水月泡沫
- ナノ -

06

「リオン、……嫌なら別にやらなくていいよ?」

イレーヌの不穏な提案にリオンはまさか自分を女装させるつもりではないかと身構えていたが、気遣ったユウナの提案によってそれは回避できた。
確かに、変装ならば一人でも十分だし、男が変装するよりも疑われずに作戦を進められるだろう。ユウナが変装してわざと捕まり、捕らわれている人を助けている間にリオンが正面からそこへ乗り込む。
こちらの方が、もし鍵を掛けられて出れない時に対応できてむしろ効率がいい。イレーヌにその事を話すと本人はとてもつまらなそうな顔をしたが「……それもそうね」と小さく呟くと、また顔を上げてユウナの手を掴んだ。


「じゃあ、ユウナちゃん。今から私の家に行って着替えましょう?」
「わ、私は決定なんですか!?帽子を被るくらいじゃ……!」
「駄目よ、もしばれたら大変でしょう?」


イレーヌは恐らく無闇に顔を見られたくないのだろうか、嫌がるユウナを無理矢理引っ張って、家のほうへと向かっていった。
その後姿を見て内心、よかったと思うリオンにシャルティエがぽそりと呟いた。


「……危なかったですね、坊ちゃん」
「……そうだな、今のイレーヌなら……」
「坊ちゃんを女装させるでしょうね」
「……」


シャルティエにストレートに女装という言葉を言われて、リオンは黙り込む。
女装なんて人生の汚点になるといってもいいだろう。それくらい屈辱的なことを任務の為という名目でやらなければならい状況を回避出来ただけいいのかもしれない。


「イレーヌはユウナをどうするんでしょうね?」
「分からない。だが、あいつの好きなようにさせられるだろうな」
「坊ちゃん、僕達も行きましょうよ」


リオンはイレーヌの家へと戻り、ユウナの着替えが終わるのをリビングで待っていたが一向に出てこない。
ユウナが着替えている途中に部屋からユウナの嫌だ、という声とイレーヌの駄目!という声が漏れていて、本当に変装せずに済んでよかったと思った。それにしても一体どれくらい時間を掛けているんだ。


「まだか?」
「こんなに時間がかかるものなんですね。何か最初の方は嫌だって声が聞こえてましたけど、もう静かですよ」
「リオン君ー、出来たわよー!」


イレーヌが顔を少し出して、リオンに言ってくる。その顔はとても晴れ晴れした様子で。何をやったらこんな顔をするんだろうか。


「坊ちゃん、恥ずかしいんですよユウナは」
「……、入るぞ」
「いいわよ、ね?ユウナちゃん」


しかし、そんな事を行った所でリオンが待ってくれるわけもなく。扉を開けて入ってきて、ユウナの姿を見た途端リオンは何も言えなくなった。
イレーヌがユウナに着せていたのは、淡い青色の細身の体に合っているドレス。髪の毛も綺麗に纏められていて、その姿はいつものユウナとはまた違っていて、綺麗だった。ただ、この格好で何故そんなにも拒絶反応を示したのかと疑問も覚えたが、答えは簡単だ。
着慣れているからこそ、着たくなかったのだ。


「ユウナ、綺麗ですね坊ちゃん!」
「そ、そう?ありがとシャル」
「……似合ってなくも、ない……」


リオンは耳を澄まさなければ聞こえないような小さな声で呟いた。しかし、ユウナにはしっかりと届いていたようで、照れ臭そうに視線をそらす。あぁなんとも分かりやすい二人だと、ロイはやれやれと溜息を吐いた。

ーー被害が多発しているという時間帯は夜の人気が少なくなってきた頃。
まずユウナが夜にわざと捕まりに行って犯人の気を引き、もし同じ部屋に誘拐された女の子が居たら保護する、もしくは逃がす。ユウナが気を引いている間にリオンが本拠地に乗り込んでいくものだった。


「ユウナ、大丈夫か?」
「大丈夫、ロイは……連れて行けないね。剣を持ってる女の子なんて怪しいし」
「何だよ……でも、護身用に短剣とか、それくらいは持っておけよ」


長剣は流石に隠し持つにしても分かりやすいだろう。ロイの気遣いに乗ることにして、短剣を一応持つ事にする。
もしも自分が縛られた時に、切れるように、命の危険が及びそうだったら反撃できるように。ただ、そういう状況にならないことを祈るばかりだ。

「向こうも男よ、十分気をつけてね」

イレーヌの忠告を肝に銘じて頷き、ユウナは夜のノイシュタットへと出て行った。
リオンもユウナに続いてイレーヌの家を出て、一定の距離を置きながら周辺も警戒しながらユウナの後を追った。
ユウナが大通りへと出ると街頭こそは点いているが、そこにはもう人影もあまり無く、昼とは違って静かだった。この道を女性が一人歩いていて、複数の男性に囲まれたら抵抗など出来ないだろう。


