恋歌とピエロ
- ナノ -



Regnerischer morgen


「ナマエ君?」
「……」
「おーい、聞えてるかい?」
「あ……すみません、総部長!えっと……何か用事でもありましたか」
「いやぁ、特別用事っていうのは無いんだけどね」


にこやかな笑みを浮かべているものの何処かぎこちない感じがして、用事が無いと伝えるとまた上の空の様子に戻ってしまい何時もとは明らかに違う様子に総部長は眉を潜める。
急に故郷に帰ると言って帰ってきたのはつい昨日。朝になってからナマエに会ったのだが、その時からずっとこの調子だから故郷であるラルースシティで何かあったのだろうか。

中傷や非難を受けたのなら一大事だと、主人を見守るように待機していたルカリオに声を掛けると彼にしては珍しく呆れたような唸り声を上げた。まるで、やれやれ、とでも言っているように。


「……ナマエ君、今日は何か特別な用事でもあるかな?」
「いえ、特にあるわけではないですが…何か仕事ですか?私でいいなら引き受けますけど、」
「ダイゴ君の事なんだけど」


ぴたり、とナマエの動きが一瞬で止まった。

ナマエの表情の変化が見えなかったのか、気付かず話を続ける総部長の話を彼女は呆然としながら聞いていた。名前を聞いた瞬間に断ろうとしたのだが用事がないから引き受けると言ってしまった所だし、仕事を私情で断るのは良くないだろうという理性が勝った結果だった。


「何かあったのか知らないんだけど朝早くからふらっとまた出て行ってしまってね。きっと石を探すのに夢中になってるんだろうけど今日はダイゴ君に見せなきゃいけない書類があったんだ」
「……それで、ダイゴを連れて帰ってくればいいんですか?」
「そうだね、……ナマエ君も何か悩んでいるようだし、外出して気分転換でもしてきなよ」
「あ、ありがとうございます……」


にこりと優しく笑う総部長の好意は非常に嬉しいのだが、その気遣いこそが余計に状況を悪化させている。
私が昨日の夜からずっと悩んでいるのは主にダイゴの事だった。彼があまり好きではない事に変わりはない、そう、変わりは無い筈なのに最近彼に対して嫌に思う自分が居ないと気付いてしまった。

だからこそ戸惑っているし、気持ちの整理が出来ていない。自分でも知らないうちに芽生えている何かの感情を理解できていなかった。
自分は彼を許そうとしているのか、それともこの環境に慣れるという一種の諦めを抱いているのか。そんなの、あっていい訳ないのに。


いつかと同じ様にがっくりと肩を落としたままリーグを出る。今日の朝に出て行ったのなら幾ら石を取るためとはいえムロタウンの方にまではきっと行っていないだろう。だとしたら行き先はトクサネシティか、それともルネシティか。

「……少し、ミクリに相談してみようかな」

ダイゴと仲の良い彼ならダイゴの事をよく知っているだろうし、私に対して何をしようとしているのか検討が少し位は付く筈だ。

先にルネシティに向かい、ルネジムへ顔を出そうとしたのだが建物の前まで来てようやく扉に本日休みという看板が立てかけられていることに気付いてがっくり肩を落としそうになった。
ここまで来て会えないとなると悲しいが、ジムリーダーにコーディネーターも勤めている彼は私が想像するよりも忙しいのだろう。大人しく帰ろうとしたのだが、隣に居たルカリオはじっと祠のある方を見つめていた。

「どうしたの、ルカリオ?」

居ます、と短い返事が返ってきて何かと思いもう一度祠の方を見ると、彼が丁度出てくるのが見えてあっと声を上げる。急いで階段を上って少し大きめの声で彼の名前を呼ぶとこちらを振り返って何時もの柔らかな笑みを浮べて挨拶をしてきた。


「ナマエじゃないか、ルネシティに来るとは珍しい。何か用事でもあったのかな」
「用事もあったけど、ミクリに少し聞きたいこともあって…忙しかった?」
「いや、生憎今日はジムを閉めているから忙しさとは今日だけ無縁だ。……私に聞きたい事とは、ダイゴの事ではないか?」
「……!な、何で……」
「はぁ……君達の事は困らせている当本人からよく話を聞かされるからな、昨日も夜に電話してきたと思ったら結局用件を話さず切ったからおかしいとは思ったが……何かあったみたいだね」


