水月泡沫
- ナノ -

28

エルレインが消えれば、フォルトゥナが消えれば神の化身であるリアラもまた消える。この事実にカイルはどうするべきなのか思い悩んでいた。
しかしフォルトゥナ神を殺さなければ世界が滅んでしまうのだ。本当はどちらを選択するべきなのか分かっているけれどーー認めたくは無かったのだ。

直ぐに答えを出すことが出来なかったカイルは、英雄と呼ばれる父のかつての仲間に意見を聞こうと先ずウッドロウの話を聞きに向かった。
カイルがウッドロウと話をしている間、客室に残っていたユウリィとジューダスはもしそういう選択を迫られていたらどうしていたかと思考を巡らせていた。


「私達も勿論だけど決めなくちゃいけないカイルには、特に辛いね」
「お前は……自分が消えることで世界を救えるとしたら、僕に何という?」
「……私はリオンに頼むよ。世界を救ってほしいって」
「僕は、世界を滅ぼしてもお前を救えないならお前を選ぶ。僕は、そういうやつだ」
「……リオン……」
「だから、僕は英雄にはなれない裏切り者なんだろう。誰に恨まれようが、そんなの僕には関係なかったんだ」


もしも世界が滅ぶことになっても、愛する人を手に掛けることなどリオン・マグナスという少年には出来ない事だったのだ。それが非難されようとも、一般的に間違った選択だったとしても彼にとっては正しい選択だったのだ。
しかしそれはユウリィもまた同じだった。仲間の元に駆け付けるよりも、彼らと共に行く事よりも、リオンを追い掛けたのだ。彼と一緒に居たいと願ったからこそ。


「ユウナ?」
「……ううん、愛されてるのかなぁって、思って」
「……っ、何を今更……そんなの、当然だろう。ユウナが思っている以上に、僕はお前を愛している」
「っ、ず、狡いよ……」


ジューダスの言葉にユウリィは気恥ずかしそうに頬を染めながらも手を重ねてとんと肩に頭を乗せる。そしてジューダスは身体を引き寄せようとした時、やれやれと茶化すような声が聞こえたからユウリィはびくりと肩を揺らし、ジューダスはじとりと棚に立て掛けてあったユウリィのソーディアンを睨んだ。


『俺達が居るってのにお熱いこった』
『あはは、坊ちゃんとユウリィは何時もこんな感じですから。あ、僕たちはお気にせず』
「お前達はいちいち気に障ることを言わないと気が済まないようだな……?」


ジューダスの低い声にシャルティエはひっと言葉を呑み込み、ロイは悪びれた様子も無く笑っている。このやり取りが久々のような気がして、ユウリィは笑顔を浮かべた。
ーーロイは知らない。私達がこうして今未来を歩めているのは、他ならぬ彼の存在があったからこそだという事を。


話を終えたカイル達は次の英雄ーーストレイライズ神殿に居るフィリア・フィリスに話を聞きに向かった。
カイルの問いに対してフィリアは一瞬憂いを帯びた表情に変わったが、ぽつりぽつりと語り出した。一八年前の悪夢のようなあの日を、一度として忘れたことは無かった。


「私たちも神の眼をめぐる旅の中で苦しい選択を強いられたことがありました。かつて仲間だった人と戦わざるを得なくなってしまったのです」
「……」
「その人の名はリオン・マグナス。氷のような冷たい瞳の中に誰よりも温かな情を秘めた人でした」


海底洞窟で愛する人を守る為に剣を抜いて自分達と対峙した彼の覚悟は痛い程に伝わって来たのだ。旅を共にしてきて段々と打ち解けて来ていた仲間を傷付けなければいけない。その選択を迫られた時、迷いはしなかったけれどスタン等仲間と共に選んできたのだ。


「その時、フィリアさんたちは辛くなかったんですか?」
「勿論、つらい戦いでした。それまでのどの戦いよりもずっと……けれど、後悔はしませんでした」
「でも、一緒に戦ってきた仲間だったんでしょう?俺にはとてもそんなこと……」
「後悔しないでいられるのはすべて自分達で選んだことだからです。後悔していないと思います。ユウナさんも、そしてリオンさんもまた愛する人を守るための尊い決断だったのですから……」


フィリアの言葉に、ユウリィは熱くなる目尻を押さえながら奥歯を噛みしめ堪え、そして隣に居たジューダスを見上げる。
仲間達もリオンとユウナ本人がかつての仲間の胸の内を聞いて何を思うのか、不安も入り混じった視線を二人に向けたけれど、ジューダスは真っ直ぐとフィリアを見詰めていた。
今まで気まずそうに顔を背け視線を逸らしていた彼がだ。

「……あなたの決断も、そのリオンという男の決断も決して間違ってはいなかった。もしここに彼がいたらきっとそう言ったはずだ」

本人にそう言われた訳ではないと解っているのに、それでも救われたような気がして。フィリアは優しく微笑みありがとうございますと礼を述べた。
そしてフィリアはカイルに逃げることだけはしないで下さいと告げる。リアラにとっての英雄はカイルだけで、彼が決めることに意味がある筈なのだからだと。

