恋歌とピエロ
- ナノ -



Fermata


前チャンピオンとしての彼女しか見たことがない。

この事実にぼんやりと気付き始めたのは何日前だろうか。
彼女にとって僕は数多く居る挑戦者のうちの一人なのだ。数回会ったことがあるし少し話をしたものの、気にかけるような存在なのではないのは分かっている。だから彼女は過去に頂点に立った一トレーナーとして数多くの人と接している。そのうちの一人、そう、例外ではなくツワブキダイゴという人間もそのうちの一人なんだ。


「おーまた今日は不機嫌そうな顔してるな」
「それがなにか?」
「……はぁ、一体なにがあった?」


モニターに映し出されているナマエの表情は不機嫌極まりなかった。ただ苛々しているというよりも、少しだけ落ち込んでいるようにも見える。


「こっち来てからもう一週間?まだ会えてないんだけど……」
「それはお前に運がないからじゃないか?」
「ワタルなんて誰かに負ければいいんだ」
「……悪かったよ」


恐ろしいほど真顔でさらりと毒を吐かれたものだから流石に驚いたというか、これ以上あまり変に突っ込まない方がいいと判断した。
確かにチャンピオンの業務は意外にも忙しいものだ。挑戦者が来るという連絡をジムリーダからもらう時以外はリーグをあけることだってある。けど流石に一週間会えないとなると、やはり運がないとしか言えない。


「ナマエ」
「なに?」
「こっちはお前が居なくなって随分静かになったぞ」
「ワタルなんて負けてしまえ!」


急に真剣な顔をしたかと思えば、ど真面目にくだらないことを言ってきた。しかもそれが私への嫌味だったものだからついかっとなって、子供の喧嘩のように怒鳴って一方的に通信を切った。(切る直前に見えたワタルの表情は面白半分驚き半分だった)
通信を切ってから落ち着きを取り戻すために一息ついたのだが。嫌な、ことに気が付いてしまった。

ロビーが、静か過ぎる。
そしてこのリーグの出入り口である自動扉の閉まる音。

ゆっくり振り返ると、そこには唖然としているツワブキダイゴが居た。非常に、嫌な予感が、する。


「……い、今の、聞いて……」
「君もムキになることあるんだ」


笑いを堪えているのか肩が震えている。けれど堪え切れなかったのか笑い声が零れる。
この様子と言葉だけで自分がした大人気ない態度を見られた、というか聞かれたのは嫌でも分かった。恥ずかしさが募り、ナマエは頬を赤く染める。
そもそもワタルが真面目な顔してあんなこと言ったのがいけないんだ。


「ワタルって、カントーリーグチャンピオンの?」
「そう、そのワタル。心配してくれてるのはいいけど……一々何なのもう!」


僕が丁度このリーグに入ってきた時に彼女が怒鳴っていた相手は予想通りカントーリーグのチャンピオン、ドラゴン使いのワタル。彼女は四天王をしていたのだから彼と仲良くて当然。
一見怒っているようだが、彼女の表情は口調に合わず柔らかい。それは僕が見たことのない自然な表情だった。前チャンピオンの顔ではなく、ナマエという人の表情。

彼女にこういう面もあるのかと思うのと同時に、何かが不愉快だった。

その表情を向けている相手はドラゴン使いのチャンピオン。彼女にとってツワブキダイゴはただの挑戦者、偶然会った人だ。この埋められない溝は、違いは一体何なのだろうか。


「ダイゴ、さん?」
「え?あ、いや、何でもないよ」


少々戸惑ったような声が聞こえてきてふと我に帰る。
多分、自分は今凄く不機嫌そうな顔をしていたんだろう。僕が急に不機嫌そうな顔をしたから彼女は驚いたんだろうが、正直僕も驚いてる。

こんなにも執着心が強かったのだろうか、って。それも会って間もない人に対してだ。
ワタルという人に対して抱いた感情が何なのか、僕も馬鹿じゃないから分かってる。彼女が自分の前のチャンピオンだったから興味がわいているのか。

そんな理由で、嫉妬心、なんて沸くわけないことは分かってるんだけどね。
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