水月泡沫
- ナノ -

30

カイルの空間ごと切り裂くような斬撃が、遂にエルレインを両断した。
彼女の身体は吹き飛ばされ、地面に倒れた。そんな彼女の元にやって来て膝を付き、愛おしそうに抱えたのはフォルトゥナだった。

エルレインはふっと笑みを浮かべて、そのまま光となって消えてフォルトゥナの中に吸い込まれていった。
あくまでも神に抗い逆らう彼らに憐れみを見せ、リアラを涼やかな目で射とめる。リアラの説得など今のフォルトゥナには何の意味も無く、彼女は両手を広げ、晶力を高めつつあった。それが強力な晶術だと気付き、阻止しようと飛び出したユウリィをロイが引き留める。


『まずい下がれ!ユウリィ、皆を集めろ!』
「っ、リアラ、ロニ!回復の準備をして!」
「おいおい、そんなんで耐えきれるのかよ……!?」
「そんなの、やってみるしかないだろう?何が何でも耐えるんだよ!」


ユウリィは頷き、ソーディアンを地面に突きたてる。瞬間、半球型の透明な壁のような物が展開される。それは単なるバリアではなく、空間を歪めているのだ。
しかし本体ではない人格投射をした彼の力は不完全で、攻撃を半分も防げたら十分だろう。それでもいい、回復が間に合うまで耐え切れればいいのだ。

「エンシェントノヴァ!」

頭上から炎が落され、灼熱と熱風によって激痛と共に熱が走るが、同時にロニとリアラが発動させたリザレクションによって傷が癒えていく。ユウリィが突き立てていた剣で焔を振り払ったと同時に壁が砕け、焔が歪んだ空間に吸い込まれていく。
そして反撃の為に回復と同時に詠唱を始めていたハロルドが反撃だと杖を振り上げる。

「お返しよ!ディバインセイバー!」

ハロルドの上級晶術によって雷がフォルトゥナを襲い彼女は怯み、迸る稲妻に振り払いながら顔を歪める。

後方を狙って氷の刃が放たれるが、ユウリィとジューダスは詠唱を中断して剣技でそれらを弾き返す。すると二人の目の前にフォルトゥナが瞬間移動して手を翳し攻撃をしようとしたが、それを貫いたのはナナリーの矢だった。
怯んだフォルトゥナをカイルとロニは背後から同時に息を合わせて一閃する。距離を取ったユウリィとジューダスは顔を合わせ頷き、そして晶術を発動させる。


「行くぞ、ユウリィ!ブラッディクロス!」
「続けてプリズムフラッシャー!」
「ううっ……!人が、神に逆らうのですか……!?」
「絶対に、この世界を終わらせてなんかやるものか!」


ハロルドは悪戯に笑みを浮かべ、神を超えて見せると晶力を高めて天に向かって杖を振り上げる。

「行くわよ、クレイジーコメット!まだまだ終わりじゃないわ、トゥインクルスター!」

天空から切り裂くように流星が落ちて来てフォルトゥナの身を焦がしていく。痛みに腕を押さえ、ふらりと立ち上がり再び晶力を高め上位の晶術を使おうとしていたフォルトゥナの懐に潜り込んだジューダスはシャルティエを取り出し構えた。フォルトゥナは回避しようと瞬間移動しようとしたが遅かった。

「僕は過去を断ち切る……散れ、魔人煉獄殺!」

止まらない連撃はフォルトゥナを追い詰め切り裂き、そして自らの焔によって砕け、ジューダスの仮面が落ちた。剣を振り払った素顔のジューダスに迷いなど微塵も浮かんでいなかった。


「カイル!」
「行くよ、ロニ!」
「あぁ、これで終わらせるぞ!」


カイルの風を纏う剣技がフォルトゥナを貫き、まだまだだと悲鳴を上げそうになる腕に力を込めて剣を振り上げる。そしてハルバードに焔を纏わせ跳躍し、その勢いのままロニは振り下ろした。

フォルトゥナは悲鳴を上げ、そして次の瞬間ふっと光となって弾けた。
辺りはしんと静まり返り、フォルトゥナの姿もエルレインの姿も無い。疲れが押し寄せて来て膝に手を付く。

しかしこの彗星の衝突を止めるには、否、この歪められた歴史を正す為には、最後にやらなければいけないことがあるのをカイルも分かっていた。リアラの視線が自分に向けられているのもカイルは解っていた。
剣を片手に巨大なレンズの前に立ち、剣を振り上げるがその手は震えていた。これを壊せばすべてが終わるーーつまりは愛する少女であるリアラをも殺すことになるのだと。

「カイル……?」

振り下ろさなければならない、それは解っていたが手が動かなかったのだ。


「出来る訳ない……世界を救うためだからって君を殺すなんて、俺が……この俺が出来る訳ないだろ……」
「カイル……」


カイルの震える身体をそっと優しく包み込むようにリアラは抱き締めた。たった一言でいいから消えたくないと言ってくれたら。
しかしリアラは静かにこう告げたのだ。消えゆくことは怖くないけれども、彗星が激突して神の一部になってしまう事が怖いのだと。でももしレンズを砕いてフォルトゥナから解放されたならもしかしたら次に生まれた時には同じ人間としてカイルと巡り合うこと出来るかもしれない、と。


