恋歌とピエロ
- ナノ -



Un mot silencieux


トレーナーが必ず通るだろう一つ目のジムがあるカナズミシティ、ここに来るのはもう二年ぶりになるのだろうか。

懐かしさに顔を綻ばせながらあまり変わっていない街並みを見渡し、ゆっくり歩いていた時、視界の左端に移ったのは無邪気にはしゃぎながらトレーナースクールから出てくる子供達。これからトレーナーになっていくんだろうな、と思うと自然と笑みがこぼれる。
もしかしたら、あの子達の中にはツツジのようにジムリーダーになる子も居るのかもしれない。トレーナーと、そしてポケモンの可能性は無限大で。だからこそポケモンバトルは楽しいんだろうな。

視線をそちらに向け、立ち止まっていると横を歩いていた筈のルカリオが何時の間にか居なくなっていて、不思議に思っていると彼は何かを手に持って戻ってきた。

「ルカリオ?これ、タイマーボール?」

どこにあったの、と尋ねると噴水広場のベンチに落ちていたという答えが返ってきた。ルカリオの手には袋も握られていたからその中に入っていて、誰かが袋ごとモンスターボールを忘れたのかもしれない。でもボールだけ忘れるってあるんだ。
どうしようと悩んでいるとルカリオは耳をぴくりと動かした。付いて来てください、とだけ言うと突然走り出してしまったので訳も分からずルカリオの後を追うと例の噴水広場に着いた。


「どうしたの……?あれ、」
「ない、ないなぁ、どこ行ったんだろう…困るなぁ……」


ルカリオの視線の先にはベンチの近くをやたらときょろきょろとして何かを探している様子のスーツを着た若い男性が居た。無いとぼやきながらベンチを探しているからもしかしたら。


「あの、」
「ないなぁ……、うわぁ!?すみません、後ろに人が居たとは思わなくて……」
「何かこちらこそごめんなさい。何かお探しですか?」
「そうなんだよ!実は一時間前位にここでウトウトしてたら持ってたボールを袋ごと落としちゃってね……よりよい製品に改良していく為に必要なプロトタイプだったんだけど……あぁ、会社クビにされるかも」
「それならついさっきこの子が見つけてきて……これですか?」


袋と見た目はタイマーボールのボールを彼に差し出すとその顔は落ち込んだものから一瞬で明るい物へと変わる。ありがとう、と興奮した様子で手を握られてぶんぶんと振り回される勢いで握手をされて目が回りそうになった。


「本当にありがとう!前みたいに盗まれていたらどうしようかと思って……お礼を言っても足りない位だよ!」
「いえ、むしろ勝手に持っていて申し訳ない位です。……というか前みたいに?」
「あはは、ちょっと色々あってね……そうだ、お礼をしたいから是非とも我が社に来てくれないかな」


ダイゴの代理で寄る予定のデボン社に行かなければならないのだが、彼の子供のようなきらきらとした顔に圧倒され、逆に断るのが申し訳なくなる。あまり長い時間にならない程度に、と思いつつ返事をすると男性は顔を喜ばせて軽い足取りで街を歩いていく。

モンスターボールの改良、ということはこの人、結構有名な会社の社員なのではないだろうか?少し抜けているようにも思えるけれど、凄い人なのかもしれない。失礼のような気もするがそんなことを考えながら彼の後を付いていくとカナズミシティの中でも大きな建物の前に着いた。


「え……」
「ここが僕の務めてる会社だよ、さぁ入って入って!」
「あの、ここって……!」


尋ねようとするのだが男性はナマエの背を押して会社の中に入れる。広い立派なロビーだけれど、大きな会社にしてはくだけた雰囲気が流れている。比較的自由な会社なのだろうか。いや、というかここって。


「もしかして、デボンコーポレーションですか……?」
「よく分かったね、ポケナビで有名だし知ってたかな」
「まさかこんな偶然あるなんて……あの、私、元々デボンコーポレーション…社長に用があってカナズミシティに来たんです」
「え?社長に?」
「はい、ホウエンチャンピオンの代理で」


チャンピオンの名前を出すと男性は急にわたわたと慌てだし、ナマエに付いて来るように伝えると二階の階段を上っていく。
二階には数多くのデスク、それからコンピューターがそれそれ一台設置されており、研究者やプログラマーが画面に向かっている。優秀な社員が居るからこそポケナビというものが発明され、有名な会社となっているのだろうなと感心しながら三階の階段を上ると、扉の前で止まる。

男性は扉を叩いてナマエを部屋に入れる。奥に居たのは気品溢れる出で立ちに優しい笑みを浮かべた壮年の男性だった。


「社長、チャンピオンの代理の方です。それじゃあ僕は失礼しますね!」
「あ。……こ、この度はホウエンチャンピオンの代理ということでリーグ本部から来ました……」
「あぁ、そんな堅苦しくしなくていいよ。君はナマエさん、前チャンピオンの方だね?」
「!私を知ってるんですか……?」
「ふふ、むしろ知らない人の方が少ないと思うけれどね。ふむ、しかし代理で君が来るのは予想外だったよ。やはりダイゴは来れなかったか」
「えぇ、彼は今チャンピオンとして挑戦者を迎えていますので……それにしても、社長はダイゴのことを良く知っているんですね。ポケモンセンターに連絡入れるくらいですし……」


