水月泡沫
- ナノ -

07

ノイシュタットでの誘拐事件を解決した任務から約三週間。
それからあまり大きな任務も特に無く、簡単に言えば暇な状態だった。リオンとユウナは自宅で待機することも多く、やや時間を持て余していた。
しかし、それは同時にリオンにとってマリアンと、ユウナと過ごす時間が長くなるということだ。彼にとってはささやかな幸せの時間だ。愛の種類は違うとはいえ、リオンにとって自分以上に優先すべき相手だったのだ。


――この日、ユウナは報告を受ける為に城に足を運んでおり、軽い用事が済んだ後は真っすぐ家に帰ろうとしていた。
マリアンが作ってくれる今日のおやつは何だろうかなんて考えながらぼんやり歩いていたユウナに、ロイが言葉をかけた。


「おい、ユウナ。あれ、ヒューゴじゃないか?」
「え、本当?」


城の方を振り返り、目を凝らして城から降りてくる人をよく見ると確かにヒューゴ・ジルクリストだった。彼の家に住まわせてもらっていると言うのに、一方的に苦手視しているだなんて都合のいい話かもしれないが。
彼とこうして顔を合わせたこと自体は久々で、ユウナを見つけてヒューゴは真っ直ぐ近づいてくる。逃げられなそうだと直感し、軽く挨拶をして適当にやり過ごそうかなんて思っていたのだが。


「元気かね、ユウナ君」
「えぇ、お陰さまで客員剣士補佐として充実した日々を過ごせています」
「それは結構。君に直に頼みたい任務があって探していた訳だ」
「私に……ですか?」


周りには聞かれたくないそうで、ヒューゴに連れられて人気の無い所へ行く。リオンを呼ばずに自分だけを呼ぶということは今回は単独任務なのだろう。あくまでもリオンの補佐であったからこんな事は初めてだった。

「……護衛ですか?」

ヒューゴから聞かされた内容は護衛、とのことだった。そういえば彼が自分の身分を詐称する際に、護衛剣士だったことを周りに伝えてくれていたようだが、その経験を買って護衛に関する任務を誰かが指示したのだろうか。
それにしたってリオンとは別行動で単なる護衛に客員剣士補佐である私が付くなんて、何を護衛するのか。


「引き受けてくれるな?」
「はい、分かりました。しかし……何故、リオンと同じではないんですか?」
「リオンには別の任務についてもらう」
「分かり、ました」
「何かがあったときに指示してくれればよい。最高責任者として頑張ってくれ」


別の任務に付いてもらうことになっていると聞くと、何かの思惑というよりも突然複数の任務が入って人手不足なのだろうか。
それにしたって最高責任者という責任はあまりに重大だ。どうやら護衛するものは頑丈な飛行竜に乗せて護衛するようだが、寧ろ飛行竜に何かがあるような危険があるのだとしたらよほどの案件のことのように思える。普通の任務だったら、リオンと離してまで自分を任務に付けさせないだろうに。


「ヒューゴ様……先程から気になっていたんですが何を護衛するんですか?」
「ソーディアンだよ」


――本当に今日は頭が痛くなる日だ。
口角を上げたヒューゴの笑みに思わず、本人の目の前で溜息を吐きそうになった。

任務についてユウナに話した後、用事があるとのことでヒューゴは何処かへ行ってしまった。今まで黙っていたロイも、今回の任務の大きさに思わず感嘆の声を漏らす。


「何だよ、すっげぇ重要な任務じゃねーか……」
「だよね……なのに何で私だけなんだろう?」
「なんか怪しいな……」


ヒューゴが何を考えているか分からないなんて何時もの話ではあるけれど、ロイの頭から先程のヒューゴの笑みが離れなかった。
誰かに似ているような、そんな恐ろしい笑みが記憶を掠めるのだ。一体"だれ"と重ねようとしているのか、考えても全く分からなかった。


「ソーディアンっていえばロイの知り合いだったりする?シャルと知り合いだったんだし……」
「……まぁな」


ロイの歯切れの悪い返答に、ユウナはそれ以上問いかけはしなかった。
何せ、シャルティエでさえ「ソーディアンチームではなかったロイが何故ソーディアンになっているのか」と今になって漸く知って驚いた位だ。
バレたら面倒臭い事になりそうだから本当はバレたくないとは思うが。ディムロスとかアトワイト辺りだったら面倒臭くなる事は間違いないだろう。


