氷菓童話
- ナノ -

親切と計算の共存

――人のぬくもりを感じながら寝るのなんて一体何時ぶりなんだろうか。
それすらも分からない位の年月が経っていたことを実感する。

ぐっすりと熟睡してしまったものの、朝起きた時に真っ先にエミルはジェイドが凍り付いていないか確認した。
凍り付くどころか、普通の人だったら一日中マイナスの体温を間近に置き続けていたら、毛布をかぶっていたとは言っても下手すれば凍死をしている。
しかし、エミルより先に起きて寝顔を間近で見ていたジェイドは「ひんやりとした感覚に故郷を思い出しました」と笑ったのだ。


「本当に……フロイド君にばれていたらどう説明するつもりだったんだか」

ジェイドが妙に気に入っているという印象だけで止まっているのかもしれないが、気付かれた時に「だから一緒に寝たの?」なんて聞かれた時があまりにも恥ずかし過ぎる。
起きた時に普通に「おはようございます」と声をかけられて誰かの腕の中で起きるなんて日が来るとは思わなかったのだ。

(私、浮かれ過ぎじゃないですか……!?相手はあのジェイドですよ。付き合っているとはいえ、変に隙を見せていいものか……)

店主として様々な駆け引きをしてきた自分の在り方を思い出すも、幸せを感じてしまっているのはどうしようもない事実だ。
エミルはカウンターに額を付けて溜息を吐き、サムに「大丈夫かい、エミル。体調が悪いのかい?」と声をかけられてしまう。

オンボロ寮で一緒に寝た次の日。
珊瑚の海のアトランティカ記念博物館へ向かった監督生たちの邪魔を双子がしに行った話を耳にして、エミルは相変わらずだと呆れていた。
関係性が知られていない以上、監督生らがジェイド達の攻略法を尋ねてくることは無かったけれど、海の中で彼らの妨害をかわす方法があるかと問われたらはっきり言ってノーだと断言出来た。
魔法が得意ならともかく、彼らは一年生であり、魔法自体もジェイドとフロイドの方が長けている。
そして、人魚の中でも特に泳ぐのが早いのだから、水中で逃げ切るというのも不可能というものだろう。


「おはようございます、エースさんにデュースさん。グリムくんにユウさんも」
「ふなぁ……おはようなんだぞ」
「はよーっす……エナジードリンクみたいなのある?めちゃくちゃ眠くてさぁ……」


オンボロ寮の権利が取られてしまうまであと一日。
彼らがアズールと契約を交わしていることなんてほとんどの生徒は知らずに、何時も通りの日常を過ごしている。
相変わらずモストロ・ラウンジにはイソギンチャクを頭からはやした生徒が扱き使われているようで、朝の買い出しにミステリーショップに連日来ている。
エーデュースコンビと呼ばれる一年生二人とグリム・監督生のユウが朝からミステリーショップに訪ねて来て、エミルは苦笑いをしながらエナジードリンクを手渡す。
アトランティカ記念博物館まで行って、疲れ切ってしまっているのだろう。


「三人とも、サムさんが夕方にもう一度来てくれたらちょっとしたサービスをすると言っているので、よろしいでしょうか?」
「なになに?なんかセールでもしてくれるわけー?」
「エミル?」
「……私の店の話をします、サムさん」
「!オーケー、エミル」
「皆さん、お疲れでしょうけど今日も授業頑張ってくださいね」


もう時間もあまりない中で、授業なんて出ないかもしれないけれど。
そんな余計なことは言わずに、あくまでも普通を装ってエナジードリンクをエースとデュースの分を渡して彼らの姿を見送ったエミルは手をひらひらと振る。

店を出て「アズールの契約書を破棄させるにはどうしたもんかねー」とエースが呟きながら、エミルから渡されたレシートをゴミに捨てようかとした時。
レシートにしては紙質の違う気がして、ふとその紙に目を留める。そこに文字が書いてあり、ユウはエースの手元を覗き込んむ。


「『夜ご飯は時間勿体ないし、サムさんの所で適当に買って帰るという話を、大食堂で零してください』……?これ、エミルさんの字?つーかなんでよ」
「不思議なお願いだな……なになに、僕のものには『サービスのことは他言無用ですが、四人でその会話を自然にしてください』って……」
「もしかして、頑張ってる俺たちに本当に安くサービスしてくれるんじゃね?」
「気前がいいんだぞ!」
「でも、それを言いふらすなってことは、シークレットサービスみたいな感じなのかもしれないね」
「そうかも……って、うわ、破れた……!?」


