恋歌とピエロ
- ナノ -



Liebesaffaere


昨日、彼女の話を聞いて決意したことが一つある。

自分でもこれは強引だと思うし、嫌われるなんて目に見えている。普段の僕なら人間関係においては危ない橋なんて渡らない。それが友人であれ、目上の人であれだ。特に相手は片想いをしている相手。尚更避けたい所なのだが、それでも決意したのは彼女の意思を尊重したいから。
つくづく僕は馬鹿だと思う。まだ言ってないけれど、もしミクリが知ったら同じく馬鹿だと言うんだろうね。彼女のためだとか言って、また結局僕のエゴが入ってるんだから。

それじゃあと挨拶をして電話を切ろうとした時、総部長の何とも言えない微妙な顔が見えて通信の切れた画面の前で苦笑いを零す。それでも承諾してくれた辺りが彼らしい。
集合場所としていたリーグ前に十分前に来たのだが、既にナマエは居た。


「ごめん、遅かったかな」
「ううん、さっき来たばっかりだから。ダイゴこそ時間は大丈夫?付き合わせてるから」
「意外とチャンピオンって時間あるものなんだよ」
「でも書類とか沢山あるんじゃないの?」


確かに、チャンピオンとして目を通さなければいけない書類や出席しなければいけない時もある。けれど、その書類は実家の仕事を手伝うことに比べれば非常に簡単に片付けられる。
若い時から仕事に勤めていた父親と違ってトレーナーとなり、チャンピオンを目指す。家業を継いでほしかった父親にとって自分は放蕩息子もいい所だ。


「ジムを巡ってた頃に比べると書類なんて楽なものだよ。挑戦者もそう僕の所まで来ないから、尚更時間はあるかな」
「珍しくリーグに挑戦者が居ると思ったら、ツワブキダイゴ、チャンピオンその人だったものね……」
「やっぱり、まだ怒ってる?」
「ううん、元々怒ってない。見知らぬ人に肩書きを普通は言わないでしょ?」


前と軽い足取りで歩いていたナマエは立ち止まってくるりと振り返り、ふと笑みを零した。ダイゴを気遣ったというよりもナマエの中での正論を言ったまでだと、言い方からダイゴも気付いていた。
けれどわざと勘違いするのもいいじゃないか、と自分の中で割り切ってダイゴはナマエの手を取る。彼女の目が一瞬揺らぎ、動揺を隠せていない様子だった。


「ダイゴ?」
「ほら、昨日デートのお誘いだって言ったからね」
「そ、そういう意地悪は要らないから。というか視線が痛い……!」
「そうかな?」


言っておくけれど、街を歩いている人なんて山ほど居る。ただでさえダイゴは現チャンピオンだから目立つし、私も私でつい先日セレモニーバトルに出てしまったから中継を見ていた人は気付くだろう。
それにリーグを目当てにこの街に来る位の人なら中継を見ている筈。何せ街の中の多きなモニターに映っているのだから。

当然周囲の人はダイゴとナマエの存在に気付く訳で、ダイゴがナマエの手を取りリードしているのにも気付き、驚いているようだった。
それを良しとしないナマエが離すように促しても、気付かぬ振りをしてそのまま歩く。


「っ、ちょっと店に寄ってくるけどいい?」
「勿論いいよ」


ぱっと手を離すと脱兎の如く僕から離れて直ぐ近くにあった出店の前に止まった。そんな彼女を見て思わず笑いそうになった。よほど先程の状況が恥ずかしかったのだろう。
けれど慌てた様子はどこへ行ったのか、出店のお土産をどれにしようか真剣に悩んでいるようで、その姿は前チャンピオンというより一般観光客みたいだ。

からかうのはこれ位にして普通に街を回ろうと思い、未だに悩んでいるナマエの元へ行こうとしたのだが予想外の人物に足止めを食らうことになった。

自分に付きつけられるマイク、そしてそのマイクを持っている女性の爛々とした目は巨大スクープを狙っている物で、横に居る男は気合の象徴とでも言わんばかりに帽子のつばを反対にして被ってシャツを肩まで捲くり、その肩にはカメラが担がれている。
簡単に言えば、インタビュアーとカメラマン。ちらりとナマエに視線を移すのだが、彼女は報道陣の存在に気付いていないようだ。


