氷菓童話
- ナノ -

故意は盲目

期末テストの商売は上々。
そんな噂と営業をしている張本人であるジェイドにその話は耳にしていたけれど、まさかここまでの人数になるなんて。

エミルがナイトレイブンカレッジに来た一年目である昨年に続いて、期末テストにおけるアズールの商売は昨年以上の成果だったようだ。
しかしそれを他人事のように、エミルは眺めるだけだ。何せ商売人は競争相手でなければ人の商売のやり方にまで口出しはしない。
モストロ・ラウンジで働くオクタヴィネル寮生さえも、アズールと契約を結んだが故に、イソギンチャク自体は生やしてはいないとはいえ労働しているという状況だ。
アズールと契約者の強固な契約であるのもあり、それをこの半年ほど、誰も咎めていないという事実はある。


「小鬼ちゃん、これが商品だよ」
「こんな朝早くから大変ですね、デュース君」
「朝六時起きの仕込みからこうして買い出しまで……まさかこんな契約内容にされるとは思っていませんでしたので」
「なんだか、モストロ・ラウンジに契約違反をした方が集められているという話はお聞きしましたが」


イソギンチャクを生やした面々の中に、デュース・スペードの姿とエース・トラッポラの姿。
それから人ではないけれど、時々サムの店でツナ缶を買っていくグリムまでもが自業自得ではあるが、アズールの僕の一員の中にあることはエミルも知っていた。
何せ、イソギンチャクを生やしたまま購買への使いっ走りに来たことが何回かあるからだ。オクタヴィネル寮の掃除やラウンジの給仕までさせられるのだと愚痴っていたのを聞きながら、エミルはただのミステリーショップのバイトらしく「大変ですね」と苦笑いをして返していた。
貴方たちの今回の状況に、自分と縁が深いジェイド・リーチが関わっているどころか元凶であるなんて口が裂けても言えないだろう。
仮にそれを告白して止めて欲しいと言われても、確実に、効果は一切無いとエミルは断言出来た。

彼ら以外にも、毎日のようにイソギンチャクを生やした生徒達が代わる代わる買い出しにやって来るが、名門と呼ばれる学園でこれだけの生徒が勉強をするのではなく、人と契約してまで楽に点数を稼ごうとしていたのかと実感させられる。


テストの結果発表があった数日後の夜。ミステリーショップも閉まっている夜の帳が落ちた時間帯。
二階の居住スペースの小さな窓からぼんやりと時々気分転換をするように外を眺めながら、新しく入手した魔法薬学に関する本を読んでいた。
ページを読み進めても、なかなか自分の願いが叶いそうな薬に近いレシピというのは書いていないものだ。
人が海で呼吸が出来る魔法薬だとか、人魚を人にする魔法薬は存在するのに”基礎体温を恒常的に上げる”という薬は無いのかと肩を落とす。冷え性を解消するだとか、そういったレベルの物ならあるのだが、四十度近く上げるという前提で作られていないから、物質ではなく人体に影響を齎すものともなると、薬品の調合は繊細かつ理論の構成から躓いてしまう。

「魔法薬学、正直得意では無いですけど……でもなかなか見つからないですね」

相変わらず見つけることが出来ない現状に悶々もするもので、気分転換で外を眺めたくもなるのだ。
そこでふと視界に入った人影に、エミルは首を傾げる。白い毛並みの耳がある生徒。恐らくはサバナクローの生徒だろう。
九時半も過ぎた時間帯に人が出ているのは珍しい。
そしてあの体格に、何となくエミルは見覚えがあったような気がして、一階に降りて購買部の外に出てその生徒と偶々鉢合わせられるような道を歩く。

その生徒はジャック・ハウル。サバナクロー寮の真面目な一年生だ。
真面目だとは思っていたが、アズールの契約に頼らずに期末試験を受けている辺りは流石だ。


「あれ、ジャック君ではないですか。こんな夜遅い時間にどうしたんです?」
「あぁ、アンタはエミルさん。寧ろこんな時間までバイトしてるんですね。今帰りですか?」
「夜ご飯をここで頂いてから帰るなんてよくありますから。しかし、ジャック君程真面目な方がこの時間に出歩いているのはあまりにも珍しくて」
「あー……うちの生徒の問題ですからよく分かんないことかもしれないですけど」
「私のような部外者だからこそ何かアドバイス出来る事もないですかね?ほら、私一応サムさんが所持しているアイテムには詳しいですし」