「坊ちゃんどうします?もしもユウナが男達に何かされたら!」
「ユウナはそんなに弱くはない」
「でも、もし……ですよ!」
「その時は全力でユウナを助けるまでだ」


ユウナが暗い道を歩いていると、例の男達らしき者は直ぐに現れた。普通に道を歩いているように見せかけているのだろう二人組の男だったが、二人はユウナを見て顔を緩めて、相談し始めた。周辺を歩いては値踏みしているのだろう。
この二人だと確信したユウナはわざと苦しそうに咳き込みだす。そして、二人はその様子にしめたと言わんばかりに近づいて来た。


「なぁ、君大丈夫?」
「は……はい……すみません、ご親切に……体調を、崩していて……」
「大丈夫には見えないな、俺達が家まで送ってやろうか?」
「……ご親切にありがとうございます」


疑っていないような素振りをしてそこは男達の話に乗る。そうすればアジトも分かるし、捕まっている少女も助けられる。
男はユウナの手を取ろうとしたが、そこは大丈夫ですと微笑んで交わした。


「……」
「……坊ちゃん、抑えてください!」


気安く馴れ馴れしく触ろうとする男に、リオンはその様子に苛立ちを覚えながらシャルティエに手をかけていた。あの男共を今直ぐにでも斬りつけてやりたいが、人質が居るので手を出せない。
そしてユウナは男に呼ばれて後ろを振り向こうとしたその時、口をハンカチか何かで押さえられた。ユウナは驚いて短剣を手に掴もうとするが、どんどん体の力が抜けていく。

ーーそう思っても、既にもう遅く。開けていた目は閉じられ、体も地面に向かって倒れこむ。


「ユウナ……!」

緊急事態に危うくリオンがその場へ駆け込もうとするところをシャルティエが制する。
助けてやりたい衝動を押さえ込んで、ただリオンは悔しそうな顔をして連れて行かれるユウナを目で追っていた。なんて下衆な連中なのだろうか。年頃の女性を一度ならず二度までも眠らせた上で誘拐するなんて。


「坊ちゃん、行きましょう」
「あぁ……」


苛立ちーーとはまた異なる、殺気にも似た威圧感を放つリオンに、シャルティエは「あーあ……」と物憂げに溜息を吐いた。あの二人が捕まる時、果たして無傷で済むかどうか。しかし、ユウナに酷いことをしたという時点でシャルティエも一切止める気はなく、二人の末路を想像して呆れるばかりだった。

「ここか……」

ノイシュタットの外れにある小さな民家。人はもう通っていない。
どこからどうみても普通の民家ではあるが、そこにユウナは連れ込まれていった。シャルティエの目の先には明かりのついた二階があり、話し声も聞こえる。


「……どうやら二階に監禁されてるみたいですね。今更ですけどユウナは大丈夫なんでしょうかね?」
「シャルがさっき言ってただろう。恐らく大丈夫だ。まだ寝ているからにはあいつ等も手出しは出来ない」
「でも朝になって起きるとかは……?」
「あんな一瞬しか口を押さえられていない。直ぐに起きる筈だ」


リオンとシャルティエはユウナが起きて、少女を保護するまでその場に待機する事にした。
ユウナは重たい瞼を開ける。手を動かそうとするが何故か動かない。何故か、それを考えた途端頭が覚醒した。
あの男たちに不意を突かれて口にハンカチを押さえられたと同時に意識が薄れたのだ。なんと情けないことだろうか。

「あの、大丈夫ですか?」

隣から少女の声が聞こえてくる。とは言っても自分とあまり年の変わらない声。その声がする方向を向くとそこには少女が居た。とは言ってもお互い自由がきかない状態だが。


「貴方、ね?昨日誘拐されたっていうのは」
「はい……この後売られるとかなんとか言ってるんです!どうしたらいいんですか!?」


少女はかなり混乱しており、ユウナは彼女を宥める。しかし、誘拐以外にも更に罪の重いことを企んでいるようだと知ってしまったら、パニックにもなるだろう。
戸惑った様子の彼女に「助けるからもう少し待っててね」と声をかけると、太腿に隠してあった短剣を縛られた手首を動かして何とか取り出し、まず足の縄を切る。そして次に手首にある縄を切る。


「私はセインガルド王国客員剣士、ユウナ。貴方を助けに来たの」
「客員剣士……?ユウナって……あの!?」
「うーん、イメージがどうなのかは知らないけど……、ちょっと待ってね」


どうしてこうも変なイメージというか噂が広まってしまったのか自分でも不思議だ。そんなことを思いながら少女の手首足首にある縄を切って自由にする。
そしてこの部屋を見渡す。窓は、小さいものがある。だが、開けられる取っ手のようなものが無い。