ここで話すのは何だから、とミクリに案内されて今日は閉めている筈のルネジムの中に入り、彼の私室へと案内される。白を基調とした綺麗な家具が並び、モデルルームのようにも見えるその部屋は美を追求するミクリだからこそだろう。
ソファに座らせてから紅茶を用意してくれる彼は非常に紳士的だ。だからこそ、女性達に圧倒的な支持を得ているのだろうが。


「ダイゴが迷惑を掛けているな、不器用な所があるからナマエを困らせているのは彼から話を聞くだけでも伝わってくる」
「困るというより……」
「昨日のダイゴは私から見ても変だった。まるで信じられない出来事があったかのようにぼんやりとしていた、……そしたら今日来た君も何処か腑に落ちない、そんな表情をしている。何があったんだ?」
「……、私は、リーグに強引に入れて自分勝手な行動で私の望んでない道筋を決めたダイゴが嫌だった」


ぽつり、ぽつり、とコーヒーカップを手に持ったまま話し始めるナマエは視線を落とし、内に秘めていた感情を吐き出し始める。
初めの印象こそは良かったし、友人としての彼はあの時までは好きな方だったのだ。彼が一体何を思って私をリーグに入れたのか分からないし、未だに納得なんていっていない。だから彼が嫌だ、いや、嫌だったという方が正しいだろう。


「なのに、最近はダイゴに対して嫌悪感を抱いてない……まだ、許したつもりは無いのに。ねぇ、ミクリ、ダイゴは一体何をしたいの?」
「……一つだけ、彼の友人として弁解しておこう。ダイゴは処世術に長けている男だ、状況を悪化させる無駄な行動はしない。そんな彼が君に嫌われてでも絶対に成し得たかった事は逆に一体なんだと思う?」
「……ダイゴは、私の求める答えを見つけるって言った。でも私にはそんなの」
「そんなの無い、か。なら君は何の為にホウエンへ戻ってきたんだ?」
「……それは、」
「私から特別口出しをする事は彼に対して失礼だから控えるが、君はまだ満足してないんだろう?ダイゴは本気でナマエに欠けている物に気付いて欲しいと願っているんだよ。ふふ、私も馬鹿な男だと思ってるさ」


それでも、ダイゴは彼にとって大事な物を賭けて他人の為に、そして何より自分の為に行動している。彼女に嫌われずとも良かった上手い方法はもっと無かったのだろうかとも思うのだが、ダイゴの行動に理解できる所もあるのだ。
ナマエは昔の自分を誰よりも許せていない、何時までもその記憶に囚われていてトレーナーとして最も重要な心を置き去りにしてきている。過去への拒絶反応の強さから強引になるしかない、そう考えたダイゴの手段はあまりにも強引で不器用で。
彼の自己満足といわれてしまえばそれまでなのだが、彼なりの誠意なのだ。


「人に対して一生懸命になっている彼は見た事が無いから私も初めは驚いたさ、よくも悪くも自分の世界に集中してしまうあの男が、だ。彼を許せとは言わないし言おうとも思わない、だが、不器用な男の誠意もある事を知っていてもらいたい」
「……」


ミクリの話を聞きながらぼんやりとカップの中に入っている紅茶を見つめると、自分の情けない顔が映って見えた。動揺している、というよりも納得しているの方が強かった。
嫌いになろうと、冷たく当たろうとしても何処か引っ掛かっていて心から拒絶する事が出来なかったのはダイゴが誠意を持って私のくすぶっている物を心から考えていてくれた事を薄々感じ取っていたからだ。

だからこそ、許せなかったのかもしれない。私は、過去に戻るつもりは無かったのに無理矢理その部分に触れようとするから。


「……私は、まだダイゴの行為を…彼を認めた訳じゃない。でも……、ダイゴは私が思っているような人じゃないって言うのは分かった、かな」
「友人として、少しでも分かって貰えると嬉しい限りだ」


微笑んだナマエの表情は本当に柔らかなもので、ミクリもまたふと笑みを零してティーカップに口をつける。
――彼を少しだけ、誤解していたのかもしれない。
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