氷菓童話
- ナノ -

オオロラの包装

――アズールの契約の仕方やモストロ・ラウンジの経営の仕方はあのオーバーブロッドの一件をきっかけに少し変わることになった。
とはいえ、僕達の根本的な原動力だとか動機は大して変わらず。
特に僕とフロイドはアズール以上に大して変わってはいない。何せ、変わる必要もない。

僕とエミルさんとの仲、ですか。
恋人として、非常に良好な仲だと言っておきましょう。
色々あってフロイドにはエミルさんとの関係はバレたけれど、そこも含めて楽しいのだから、大してそのことは気にしていない。
寧ろ、フロイドに把握しておいてもらった方が、色々と都合のいいこともある。

その事に対して彼女は時々頭が痛そうにしているけれど、嫌われていないという時点で、ほだされてくれているのだろう。


HRも終わり、一日の授業が終わるチャイムが校舎に響く。
学業は学生の本分ではあるけれど、放課後からの時間を楽しみにしている生徒も多いことだろう。
教室に早々にやって来たフロイドと共に、モストロ・ラウンジへと向かう為に校舎を出て、グレートセブンの銅像が並ぶメインストリートを歩く。
「今日の夜食、キノコ料理以外にしてよねー」なんて、フロイドの訴えを軽く聞き流して視線を外した時に、大きな荷物を抱えている見覚えのある生徒が目に留まった。
アズールのクラスメイトである、ジャミル・バイパー。礼儀正しく冷静沈着だが、食えない性格のスカラビア寮の副寮長だ。


「こんにちは、ジャミルさん。随分な荷物ですね」
「あぁ、ジェイドとフロイドか。カリムが宴をするって言っててな。その準備で食材を購買部に買いに行ってた」
「そうですか、宴の準備はジャミルさんなんですね」
「ラッコちゃんも好きだよね〜」


スカラビア寮長のカリム・アルアジームは宴好きで有名だ。
しかし、料理も含めてほとんどの準備は目の前の彼が行っている。ミステリーショップで買い物をしたのだろうと考えると、頭を過るのは彼女のことだ。
相変わらず多くの生徒達には「ただのミステリーショップのアルバイトの少女」と思われているが、あんなアルバイトがいるものでしょうかと微笑みたくもなる。
ただ、ジャミルさんはエミルさんの店を知っている。何せ、調査した中ではスカラビア寮生はエミルさんのお店の客は少ないらしい。彼が窓口になっているのだろう。


「俺の苦労も考えて欲しい所なんだが……はぁ。あぁ、そういえばエミルが引越しするらしいって話を聞いたんだが、あれは本当か?」
「……え?」
「数日前にミステリーショップで空のダンボールを運んでるエミルを見たとうちの寮生が言っていてな。同じような商売をしているお前たちなら知っているかと思ったんだが」
「……いや、聞いて、ねーけど」
「俺としても、エミルの店が無くなるのは困るんだがな……流石に本人に聞けなかったが」


――まさかマレウス・ドラコニアか、リリア・ヴァンルージュに先を越された?

血の気が引いていく感覚は、まるで氷の塊を呑み込んだようだった。
今すぐにでもミステリーショップに乗り込んで「本当に引っ越すんですか」と彼女に真意を問いかけようかという考えが過ったが、「はい、そうです」と正面から答えられてしまった時の対処が分からなかった。
彼女がこの学園を離れるということは、つまり体温を元に戻す対処法を見付けたということだ。
この事情を知っているのはアズールとフロイド以外は、そのディアソムニア寮の二人だけだった。
しかも、茨の谷の次期妖精の王ともなると、そういった情報に人よりも詳しい可能性も高い。

簡単に見つかる訳もないと思いながらも、彼女の邪魔を本気でしていた訳ではなかった。それが、不味かった。
何せ彼女はたったそれだけのために、こんなにも辺鄙な場所の立地であるナイトレイブンカレッジに足を運んでいるのだから。熱量を測り切れていなかったのは自分の落ち度だ。


