水月泡沫
- ナノ -

08

「リオン様……!」
「何だ、騒々しい!」


任務の準備の為に外に出ていたら兵士に声を掛けられ、リオンは苛立ちを隠せない様子で怒鳴った。
この後レンズハンターを捕まえに行かなければいけない事にただでさえ苛付いていたというのに何なんだ。

「なんて言ったって、あのルーティ・カトレットを捕まえに行くんですもんね……」

シャルティエの小さな呟きに聞こえなかった振りをする。
カトレット。僕の母方の苗字。エミリオ・カトレットという名を隠した少年にとっての姉であることを指していた。しかし、姉と過ごした時間など記憶にはなく、あの男は幼かった姉を切り捨てた。もうそれも気にならないほどにはなっていたが、初めはその名前に驚いたものだ。
恐らく意図的に、ヒューゴはこの任務を自分に命じたのだろう。兵士の無駄話を聞くような心境ではなかったリオンだったのだが。

「魔物による襲撃で飛行竜が落下致しました……!」

――こいつは、今何を言った?


「っ、飛行竜といえば、ユウナがいたんじゃ……!」
「おい、もう一度言え!」


リオンの声音に兵士は肩を揺らし、驚いて一瞬身を引くが、しっかりとした口調で話す。その服はぼろぼろになっていて、この男は飛行竜の任務についていた兵士だろう。なのにどうしてユウナが居ない?


「ひ、飛行竜が魔物に襲われて、生き残った私達はユウナ様に指示されて脱出して来ました!他の者は王城へ向かい、報告に向かっていますが、私はユウナ様に命じられてリオン様に報告に参りました……!」
「ユウナはどうしたんだ……!」
「ユウナ様は回収する物を回収してから脱出すると言っておりました……!それと……少し時間かかるけど戻る、とユウナ様からの伝言です」


その言葉に力が抜けそうになる。どうして彼女は、恐らく死傷者多数の危機的状況の中でも心配かけさせまいとするのだろうか。最高責任者として護衛していたものを回収し、最後に脱出したのだろう。それが果たして本当に無事なのかどうか――知る者は誰も居ない。
早く探しに行きたいという感情がリオンを駆り立てるが、この後は任務。ジェノスの近くにある神殿から国宝盗んだ賊を捕まえる任務だ。

「……僕が付いていれば……」

リオンは内心この任務を受ける原因となったレンズハンター、もとい自分の姉であるルーティを恨んだ。
ユウナの身が本当に無事であることをただただ祈るばかりだった。あぁ、守ると誓ったのに離れた間に手離してしまうなんて。なんて、無力なのだろう。


「……」
「お、ユウナ。目覚ましたか?」


見えるものは布団と木で作られたの天井。少し寒気がするほどの気温。
これはダリルシェイド近くのものではないな、とぼうっと考えていると痺れを切らしたロイの大声で声を掛けられてユウナの頭は完全に覚醒する。


「おい、ユウナ!」
「あ……ロイ!飛行竜は……!?っていうかスタンは、ソーディアンは!」
「とにかく落ち着け!」


ロイの言葉に数回息を吸って気を落ち着かせていると、ユウナの声に気づいたのか誰かが扉を開けた。そこに居たのは、白銀の髪を持つ、青年だった。そこはかとなく見覚えのある顔に、ユウナは思わず息を呑んだ。


「起きたかい?」
「ユウナ、こいつがお前とスタンを助けてくれた奴だ」
「うそ……?ウッドロウ様……!?」


目の前に居るはずの無い人物に驚きと焦りを隠せない。どうして本来こういう場所には居ない筈の彼がここに居るのだろうか。ロイは何のことだと、眉を潜めて驚き固まっているユウナに尋ねるが、困惑を隠せない様子のユウナはウッドロウから視線を逸らす。
まさか、こんな所でウッドロウに会うなんて思ってもいなかった。


「二年前から君が居なくなったという噂は街中に届いているよ……何があったんだい?」
「……ごめんなさい……でも、私は!」
「……君が決めた事なら私は何も言わないが、心配している人がたくさんいる。音沙汰無しだったからね」
「分かってはいます……、けどごめんなさい。私は戻れません」


ユウナは、はっきりとした口調でウッドロウを真っ直ぐ見つめて告げる。ロイはここで口を挟むべきではないと感じて口を閉ざしたまま、事の成り行きを見守っていた。


「成程、君には明確にやりたいことがあるのだろう。……スタン君なら、ジェノスの方へ向かったよ」
「ありがとうございます、ウッドロウ様……!」


ウッドロウが出て行った後、ロイはユウナに気を使って気になっていることの一部だけを尋ねた。


「ユウナ、あいつと昔会った事があるのか?」
「……あの人はファンダリア王家の子息、ウッドロウ様。私の家と私を知っている人……だね」
「だからか……よく連れ戻さなければいけない、とか言われなかったな」
「あの人は……そんな人じゃないとは思う」