デュースが手にしていた紙が突然勝手に破れ始めたことに驚き瞬くが、戸惑っている間に紙は細かくちぎれてそのまま消えてしまった。
不思議なものを手渡されたことに瞬くが、ミステリーショップにこんな商品もあるのかとお互い顔を合わせてきょとんと瞬くばかりだった。


――昼休みにジャックも連れてモストロ・ラウンジのVIPルームへと向かったはいいものの、大した収穫もなく、辛うじて双子からの攻撃も逃げた所で彼らは大食堂でその後疲れ切った様子で昼食を取った。
一応、何故かは分からないものの、エミルの言付けを実行して「作戦会議したいし夜飯、サムさんのとこでテキトーに用意しようぜ」というエースの会話に対してデュースは「それもいいな。監督生も来るか?」と返して。
演技というよりも、残り一日しかない中であまりにも追い詰められている状況に、本当にそうした方がいいかもしれないと思ったからこその自然な会話だった。

黄昏色に空も色付いた夕刻。
ジャックに声をかけるか悩んだものの、シークレットサービスかもしれないことを考えて、三人とグリムはミステリーショップへと足を運んでいた。
ホームルームが終わってすぐに来たのもあり、他の客人は誰も居なかった。賑やかな声で「やあ、小鬼ちゃん達!」とサムが出迎えたが、直ぐに彼は「ヘイ、エミル!」と合図をする。
カウンターに座っていたエミルが立ち上がり「早々に来て下さり、ありがとうございます」とエースたちに微笑む。

目の前に居るアルバイトの少女の纏う雰囲気が変わったことに、エースは瞬いた。
当たり障りなく気さくな店員だとは思っていたけれど、この人、こんな感じだっただろうか、と。


「貴方たちの動きをジェイド……さんが監視していますから、どうか棚に並ぶ商品を眺めながらこのままお聞きください。お昼の食堂での会話のお陰で、恐らくここに来たこと自体は疑問を持たれていません」
「へっ……」


窓も小さいこのミステリーショップは、流石に外から店内の様子までは詳しくは見られないだろう。
最大限の注意を払って、サムは商品を手に取って監督生たちにオススメをするような会話をしてくるのだから、明らかに普通ではない状況だ。
それでもエミルとの会話に集中するのではなく、棚に並んでいる商品を眺めて欲しいという不思議な注文に、グリムは首を傾げる。


「私はミスター・リズベットと申します。私から扉を開けるのは滅多にないことですが、どうぞお見知りおきを」
「えっと、エミルさん……?ミスター……?」
「あっ……オレ、噂には聞いたことある……!ナイトレイブンカレッジにあるらしいショップがもう一つあるって」
「つまり、貴方がその……?」
「えぇ、御名答です。普段はサムさんのアルバイトを装っていますが、この場所を借りている商人です。私は物々交換をメインにしているブローカー……とでも思って頂ければ。あ、合法的な物と、等価交換が基本です」


自分達とそう歳の変わらない少女がこのナイトレイブンカレッジのミステリーショップに殆ど休みなくアルバイトとして来ているのは不思議ではあった。
なにせ、日中も居るということは彼女は学校には通っていないということなのだから。噂では生活苦からアルバイトをしているのではないかと思われていたが、彼女の隠れ蓑だったのだ。
しかし、このタイミングでそういった類の話を聞くと、頭を過るのはアズール・アーシェングロットの言葉巧みな商売だ。


「オレさま達に変なもの売りつけようとしてるんじゃないか?」
「私は別に契約書を交わすなんてことはしませんよ。基本は物々交換ですがどちらかというとサムさんに近いです」
「それに関しては保障するぜ!エミルは情報とかも商品に加えてるけどな」
「ふな!?つまり、アズールのやつの弱点とか……!」
「あー……それは等価交換しようと思うと大変高価な情報ですし、100%の精度ではないので、その情報はお伝え出来ません。ごめんなさいグリム君」


