水月泡沫
- ナノ -

31

仲間と共に世界を救い、そして最後まで共に旅が出来たこと。それはジューダスとユウリィーーリオン・マグナスとユウナ・バレンタインにとっては奇跡のような、夢のような出来事だった。
それらの出来事は歴史修正と共に消えることになったが、その幸せが本当に跡形も無く消えてしまったのかと言うと、決してそうではないだろう。


ーー長い長い、夢を見ていたような気がする。

随分長いこと閉じていただろう重たい瞼を開くと、視界に飛び込んできたのは蝋燭の火が灯って照らされている薄暗い天井だった。


「ここ……」
『ユウナ!』
「目が覚めたか?」
「ぁ……リ、オン……?」


自分の隣に居たのはリオンだった。ユウナはがんがんと鈍く痛む頭を押さえながら上半身を上げて、リオンの手を握ると彼は強く握り返してくる。これが現実なのだと再確認すると共に、ユウナの目にじわりと涙が浮かぶ。
どうして泣きたくなるのだろうか。

彼の手を離さずに居られたことだろうか、一緒にこうして生きていることだろうか。それとも、その引き換えにロイが犠牲になってしまったからだろうかーーいや、もっと、違う理由のような気がしたのだ。
彼と共に、何かを成し遂げて成長することが出来たからこそではないか。記憶にないことを考える自分に困惑もするが、目尻を拭うユウナを見ていたリオンはぽつりと呟いた。


「長い、夢を見ていた気がする。お前と一緒に……果たせなかった夢を叶えられたような、そんな気がするんだ」
「不思議だね……私も、そんな気がして」


前回の旅では途中で断念した筈のものを掴めたーーそんな幸せな夢を見た、そのリオンの言葉にユウナもまた同意する。何故かは解らないけれども、そんな達成感や幸福感に満たされていたのだ。


「ここは……?」
「ここはオベロン社……ヒューゴ邸の地下室だ。信じられない話かもしれないが、この世界は僕たちの知っている世界から十八年経っているらしい」
「……」
「ユウナ?」
「……あはは、自分でも何でか分からないんだけどあんまり驚いてないというか……そっか、十八年後の世界かぁ……」


リオンはユウナが目を覚ましていない間に出来る限りの情報収集をしていたのだ。ユウナが抱いた感想をリオンもまた抱いていたのだ。十八年後の世界と聞いて自分達の時代ではない事への絶望は不思議と無かった。むしろ、この時代に戻って来れたのかという錯覚さえ覚えたのだ。
そしてリオンから聞かされたこの時代、そして十八年前の出来事の結末の話を、ユウナはじっと聞いていた。リオン・マグナスは最悪の裏切り者として名が残り、ユウナ・バレンタインはリオンによって殺された英雄の一人になっているのだと。千年前の天地戦争時代の兵器、ベルクラントをスタン達が破壊したことで世界は壊されずに済んだがその際の攻撃で地形は変化し、そして爪痕が残っているのだと。


「リオンがあの時私を庇ったのって、こうして私を巻き込まないようにする為でしょ?」
「お前を巻き込み、そんな汚名を受けてほしくなかった。……だが、僕の身勝手だったことも確かだな」
「……私だって、何よりもリオンと居ることを選んだんだよ。それなのにリオンだけの責任にするなんて、私が許さないんだから」
「僕が守ろうとしているのに……お前は逆に何時も僕を守ろうとする」
「もう、当然だよ」
『はは、坊ちゃんもユウナも変わりませんね』
「変わらない?」
『いえ、何となくそんな会話を以前も聞いたような気がして』
「そう……?そういえばリオン、変装しなくていいの?ほら、確かよく付けてた……あれ、何だっけ……?」


記憶がぼんやりとしていて非常に曖昧になっていた。リオンのこの客員剣士の格好は見慣れている筈なのに、それが最近では見慣れていなかったような気がしてしまうのだ。


「ユウナも髪が長いのは久々だな」
「私、ずっと長かったよ?」
「……あぁ、そう、だったな」
「……ううん、じゃあせめて私は帽子被ることにしようかな。どこかで調達出来ればいいんだけど。この格好も不味いような気がするからどこかで服も欲しいけど……」


オベロン社に自分の服が残っているとは思えないしこの街で調達するには無理があるだろうと諦めたのだが、少し待っていろと声を掛けたリオンが戻って来たその姿にユウナは目をぱちぱちと瞬かせる。
どこから取り出して来たのか黒を基調とした服に着替えて来たのだ。でもやはり何か足りないような気がすると思うのが不思議だとユウナは首を傾げた。