非力だった彼女をリオンが叱咤していたのは懐かしい。それでもフィリアはスタン達の力になりたいと願い、彼女なりに強くなったのだ。
戦闘だけではなく、精神面でもそうだ。司祭として仲間が神の眼を奪い敵となった事に苦悩していた彼女が自らの意志で決断して行動するようになった。そんなフィリアの強さが、友人として嬉しくもあったのだ。


そして、最後の英雄ーーカイルは久々に故郷へと戻って来た。
クレスタ、田舎ではあるけれど温かみのある心落ち着くような場所だと感じた。この街でスタンとルーティは孤児院を経営し、子供達を育ててきたのだと思うと感慨深くもある。


「それじゃあ、母さんに話を聞きに行こう。皆、元気にしてるかな」
「はは、元気に走り回ってるじゃねぇか!」
「あっ、カイル!ロニ!」
「帰ってきたのー!?」
「ホープタウンの子達を思い出すね。ジューダス、ユウリィ?アンタ等は、行かないのかい?」
「あはは……ルーティは、勘が鋭いから」
「外で待っているから話をしてくるといい」


ルーティにだけは悟られる訳にはいかないと、カイル達を見送り、孤児院の外の人目に付かない場所で待機することを選んだ。カイルはどうしてと戸惑ったような表情をするが、気を遣ったロニとハロルドはカイルの背中を押して孤児院の中へ子供達に連れられるまま入って行った。


「海底洞窟で僕が残りリフトを動かして別れた時……ルーティに、同じ母親だったことを伝えた」
「え……」
「最期の別れで、初めて僕が弟だったことを知ったんだ。……言わない方が、アイツを悩ませることも無かったのにな」


ルーティが旅をしている間はリオンが自分の生き別れた弟だとは知らなかった。けれどリオンは知っていたからこそ、彼女に対して複雑な感情を抱き、衝突することも多かった。姉弟らしい時間を過ごすことも出来ないまま、ルーティは別れ際に知ることになったのだ。後悔や悲しみを想像するだけで、胸が締め付けられる思いだった。
そしてカイル達はルーティ・カトレットの弟ーーリオンが、エミリオ・カトレットが彼女の弟だと知らないのだ。


「どうしてユウリィが泣いてるんだ」
「あはは……泣かないって、決めたのにね。リオンのことになると、なんか、ダメだね」
『ユウナ……』


ぽろっと涙を流して苦笑いをしながら手で涙を拭うユウリィに、ジューダスは宥めるように頭に手を乗せ、そして人差し指で涙を拭った。どうして僕の為に泣くんだーーそんなことを言いかけそうになったが、言葉を呑み込んだ。そんなユウリィが居たからこそ、支えになっていたのだと。


「ジューダス、ユウリィ」
「カイル、お帰りなさい」


暫くして帰って来たカイルの表情は、先程までの迷い悩んでいた浮かない物ではなかった。そしてカイルとロニが話してくれたルーティらしい、そしてまた母親らしいカイルの背を押す言葉に笑みがこぼれる。
ナナリーがリアラを連れて子供達と遊びに行ったのを確認し、カイルはジューダスにぽつりと尋ねた。


「ねぇジューダスならどうする?」
「僕は世界のことも仲間のことも考えず自分のワガママを通した男だ。自分の心に正直になれ」
「……うん、分かったよ。ユウリィは……ユウリィは、選んだ時、どう思ったの?」
「正直、俺達からしたらユウリィは不可抗力だったようにも思ったけどな……」


エルレインに見せられた過去の記憶。リオンがマリアンを人質に取られ、そして巻き込まないように殺せと指示をされていたがリオンはユウリィを気絶させた。
その後もしかしたらヒューゴに捕えられたのかもしれないが、リオンのスタン達と対峙した時の記憶にもユウリィの姿は無かったし、それどころかリオンはユウリィは死んだと嘘をついたのだ。自分の補佐であった彼女が裏切り者の汚名を共に被らないように。


「そうだね……私はスタン達と対峙したって訳じゃない。むしろジューダスが私を死んだって言ったから歴史ではダリルシェイドの時点で死んだと思われてたみたいだし」
「俺達が聞くとどうもヒューゴのやつが全部悪いように思っちまうんだよな」
「でも、私はスタン達を追い掛けるんじゃなくて全て捨ててでもリオンを助けたいと思った。その瞬間、世界よりも我儘を選んだの。それだけ好きだったってことなんだけどね」
「……っ」
「……こりゃ最強の惚気話だな……」
「ジューダスも照れてる?」
「うるさい!」


頬を僅かに染めて顔を背けるジュ−ダスに、カイルとロニは口角を上げて笑った。
二人とも、何かを失いながらも自ら選択してきたからこそ後悔していないのだろう。カイルにとってはそんな彼らが羨ましくもあり、自分も後悔のすることのない道を選びたいと改めて強く思った。

しかしカイル達は知らなかったのだ。そんな二人が何故この時代にやって来たのか。それはエルレインの力によって蘇った訳ではなく、千年という長い時を経て彼らを助けた人の存在があったからこそだと。
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