がっくりと肩を落とすグリムに、エミルは外から見ても自然な会話に見えるように、ツナ缶二種類を出して「こんなのも仕入れましたから元気出してくださいね」と声をかける。
アズールのユニーク魔法について特別詳しいと言う訳ではないが、今後の彼との関係性をエミルなりに保ちたいとなると、ちょっとした情報でも高価な情報に値する。
彼のユニーク魔法自体は知っている。金の契約書という魔法で、そこにサインをすると絶対的な強制力になる、或いは相手の物を能力でも奪えるという高度な魔法だ。
VIPルームに設置されている金庫に保管しているらしいが、契約書自体も無敵だという噂があり、彼のユニーク魔法を敗れた者はこの二年間誰も居ない。


「アズール君の商売の仕方のようにすると、こんな狭い場所で契約書を管理するのは、大変ですから」
「え……?」
「ふふ。私のお店にはあまり倉庫がなくて、物を管理するのも大変なんです。そういう場所があれば、契約書を使うような取引をしても、紙を無くさないんですけどね」


エミルの含むような言葉に、エースとデュースは「このミステリーショップの中だけでも商品だらけだもんな」と納得するが、妙な違和感に引っ掛かったユウは眉をひそめた。
そして、今まで頑なに正体を隠していたエミルがここに回りくどくも呼び出したのには何か深い理由があるような気がしてならなかった。


「今回は挨拶だけです。次から来る時は誰も他に客人が居ない時に合言葉と、ミスター・リズベットという名を呼んでください」
「は、はい。わかりました!」
「ふふ、私のお店のことは言いふらさないようにお願いしますよ?トレイさん達も守って下さっている鉄則のルールですから」
「あの人たちもエミルさんの店の利用者だったんだ……後輩の俺たちに全く言ってくれねぇじゃん」
「これは選別です。あと一日、頑張ってくださいね。オンボロ寮を取り戻せることを祈っています」
「えっ」


弁当を四つ、袋に詰めながら、笑顔でエミルはデュースにそれを手渡した。
今までただのアルバイトだと思って来たエミルがオンボロ寮を巡るアズールとの賭けをすべて把握していたということを知り、エースたちは店を出た直後にエミルから渡された弁当を眺めて肩から力を抜いた。
一度も彼女にもサムにも話していないのに事情を知っている辺り、情報も扱っているというのは嘘じゃないのだろうとは分かったが。


「え、こんだけ?結局何も分かんねぇじゃん!」
「いや……多分、偶々かもしれないけど凄く重要な情報をくれた気がする」
「エミルさんの商売人としての視点がアズールの考え方にどれだけ近いか……なのか?あー、分かんねぇ……!」
「ご飯くれたからいいやつなんだぞ」
「お前単純だよなぁ。まぁ実際、悪い人じゃないっていうか、助けてくれようとしてるんだろうけどさ」


ユウに託されたエミルの与えた違和感。
それが花開くまであと少しだ。

見送ったエミルは「ジェイド君が見ているかもしれないと思うと緊張するんですよね」と零しながら主人としての顔からアルバイトとしての朗らかな表情に戻る。
もう二年ほどエミルの商売の仕方を見て来たサムとしては、彼女が自ら「ミスター・リズベット」と名乗るのを見たのは何カ月ぶり、或いは何年振りだろうかと瞬いていた。


「エミル、君が小鬼ちゃん達にあんな特別なサービスするなんて珍しいじゃないか。どうしたんだい?」
「直接的な情報じゃありませんが、気付いた時に「あっ」となってもらうと、『私が助けてくれたいい人』になるかと」
「まぁ実際、君はこの学園ではいい人の分類だろうけどね」
「サムさんにそう言われると気恥ずかしいです。そうしたら、今後オンボロ寮の一部屋を倉庫として貸してほしいと交渉した時にスムーズに進みそうですから」
「……はっはっは!君も商売上手な商人だ!どちらにとっても都合のいいクリーンな感じが気持ちいいけどね」


エミルの言葉に、サムは声を上げて笑った。善人ではあるけれど、彼女はこの歳でも立派な商売人だ。
オンボロ寮が実際にどうなるかは分からないけれど、もしもユウ達がオンボロ寮を取り戻すのなら、恩を売って置いて格安で貸してもらえるように状況を整えて。
もしもアズールがオンボロ寮を手に入れた時も角が立たないように。モストロ・ラウンジ二号店に向けて増えた従業員がミステリーショップに来やすくなるように印象付けて。

この様子をジェイドが見ていたら微笑んでいたことだろう。
「エミルさんのそういう所が気に入っています」と言わんばかりに。