「お願い、カイル!レンズを砕いて!」
「リアラ!」


リアラの最後の一押しに、カイルはその剣を勢いよく振り下ろした。レンズが粉々に砕け散っていく様子がやけにゆっくり流れていく。

リアラの温もりは気付けば無くなっていた。
振り返るとそこにリアラの姿は無く、カイルは息を呑む。しかし闇の中で、ふっと現れた今にも消えそうな蜃気楼のようなリアラは微笑みを浮かべていた。幸せそうな顔をしていたのだ。

貴方と出会う未来を信じているから哀しまないで。カイルと出会えて本当に良かったーーそう残し、淡い光はまるで雪のように溶け、儚く消えてしまった。

「リアラ……」

その時、リアラだけではなく全員の身体がまるで消滅する時のように光り始める。ハロルドは解析君二号改を取り出し、納得したように頷いた。時空間の歪みが激しくなっていて、歴史の修復作業が始まっているのだと。


「フォルトゥナ神が消滅したことで……?」
「あぁ、時の流れに関するあらゆる干渉が排除されつつあるんだ」


エルレイン達やバルバトスによって行われた干渉も、そして自分達が今までしてきたことも全部が無かったことになるのだと。


「連動して、私達の記憶も消えるでしょうね。この旅のことや、お互いのことも忘れる。つまり、始めから出会わなかったことになる。あーあ、せっかく神に勝ったのに覚えていられないのか」
「全てはあるがままの姿に戻る、ってわけか……」
「それでも、絆は消えない」


カイルは仲間を見回し、拳をぐっと握り締めて頷く。一緒に旅をして結ばれた絆や縁が消えることはないと彼は信じているのだ。ハロルドは非科学的だと肩を竦めるが笑みを浮かべ、結局人の想いを形にするのが化学なのかもしれないし、それが新しい研究テーマになりそうだと閃き指を鳴らしたがその瞬間、ハロルドの身体が一層光り輝く。


「あらら、どうやら私が最初みたいね。ありがとね、面白い体験させてくれて。あんたたちみたいのが未来に居るって分かっただけでもラッキーだったわ、ホント」
「色々ありがとう、ハロルド」
「ロイー先に行ってるわよー!じゃあね、さいなら」
『……ったく最後までハロルドらしいな』


ぱちんと弾けるように消えたハロルドに、その様子を静かに見守っていたロイは苦笑いをする。すると次に強く光り輝き出したのはナナリーだった。その姿に、ロニは顔を悲しみに歪める。
彼女に突っ掛りからかいながらも、別れることを惜しく思うほどに、ナナリーもまた泣き出しそうになるのを堪えてふっと笑って情けない顔すんじゃないよとロニを激昂する。同じ時代に生きているからこそどこかできっと巡り合えるはずだと。


「だから、さよならは言わないよ!また会おうね、約束だよ!」
「おい待てよナナリー!俺はまだお前に……」


言っていないことがあるーーその続きを言う前にナナリーの姿は消えてしまった。伸ばしかけた手を下して拳を握りしめたが、ロニは次にあった時に言えばいいだけのことだろうと笑みを浮かべた。
そして次に光り輝いたのはジューダスとユウリィーー同じ瞬間タイミングでこの時空にやってきたからだろう。


「二人は……どこに帰るんだ?」
「僕たちはそもそもエルレインに干渉されたことでこの時代に来た。やつに時空の狭間に閉じ込められ、そして契約の上でここに来たが……果たしてどこに飛ばされるかは分からん」
「本来行くはずだった時に行くのか、この時代に来るのか、それとも元の時代のどこかに行くのか……分からないね」
「……あの時の悪夢にまで戻されるのは、御免したいが」
「怖くないの……?」


カイルの問いに、ユウリィとジューダスは顔を見合わせてふっと笑った。今更恐れることもないし、例えどんな時代に行ったとしても一緒ならば大丈夫だと確信していたのだ。例えこの旅の記憶がなくなったとしても、仲間と共に最後まで一つの目標をやり遂げられたこの幸福を、絆を忘れることは無いだろう。


「お前に言うべきではないとは分かっているが、ロイ、お前が居たから今の僕たちがある。……礼を言う」
『……はは、ったく、らしくねぇな。ま、"そのロイ"の代わりに俺が受け取っておく。その台詞はな』
『ロイ……』
『ここまで開き直って生き生きしてるシャルと話すのも最後だな』


まぁまた会えることには違いないんだが。そう呟き、ロイはユウリィ、と声を掛けた。彼女とはまだ知り合って間もないけれど、確かに初めて会ったような気はしなかった。それは未来の記憶と重なり合っていたからだろうかーーそう感じるのだ。


「ロイ……?」
『時空修正でもきっと俺は……、いや、何でもない。でもまた会えたらいいな』
「……うん。きっと、また、会えるから」
『……シャルとかから聞いてはいたが、教えてくれよ、お前の本当の名前を、お前の口から』
「私は……私の名前はユウナ、ユウナ・バレンタイン。あはは、帰ったら、覚えてないかもしれないけど」