違和感を覚えさせないように嘘を織り交ぜて答えたエミルに、ジャックは渋い顔をして先ほどまでモストロ・ラウンジのVIPルームで行われていた会話をぽつぽつと話し始めた。
オンボロ寮の監督生であるユウが、友人であるグリム・エース・デュースの解放の為にもオンボロ寮の所有権を担保に、二年生のオクタヴィネル寮の寮長であるアズール・アーシェングロットと契約を結んだのだと。
しかも、三日以内に珊瑚の海にあるアトランティカ記念博物館にあるとある写真を取って来いという厳しい条件付きだ。
正直、聞いた感想は『とても達成出来そうにない条件』だ。


「えぇ!?監督生さん、オンボロ寮まで担保として預けたんですか!?」
「そうなんだよな……」
「……、何て謝るのが正しいんでしょう……」
「え?」
「いえ、何でもありません。オンボロ寮を担保にしているということは……彼は今日以降の寝床は?」
「それはどうやらアイツらがリドル寮長に掛け合いに行ってるらしい」


予想外のことをしてくれる印象を受ける監督生ではあるが、まさかアズール相手にそんな勝負に出るとは。冷静に考えても、勝率は厳しいだろう。
ジェイドが大いに関わっているだろうことに、エミルは頭を押さえるしかなかった。

「お疲れさまです、ジャック君。ゆっくりお休みください」と声をかけながらも、エミルの足は購買部へと向かわなかった。そのまま、購買部とは反対のオンボロ寮へ。
マレウスが気に入っていた散歩コースにあったオンボロ寮は、今期から新しい生徒が住み込んで人気のない廃墟ではなくなった。たった二人とゴーストしかいない生徒の寮だが、それ故に他の寮のような燻りは無いのが特徴的だ。
そういった雰囲気は、マジフト大会の時の様子を見ても良く分かる。

まだ灯りが点いているオンボロ寮が見えてきて、とんとんと扉を叩いて夜遅くという時間の突然の訪問ということもあり、中から人が出てくるのを待つ。
監督生かグリムが開けてくれるのではないかと少し期待はしたのだが、扉を開いたのはここの生徒の中でも特に長身の、よく見慣れた生徒だ。


「あれ、ハマシギちゃん?なんでここに?」
「こんばんは、フロイド君。ちょっと今回の話を耳にしまして」
「エミルさん?突然驚きました。ようこそ、オンボロ寮へ」


時刻は既に十一時を回っており、他に生徒の姿は見られない想定外のタイミングで訪ねてきたエミルの姿に目を丸くしたジェイドは自分達の場所のように歓迎をする。
アズールの代わりに担保や契約違反者を取り立てるのが二人の役割だというのは有名だったけれど、実際にこれまで見たことは無かったが、取り立て慣れているのは明らかだ。


「監督生さんはもしかして今、身支度中ですか?」
「えぇ、そうです。契約破棄の時には私物全て捨てるとお伝えしたので、今頃身支度に追われている頃かと」
「……ジェイド君、本当に楽しそうですね」
「親切心を持って彼らの頭に生えたイソギンチャクを取り除くために困っている監督生さんに提案したまでのことなんですけどね」
「そーそー、オレら親切だからさ」
「わぁ、親切の押し売りの見本ですね」


慈悲の心という理念があるそうだが、なんと言う便利な建前の言葉だろうか。
彼らの一面は知っていたから、一年間はそもそもモストロ・ラウンジにさえ近付こうとしなかった。
店の買い出しもあって頻繁に来ていたジェイドやフロイドもお得意様として比較的親しく話していた方ではあったが、握手を求められても決して触れず。
その距離感を保っていたというのに、気付けば一人の青年が隣に居るようになっていた。

もしそれが、何時ものジェイドらしく悪意を感じられるような建前の親切心だったのなら、今頃この関係はどうなっていたのだろうかと考えるけれど、答えは決まっている。
『またのご来店をお待ちしております。ミスター・ジェイド』そんな台詞を告げて、彼とのプライベートな縁を断ち切り、シャットアウトしていた筈だとエミルは自分自身のことを理解していた。
エミルという女性に関わっていくきっかけ自体は確かに”頑なに何かの秘密を隠したうえで男子校であるナイトレイブンカレッジに店を構えた少女を知りたいというジェイドの好奇心”なのだろう。
ただ、それだけではない純粋な感心があったから。氷結の花も細氷も極光も。綺麗だと言ったのだ。