「リオンに言っておいたほうがいいね、これ。任務は明日でしょ?急だね……」
「ったく……リオンに言ったら何て言うかな……まぁシャルティエに全部任せるしかないな」
「明日あるし……今日はゆっくりでもしよっか。マリアンとお茶とか」
「いいな、……けど俺暇だな」


ふてくされるロイにユウナは少し呆れてシャルティエの所に置いていってあげるから、と言ったら、何でシャルティエと二人きりになんなくちゃいけないんだと返されてしまった。
幾ら親しかったとはいえ、形のない男二人が置いて行かれるというのは退屈というものなのだろう。


「リオン、居る?」
「あぁ……入れ」


リオンの部屋を軽くノックすると低めの声が部屋の中から聞こえてくる。中に入れば、どうやら休憩していたようで手には本、そして傍らにはシャルティエが立てかけられている。
しかし、ユウナの様子に何か気づいたのか「どうしたんです?ユウナ」とシャルティエが問いかけた。
ロイの助言も受けつつ、ユウナはヒューゴから受けた任務の話をする。リオンの補佐としてではなく、最高責任者として飛行竜に搭乗し、ソーディアンの護衛に自分のみが行くと言うこと。するとリオンはロイの予想通り驚き、不安げな顔をした。


「……なに?ユウナ一人でだと?」
「うん、よく分からないけど……リオンには明日、別の任務が入ってるって聞いたよ」
「坊ちゃん、その任務ってヒューゴ様に言われたんですよね」
「どういうつもりだ?何故、ユウナだけ……」
「大丈夫だよ、明日だけだし。すぐ戻るから。ほら、戻ってきたらまたお茶でもしようよ!」
「ユウナ」


リオンはユウナの目を真っ直ぐ見据えて今度はしっかりとした口調で名前を呼ぶ。
いつもとは違う声で呼ばれて一瞬、胸が鷲掴みされたような気分になる。リオンは大切な人やシェルティエを含める相棒には実に優しく、そして自分で全て救おうと考える所もあるほどに心配性である。
もしかして、それ位に自分の身を案じてくれているのだろうかと思うと、どうしようもなく頬が熱くなる感覚を覚えて、ふるふると首を横に振った。


「な、何?」
「必ず戻って来い」
「分かってるって、心配しすぎだよ……リオンは。帰ってくるから」
「あぁ……」


ロイが居るんだしすぐに戻って来ると笑顔で語るユウナに、リオンは緊張の糸を緩め、小さく優しい笑みを浮かべて返事をする。「じゃあマリアンとお茶しに行こう?」という誘いと共に部屋を出て、今度は何時になるか分からなくなってしまうことになるティータイムを楽しむのだった。


――翌日の任務当日。重要な任務の内容に憂鬱だったが、いざ飛行竜に乗り込んでみると意外と快適だった。空は見えるし、風が気持ちがいい。
最高責任者といっても場所は空だ。侵入者は今の所見付かっていないし、はっきり言ってやることは無い。


「ロイ……暇だねー」
「暇だけどよ、お前凄い怪しく見られるぞ?俺、一応剣だからな」
「分かってるよ……」


ソーディアンを知らない者からしてみれば、異様な光景だろう。何も話さない剣に一人語りかけえるように見えるのだろうし。それも、今この空間に誰も居ないからこそ出来ることなのだけど。
リオンとマリアンは凄く心配そうな顔をしていてたけれどこの調子なら別に大丈夫そうだ。

そう思った矢先、扉が開いて大きな声が部屋に響く。その剣幕に、ユウナの表情には緊張感が戻って来る。


「失礼します!」
「何、どうしたの?」


すぐさま剣をしまって話を聞く体勢になる。どうやら密航者が現れたらしく、今捕らえた所だそうだ。この飛行竜に一人で乗り込む人が居るなんて、と軽く感心してしまったが、最高責任者という任務を任されている以上、務めは果さなければならない。


