水月泡沫
- ナノ -

05

二年前に突然現れた少女が居なければ今頃自分はどうだったのだろうかと思って止まない。

マリアンやシャルティエが予期していたように、彼女は理解者となった。
自分を否定するわけでもなく、掻き乱すわけでもなく、同調しながらも不足している所は自然と補ってくれるような存在だった。
友はいらない。母であり姉でもあるような自分に愛を注いでくれる理解者のマリアンの為ならば命を賭けられる。無二の相棒もいる。リオンの世界はそこで完結していた筈なのに――気難しい自分に幻滅することなく付いて来て支えてくれる少女が現れた。
けれど、支えてもらう立場に甘んじることはリオンには出来なかったし、寧ろ守ることが出来たら――そう考える自分も居た。


「リオン?どうしたの、そんなにぼうっとして」

屋敷の一階のダイニングテーブルが置いてある食卓で、ユウナはリオンの大好物であるマリアンの作ったプリンをリオンと共に頂いていた。売っているものだって勿論美味しいものは沢山あるが、マリアンが作ってくれたこのプリンは甘さの加減といい、カラメルといい、頬が落ちそうなほどに美味しい。
ユウナにとってもティータイムは楽しみな時間になっていたが、リオンがかなりの甘党かつプリンであったらバケツの大きさで食べられることを知った時は驚いたものだ。

しかし、当の本人はそんな好物を目の前に手が止まっていて、何かを考えているようだった。

「あぁ……丁度二年目だと思ってな」

リオンの言葉に首を傾げて、何かをよく考えてみる。二年前といえば、丁度自分が故郷を去り、ダリルシェイドにやって来て、リオンに会った頃だ。
あの時のことを思い出し、リオンに疎まれて警戒されていたことが懐かしく思えるほどだ。


「あ、私が来て?」
「もうユウナも客員剣士補佐になって二年目なんですね」
「あんなに小さかった奴がこんなになると思ってなかったけどな」
「どういう意味、ロイ?」
「何だよ、褒めてやったんだぜ!?」


いまいち納得がいかない、という顔でロイを見るユウナ。
今や、十六歳の少女で客員剣士補佐、つまりあのリオン・マグナスの補佐を務める強さ。
指揮や行動力に優れるリオンとは対照的に、任務で行く先々で市民に対しての気遣いを忘れないユウナの二人組は、街中やこのセインガルドに広まっているだろう。当の本人は何も知らないが。


「当初の事務的な態度が嘘みたいですもんね」
「あはは……」


本当にこの二年間で大きく変わったと思う。前よりも解放された環境で、色々な所へ任務に行く。
それにシャルティエ、ロイ、マリアンや、リオンが居る。そんな状況が私を変えてくれたのだと思う。
何よりも、私とリオンの関係が変わった。初めは認めてもらえず、ぎくしゃくした関係だったが、今は良きパートナーへと変わっている。


「ユウナ、この後任務だという事を忘れてないだろうな」
「大丈夫。えっと……ノイシュタットの方だっけ?」
「そうだ、今回も魔物討伐だそうだ。話はイレーヌに聞く」


イレーヌという名前が出た途端、ユウナは動きを止める。
イレーヌ・レンブラントと言えば確かこの屋敷の執事であるレンブラントの娘で、ノイシュタットの支部を任されている女性だ。当然、バレンタインの名前は知っていることだろう。顔を知られているかどうかは定かではないが、気付かれた時、非常に厄介だった。


「ユウナ……?」
「ううん、何でもない。私、リオンがイレーヌさんと話してる間に武器屋とか見ていい?」
「何を言って……」
「いいだろ、それくらい。イレーヌって奴とリオンは会った事があるんだろ?それなら話はリオンだけで十分だ」
「しかし……」
「私、ちょっと用意してくるね」


ユウナは笑いながら言うが、それはリオンにとってユウナが何か隠し事をしたい時の顔だとすぐに分かった。引きとめようとするが、ユウナはロイを持って出て行ってしまった。


「……坊ちゃん、気にしない方がいいですよ」
「分かっているが……」
「ユウナに頼られない事ですか?でも、ユウナは坊ちゃんを信頼してくれてますよ」
「本当にそうなのか?僕は、ユウナに遠ざけられているような気がする……」
「……今回の件で、何かユウナの昔に関わる事があるんじゃないんですか?ロイは知っているようでしたけどね」
「……」


