氷菓童話
- ナノ -

飛べない渡り鳥

「アズール氏、ここ数日ずっと書類の束見てません?もしかしてダイスの確立まとめですか?」
「違いますよ、イデアさん。モストロ・ラウンジとは関係ない調査の書類、と言っておきましょうか」
「それ本当?アズール氏そうやって何時も大概自分の商売に繋げてる気がするんだが」
「はぁ……今回の件がそうであれば寧ろ僕にとってどれだけよかったことか」


アズールはボードゲーム部の部室で、調査結果を眺めて浅くため息を吐いているのを、ボードゲームのルーレットを回しながらイデアは眺めていた。
モストロ・ラウンジやアズールの商売ではないことで彼が気を揉んでいるのは、イデアからしても珍しく映った。

それもそうだろう。アズールが欲しかったのは「エミルの店の在庫整理」だとか「サムの商売の手伝い」だったという情報だ。
しかし、間違いなく彼女は数日前に学園長とやり取りしている姿を目撃されたそうだ。
そして大量の段ボール箱を運んでいたというのも事実らしい。
在庫整理にしては段ボールの量が多く、サムの店の様にたたき売りセールなんてこともしないことを考えると、段ボールに詰める大量の荷物をどうするかと考えるのが自然だろう。

そもそもエミル・リズベットという少女が来た時も突然だったことを考えると、彼女が居なくなる時も突然なのだろうと想像は簡単だ。
ジェイドという恋人が居るのに、引っ越してしまうのかどうかを考えた時――いまいち二人の仲を実感しきれていないアズールはこう思う。

"ジェイドに愛想を尽かすのも時間の問題では?寧ろ未だに何故付き合っているのか分からない"と。

エミルの特異体質を、確かにジェイドは把握している。
その上で彼女が辺鄙な場所にある賢者の島に訪れている根本的な理由である『氷の体温を正常に戻す』という願いに協力しているらしい。
アズールから見て、あのジェイドのことだからそれは嘘だろうと分かったが。

居なくなるかもしれないと思った瞬間に手段を選ばない所がある男が、そもそも協力的な訳もないだろう。
出来る事なら居なくならないように解決方法を見つけさせず。
エミルの身体がそのままでも、冷たい環境で生きて来たジェイドにはあまり支障はない。
彼女に触れても、隣に居ても冷たすぎて一緒に居られないなんてことは無いから、"他者を寄せ付けずに済んで都合がいい"とさえ思っているだろう。


「……イデアさんとエミルさんはミステリーショップで繋がりがありましたよね。何か特別な話とか聞いてませんか?」
「拙者が職人としてあそこに入るのは滅多にないし……まぁ、僕の事情を知ってくれてるから、エミル氏にはよくオルトを通じて商品のデリバリー頼むけど、別に何にも。っていうかなんかありました?」
「エミルさんが引っ越すかもしれない、なんて噂は耳にしていないんですね」
「えぇ!?エミル氏が引っ越す!?なかなかネットでも見つからない超レアなマニアには喉から手が出るコレクターズアイテムも、色んなルート駆使して用意してくれたりするプロなのに滅茶苦茶困るんですけど!」
「イデアさん、エミルさんにそんなことを頼んでたんですか……」


スミスであるイデアも知らない、そして一番近い場所に居るジェイドも知らないとなると、いよいよ止める手段が絞られてくる。
学園長に彼女の行先をストレートに確認してしまおうかと思いはしたが、彼女が自分達が探っているという情報を耳にすると、行動を速めるという危険性があった。
何せ、彼女は情報も商品として扱っているような商人だ。
――しかし、ジェイドが抑揚のない冷ややかな声で「サムさんに聞きました。エミルさんが明日、お休みを貰うと」と伝えて来たのは、その日の夕刻、モストロ・ラウンジでのことだった。



「……フロイド、いいですか」
「なぁに、アズール」


冬の海であっても、珊瑚の海に近い環境であるオクタヴィネル寮の周囲の海は光が差し込んでいる。彼らの故郷である、光も差し込まない北の深海とは異なる風景だ。
待ち合わせしているオクタヴィネル寮の入り口にアズールは早朝、フロイドと向かいながら今日の段取りを確認する。
何時もは気まぐれすぎるフロイドのお守りと監視をジェイドに任せているが、今回ばかりは反対だった。


「ジェイドが監禁とか、そういうことに踏み切る前に止めて下さいよ」
「えー、アズールがやればいいじゃん」
「あの男は基本的に自分がやろうと思ったことを他人の意見を聞いて変える訳ないじゃないですか。ジェイドが焦るというのは貴重なことですが、そこまで首を突っ込みたくは無いですので」
「まぁそうだけどさぁ。思い切りよすぎんだよね」


それでもこうしてジェイドがやらかさないように情報を集めて、こうして朝早くからミステリーショップへ向かおうとしているのは、損得勘定を抜かしても心配しているからではあった。
ジェイドという人魚を間近で見ているからこそ、予期できる事態を想像してしまったからだろう。

「おはようございます、フロイド、アズール」

本人は待ち合わせ時間よりも随分前から二人よりも先にオクタヴィネル寮の入り口に来て、待っていた。
挨拶をするその笑顔の質が何時もと異なることなんて、仮にも長い付き合いになる二人にはよく分かった。
そして、同時に思うのがジェイド・リーチという人間が他者に執着するとこうなるのか、ということだ。

購買部、ミステリーショップの方へと向かう足が逸る。
店の周辺はサム拘りの装飾や商品類で溢れているのだが、今日は段ボールが積み重なっていた。
引っ越しの時に見かける風景なのだが、そこにはトラックは無く、業者の姿もなく。同級生の姿があった。
エミルの店の常連であり、アズールもよくアルバイトという形で手伝って貰っているラギーだ。


