氷菓童話
- ナノ -

氷菓童話

おとぎ話のように、雪の女王は容易に冬をもたらす。
ダイヤモンドダストは空気を凍てつかせて。
オーロラは空を覆う神秘と共に冷気を伝播させて。

薄い氷を一枚張った水面の奥に潜ませた本音を齧りとる。
誰も口にはしなかったその氷は舌に転がって、溶けて。
甘味が溶けだす。
まるでそれは、氷菓のようだった。


地域によってはしんしんと雪が降り積もる季節になり、期末試験も終えた生徒達は、もう間もなくやって来る長期の休みに胸を躍らせていた。
全寮制であるこのナイトレイブンカレッジは、土日の外出は許可を取れば自由に街に向かうことが出来るとはいえ、家族にゆっくり会える時間は限られている。

だが、中には実家に帰省しない生徒も勿論いる。オクタヴィネル寮でも、北の深海を故郷にする生徒は、海が流氷で覆われてしまう為に、帰省も大変になるからだった。
そして、学園関係者も、生徒が居なくなるこの時期は地元に帰る者や旅行に行く者も数多くいる中、ミステリーショップを拠点にしている人物もまた、学園に残る予定だった。
サムのミステリーショップは、賞味期限切れになりそうな商品だとかを主に現在セールスしている。
実家への手土産に買って行こうとする生徒や、ラギーのように、地元に配るためにまとめて貰って行く生徒もいるような中で、エミルは購買部のアルバイトらしく接客をしていた。


「エミル、ホリデーは帰らないんだよな」
「えぇ、寂しくも人があまり居ない学園に残ります。この時期によそに顔を出しても、お休みを取っている方も多くて販売ルートの開拓が出来ませんから」
「ホリデーでさえもそう考えてるのは流石ね」
「ヴィルは何しに来たんだ?」


購買部でカウンター席に座るエミルと会話していたのはハーツラビュルの副寮長のトレイ・クローバーとポムフィオーレの寮長のヴィル・シェーンハイトだ。
彼ら二人は店を知っている生徒であり、偶然鉢合わせただけだった。

「ホリデーの間のスキンケアグッズをまとめて貰いに来たのよ。エミルに仕入れてもらってるものもあるし」

エミルは事前に準備していた氷の結晶のようなボトルを用意してカウンターに置き、交換用の品であるポムフィオーレ寮で栽培している貴重な毒草を渡すヴィルを見て、トレイは苦笑いを浮かべた。
普段は良識のあるアルバイトとして働いている姿をよく見るからこそ「貴重な素材ありがとうございます」と笑顔で毒草を受け取るエミルがミスター・リズベットと名乗る商人であることを再度思い出す。


「皆さん帰られるんですもんね。魔法の鏡も使えないから密やかに楽しみにしていた街のスイーツも買いに行けないことは痛いですが」
「あー……早めに食べることに越したことはないが、ケーキとか焼き菓子を用意しようか?」
「……!流石トレイさん、持つべきものはいいお客様です!」
「……エミル、アンタ太らされるわよ。トレイは甘やかしてダメにするタイプの男なこと忘れないように」
「おいおい、そんなことはないんだけどな」
「トレイさんのケーキは美味しいですよ。ヴィルさんも良く知っているではないですか」


トレイに作ってもらえるケーキを楽しめるなんて、贅沢過ぎるホリデーになりそうだとエミルは上機嫌で店を出て行く二人を見送る。
賑やかな学園が落ち着くのは少し寂しくはあるけれど、学園に残る人間も居る。

サムの店の在庫整理を手伝っているエミルはハタキをかけながら棚の拭き掃除をしていた。
そんなミステリーショップに次に訪れたのは、入学時からお世話になっていたリリアだった。


「やぁ、小鬼ちゃん。今日は何をお求めで?」
「こんにちはリリアさん。またグミですか?」
「あれを買っていくのは君くらいだからね」
「いや、今日はちょっと前もって早めの挨拶をしに来ただけじゃ。えっへん」


リリアの好物である硬いグミは、その味の癖の強さで食べている人は少ない。
彼のために仕入れているようなものだが、リリアの味覚と料理の腕前は微妙なのだとシルバーがポロッと零したことがあるのをエミルは記憶をしていた。


「そうじゃ、エミル。冬の間は体調が悪くなったらオーロラ出し放題だからな」
「お気遣いをありがとうございます、リリアさん」
「冬は特にそうなりやすいじゃろうからな。……素のお主を受け入れてくれる者を見付けられたらよいな?」
「……またまた、ご冗談を」


意味深に微笑むリリアの真意に気付きつつも、エミルは冗談めかして笑った。
魔法と体質は切っても切り離せないと、オクタヴィネルでの騒動の際に分かったことで、より解決法の捜索は難航することを意味していた。
だが、エミルがさほど、本人が自覚している以上にあまり落ち込んでいないのはリリアが仄めかしたことが理由なのだろう。
冷たい体でも、それも含めてエミルという少女であると受け入れている者が居るのだから。