「こんにちはチャンピオン!まさかこんな街中で会えるなんて私を含め通行人も思っていませんでした!」
「リーグが開かれてこんなに賑わっているのに、街を回らないのも勿体ないと思ったんだよ」
「そうでしたか!あ、みなさーん!今私たちは現チャンピオン、ダイゴさんに話を聞いています。ちゃんと映ってる?」


インタビュアーは明るい調子でマイクを握り、カメラの向こうに手を振る。まさかとは思ったが生放送だったとは。モニターに映っていることを考えると頭を抱えたくなったが、慣れているから取材やテレビなどといったメディアに対する耐性は付いている。
ナマエのことを聞かれなければいいが、とぼんやり思ったのだがインタビュアーは目敏く先程のやり取りを遠くで見ていたらしい。
気付けば人だかりが出来ていて、周りだけ避けるように立ち止まって見ていた。


「先程、今期のリーグでセレモニーバトルを務めたホウエンリーグ前チャンピオンがいらしたと思うのですが……今どちらに?」
「ちょっと買い物に行くって言ってたよ。だから、」
「買い物に……それでダイゴさんは街を案内していたんですね!それにしては……仲が良さそうでしたね。やはり、同じチャンピオンになった者同士、話が合うんでしょうか」
「そうだね、彼女は僕が見てきたトレーナーの中でも一番良い影響を与えてくれるような人だ。それに……」


もう一度ナマエに視線を移すと、彼女は支払い終わって商品を受け取りこちらを向こうとしている所だった。

全国放送かもしれないし妙な発言はしない方がいいに決まっている。けれど、逆に言えば大きなメディアに発言したことは取り消し辛い。そう、彼女のことであってもだ。
これがナマエの為なのか僕の為なのか、未だに曖昧だ。けれど、行動しなかったら何も始まらない。

彼女も、僕も。

にこりと笑みを浮かべ、そして何時もの調子で答えた。


「今度、リーグに入ることになったんだ。一年、主に事務の手伝いでね」


――え、

僅かに聞こえてきたマイクを通したダイゴの声に、一瞬固まった。
思わず商品を落としそうになるくらい、衝撃的な言葉が聞こえてきた気がする。

今、ダイゴはなんて言った?

ゆっくり、ぎこちなくダイゴの方に身体を向けると彼の周りには多くの人だかりが出来ていて、その横にはカメラマンとインタビュアーが居た。ということはダイゴは今取材を受けている所?
リーグに入ることになった、って、誰のこと。あり得ないけれどまさか、私のことじゃないだろうな。きっとダイゴの知り合いなのだろう。そう心の中で何度も何度も呟いたのに、その希望はあっさりと破られることになった。


「前チャンピオンであるナマエさんがリーグ入りを!?これは今年からホウエンリーグが熱くなりそうですね〜残念ながらバッジを八個持っているトレーナーしか足を踏み入れることは出来ませんが……取材陣として残念です」
「えぇ、僕も楽しみにしているんです」
「それは……私も楽しみになってきました!お会いしたら是非話を聞きたいものです。さぁ、もうすぐリーグの準決勝が始まります。ダイゴさんありがとうございました、こちら街角からでした〜!」


インタビュアーとカメラマンは一礼をし、重たい機材を持ちながらリーグ会場へと走って行った。未だにどよめきが広がっており、それは周囲だけではなかった。恐らくホウエンに居る人間で今の放送を見ていた人全てが驚いただろう。

初の女性チャンピオンで記憶に新しい人物。あんなにも人を魅せるバトルをしてチャンピオンになったのに辞退をし、一年半ホウエンから姿を消していた。
そんな彼女が一段と成長してまた戻ってきて、観客を圧倒する様なバトルをした。とても異例で、とても印象深いトレーナー。チャンピオンを断った彼女がリーグ入りだなんて。
ある者は驚き、ある者は憧れを抱き、ある者は。