「あれ、アズール君達じゃないッスか。エミルさんの引っ越し作業手伝いに来たんスか?」
「!ラギーさんはもしやアルバイト、ですか」
「シシ、そうッス。タダ飯どころか給料もくれるこんないいバイト、なかなか無いですし。あ、ハーツラビュルの一年生も手伝いに来るみたいだけど」
「んで、コバンザメちゃん。ハマシギちゃん今どこにいんの?」
「エミルさんなら多分今ならオンボロ寮かなー……って早!」


オンボロ寮と聞いた瞬間に、ジェイドとフロイドが駆け出して行ってしまったことに、エミルに身の危険が迫っているのだろうかとラギーは苦笑いをする。
「リーチ兄弟を敵に回したんスか?」という質問に、アズールは溜息を吐きながら「その方がシンプルで話が早くつきそうだったんですけどね」と答えるのだった。

――早朝からエミル・リズベットの姿は、オンボロ寮にあった。
荷物が積み込まれた段ボールを二階の隅の部屋の中を確認して冷気対策をしているエミルは鏡を部屋の奥に設置していた。

これで、ミステリーショップの二階からでもこの部屋に入れるようになったことに満足げに微笑む。格安でオンボロ寮を借りられたのは少し計算もあったとはいえ、運が良かった。
荷物を運びこんでいくべく、エミルはミステリーショップに戻るためにオンボロ寮を出たのだが。

早朝に会う訳もないと思っていたエミルにとっては知り合い以上の生徒がオンボロ寮の敷地を区切る門を潜って来たのを見て、固まった。
フロイドは門の柵に寄りかかって、エミルと彼女に近付いてきたジェイドの様子を見守っている様子だった。


「ジェイドに、フロイド君!?」
「見つかると、不味かったですか?」
「あ、いえ、そういう訳ではなく……」


その戸惑う瞳に、揺らぐ。
感情が、流氷を抱く荒波のようで。
彼女が各地を自由に羽ばたく鳥なのだとしたら、渡り鳥では居られないようにしなければ、海中からはこの手は届かない。


「引っ越すんですねエミルさん。……僕には何も言わずに」


はぐらかすような言い方にジェイドはエミルを引き寄せて、確信を突く。
つうっとなぞる手が、エミルの頬を優しく撫でる。
その手つきの優しさと、わざと優しくしようとしている声音に反して、鋭い眼光は逃げ道を断つ捕食者の様に。

逃がすものか、そんな声は飲み込んで。


「倉庫のこと、怒ってます、か」
「え?」
「アズール君達が入手し損ねた場所なので、言うのは憚られたんですが……流石、耳が早いですね…… 倉庫としてオンボロ寮に部屋をお借りしたんです」


エミルの言葉に、ジェイドはぱちぱちと瞬く。彼の後ろに居たフロイドと、彼が待機していた横に合流したアズールも同じように瞬いていた。

倉庫としてオンボロ寮を借りた。
つまり彼女の引っ越し、とは、リズベットの店の倉庫の引っ越しということだった。
状況がいまいち分かっていないのは、一連の騒ぎの大元になっている筈のエミルだ。
それもその筈だろう。
まさかそんな尾ひれの付いた噂になっているとは知らず、ただただ倉庫の引っ越し準備を進めていただけなのだから。


「私の部屋、ミステリーショップの二階で居住スペース兼倉庫なので、場所が狭くって。場所に困ってた所でユウさんと話がついたので借りることになったんです」
「……」
「オンボロ寮にわざわざ向かわなくても私の家から鏡ですぐに移動できるように、鏡の用意と設置をするために時間が掛かりましたけどね」
「……エミルさん」
「はい?」


新しい倉庫を手に入れたばかりのエミルはあくまでも上機嫌で。
ジェイドたちに言わなかったのは、モストロ・ラウンジ二号店にするのにいいと手に入れようとしたオンボロ寮を、上手いこと一室借りられるように話を内密に付けていたからだった。

考え過ぎだったのかと、アズールとフロイドは少し離れた場所から聞いてがっくりと肩の力が抜けた気分だった。
引っ越して居なくなるかもしれないとジェイドが取り乱していたのは何だったのかと。


「今日は僕の部屋に泊まりに来てください。必ず」
「どうしてです!?と、というか、フロイド君はともかく、アズール君の前で……!」
「あぁ、アズールももう僕達の関係は知っていますよ」
「えっ」
「……ジェイドと付き合っているって本当だったんですね……いや、何かの間違いかと思っていたんですが」
「なぁんだ、心配して損した。引っ越しタコパしようよー」


アズールに本当に付き合っていることに対して引かれている気がして弁解するエミルを横で見ながら、気が抜けたフロイドは溜息を吐きながらジェイドに問いかける。
ジェイドのやり方も考え方も、他者よりはフロイドは解っている自信があった。
何せ、生まれた時から共にいる今では唯一の兄弟だ。


「もし本当の引っ越しだったらどうするつもりだったんだよジェイドー」
「……ふふ、水の中に居続けられない人魚の面倒を見られるのは僕だけだったかもしれませんね」


それも愉しいと何時もなら思う反面、今回ばかりは止めて良かったかもしれないとフロイドは空を仰ぎながら「そっかぁ」と笑った。

海を凍らせてしまう人から人魚になった少女が頼れる唯一の存在はジェイドになったかもしれないけれど。
この方がオレにとっては面白いんだよね、と、アズールにつつかれて恥ずかしそうなエミルを抱きしめて堪能している様子のジェイドを見て、歯を見せて笑ったのだ。