黙り込むリオンの気持ちを露知らず、ユウナはロイを片手に自室へ戻るため、廊下を静かに歩いていた。ロイも事情を知っているとはいえ、あまりに余所余所しい水臭い自分のマスターに、想う所もあった。


「おいユウナ、このまま言わないでいいのかよ?リオンに言った所で絶対リオンはお前を売るような事はしないだろ?」
「……でも、リオンを巻き込みたくない。リオンとヒューゴ様の関係を二年見てたからこそ、余計に」
「またお前はそうやって……」


ロイはユウナの言葉に反論をしようとするが、ユウナの気持ちを知っているからか堪えた。
リオンとヒューゴの関係を、この屋敷で二年間見て来たからこそ、事情を説明することが出来なくなっていた。
彼らの確執は相当根深く、ヒューゴに至ってはリオンを本当に息子だと思っているのか怪しい程だ。肉親が居るのにもかかわらず、あまりに孤独だった。それなのに、オベロン社においてヒューゴの直営の部下だという立場であることをリオンが知ったら――傷付けるかもしれない。


「私が連れ戻されれば、リオンの補佐が出来なくなる。……そしたら迷惑かける」
「でも、リオンには言ったほうがいいんじゃないのか?お前は迷惑をかけると思ってるかもしれねぇけど、アイツにとっては言ってくれないほうが辛いんだぜ?」


少なくともリオンは二年前から、ユウナから話してくれることを待っている。
ロイの声がやけに廊下に響いたような気がした。何故だかその言葉が酷く自分を動揺させたのだ。


「坊ちゃん、どうしました?」

リオンがまた黙ったまま何かを考えている様子で、シャルティエは声をかけてみる。

「あぁ……ユウナと特別親しくなったのもこういう風にはぐらかされた事がきっかけだったなと思ってな」

リオンの記憶にしっかりと焼きついている、あの日の記憶。あの日からユウナがただの足手まといに過ぎない補佐、では無くなった。


「二年前の任務ですね?はぐらかされて坊ちゃんが拗ねて一人で突っ走って、ユウナに庇われたんですよね」
「シャル……」


シャルティエの「拗ねて突っ走って」という言葉に納得がいかなかった様子のリオンに、シャルティエは気付いていない。
確かに言っている事は合っているが、本人としてはあまり嬉しくない表現だ。シャルティエは特に何を気にする事も無く、話を続ける。


「で、その日に名前を教えるだなんて……もう愛の告白じゃないで……いった!」
「黙れシャル」


そう、あの日も任務でノイシュタットへ向かう途中だった。
しかし、その時に船で魔物が襲ってきて。その時にユウナに助けられて、ユウナは意識を失った。あの日から、そう、あの日から決意したんだ。絶対に誰も立ち入らせることの無かった一線に、始めて新たな人を受け入れたのだ。


「その日から坊ちゃんは、ユウナを守るって決めたんですもんね。でも今は焦らなくてもいいじゃないですか。いつか言ってくれますよ」
「そうだな……」


リオンとシャルティエが話し込んでいる間にユウナは準備が終わったのか、扉を開けて入ってくる。シャルティエを手に持つリオンの表情があまりにも穏やかなものだったから、一体何を話していたのだろうかと気になった。


「リオンとシャルは何してたの?」
「どうせまた恋愛相談だろ」
「誰の?」
「それは……」


ロイが名前をあげようとする前に、リオンが警告を出す。
何か分かっていない様子のユウナは不思議そうにロイに尋ねるが、シャルは聞かないほうがいいですよ、とそっと耳打ちをする。
そもそも、リオンが他者を受け入れるという時点でその関係には特別な意味合いがあるのだ。そうなれば彼がユウナに対しては信頼を寄せている――或いはそこに純粋で特別な想いがあると考えてもおかしくはないだろう。
だが、ユウナにはシャルティエとマリアンという存在が既にリオンに居たからこそ、自分に向けられているものがいかに特別なものか、分かっていなかった。