散り散りになっていく観衆の間から見えたナマエは、信じられないとでも言うように頭を抱えており、ばっと顔を上げたかと思うと早足でダイゴの元までやってきて腕を引っ張った。ダイゴもまた抵抗せず、彼女の歩幅に合わせて歩く。歩いている間は終始無言で、重たい空気だと他人事のように感じていた。

人気のない路地裏にまでやってきて、急に足を止めたかと思うと振り返り、ダイゴを睨んだ。口元が微かに震えているのは悲しみ故なのか、怒り故なのか。あるいは両方か。


「あれは、どういうこと?」
「ナマエが聞いた通りだよ。ホウエンリーグに一年入ってもらう」
「何を勝手に……っ、私はリーグに帰ることを望んでない!」
「だからこうしたんだ」


怒りを露にしたナマエの剣幕に、ダイゴは怯むこともなくはっきりとした口調で静かに返した。感情に任せて今言ったこと、これが本音だろう。
変わりたいと思ってこの地に戻ってきた彼女にとって、過去の自分は忌まわしき記憶だ。その記憶が一番強いリーグに、昔の自分を嫌でも思い出す地に別れを告げたいのだろう。それこそ、この先もずっと。

まだ彼女の建前の言葉しか聞いてこなかったけれど、ようやく本音が分かった。何時までも彼女の答えが見付からないのはきっと、そこにある筈なのに今まで避け続けていた。
話を聞きにリーグに来ていたけれど、それはリーグに支点を置いてなかったから。あくまでもチャンピオンに用事があっただけだ。


「もう既に、総部長にも正式に登録してもらってる」
「なん、で……ダイゴは、何がしたいの」


搾り出した声は自分でも情けない位に震えていた。
勝手に私のリーグ入りを決めて報道にも伝え、私が完全に逃げられないようにして、縛られたようなものだ。
理不尽さに怒りを感じるしそれと同時に混乱もしている。その決定は誰の為なの。少なくとも私にとって迷惑極まり無いし、リーグだって人手に困っていない筈。睨むようにダイゴを見るのだが、彼は笑みを浮かべたままだった。その笑みに余裕さえも感じ、背筋が凍ったような気がした。この男に、ツワブキダイゴという人間に底知れない何かを感じた。


「個人的に君に協力したいって前に言ったよね。勿論、それだけじゃないけど」
「こんなの……、私の為でもない!それにそれだけじゃないって」
「分からない?」


ダイゴが一歩近づいてきてナマエは反射的に後ずさりしたのだが足が建物の壁にぶつかった。逃げ場を失い追い詰められ、固まってしまった。ナマエに向ける眼差しは真っ直ぐなもので、でもそれは確かに男の目だった。恐れを感じたけれど、視線を逸らすことさえも許さないような空気が流れていて逸らせなかった。


「僕は、君が好きだから」


そう紡いだダイゴの表情は穏やかで優しいもので、寂しそうだった。

言われたことが瞬間、理解できなかった。言葉を発しようとするのに、閊えてしまって出てこない。頭に血が上って行くような感覚に、眩暈を覚えそうになった。どれだけ振り回せば気が済むの。今の私には理解できないし、したくもない。

「ふ、ざけないで……」

ようやく搾り出した声は拒絶そのもの。拳を握り締め、目尻に溜まりそうになる涙をさっと拭いダイゴを正面から睨みつけ、踵を返して離れていった。ダイゴの視界から消えた頃、僅かに聞こえるゆっくりだった足音が早くなった。

そうなることを予想していたダイゴは彼女を止めなかった。こうなるって分かってた、分かってたけど。これは彼女のため?僕のため?今更そんなのはどうだっていい。何も言わぬまま、建物の間から僅かに覗く空を見上げて自嘲した。

「……まったく、僕も馬鹿だよね……」

さぁ、これからどう動く?
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