旧オベロン社跡地を出ると想像以上の廃れ具合に、ユウナは表情に影を落とす。城もあり栄えていたあの都が信じられない程に廃墟ばかりで人の姿も少ない。
ダリルシェイドの近くにあるという聖都アイグレッテに先ず向かい、立ち寄りその街の様子にユウナは瞬いた。ダリルシェイドが廃都となった事で人々がこの街を作ったようだ。
ストレイライズ大神殿に繋がっている街で、その司祭をフィリア・フィリスがしているのだという話を住人に聞き、安堵を覚える。同門の過ちに苦悩し、迷いながらも自ら決意し歩んできた彼女が迷う人々を温かく見守り時に導くそんな存在になっていることが嬉しかったのだ。
この街にあるらしい図書館へと向かい、二人はこの時代のことや十八年前のことを調べた。大体の流れを把握しながらもやはり自分の書かれ方が気に入らないとユウリィは不満そうにしていたが、ふとある一冊を手に取りその内容にリオンを呼ぶ。


「千年前の話も書いてある。稀代の発明家ハロルド・ベルセリオス博士だって」
『あぁ、ハロルドですか!はは、歴史では男とされているらしいですが……』
「女だろう?」
『あれ、坊ちゃんに言ったことありましたっけ?』


ハロルドは歴史的に男だと思われているのだが、何故リオンが知っているのだろうかとシャルティエも不思議そうにするが、リオンもどうして自分がハロルドのことを瞬時に女だと言ったのか分かっていなかったのだ。
図書館を出てアイグレッテの商店に向かい、ふっとユウナは足を止めた。安売りではあるが、船乗りが着る男性用の服の小さなサイズが雑貨屋に置いてあったのだ。


「ユウナ?」
「上、これに変えようかなぁ」
「……男物だが、このサイズなら着れなくもないな。店主、幾らだ?」


リオンはお金を払い、その服とついでにあった帽子を買うとユウナに渡した。宿屋を借り、その服に着替えたユウナは何だかしっくりくると鏡を見て頷く。そして借りた一室で休息を取りながら、今後のことを改めて二人は話し合っていた。
十八年後という世界に突然やって来て、元の名はあまりにも知られ過ぎているからこそ正体を隠して暮らしていかなければならないのは当然だった。混乱を生む上に、リオンが疎まれ恨まれるなんてことはユウナとしても避けたかったのだ。


「この世界に関して知ることは出来たが……だからこそ、今何がしたい?」
「……私、先ずはファンダリアに行きたいかな。実家のこととかウッドロウのことも気になるし……それと、漠然とした夢なんだけど」
「?」
「ダリルシェイドの復興が手伝えたらな、って思うの」
「……そうだな。罪滅ぼしを今更するような立場にないのは解っているが、それでも、やり遂げる価値はありそうだと僕も思う。一筋縄ではいかないのは勿論だがな」
「あはは、そうだね」


初めてユウナとリオンが出会い、そして共に過ごして来たあの思い出深い場所を何時か復興出来たらと思うのだ。それ以外にもフィリアやスタン、そしてルーティの様子も知ることが出来たらとも思うのだが、流石にばれてしまうだろうかとユウナは肩を竦める。
ベットに腰掛ける際に剣を固定していたホルダーを外し、壁に立てかけようとした時ユウリィはじっとそのソーディアンを見詰める。思い出すのはロイと過ごした日々だった。


「私、ロイがどうしてソーディアンになることを選んだのか結局分からなかった」
「……あぁ」
「でも……何故か、ロイはこうなることを分かっていて、その上でこの時代にまで来てくれたような……そんな気がするの」
『ロイが……』
「……何となくだから、確証なんてないけど。でも、彼は最高の相棒で……最高の親友だよ。ロイに出会えて、本当に良かった」
「……きっとアイツも同じことを思っていただろうさ」


今は物言わぬソーディアンをそっと撫ぜて、ユウリィは笑みを浮かべる。別れは悲しいけれども、彼が命を賭けて伝えてくれたものを、繋いでくれた未来を大事にしていきたいのだ。
ーー彼の意志は消えたわけではなく、しっかりと受け継がれているのだから。



「名前もこのままっていうのもあれだから、偽名でも名乗る?」
「そうだな……僕はジューダス、とでも名乗るか」
「えっ、結構早く決まったね?」
「ぼんやりと考えてはいたからな。ユウナはどうするんだ?」
「……うーん、ユウリィってことにしようかな。本当の名前はリオンとシャルが知ってくれてればいいし」


そんなことを話しながらアイグレッテ港に向かう為に歩いていた時、すれ違った人影にユウナはふと足を止める。咄嗟に振り返ると、そこにはつんつんと逆立った金髪の少年と、彼よりも背の高い短い銀髪の青年が談笑しながら歩いていた。


「今の……」
「……あぁ、あの二人組か。しかし、スタンに似ているな」
「そうそう、後姿が似てるなぁと思って。十八年後の世界だしもしかしたら本当にスタンの子供だったりね」
「……その場合、母親はルーティなんだろうな。恐らくだが」