自分が知っているウッドロウは本当に良い人だ。判断力もあり、冷静で、民や人を思い遣る心を持った青年だ。そんなウッドロウに憧れる国民も実に多い。だからこそ、ユウナも信用できる人としてウッドロウに一目置いていたのだ。
ユウナは軽く身支度を終えてロイを手に、部屋を出る。早くスタンを追わなければあのソーディアンを回収できない。純粋なスタンから回収するなんてとても良い響きではないが。


「ユウナよ……、好きに生きる事は良い事だが、一回は家に顔を出すんじゃよ。今回のように危険な目に合うような仕事をしているとなると、皆が心配するじゃろう」
「はい……アルバさん。ありがとうございました」
「それにしても、ユウナさんが無事でよかったです!」


桃色の髪が特徴的な、小さいながら弓の名手である少女、チェルシーが髪を揺らして笑顔で言ってくる。本当に妹のような存在でつい頭に手を置いて撫でてしまう。


「ありがとう、チェルシー。またいつか会いに来るね」
「はい、一日千秋の思いで待ってますよ!」
「ユウナ君」
「何ですか?」
「私も一緒に行っていいかね?」


初めはウッドロウの言葉に驚いたが、彼にも何かやらなければいけないことがあるのだろうと感じて、理由は深く追求せずに、共にチェルソの森を抜けてジェノスへ向かう事になった。
ウッドロウの弓さばきは衰えることなく、むしろ成長しているようで行く道を阻む魔物を寸分の狂い無く矢で攻撃する。
そのお陰で、思っていたよりも早くジェノスにたどり着いたものだ。彼はこの先別の場所に用事があるらしく、ここで別れることになった。


「では、私はこれで。ユウナも気をつけて」
「はい、ありがとうございました!ウッドロウ様もお元気で」


ウッドロウは恐らく実家である王城に顔を出しに行ったのだろう。そのことを深く追求することは無く、彼と別れたユウナはスタンを追うためにダリルシェイドへ向かおうとする。
ダリルジェイドに行くための門の近くまで足を運ぶと、ロイは何かを発見したのか声を上げる。その声に反応して、下を向いてた顔を上げるとそこにはスタンと、他にも女の人が二人居た。

――リオンに似てる、だろうか。気のせい、か。


「スタン!」
「え……、あ、ユウナ!大丈夫なのか?」


スタンはユウナの姿に驚きを隠せない様子だった。起こそうとしても起きる気配が無かったユウナを、無理やり起こすのは気が引けたし、自分たちを逃がす為に奔走してくれた彼女を休ませるためにも、彼女を知っているらしいアルバ達の元で暫く寝かせてあげた方がいいと判断して、スタンは先に小屋を後にしていたのだ。
スタンの横に居た黒髪の女の人がユウナの顔を見て不思議そうに彼に尋ねた。


「ちょっと、スタン。この子誰よ?」
「あぁ、この人はー」
「私はユウナ、護衛剣士です」


スタンに飛行竜での事件やソーディアンのこと、そして自分の身分を言われる前に名前と護衛剣士という身分を告げた。え、と言われるがスタンにそっと耳打ちをする。


「私、あまり客員剣士って言われるの嫌なの。だから……言わないでくれる?」
「分かった、一つや二つ言われたくないことだってあるもんな」


こういう時だけは本当にスタンは素直でいいと思う。何だか悪い気はしてならないが。
客員剣士補佐という名前を無暗にこの地域で翳すのはユウナとしては避けたかった。客員剣士補佐として無駄に名前が回ってしまうと、ダリルシェイド付近ならともかく、この地域では流石に都合が悪すぎるのだ。


「へぇ、あんたが護衛剣士?」
「はい、護衛剣士を始めてから長いですよ」
「じゃあ、強いって訳ね。私はルーティよ。あんた、私達の護衛する気は無い?」
「え、貴方たちの護衛?」
「ハーメンツという所に向かうんだ。私はマリー。よろしくな、ユウナ」
「ハーメンツ?私もその近くに用事があるのでいいですよ。同行という形なので、賃金もお気にせず」
「なに!?アンタ太っ腹ね!?よーし、交渉成立!」
「またよろしくな、ユウナ」


――ハーメンツの村にて、ルーティもウォルトという人への交渉も終了したようで、食事を済ませて宿屋に来ていた。ベットに腰掛けてお金をテーブルに置いたルーティがユウナを見て、疑問に思っていたことを口にした。