それが今ではこうして営業時間が終わっても、営業としてではなく話すような関係を構築できているのは不思議なものだ。


「つーか、ハマシギちゃんなんでそんな玄関にも入らずオレらと話してるの?え、避けられてる?」
「いえ。この場所はアズール君の物になったんでしょう?それなら、無断で立ち入る訳にはいきませんから」
「そういう所、礼儀分かってるよね〜ま、別に入っていいんだけど」
「そんなことはお気にせず、どうぞ上がって行ってください、エミルさん」
「様子を確認しに来ただけなので……」


大丈夫、と断ろうとしたエミルだったが、ジェイドは外で待っているエミルの手を引いて、少し身を屈める。
口を耳元に近付けて、エミルだけに聞こえるような声の大きさで呟くのだ。


「真夜中に会うのは、なかなか無いことでしょう?この三日は忙しくなりそうですし」
「っ!」


フロイドが居る手前、それを口にしてしまうのはどうなのかと否定しようとするが、その返そうとする言葉自体が関係を赤裸々に告白するものになることを分かっているから、口をぱくぱくと開く。
満足気に口角を上げるジェイドの笑顔。招くような伸ばされた手。
押し切られる形でオンボロ寮に足を踏み入れ、エミルは本来の持ち主である監督生とグリムに申し出をせずに入ってしまったことを心の中で謝った。


「ハマシギちゃんも中見て行けばー?」
「オンボロ寮の内検が出来るのは今のうちですよ」
「……!」


だが、普段、寮には許可が無ければ入れない部外者という立場である以上、オンボロ寮の構造が気になる好奇心は誤魔化せなかった。
エミルの興味関心がどこにあるかというポイントを、理解しているが故の提案は、誘い込み漁のようだ。
寮を出て行く準備をしている二人の邪魔にならないように二階を上がってみると、このオンボロ寮に住み着いているというゴーストが宙を漂っている。マジフト大会でも寮生として出て、活躍をしていたゴーストだ。


「お嬢さんの周り、何だか空気がひんやりしているねぇ」
「ここに住んでらっしゃるゴーストの方ですか?騒がしくして申し訳ないです……私の周りの空気の温度、ひんやりしてるのが分かるんですね?」
「あぁ、やっぱり君の影響か!ゴーストにとっては過ごしやすい空気感でね」
「本当ですか?」


こんな風に歓迎されたのは久々だと、エミルは思わず頬を押えて、にこにこと笑みを浮かべる。
自分の体質を忌み嫌ってはいるし、同じ人にそう思われればいいのにという願いはあるが、冷気を気にしない者に褒められるのはやはり純粋に嬉しいのだ。
冷気に関しては問題なしで、見た限り部屋が余っていそうという印象を受けたエミルは、思案しながら一階で悠長に彼等がオンボロ寮から出て行くのを待っている兄弟の元へと戻った。


「この寮、彼とグリム君とゴーストしか居ないのに本当に広いですね。何部屋も余っている感じがします」
「勿体ないよねぇ〜アズールが担保として貰ってるから今はアズールの物だけど、モストロ・ラウンジ二号店に丁度いいって感じ」
「……既に手に入れる気が満々というか」


しかし、スペースが余っているというのは確かに魅力的だ。
居住スペースに入れている商品も場所に限りがあり、物を増やすとなると場所に困っていたが。少し値が張った中古品の転移出来る鏡を設置出来るのなら、このオンボロ寮の一室を借りられたら理想的だ。

(アズール君に使用権があると倉庫の家賃なんてとんでもない料金を迫られそうですし。監督生さんなら……いい条件でお貸ししてくれそうですね)

その為にはアズールの要求をクリアして、このオンボロ寮を監督生に戻してもらわなければ、エミルとしては些か都合が悪かった。
かと言って、今回の件に深く関わるつもりは無い上に、そもそも監督生も含めて関わっている一年生はまだリズベットの店を知らない子達だ。何かの縁で来てくれるようになって欲しいと思う本音はあるが。