素直で純朴でのんびりした性格をしているスタンとは対照的にルーティは尻に敷く感じだったが、そんな二人が他の仲間とは違う絆で結ばれていたことは何となく解っていた。スタンとルーティならば一緒になっているのではないかーーそんな予感もするのだ。そうなるとその子供の叔父に自分が当たると気付いて、リオンは溜息を吐いた。しかしその表情は満更でもない、と言った様子だった。


「ねぇ、ロニ」
「どうしたよカイル?」
「ううん、今の人達何となく見覚えがあるような気がしてさ……」
「……今の人達?あぁ、あの綺麗な姉ちゃんと黒髪のいけ好かなさそうな男か?」
「いけ好かなさそうって、ロニもそんなにじっと見てたの?」
「いーや、何となくそう思っただけだ」


悪態をつきながらもロニはまるで懐かしむように笑っており、カイルも「またどこかで会えるといいね」と呟き、ストレイライズ大神殿へと向かった。

アイグレッテ港に着き、船を待ちながらユウナはぼんやりと地平線の彼方を眺めていた。青空から覗く太陽に照らされ輝く海と、その先に僅かに見える山々。
ファンダリア、そこはユウナにとってダリルシェイドと同じく大事な故郷だった。今は主なきバレンタイン家がどうなっているのかと想いを馳せるユウナの肩をぽんと優しく叩く。
リオンは優しく微笑み、ユウナの迷いを断ち切るように手を掴む。どうしても言っておかなければならないことがあったからだ。


「例え二度と元の名で生きることが出来なくても……僕はユウナと共にこの先も生きていきたい」
「……エミリオ」
「カトレットの名で良ければ、貰ってほしい。名乗ることが出来ないのが、情けない話ではあるけどな」
「ううん……そんなことない。ありがとう……あぁもう、朝泣いたばっかりなのに……」


ぽろぽろと流れる涙にリオンは手を伸ばして指で流れる涙を掬い取る。幸せだと笑い、リオンの手をぎゅっと握り返すユウナにまたリオンも幸せを噛み締める。そして視線を自分の腰に移し、リオンは長年の時間を共にしてきた無二の相棒に問いかけた。


「ふっ、シャルにはまだ付き合ってもらうぞ?」
『坊っちゃんとユウナに付き合うのは慣れてますから。……ロイと約束もしましたし、それに僕にとっての幸せでもありますよ』


船が港に着き、二人は乗り込む。汽笛をならし、輝く海を走り出していく。あの旅で得た物を胸に抱き、そして再び新しい未来へと歩みだしていくのだ。


――時は過ぎて、当時はまだまだ子供だった彼らは大人へと成長しました。
気付けば、ロイの身体的な年齢を超えているなんて、貴方が知っていたらどう思うんでしょうか。結局、貴方がどうしてソーディアンを作って、その中に入ることを千年前に決断したのか、親友だった僕にも分からなかった。けど、ロイが居たからこそ、この二人の悲劇は幸福へと繋がることになったのは、見ている僕が一番良く解っている。
そんな様子を見たかったのは、きっと僕以上に彼の筈だ。けれど、彼はその役割を自分に託した。彼自身は生涯あまり幸福ではなかったし、当時生きていることに意義を彼が感じていたかと問えば――きっと、否であろう。幾らハロルドや僕と出会って、人らしくなったロイを見て居たとはいえ、それは感情を得ただけなのだ。
だけど、きっと坊ちゃんとユウナと出会ったことで、彼は自らの幸せを得た。悲しいけれども、彼なりに生きる目的を時を超えることで漸く得たのだろう。その選択を、責めることは出来なかった。


「ふふっ」
「何だ、ユウナ」
「ううん、ずっと三人だったから家族が増えるのって、何だか不思議な気分だから」
「……そうだな。感慨深いし……こんな幸福が待っているとは、とてもあの時は考えられなかったな。許されることでも、ないのかもしれないが」
『……いえ、幸せになる権利は誰にでもあると思いますよ。だって、スタン達も……そしてロイも、願ってくれていた筈ですから』
「シャル……うん、ありがとう」


自分達が幸せを感じて生きることに、罪悪感というのは一生付きまとうものなのだろう。
リオンの判断によって英雄として称えられたユウナ、そして歴史に残る裏切り者として名を残したリオン。自分達の行いが、十八年後のこの世界にも深い爪痕を残すことになったことを、彼らは決して忘れることは無い。
だがそんな罪悪感を抱えた上で、傲慢にも幸せを噛み締めて生きることを、彼らを知る者は許している。寧ろ、運命に翻弄され続けながらも愛を貫き通した彼らに少しでも救いがあるのなら。
二人が生きていることを知らない彼らもまた、今もきっと、そう望んでいることだろう。

――エミリオ・カトレット。そしてユウナ・カトレット。
彼らの見て行く世界を、この先も見守るのだ。
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