「……ロイ、お前はどうやら永遠に眠っていたいようだな」
「へいへい、分かったよ。シャイ坊ちゃま」
「貴様……!」


シャルティエも相当口を滑らせるほうだが、意図的に煽っているという意味ではロイの方がタチが悪いだろう。ユウナの剣にしては口が減らないものだとリオンは呆れた顔に変わった。

――そして数時間後、船に乗ってノイシュタットに順調に向かっているのだが、どうしても順調に行かないものもある。
リオンは船酔いでベットに入り込んでいた。ここまで船酔いが酷いと最初は驚いたが、もう慣れたことだ。


「大丈夫……だ……」
「坊ちゃん、無理はしない方がいいですよ」
「どうしても直らないなーこれだけは」


リオンの顔は青く、何処からどう見ても調子が悪そうだ。カバンから酔い止め薬を取り出して、リオンに渡す。船に乗るときはいつも常備している。


「……すまない……」
「じゃあ、私は……」


リオンはその薬を受け取って、飲み込んで横になる。立ち上がって、扉から出ようとするが、それをリオンの手によって阻止される。


「ここに居てくれ、だそうですよ」
「シャル……」
「ここに……?別にいいよ」
「何かもうちょっと……こう、恥ずかしがれよ……」


ロイはシャルティエの言葉の真意を分かっていない様子のユウナに溜息をつく。リオンもユウナの対応に慣れているのか、さほど気にしていないようだった。
人が居て話していると気が紛れるなんてこともきっとあるのだろう。別にリオンも焦っている訳ではないから、このままの距離感でも特別不満を抱くこともない。


「ユウナ、僕はイレーヌとお前に何の関係があるかは聞かない。でも、いつか話してくれ」
「うん……ごめんね」


リオンは、本当に優しい。
イレーヌと会うことが自分にとって都合が悪いのだと気付きながら、彼は問いかけてこないのだ。待ってくれているなんて、余りに有難い話だろう。

リオンに話すのはきっと、ヒューゴに辞任を認めてもらえた時だ。二年、客員剣士補佐を務めているが、彼は未だにあの辞表を受理しない。
今もユウリィ家は代理を立てて支社としての機能を果たしているし、手紙を一方的に送り付けているが、今も主人の帰りを待ち続けてくれていることはヒューゴに聞いて知っていたのだ。まだまだ子供だからこそ、色々な世界を見てから考え直せという意味なのだろう。
しかし、リオンと共に過ごして、客員剣士補佐を務めていくうちに、自分の居場所はここなのだと強く実感することになったのだ。

――船が大海原を進むこと暫く。漸くノイシュタットに着き、船が止まったと同時にリオンの顔色は戻っていく。


「ほら、リオン。ノイシュタットに着いたよ」
「もう船には乗らん……」
「いつも言ってますよ、坊ちゃん」
「リオン、イレーヌさんから聞いてきたらアイスお願いね!」


ここのアイスはとても美味しいし、種類がある。ノイシュタットに任務で来たら、これを絶対に食べなければいけないと自分の中では決まっている。


「ふざけるな!どうして僕が……」
「リオンも一緒に食べたくないの?」
「それは……まぁ、お前がどうしてもと言うなら……」


甘党な彼がアイスを食べたくないわけが無い。予想していた反応が返ってきて苦笑するしかなかった。
リオンはイレーヌさんに任務について話を聞きに行くということで一旦別行動を取り、別れた。
彼には悪いことをしたと思うけれど、もしも彼女が自分を知っていたら、そう思うと会うのが怖いから。


「で、お前どうするんだよ?武器屋見るのか?」
「ううん、ちょっとね」


ロイはその言葉にもったいぶってないで教えろよ、と愚痴りだすがそれを無視して道具屋へと向かう。
声をかけると、奥のほうから店をやっているらしき店主が出てくる。男は、面倒そうに出てきたが、ユウナの顔を見て血相を変えた。


「はいはい……って、貴方はセインガルド客員剣士補佐のユウナ様ですか?」
「はい?えっと……そうですけど」
「会えるなんて感激です!さぁ、今日はどちらにします?」


嬉しそうな顔をして、目を輝かせる店長の男に一体今のたった一瞬で何があったのだろうかとぱちぱち瞬く。顔を見られただけで客員剣士補佐を務めている者だと知られたことにも多少驚いた。


