利な歯を見せて眉を寄せて笑う。
損して得を取る人情で成り立つ商いがあるのもエミルは知っている。だが、根本的な考えはどちらかといえばジェイド達オクタヴィネルに共感できるのが氷の商人と呼ばれる少女の生き方だった。
「また来ますね」と声をかけて店を出て行ったジェイドを見送ったタイミングで、サムも購買部の表へと戻って来る。


一度テラリウムに足を運び、購入した氷結の花を置いたジェイドは授業に出る為に学校へのメインストリートを歩いていた。
そのジェイドの後姿を見付けて「あー、ジェイドじゃんー」と声をかけて駆け寄ったのは、似た顔とはいえ、垂れ目でにこやかな笑顔を見せている制服を着崩している双子の兄弟だ。
厳密には双子ではないのだが――ジェイドにとって、兄弟のフロイドは面白い存在だった。気分屋で、一定の機嫌を保てない所はあるが、それ故に予想外のことを成し遂げてくれる奇才。
自分が全く持っていない素養を持っているフロイドを選んでよかったと思って止まないのだ。


「ジェイド、今日朝早かったじゃん。なになに、朝から予習〜?」
「違いますよ、フロイド。彼女の所です」
「あー、ハマシギちゃんのトコ?なーんだ、言ってくれたらオレも行ったのにー」
「ふふ、その呼び方エミルさん、嫌がりますよ」
「えーでも冷たいとこから突然飛んで来た感じでー、この学園では滅多にいないし」


だから嫌がるんですよ、とジェイドは笑った。商売に対するシビアな考え方を元に、気まぐれにこのナイトレイブンカレッジを訪れた旅鳥であるという的確な例えは、フロイド以外が言えば皮肉に聞こえるだろう。


「そういえばフロイド……貴方ならモストロ・ラウンジに来たがらない彼女をどうやって連れ込む……もとい、誘います?」
「そんなん連行すればいいじゃん。ハマシギちゃんちっちゃいし持ち運び余裕でしょ」
「それが簡単にできたら苦労はしないのですが」


しかし、それも確かに一つの手段ではあるのかもしれない。
会話での駆け引きは嫌いではないが、彼女は相槌を打ちながらも上手く交わしてしまうのだから。
さて、糸口はどうしようか。其れを考えるのが、堪らなく楽しかったのだ。