「あんたって何処から来たの?」
「私、ですか?私は孤児院です」
「へぇ、あんたも孤児院なのね!」


ということはルーティは孤児院育ちと言う事だろう。ルーティの嬉しそうな顔に少し顔が引きつってしまう。嘘をつくのは心が痛む、とはこういう時に言うんだな、と内心溜息をつきながら。


「マリーさんも記憶が無いなんて大変ですね」
「そうか?これはこれで楽しいぞ」


記憶が無いなんて、不安だろうにそれを感じさせないほどの笑顔、そして何処か強い芯があるような彼女をつい尊敬してしまう。
横では既に眠りについているスタンが居て、時々寝返りを打つけど起きる気配は無い。そんなスタンを見て笑いながら、他愛も無い話をして、眠りに付いたのだった。

そんなルーティ達を密告した者の情報がダリルシェイド近くで控えていたリオンの元に入るのはそう遅くはなかった。


「リオン様、例の盗賊の居場所が分かりました!」
「それは何処だ」
「場所はハーメンツの村、只今兵たちが向かっております。人数は三人との事です。それと、ユウナ様がジェノスで見かけられたとの情報が!」
「それは本当か!?」
「は、はい」


彼女にもし万が一のことがあったら。悔やんでも悔やみきれなかったし、彼女の情報が入らないかと落ち着かなかったが、無事を確認出来て安堵した。
――ユウナが生きていた。あとはこの任務を終わらせて。


「坊ちゃん、これが終わればユウナを探しにいけますね!ユウナもきっとジェノスからダリルシェイドに向かってますから直ぐに会えますよ!」
「あぁ、早く終わらせる……!」


ユウナを探しに行くのみ。
再会したらまずは一喝しなければ、と呟いて小さく笑い、ハーメンツの村へと向かった。
情報はその村のウォルトという奴からだった。盗賊ルーティとマリー、そしてもう一人男が家へやって来て脅してきたという。今ならハーメンツの村に居るから朝に襲撃できるとのことだった。


「ユウナ、起きて!」

早朝。突然部屋が騒がしくなって、ルーティの大声が耳元で聞こえたので何事かと思い、ユウナは重たい瞼を開けた。半分寝ぼけた状態で返事をすると、ルーティはそれに構わず慌てた様子でユウナをベットから引きずり出す。


「何、ルーティ……」
「今、この宿屋を衛兵達が囲んでるのよ!ウォルトの奴……!」


この様子からすると多分、通報されたのだろう。ということは、この村の場所を考えると来たのはダリルシェイドの兵の筈だ。当然自分には危害は無いけれど、兵達が手荒な真似をするとソーディアンが傷つく恐れがある。
ルーティ達も根はいい人なのだが、確かにトレジャーハンターは法律的には引っ掛かるだろう。客員剣士補佐という立場上、兵が捕まえようとしている案件に対して、あまり情を移している場合ではないのだろう。

「分かった、でもちょっと待って。スタン起こすから!」

ルーティを先に行かせて、自分は横のベットで眠りこけているスタンを起こす。体を揺するが、それでも起きないスタン。本当に寝起きは悪いと思う。


「スタンッ!」
「んあ?ユウナ?あ、おはよう」
「今、この外を兵が囲んでるんだって!ルーティ達を助けに行って!」
「え、わ、分かった!ユウナは……」
「私は、自分の部屋に荷物を置いてきたからちょっと取ってくる、先に行ってて!」


スタン達が捕まった後に出ようと考える。助けてやりたい気持ちも山々だが、王国の兵が来てまで捕まえに来ているなら別だ。自分はセインガルド王国客員剣士補佐だ。
窓から覗くと兵士達は次々とスタンやルーティ、マリーによって倒されていき、圧倒的だった。その場に居た兵士達は全員倒れてしまい、改めて彼らの強さに感心した。


「仕方が無いね……ロイ」
「まぁ……仕方がないな、この場合」


裏切るようで非常に申し訳ないのだが、ユウナは扉を開けて外に出る。
そこには砂埃を払っているルーティとディムロスに凄いな、と言っているスタン、斧を地面につけていつマリーの姿があり、見た限り傷も少なかった。


「ちょっとユウナ、遅かったじゃない!」
「戦闘中に下手に出ると危なかったからだろう」
「あ、貴方は……」


まだ意識が辛うじてあった兵士がユウナの顔を見て驚く。兵士に名前を呼ばれる前にこの場に一つの声が響いた。


「無様なものだな、これ以上見ておれん」
「リ、リオン様!」
「え?」


ユウナはその声と名前に反応して、声がした方を振り向く。
そこに居たのは約束した彼。伝言を伝えるように言っていた相手だった。まさかこんなタイミングで出会うなんて予想もしていなかったけれど。