「……ロイ、これ何?」
「お前、知らないのか?女客員剣士補佐で有名になってたって」
「えぇ!?そんなの知らないって……!」
「いいじゃねーか、ちょっとの噂くらい」
「納得いかないな……あ、そうだ帽子ってここにおいてありますか?」


本題を思い出して、きょとんとしている男に尋ねなおす。
男は言われた物を探し、ユウナに差し出した。お金を払い、その帽子を受け取る。
店から出る際に、頑張ってねと声をかけられたからありがとうございます、と笑って答えることを忘れず。

「……そういう所がリオンと対照的だから余計目立つのに」

ロイは笑顔を見せるユウナに溜息と共に呟いた。
ユウナは髪を上の方で一つに結び、帽子にまとめて入れる。そして、帽子を深くかぶって顔が見えずらいようにする。


「変装か?まぁ、確かに分からなくなるな」
「でしょ?これで家からも出てこれたんだ。あの時は服も変えたけどね」
「イレーヌって奴に会うことも考えてか?」
「一応ね」


ロイと周りにばれないように気をつけながら話し、絶対にアイスを買う事に苦戦しているだろうリオンの元へ向かう。何せ誰も剣と話しているとは思わないだろうし、独り言を喋っているようにしか見えないだろう。それは不審者にしか見えないから控えたい所だ。


「もうリオンは話し終わってるのか?」
「だったらこの奥だよね。桜、綺麗なんだよね……」


この街を彩る桃色の花弁を散らす桜は大好きだ。
とても綺麗で、何処か儚くて。潮風に吹かれて散って海へと落ちていく桜の花びらも美しい。それはノイシュタットの中でも奥の広場にだけ咲いている花だった。
広場に出るとそこにはリオンの姿はなく、この街の子供達が遊んでいた。


「まだだったみたいだな」
「じゃあ、ちょっと待とうか」


――一方、その頃のリオンはイレーヌと話が終わって、アイス屋へ向かおうとしていた。
大分話が続いてしまったため、ユウナも何処かで待っているだろう。ユウナはイレーヌを避けていたが、彼女は人格者である。
だからこそ、恐らく彼女が苦手という訳なのではなく、イレーヌの立場とユウナの過去における立場が聊か彼女にとって都合が悪いということなのだろうとリオンは推測していた。ユウナは孤児院出身の護衛剣士だと言っていたが、一体どこまでが本当なのか。

もし本当ならば、イレーヌが子供の世話をよく見るという意味で幼い頃のユウナと出会っている可能性も考えられる。孤児院の時に悪さをしていたのが知られてしまうと王城に仕える者として客員剣士の称号に泥を塗ることを気にしているのだろうか。
そんな可能性も考えられるが。
しかし、リオンは普段のユウナの立ち振る舞いを考えて、それは違うような気がすると首を横に振る。何せ、ユウナには身に沁みついているらしいマナーや礼儀作法というものがある。相当、教育を受けている筈だと同じ立場であるリオンも分かるのだ。


「坊ちゃん、ユウナももう居るかもしれませんし急ぎましょうよ」
「そうだな」
「ちょっと待って、リオン君」
「何だ?」
「私もそっちの方まで行こうと思ってね。それにユウナがそこに居るんでしょ?リオン君がここまで信頼するパートナーさんのお話を聞きたいわ」


イレーヌの提案にどうしたものか、とリオンは迷った。
ユウナはイレーヌに会いに行くと聞いた途端、表情を変えて何処かに行くと言ったのだから――このまま会わせない方がいいのではないかとも思うが。


「坊ちゃん、でもユウナは会いたくなさそうでしたよね」
「そうだな……しかし、名前を上げても何も反応は無かったが……」


先程任務でここへ来ていると話したら、イレーヌは「ユウナさんでしょう?有名よ」と言った。
そう言ったイレーヌの顔は、知らないけれどどんな人か、という期待を込めたような顔だった。それに、依頼の詳細を教えてくれるイレーヌに対して、来た時も、帰る時も顔を合わせずに過ごすというのはやはり相手に疑問を抱かせることになるだろう。