──夕暮れもすっかり色付き、夜の帳が降りた時間帯。
カラン、と音を立てて、購買部の扉が開く。

振り返ったエミルは、そこに居た人物に表情を緩める。
高めに設置されている扉にも頭が届きそうなその背の高さ。切れ長の目はオリーブと金の宝石のよう。
丁寧な物腰と上から糸で釣っているかのような姿勢の正しさに反した──好奇心に満ちた笑顔。


「こんにちは、ミスター・リズベット」


エミルさん、と呼ばれずに、エミルの店を開く全ての合言葉を言われる。サムはごゆっくり、と店の奥へと入って行く。
普通に話しかける間もなく、ブローカーとしてのスイッチが切り替わり、エミルは店主らしく丁寧に頭を下げた。


「ハロー、ミスター・ジェイド。本日は何をお求めで?」
「えぇ、ご相談ですが……明日の夕方のお時間を僕にいただけませんか?」


客として用事があるのだろうかと身構えていたエミルは、予想していなかったジェイドの要求に彼の意図を察して、隙のない店主の顔から恋をする少女の顔に変わる。


「……、ジェイド、サムさんに聞かれないためにリズベットの名前を出した?」
「ふふ、恋人の会話を人に聞かれない方がいいでしょう?」
「もう……」
「代わりに何時もお世話になっているお礼に、モストロ・ラウンジにどうでしょうか?」


何時かも聞かれたような誘いに、エミルはくすくすと微笑む。
以前までのエミルは、モストロ・ラウンジ――正しくはアズールを中心としたオクタヴィネル寮の三人との縁を積極的に深めることは商人ということもあって避けていた。
なるべく損をしないためにはどの相手にどういう距離感を保つべきか。

伸ばされた手を、以前は掴むことなんて無かった。
誰にも悟られないように密やかに解決法を探していたのもあり、触られることを避けていた。
商人として弱みを握られるのが不味いというよりも、単純に人から『死人のような冷たさ』だと言われるのが嫌で堪らなかった。

しかし、今では。
リリアから言われた言葉を思い出しながら、伸ばされた手に握手をするのではなく、そっと乗せる。まるでエスコートをされるように。

――もしも、この先も見つからないとしても。陸に居る以上は、ジェイドにとって人より多少冷たくとも、関係ないのだろう。
このままでは深海に行くことは出来ないから、一時的にでも冷気を抑えられる方法くらいはやはり諦められないけれど。

手袋越しでも伝わるひんやりとした冷気に、ジェイドは心地良さを覚える。枯れかけの氷結の花を胸ポケットに入れた時のような冷気だった。


「ジェイドを、好きになってよかった」
「おや……」


それは思わず零れた言葉だった。
目の前の青年は瞳を丸くして、異常を伝える胸の鼓動音を実感する。

──好きな物程味わい尽くして、愛情を注いで手元に置いておきたい。
それが青年の根本的な性質だ。他者を自分の領域に入れない分、入れた後は手を離すことはしない。


「プロポーズは僕から言わせてほしいのですが。ウツボは雄からの通い婚ですよ?」
「……!?ち、違いますから!?」
「ふふ、愛されていることは伝わりましたよ。それから、僕からの愛情表現も抑えなくていいと思われていると思うと、嬉しいですね」
「……もう、十分ですって……」


少女は未だにジェイドが口にしている"番"という意味を、本当の意味で理解しきれている訳ではないのだが。
海底に沈み込んだ錨のように、その愛情は重く深く、固定される。
それが人にとっては足枷に映ろうとも、本人達にはそうではない。そしてそれは、彼の兄弟や友人にとっても。

蹴破るような勢いで突然開かれた扉の音に、エミルは肩を跳ねさせて何事もないかのように装い、ジェイドから手を離して、出入口に視線を向ける。
しかし、来店したのが無邪気に笑うフロイドだと気付いて、ひらひらと手を振り出迎えた。


「ジェイドーハマシギちゃんー。アズールが追加のドリンク頼んだメッセージ見た?」
「おやフロイド。見ていませんでした」
「だと思ってオレが来たんだよ。アズールのハマシギちゃんと居る時はどーせわざと見ませんねって言ってたの、あったり〜」
「……フロイド君たちにまで認識されてるのって恥ずかしいですね」
「えー、めちゃくちゃ今更じゃん?ジェイドのハマシギちゃんでしょ?行先はジェイド次第だけど」


自由な渡り鳥は、たまたまナイトレイブンカレッジに羽ばたいてきたけれど。
これからその次の行先は、自分だけで決められる訳では無い。ジェイド・リーチという恋人を得たのだから。
フロイドの分かりづらい表現にエミルは首を傾げるが、その意図が伝わったらしいジェイドはにこやかに微笑むのだった。



ここはナイトレイブンカレッジの購買部、ミステリーショップ一階。
ミスター・リズベットという合言葉と共に開かれる、一年半前にふらりと現れたとある少女の店。


――ハロー、ミスター。

何をご所望で?情報でも、物でも。
私が揃えられる特殊な物なら、何でも揃えましょう。

え?一番変わった依頼はなんだったか、ですか。
そうですね。
頂いたものに対して、私自身が愛情を対価としたのは。

ただ一人だけでしたね。