「リオン……!」
「ユウナ……!?」
「ちょっと、ユウナ。何であいつの事知ってるわけ!?」


ルーティは護衛剣士の筈のユウナと、王国軍の兵の一人らしい少年が知り合いなのか、互いの顔を見て驚いている二人を見て、声を上げる。
リオンは折角の再会を邪魔された気分だと思いながら、今すぐにでも再会を祝して抱き締めてもやりたいが――スタンにシャルティエの切っ先を向けた。


「事情も知らずに正義の味方を気取る。お前、どこの馬鹿だ?」
「馬鹿じゃない!スタン・エルロンだ!」
「あいつが持ってる剣、まさか……!」
「シャルティエ!」


ルーティ、スタンが持っている剣から名前が上がる。シャルティエはあちゃー、と情けない声を出して溜息を吐く。やはり二人が持っていたのはソーディアンだった。リオンは手を抜けないと感じ、シャルティエを握る。


「やっぱり……、またソーディアンが出て来るとはね」
「セインガルド王国客員剣士、リオン・マグナスだ。ソーディアンが二本あるとは好都合。まとめて持ち帰ってやる」
「なんだと、この!」
「腕ずくというのも悪くない。ソーディアン同士が戦うとどうなるか、一度試してみたかった」


リオンは前衛で剣を振るうスタンと斧を振り回すマリーと一人で戦っている。
いくらリオンの動きが俊敏で、剣術にも晶にも術優れているとは言っても、三人を相手にするともなると少なからず苦戦はしているようだった。何よりルーティが回復をしているため、更に厄介だった。


「ちょっと、ユウナ!あんたも攻撃を……!」
「……本当にごめん、ルーティ」


ユウナは剣を収めたままルーティの後ろへ素早く回り込み、首へ手套を入れる。ルーティは突然の攻撃に目を開いたが、ぐらりと傾いた意識はそのまま暗転し、気を失って地面へと倒れこんだ。


「ルーティ!」
「ユウナ、何で……!?」
「余所見をしている暇があるのか?」


リオンは隙が出来たスタンとマリーに素早く斬りかかり、気絶させる。使い手の名前を必死に呼ぶが、その体はぐったりとしていて返事をする事も無い。
スタンという奴、マリー、そしてルーティを見る。シャルティエはリオンに気遣って何かを言おうとするが、リオンは遮るかのように「こいつらをダリルシェイドへ連行しろ!」と声を上げた。

兵士達や、兵士達に連れられたお尋ね者たちはハーメンツの村を出て行ってしまい、その場に残ったのは、気まずそうなユウナとリオンだけだった。

「えっと……リオン……」

ごめん、と謝る前に視界が暗くなる。背中には暖かさが伝わってくる。それが抱きしめられていると分かったのは少し遅かった。


「リ、リオン……!?」
「馬鹿者、帰ってくるのが遅い」
「ごめん……ちょっと事故があって……」
「何が大丈夫だ!全く……」
「……リ…リオン?あの……」


彼を心配させていたということは当然分かっているつもりだ。きっと報告するためにダリルシェイドに戻った兵士の負傷や死傷者の被害報告に、自分がもしかしたら生きていないかもしれないと感じるのは当然のことだろう。
しかし、抱き締められるということに慣れている訳ではない。リオンの胸で隠れている顔は熱く、赤くなっている。ロイが痺れを切らして何処か別の世界に行っている二人を呼び戻した。


「いーつまで抱きしめてるんだよ」
「ですよねぇ、坊ちゃん。ユウナ、顔赤いですし」
「シャ……シャル!」


シャルティエの零した言葉に、ユウナは言わないでと制し、リオンもようやく気づいて顔を朱に染めて慌てて離す。


「す、すまない……!」
「い、いや……大丈夫!」
「ったく誰も居ないからってこーんな事してんじゃねーよ。こっちが恥ずかしくなる……」


ロイの呟きは勿論本人に届いていて、リオンは睨みを利かせる。
大体、こんなことする原因になったのも全てはあの任務のせいだ。大量の魔物が襲い掛かってきて、ユウナ一人でどうすることも出来ないような絶望的な状況から生存者を守り、そしてソーディアンも無事回収自体はしている。聞いた時は生死すらも分からなかったのだから、抱き締めるという行動に咄嗟に移すことくらいは許されるだろう。


「ロイ、坊ちゃんも飛行竜が落ちてユウナが帰ってこなくて心配したんですから」
「シャル!」
「心配かけたよね。……ありがとう、ただいま。エミリオ」
「……っ、これからは無茶をするな。僕の補佐としてだ」
「うん」


エミリオ、その名前で呼ばれる時は、彼女が自分を一人の人間として頼ってくれている時だから。
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