しかし、海底という人にとっては動き辛いだろうアトランティカ記念博物館にユニーク魔法も成熟していない一年生が向かえば、間違いなくアズールの思考的にも、本人たちの性格的にも邪魔をするに違いない二人に追い返されるに違いない。
誰かの力で運よく彼らが条件を達成した時に、"あの時親切にしてくれた人"という、それこそサムのような立ち位置で中立を保つべきだろう。
算段を立てていくエミルの強かさは、叶えられない条件を提示して担保を貰うつもりのアズールとやり方は全く異なるとはいえ、通ずるものはあった。

十二時を迎えて、追い出される監督生とグリムを憐れみながらそっと見つからないように見送ったエミルは、玄関から談話室に戻って来ていた二人に声をかける。


「ユウさんが出て行かれましたし、お二人が帰られるタイミングよりも前に私もお暇を……」
「折角だからオレ、ここで寝るつもりだけど」
「あぁ、そうなんですね。それじゃあ私はそろそろ」
「エミルさんもご一緒にどうですか?」
「いやいやいや、帰ります!ジェイド君とフロイド君はお二人でごゆっくり満喫を……」
「フロイド」
「あはっ、オッケ〜」


ジェイドのとんでもない提案に首を勢いよく振って捕まる前に逃げようとしたのだが。
鍵を閉めて、ソファを扉前に移動させ、二階に繋がる階段前に寄りかかっているフロイドの素早い行動に、エミルは口元を引きつらせる。

絶対に帰らせないとオクタヴィネル寮のやり方で閉じ込めるなんて彼女にすることだろうか、と。いや、それを言った所でジェイドに通用しないなんてことは知っているから言わないけれど。
フロイドも居る手前、流石に分かり易い行動に出ることは無いだろうという読みが外れた。そこはジェイドが一枚上手だったのだろう。
今の所、一応誰にも知られていない状況なのだが、ジェイドの様子を見るに必死に隠す気はないのかもしれない。別にエミル自身は絶対にバレたくない訳ではなかったし、フロイドならばいずれ気付くだろうという想いはあるのだが。

ジェイドがこう指示したのは自分と同じような好奇心で、滅多にプライベートな部分を見せようとしないエミルを遊んで楽しんでいるのだとフロイドは思っていたのだ。
何せ、ジェイドはエミルをかなり気に入ってはいるが、プライベートな部分を見せない以上、付き合っているとまでは想像出来なかったのも仕方がないだろう。


「あの、ジェイド君……?今回の件、別に私は何もしてませんよね……!?」
「ふふ、怒らないで。折角の機会ですから、楽しみましょう」


遠慮というものが一切なくなってきているジェイドの囲い込み方に、エミルは気恥ずかしさを織り交ぜながら、抗議のように胸をとんと叩く。

(この状況、私が緊張するって本当に分かってるんですかね……!?フロイド君居るんですよ!?)

分かっている上での確信犯だとは理解しているが、それでも訴えずにはいられなかった。
ソファで寝るなんて、身体を痛めるに決まっている。それもリーチ兄弟の背丈を考えれば、ソファも足がはみ出るだろう。
彼らも今からオクタヴィネル寮に戻れば、大きくて柔らかいベッドで快眠が出来る筈なのに、愉しむためだけにこのオンボロ寮の談話室で寝ようとしているのだ。


「……せめてもの妥協案です。この談話室の暖炉前で、床に私が寝ますので」
「女性をそんな所に寝かせる訳には。ソファが二つとなると、かなり狭くはなりますがどちらかと寝ることになりますね」
「オレとジェイドだとはみ出るし無理無理。ハマシギちゃんオレと寝る〜?ギューってしちゃうけど」
「そ、それ……過大表現でもなくフロイド君に絞められたら、私の体格だと骨折れるのでは……というよりも、他のゲストルームもありますし、何なら気が引けますが監督生さんのベッドがあるの見て来たんですけど!?」
「あぁ、まだ部屋全部は掃除しきれていないようでゲストルームは埃が凄かったですね。今から掃除をすると一時を過ぎますねぇ」