「なら何故、会いたくないんだ?」
「分かりませんよ」


シャルティエと小声で話している姿にイレーヌは疑問を浮かべるが、小さく笑ってリオンに言う。ユウナのことを話しているときのリオンの表情が、事務的で拒絶を示しがちなリオンのものではなく、普通の男の子のものだったのだ。それが彼にとって特別な反応であることは当然イレーヌにもわかっている。


「……ねぇ、リオン君。リオン君、変わったわね」
「どういう意味だ?」
「誰かと馴れ合う事を遠ざけるリオン君が、ここまで信頼して……いえ、信頼なのかしらね?」
「馬鹿を言うな。……行くぞ」


まったく、図星もいいところだった。信頼だけかーーそんなもの、答えは分かりきっている。ノーだ。しかしそれをイレーヌに指摘されるというのはいささか面白くはない。リオンは誤魔化すように、踵を返して扉から出て行った。

ーーイレーヌと共に広場へ出ると、風に流れて笑い声が聞こえてきた。
リオンの視線の先には一人の少女と、その周りに居る子供達が楽しそうに談笑している。
任務先で時折住民と話している姿を見かけてはいたが、子供の扱い方に自分以上に長けている。とはいえ、自分と比べたら誰もが上手いと言えるほどに愛想がないことを自覚はしているが、子供と触れ合っている姿を見ると孤児院というのもあながち嘘ではないのだろうかと思慮に耽る。
同世代の友人が環境ゆえになかなか出来なかったユウナが屋敷の近くで遊んでいる子供達と会話をすることを楽しみにしていた、なんて事実は当然リオンは知らない。そしていつの間に買ったのかは知らないが、帽子も深く被っている。


「アイツか……」
「リオン君知ってるの?」
「あぁ、アイツがユウナだ」
「あの子がユウナさん?まだあんなに若いのに、リオン君の補佐なんて凄いわね」
「ふん……」


自分の補佐を務めるくらいだ。その腕前は確かでなければ困るし、今ではリオンまでもが誇れるような補佐の務めを果たしている彼女だが、当初の出来事を思い返すと懐かしくもなる。
ユウナに近づいて声をかけると、彼女は子供達から目線を上げて声をかけてきた少年に視線を向ける。リオンと、
その後ろにいる綺麗な女性はイレーヌ・レンブラントであろう。


「ユウナ」
「あ、リオン今来たの?」
「ふふっ……貴方がユウナさんね?」


そんな様子を微笑ましく見ていたイレーヌがユウナに話しかける。
念の為もう一回帽子を深く被り、イレーヌに対して丁寧に挨拶をすると、彼女はにこやかな笑顔を浮かべて宜しくね、と返した。この様子では彼女は自分がバレンタイン家の人間であることは知らないのだろう。警戒してしまったが、それは全て杞憂だったようだ。


「リオン、今回の任務は?」
「この街で起こっている誘拐事件を片付けることだ」
「誘拐事件?それってただ事じゃないんじゃ……」
「そうなの……元々年頃の女性が不審な男に声をかけられる、という事件が頻発していて……それで連絡したはいいけれど、遂に今朝はついに誘拐まで起こったしまったの。……連絡が遅かったことを悔やんでいるわ」
「じゃあ、そこに乗り込んで?」
「ただ乗り込むとその女がどうなるか分からない」


ノイシュタットにきた時にそんな事件が起きているようには見えなかったが、市民に恐怖が蔓延しないように内密にしているのだろうか。それはそれで歯痒くはあるが、身代金を要求してきていたりするのなら、下手にこの街の自治集団が動けないのかもしれない。
だからこそ、丁度外から来た腕の立つ客員剣士が動きやすいのかも知れないと納得したが、解決の為の手段をどうするかが問題だ。


「やっぱり、変装ね!」
「……おい、イレーヌ」
「いいじゃない、リオン君。これは真面目な案よ。それに、こんな機会無いわよ?」
「そんな機会いらん!」
「そうしないと捕まっている女の子たちを無事に、捕まえられないわ。背に腹は変えられないのよ」
「……」


楽しむ気持ちが全くないとは言えないが、イレーヌもまたこの事件を火急に解決したいからこそ真剣な提案をしたまでのことだ。その意図が分かっているからこそ、リオンは苦い顔に変わるのだった。
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