「ジェイドーなぁ聞いてんの?どーすんの」
「……」


寮服に着替えてモストロ・ラウンジに行く間も、ぼんやりと考え続けるのはどうすれば彼女がこの学園から居なくなるという選択肢を無くさせることが出来るか、だ。
フロイドが聞いて来ているのは分かっているが、それに対してまだどうするかという対処法を並べることが出来なかった。
行かないでくださいと素直に言うか――それとも彼女と契約を結ぶか。
否、商売人である彼女は、他の地域で普通の商売をすれば儲けという意味ではこの場所以上の環境が沢山あるだろう。
そんな彼女に、モストロ・ラウンジやアズールを通してより良い条件を提示できる可能性が浮かばない。


「フロイド、ジェイド。……どうしたんですか、フロイド」
「アズールー!ジェイドが全然反応しなくなっちゃってさぁ。さっきから声かけてもこんな感じ」
「?……何かありましたか、ジェイド」


モストロ・ラウンジに既に来ていた事情を全く知らないアズールが、僕たちの顔色を見て不思議そうに顔を顰める。
アズールは寮長であって、オクタヴィネル寮に関する権限は持っているような状況だ。その特権を、活かさせてもらうのなら。


「……アズール、オクタヴィネル寮の一室を年単位で使うことは出来ますか?」
「げっ」
「突然何ですか?自分が使う部屋を増やしたいんですか」


横に居るフロイドが不味い、という顔で肩を揺さぶって来る。
普段なら悪巧みにも基本的には乗り気なタイプのフロイドが止めてくるのは珍しい。
気分が乗らない日なのか、エミルさんに協力的な気まぐれを起こしているのか。
――フロイドの気まぐれにも、困ったものです。


「確認しようってジェイドー、オレも気に入ったら海に連れ込んじゃえばいんじゃね?って普段は思うけど、さすがにだめだって!」
「そうですか?こんなに気を揉むなら、さっさと番にしてしまえばよかったですかね」
「既成事実も悪くねーけど〜親父に説明すんの、めんどくさくね?」
「……随分と物騒な言葉が並んだ気がするんだが、僕の聞き間違えじゃないよな」
「もしかしたらハマシギちゃんが引っ越すかもしれないって噂を聞いてさ。空の段ボール大量に店に運んでたらしいよ」


フロイドの言葉に、アズールの中で『エミルさんがナイトレイブンカレッジから活動拠点を別の場所に移すのかもしれない』という事情にはすぐに気づいたらしく「エミルさんが」と零す。
ただ『何故そのことでジェイドの様子がおかしくて、番だとか既成事実という単語が出てくるのか』という点と点が結ばない状況で、瞬いているようだった。
アズールにはそろそろ言った方がいいかもしれないと考えながらも、そういえばまだエミルさんとの仲を伝えていなかったことを思い出す。


「……、まさかとは思うがジェイド、エミルさんと?」
「えぇ、お付き合いしていますが」
「!?お前が!?」


一際大きい声がモストロ・ラウンジに響き渡る。
ずれかけた眼鏡を直して、フロイドに真偽を確認するも、彼は「何か月か前かららしいけど」と頷いた。
意外だと思われていたことがそもそも僕にとっては意外だ。人に対して関心がそれ程ない人魚だと思われていたのだろうか。
見ていて飽きない人に愛情を抱いて、傍に居て欲しいと思うようになる感情は人魚であれ人間であれ、至極真っ当で普通の感情に違いないだろう。


「ジェイドがまさか、人並みに好意を抱くなんて……意外ですね」
「そうですか?アズールの高い要求もこなす甲斐性や面倒見の良さはあるでしょう」
「……お前よくその性格の悪さで隙のない彼女を捕らえたものだ」
「あ、ジェイドには意外と甘いよハマシギちゃん」
「そうなんですか……ではなく!エミルさんの引っ越しは確かにモストロ・ラウンジの運営的にも痛手です。彼女にはサムさんと違うルートと人脈がありますから」
「おや、アズール達も手伝ってくれるんですか?」


アズールとフロイドが何やら目配せをして頷き「勿論です!」と二人は答えた。
そこにどんな本心や本音があるとしても、乗り気なのは実にありがたい。

――ジェイドがとんでもない方法に出ないか制御しつつ見守らなければ、と珍しく二人が一瞬で結託した事情をジェイド本人は考える必要もないと思考せず。
引っ越し準備をし始めたらしいエミルの阻止に動き始めるのだった。