「分かりました。私がその人の元へ向かって話を聞きましょう」
「しかしユウナ様……」
「私は大丈夫です、何処ですか?」


兵士に案内されて館長室へと向かう。中から騒がしい声が聞こえてくる。
それを無視して、扉を開けた途端聞こえてきたのは若い青年の声だった。それと、艦長の嘲笑うような冷たい声が聞こえてくる。


「本当に、セインガルドに行きたかっただけなんです。信じてください!」
「あくまでもシラを切ろうってんなら、こっちにも考えがある。おい、体に直接聞いてやれ!何がなんでも吐かせろ!」
「艦長、私が話を聞きます。勝手な判断はしないで下さい」


艦長は入ってきた人物がユウナであると気づくと、慌てて直ぐに態度を変える。


「これはユウナ様!しかし……こいつは……」
「まずは話を聞かないと始まりません。すみません、今日は大切な物を運んでいたので皆ピリピリしてて……」


金髪の、長い髪の青年に謝る。賊には見えない程に、滲み出る心の優しい気のいい人だというのがこの青年を見たユウナの第一印象だった。印象だけで人を判断するのはよくないが、それほどまでに彼の蒼い瞳は澄み渡っていたのだ。
その青年は我に帰ったのか、ユウナに対して謝らないで下さい、と声をかける。セインガルドに行きたかったと言っているのだから、ソーディアン回収をした辺りの村で暮らす、素朴な村人だったのだろう。

「けれど……密航、は感心できませんね。はい、行きますよ!」

青年の手を引いて艦長室を出て行こうとすると、えぇ!?と声を上げられる。
一応、警備は厳重にしておくように言うと艦長達はすぐさま分かりました、という返事を返してくる。その返事を聞いて、青年を引っ張って部屋を出た。
そしてその途中にあったデッキブラシを取ると青年に渡す。


「何ですか?これ」
「密航者ですから。罪人として突き出すことはしませんが、ただで乗せる訳にもいきません。甲板の掃除をしてもらいますけど、頑張って!」


青年――スタン・エルロンはユウナから受け取ったデッキブラシを持ち、特別不満を言うこともなく素直に甲板を磨く。それは彼女が先ほど自分を危機的状況から救ってくれたことが分かっていたからだ。
この掃除で免罪となるのなら、幾らでもするという心意気だった。しかし密航者という事実には変わりなく、その横にはユウナが一応監視として付いている。


「なぁ、君ここの最高責任者なのか?」
「はい、そうですけど……?」


私よりも年上だろう彼は何処か人懐っこそうで、純粋だった。何よりもその笑顔が太陽のように眩しく、あぁこんな風に居られたらきっと幸せなのだろうと、寧ろ見ているこっちが何処か幸せになるような、そんな雰囲気を持っていた。


「俺、スタン・エルロンって言うんだ!君は?」
「私は……セインガルド客員剣士補佐、ユウナ。」
「すっごいなぁーユウナ、俺よりも年下っぽそうなのにそんなに偉いだなんて」
「別に……偉くなんてないよ……、スタンは何処から来たの?」
「リーネの村っていう所だよ、セインガルドの兵士って格好いいよな〜」


成程、やはり村で暮らしていた子がセインガルドの兵士に憧れて上京しようとしていたのかと納得する。自分も別の事情でセインガルドを訪れて結果として客員剣士補佐に収まったのだから人のことを言えないかと肩を竦めた。
掃除をするスタンと会話をしていたのも束の間、突然艦内に警報が鳴り響く。先程まで静かだったはずが、急に騒がしくなった。

緊急事態を察知し、何があったのか、と周りを見渡すと前方からはモンスターの大群が迫ってきていた。魔物が群れを成して攻めてくるなど、こんな事例は聞いたことが無い。
もしかして、運んでいるものが原因なのだろうか。この数をまともに相手したら全滅は間違いないだろう。ならば、避難させるのが先だと判断したユウナは険しい顔で指示をする。


「スタン、ここから早く逃げて!」
「え!?う、うん」


スタンに逃げるように指示し、艦内に戻って兵士達に指示をする。
兵士達は突然の事に混乱していたが、はい、と短く強く答えるとすぐに動いていった。そして、スタンがちゃんと逃げたかどうか確認するためにまたデッキへと向かう。