堪え切れなくなったのか、遂にぽろっと涙を流すユウリィにロイはおいおいと宥めるように声を掛ける。

再びロイに会えたことは奇跡のようなものだったからこそ、別れがどうして惜しくなってしまうのだ。
全てが終わるまで弱音は吐かないと誓っていたからこそ、糸が切れてしまったのだ。別れ間際位は抑えようと目を擦るのだが、ぽろぽろと地面に落ちていく。


『ユウナ……』
「最後まで、泣きたくなかった、のに……っ」
『……だらしねぇな、俺のマスターは。お前、そんな弱くないだろ?』
「……何で、その、言葉……」


ロイの厳しくも優しいその言葉にユウリィは目を開く。

それはロイと初めて出会った時、彼がソーディアンとしての意識を戻した際に口にした言葉だった。それが、単なる偶然のようには思えなかったのだ。

『俺は……願わくばもう一度お前のソーディアンになりたい』

きっとまた会えるからーーそう残してソーディアンは光に紛れるように消え、空になった手をきゅっと握りしめ、ユウリィは空を仰いでうん、と頷いた。
ユウリィとジューダスの身体も輝きを増し、ユウリィはロニとカイルに手を振り、ジューダスもありがとうと礼を述べて微笑みを浮かべる。

「またね、ロニ、カイルーー」



ーーそして正しい歴史へと戻った千年前の地上軍駐屯所では、今日も何時も通り研究室で実験を繰り返しているハロルドが居た。

天地戦争が終わり、イクシフォスラーやソーディアンを既に発明していた彼女が次に研究していたのは人の心に関わる新しいテーマだった。
突然閃いたとハロルドは言っているが、非科学的なことを研究するのに没頭していた彼女が珍しいとシャルティエも驚いていた。

ハロルドの研究室に向かって歩いていたのはロイドマルク、助手である彼だった。部屋の中に入るなりに目の前に広がる荒れた研究室に口角をぴくりと引き攣らせる。そして文句を言いながら片づけを始めるが、ふと手を止めてハロルドに声を掛ける。


「……なぁ、ハロルド」
「なーによ、ロイ?」
「確かコアレンズ、地上で精製してた実験用のが一つ残ってたよな」
「あるけど、何にするつもりよ?」


天上人の研究チームに高密度集積レンズをイクシフォスラーの分とソーディアンの分を作らせていたが、地上にあった施設でも作る実験をしていたのが一つ残っていたのをロイは知っていた。
何故なら、それを使って一度、別のソーディアンを作っていることをロイは知っていたからだ。ふっと笑みを浮かべ目を伏せる。


「いーや……未来で、俺を必要としてくれてる相棒が待ってるんだ」
「……アンタ、頭沸いたの?」
「うっせ!」


ーーハロルド、お前が覚えてないだけだろう。アイツらと共に旅をして神と対峙したことを。これが戻って来た歴史だってことを。

それを口にすることはなかったが、歴史修正と共に消えた出来事を覚えていた。今なら何故ソーディアンチームに居なかった筈の自分がソーディアンとなってユウナと共にあったのか理解出来る。
俺がこうして、覚えているからだ。空間に介入する力を持っていたからこそ歴史修正前の記憶も残っていたんだろう。こればかりは、戒めて来たこの体質に感謝せずにはいられなかった。

俺はもう一度ソーディアンとして千年後の世界ーーユウナ・バレンタインとジューダス、いやリオン・マグナスに会わなくちゃいけない。あの二人に訪れた"悪夢"を俺が終わらせ、あの二人が幸せになれる未来に繋げるために。
その結果俺が居なくなったとしても、家族を失って身を蝕む力に疲弊し何も目標も持たず既に死んでいたような俺に唯一差し込んだ希望だった。
初めて、他人の為に力になりたいと心の底から強く思ったんだから。

人格投射ではもし万が一の事態になった際に剣を奪われたら何も出来ない。しかしコアクリスタルという空間の中に本体を、この身を閉じ込める為の力を持っている。
突然居なくなってシャルティエやハロルド、他の地上軍のやつらを困惑させることになりそうだが、きっとソーディアンチームのやつらには千年後に再び会えるんだろう。

ーーソーディアンを作り上げ、バレンタイン家で出会えるその日まで、眠りにつこう。


「そういえばシャルティエが探してたわよー」
「シャルが?つーか、程ほどに片づけしろよ」
「はいはい、解ってるわよー」


ひらひらと手を振って早く行ったと追い返そうとするハロルドに、そういえばとロイは振り返って声を掛けた。


「ハロルド、ありがとな。今まで随分世話になったと思ってな」
「?アンタが私にお礼を言うなんて、気味悪いったらありゃしないわ」
「うっせ、受け取っとけ」


その意味をハロルドがどう受け取るかは分からない。でも、言っておかなければいけないと思ったのだ。ハロルドが居なければ自分が変わっていくきっかけさえ掴めなかったのだから。
ロイは手をひらひらと振り、シャルティエの部屋へと向かった。
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