「しょうがない……リオン、早くお願いするよ……!」

その窓を短剣で思いっきり突き破る。すると、大きな音を立ててガラスが割れて地面へと砕けた破片が落下して大きな音を立てる。それを見ていたリオンとシャルティエはすぐさま反応して立ち上がった。


「坊ちゃん!」
「行くぞ!」


二階の部屋の窓ガラスが割れてユウナの姿が一瞬見えた。ユウナと被害に遭った少女は無事だと受け取るとリオンはその民家の扉を突き破って入る。


「おい、今上で何かが割れる音がしたぞ!」
「まさか、起きたか!?」


異変に気付いた男達が二階へ行こうとするのだが、突然入り口が開かれた事に足が止まる。開かれたというよりも蹴り破られたという方が正確だろう。
それが一体誰なのか、男たちの一人はすぐに気付いた。深い群青色の片目を隠すような髪に、小柄な少年には似つかわしくない鋭い視線。


「誰だ、お前は!」
「おい……こいつは……!」
「セインガルド王国客員剣士、リオン・マグナスだ」


ーー僕がここに来た意味は分かっているな?
そう男達に聞くとシャルティエを抜き、切っ先を男達に向ける。

「……ふん、弱いな」

それからは余りにあっという間だった。
リオンがシャルティエを収めるとその床には気を失った男達二人が倒れていた。彼らが武器を構える隙も与えず、殴りかかってくる彼らを簡単にいなして、峰打ちで気絶させた。ただ、首に衝撃を与える際に手加減を忘れてしまったのは仕方がないだろう。

「リオン、こっちも無事!」

下の階の物音がなくなったのを感じて、少女を連れて降りてきたユウナに内心、安堵の溜息をついた。もし万が一目的が強姦だったら、衣服は乱されていたかもしれないし、剣を持っていないユウナは抵抗ができなかったかもしれない。そう思うと、やはりこの男たちに情けをかける必要は無かった。


「ユウナ、無事で何よりですよ!」
「ありがと、シャル。それにしてもまさか眠らされるとはなぁ……」
「油断しているからだ」
「……うん、ごめん……」
「坊ちゃん、心配したならちゃんとそう言いましょうよ」


リオンは余計なことを言うんじゃない、とシャルティエのコアクリスタルに無言で爪を立てる。痛いと叫ぶシャルティエを不思議そうに見るユウナを見て気にするな、と一言言っておいた。

ーー事件も比較的穏便に解決し、翌日ノイシュタットの港で船に乗ってダリルシェイドに帰ろうとすると、出発を聞きつけたイレーヌがやって来て、足を止めた。


「ありがとう、リオン君、ユウナちゃん」
「そんな頭を下げなくても。女の子も無事でしたし」
「お前が危なかっただろう」
「あはは……」
「えぇ、本当にありがとう。……まさか、この街で人身売買が行われようとしていたなんて。二人には感謝してもしきれないわ」
「無事に解決できてよかったです。……イレーヌさんも頑張ってください。私はこの街好きですし、もっとよくなりますよ」


イレーヌもその温かい言葉にそっと微笑み、ユウナの手を握った。ノイシュタットの街を愛し、みんなが豊かに幸せに暮らせるよう願っているイレーヌにとって、嬉しい後押しだったのだ。


「ありがとう、ユウナちゃん。今度二人が来る時にはもっといい街になってるように頑張るわ」
「その時はリオンと一緒にアイスキャンディー屋に行きますから!イレーヌさんも一緒に」
「おい!僕はアイスキャンディーなど……」
「坊ちゃん、ユウナに何言ったって無駄ですよ」
「っていうか今更隠す必要ないだろ」


意地っ張りな態度を取るリオンに呆れる反面からかうように言うシャルティエとロイに、無言の睨みを利かせる。いくら昨日の任務で置いていかれたからといってやけに突っかかってくるものだとロイに皮肉を言うと、図星だった彼は唸った。

港で手を振って見送ってくれるイレーヌに船の上からも手を振りかえしてノイシュタットを後にした。二人の姿が見えなくなった所で港から立ち去ったイレーヌはふと足を止める。

「ユウナ……聞いた事あるのは何故なのかしらね……?」

イレーヌはユウナの名前を何処か、客員剣士補佐としてではなく、別の所で聴いたことがあるような気がしてならなかった。勘違いなのかもしれないが、頭に引っかかるような感覚を覚えるのだ。

「……もっといい街にしてみせるわ、それまでユウナちゃんとリオン君も元気で」

イレーヌの純真なノイシュタットへの愛情に混じる狂気の種に誰も気づくことはなかった。彼女に何を伝えればその方向性を変えることが出来たのだろうか。いや、悪魔の囁きをする人間が側にいる時点で、逃れられない流れだったのかもしれない。
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