「よかった……居ない」
「おい、ユウナ!この量は危ないぞ……!」


ロイの言葉通りモンスターは見たこと無いほどに大量に居る。最近、やっぱりついてないのかもしれない。

「少し片付ける……!脱出ポッドが壊されたら堪らないからね!」

ロイを鞘から抜き出し、詠唱する。光の槍がモンスターの大群に直撃すると、一気にレンズへと形を変える。とりあえず、船にかなり接近していた魔物だけは追い払った。飛行竜はスピードを上げて逃げるが、魔物に捕捉されている以上攻め落とされるのは時間の問題だ。
そして、先程の兵士達は無事かどうか確認するためにまた艦内へと戻る。

歩く所、歩く所、血の跡と爪跡だった。
ユウナは無意識に足を速めて、生存者が居ることを願いながら部屋の扉を開ける。すると、そこに咄嗟に逃げ込んだのか二十人ほどの人が身を縮めて集まっていた。

「他の者は……」

兵士達が視線を落とした事から、何を指すか理解する。しかも、来る途中のあの血の跡と爪の跡で大体は想像できる。


「貴方達は脱出用ポッドで逃げてください」
「しかしユウナ様は……」
「私は回収するものを回収してから脱出します。貴方達はダリルシェイドに生きて戻って報告を!」


兵士達はその有無を言わせない口調で命ずる「ユウナに、はい!」と答える。彼女なりに指揮官として護衛すべき物を自ら確保した上で、これ以上の犠牲が出ないように指示してくれているのだと理解していたからだ。
あと、と続けて目の前に居る兵士にユウナにとって大切な伝言を頼んだ。


「リオン・マグナスに会ったら少し時間かかるけど戻るって伝えてくれる?」
「はい、分かりました!」


兵士の返事を聞いて、安心してソーディアンが保管してある場所へと向かう。
リオンとマリアンが待っていることだし、私もソーディアンを回収次第、早くダリルシェイドに戻らなくちゃいけない。けれど、この飛行竜も何時までも持つわけじゃない。段々と揺れが大きくなっているのが分かる。


「おい、ユウナ。早く脱出しないとこれは本当にヤバいぞ!」
「分かってる……!戻るって約束したから!」
「帰ったらリオンの説教決定だな……」


ソーディアンが保管されている部屋へ続く廊下に出るとそこには黄色い髪の彼、スタンの姿があった。まだ脱出してなかったのか、と驚いたが、更に驚いたのはスタンの手に握られている一本の剣だった。


「スタン……!それに、それってソーディアン……!?」
「何か声が聞こえて我を手に取れって……」
「それって……スタンにも素質があるってこと?」
「げ、ディムロスかよ……」


ロイに小声で問いかけたのだが、ロイは口を開かない。何せ、目の前に居る人物が説教が長くなりそうで割と会いたくなかったディムロスであったからだ。
護衛している物をスタンが持っているというのは任務的には宜しくないのかもしれないが、ある意味今の状況では好機と言えるだろう。自分が取りに戻っていたら間に合わなかったかもしれないし、魔物に奪われていたかもしれない。

「とにかく、早くポットに乗らないと!」

スタンを連れて脱出ポットへと向かう。ポッドは残り一つしかなく、あの場に居た人は皆無事に逃げたようだ。自分達もポットへと乗り込もうとするのだが、魔物も数多く居て中々進めない。


「スタン、先にポットに乗って!」
「嫌だ!ユウナだけに任せるなんて……」
「早くして!生きる事を考えて!」
「スタン、そいつの言うとおりだ。悔しい気持ちはわかるが、引き際を誤るな!悔しいのはお前だけではない!少しは冷静になれ!そして自分の限界を知るんだ」


ディムロスにも促されてスタンは渋々、剣を降ろすと駆け足でポットに入る。晶術で幾らか魔物を撃退した後に滑り込むようにユウナもポットに入ってハッチを締めたのだが。
後ろからワイバーンに攻撃されてその衝撃で脱出ポットは煙を上げる。

「ま、まさか……!」

ユウナの悪い予感は的中し、ポットは重力に従って、落ちていった。

――ごめん、リオン。ちょっと遅くなるかもしれない。
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