ナマエの言葉に社長は目を丸くしたが、肩を揺らして声を上げて笑い始める。突然のことに驚いて恐る恐る社長の顔を覗き見ると、悪戯っぽく笑っていた。どういうことなのだろうと戸惑いつつ、横に居るルカリオに視線を送るのだが彼も肩をすくめて分からないと言う。
それにしてもこの部屋、社長室と言うよりも半分趣味の部屋のように思える。ショーケースに、ライトに照らされて輝きを放つ様々な石が飾られているのだ。何だか最近石好きの人によく会う。


「自己紹介が遅れたね、私はツワブキ。そこの石は私のコレクションだよ」
「ツワブキ社長……ツワブキ?」


その名前に聞き覚えがあって。

気が付いた瞬間あっと声を上げそうになり、手で口元を押さえる。
聞き覚えあるって、何時も会っている人と同じ名前じゃないか。それに趣味や滲み出る気品に優しげな雰囲気は他人とは思えないほど非常によく似ていた。

あぁ、もしかしてこの人は。


「ダイゴが何時もお世話になっているね、君とは一度会って話をしてみたかったんだよ」
「あ、あの……私の方、こそ、何時もお世話になっています……」
「そんな妙に緊張しないでくれたまえ。私は仕事一筋の人間だったからね、ポケモンの事には詳しくないのだがダイゴを通じて少しは知っているよ。何でも、君に憧れてトレーナーを目指す子供も少なくないそうじゃないか」


褒められる事にもそうだが、ツワブキ社長があのツワブキダイゴの父親だと言う事実も気になってどこか落ち着かない。ポケモンセンターに連絡を入れるのが一番良いと知っていたのはダイゴの事をよく知っているからだとは思っていたがまさか相手が肉親だとは思わなかったのだ。
それもデボンコーポレーションというホウエンでは知らない人は居ないだろう有名な会社の社長だ。という事はダイゴは企業の御曹司。それなのにホウエンリーグチャンピオンって、天は二物を与えず、って嘘ではないだろうか。


「ダイゴは家業を選ばず自分の夢を選んだ。……私としては少々残念だったが、自分の夢を自力で叶えた息子を尊敬の念さえ抱いている。同じ立場だった君の目から見て、その選択をしたに見合う程の行動を、ダイゴはしているかな?」
「……私なんかと比べるとダイゴは比較にならないほど立派な人ですよ。まぁ、確かに趣味の石の採掘の為にしょっちゅうリーグを空けて皆を困らせますけど」


それはきっと、ツワブキ社長も知っているだろう。彼の趣味や立ち振る舞いはきっと父親譲りの物なのだろうから。真面目なチャンピオン、という言葉は残念ながらダイゴには似合わない。
けれど、彼にはもっと別の何かを惹きつける魅力があるのだ。ぶれない信念にそれを叶える為に惜しみない努力をするダイゴは全国のトレーナーが憧れるような頂点に立つトレーナーに間違いない。今の私なら、そう断言できた。


「でも、今まで見てきたトレーナー……いえ、人達の中で、一番誠実で強い信念を持っている人だと思います。……少し、不器用で強引ですけどね」
「そうか……ダイゴはチャンピオンとなって良い出会いをしたんだね」
「え?」
「ふふ、これからもダイゴをよろしく頼むよ」


柔らかく微笑むツワブキ社長のその表情に面影を感じた。あぁ、やっぱり親子って似るものなのかもしれない。

確かに彼の行動は時々強引で不器用な所がある。私はその点が嫌いだったというよりも苦手にしていたし、隠れてしまっている優しさを見てみぬ振りして突き放してきていた。今冷静になって考えてみれば、私も相手の気持ちを踏み躙るような行為をしていたのだ。
彼はどこまでも誠実で、自身の決めた事に対してはストイックだった。ワタルの時もそうだったんだよね。私は勝手に思い込んで理解しようともせず一線を引いて拒絶して。

社長はナマエに今日は来てくれてありがとう、と礼を述べて紳士にも扉まで案内をする。深々とお辞儀をして社長室を後にしたナマエだが、ふとある事を思い出してルカリオをじっと見つめる。

――結局、ツワブキ社長の用事ってなんだったんだろう。


(あれ、もう彼女お帰りになったんですか?助けてくれたお礼を改めて言いたかったんですけどね〜、……社長、何だか嬉しそうですね?)
(そうだね、前チャンピオン……彼女もまた誠実で尊敬される人なんだと改めて認識したんだよ。ダイゴがお見合い話に耳も貸さない理由が分かった気がしてね)
(そんな話あったんですか?)
(まぁ、実は最初から私の方で断っている話だったんだけどね)
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