一番はミステリーショップ二階の住居に帰りたいが、このオンボロ寮から出られないのであればせめて彼等と別の部屋で寝ることは可能なのだ。
二階のゲストルームに行く為に談話室を脱出したくとも、階段を塞ぐフロイドの長い足に、それを潜り抜けて上に上がってしまうと後々彼との関係が厄介になりそうだった。
そして何より、ジェイドが一体どんな反応を後日返してくるか。考えたくもないと顔を青くして、そろりと暖炉前にクッションでも並べて寝てしまおうと考えたエミルだったが。
勿論、エミルのその行動を、良しとする訳もない。軽々とエミルを抱えたのはジェイドだ。
オクタヴィネル寮での海面から出た時の浮遊感を思い出して、しがみつく。


「ひっ……!ジェ、ジェイド君、離してください!?」
「安心して。僕は絞め付けませんので」
「えー、酷くね?オレも別に痛がるまではしないし」
「それに私の横で寝ると、風邪引きますよ!?布団を被っても……冷気は、止まらないですから」
「……、気にしませんよ。言ったでは無いですか。僕にとって心地良い体温だと」
「深海も寒いしねぇ。オレ達の故郷はー水面上がったら氷点下だし」


エミルの身体を担ぎ、ソファの上にどさりと乗せて、すっと頬に伸ばされた手に固く結んだ警戒心がほろほろと解けていく。
単純に流されて、嬉しくなっては駄目だと分かっている。
それでも、隣で寝ても大丈夫なんて言われる日をずっと。それこそ少女と呼べる頃から切望していたのかもしれない。
誰かと居ても凍えさせて。人ではないと怯えられて。
だから、期待をしてしまうのだ。朝起きても隣で普通に、おはようと言ってくれることを。

コートとハットを脱いだ彼らはシャツのまま、ごろんとソファに転がった。もしかしたら特にフロイドは窮屈なシャツやズボンも脱ぎたかったかもしれないが、そこだけは一応気遣っていた。
エミルからすれば、本当に気遣ってくれるのなら、ミステリーショップに帰らせて欲しいという本音だが。外の廊下に繋がる扉前にソファを設置されてしまうと、もう動くことは出来なかった。

観念したエミルは、縮こまるように背もたれの方に顔を向けて、後ろから抱きしめる形でソファに寝転んだジェイドから背中を向けるように目を閉じる。
羞恥心と、フロイドが同じ部屋に居るという配慮だ。
ソファベッドではないそのソファに、身長が190センチほどある彼らが寝るだけでもスペースはかなり埋まるのに、もう一人が一緒に眠るとなると自然と密着する。
毛布で見えなくなっているとはいえ、腕がお腹に回っていることに、どきどきしているのは自分だけだろうかと髪で顔が見えないようにと横を向くが。


「エミルさん、緊張しています?」
「っ、しない人が居ますか……!?」
「それならオレんとこでもいいよハマシギちゃん」
「大丈夫です。はぁ……何だかどっと疲れました……もう寝ます……」


初めて一緒に眠るということに緊張しているのかとくすくす笑うジェイドに、エミルはフロイドがいる手前、声には出さずに心の中で訴える。


――緊張している?
してるに、決まってるじゃないですか。
仮にも人前で好きな人と一緒に密着した状態で眠るという状況も。それだけではなく、次の朝、凍えていないかと心配する気持ちも。
全部、全部。緊張しますよ。

だって、私にとって温かな体温が背中に、腕が回された腹部に感じられて、意識してならない。


エミルは毛布の中で回されている腕に触れ、そして指先を探り、そっとしなやかで長い指に指を絡めて。

「……おやすみなさい」

その声に愛おしさを織り交ぜる。
一緒に寝て、凍えさせてしまうと言っても、全てを分かった上で気にしないと言ってくれた貴方は。
この学園において多少難がある生徒だとしても、私にとっては唯一無二の特別な人なのだ。


目を瞑って眠り始めたエミルの後姿をぱちぱちと目を瞬かせながら、ぼんやりと愛おしそうに見詰めて、絡んだ指先をぎゅっと握りしめる。
ジェイド・リーチは熱い溜息を吐いた。
そして、或る意味フロイドが居たのは自制心を外さないためにも良かったと実感してならない。

エミルから伝わる底冷えするような冷気で、熱をどうにか冷ませるようにと。
彼女の項に顔を埋めて、眠りにつくのだった。