水月泡沫
- ナノ -

27

神の眼にソーディアンを刺したと同時に眩い光に包まれ、次に目を開いた時には雪景色の街が目の前に広がっていた。冷たい風が吹き、思わず身体を押さえて震える。そう、元の時代のハイデルベルクへと戻って来たのだ。

取り敢えず、彼らが目論んでいた天地戦争の結果を変える事での歴史改変は防げたと言う事だろう。現状を確認する為にハイデルベルク城へと向かい、本当に久しぶりにーーとはいえ、この時代の人々にとってはたった数日の出来事でしかないのかもしれないが。
ウッドロウに謁見した。一八年前、スタンと共にあの神の眼の事件に関わっていたのだと実際に見たからこそカイルやロニにとっては感慨深くもあった。

レンズは飛行竜と共に深い邂逅に沈んだことを咎めていた訳でもなく、むしろウッドロウはレンズの破棄を押し付けてしまったと礼を述べた。
そしてストレイライズ神殿のアタモニ神団は解体する方向に決まったようで、聖女エルレインを信じる民の多さから内戦に発展することを考え、今回の件が彼女の仕業であることを伏せることに決めたようだ。

彼との話を終えて用意されていた客室に戻った時、ハロルドは次作らしい機械を取り出して、その機械が示す反応を目にした彼女は肩を竦めた。その反応が気になり、カイルがどうしたの?と尋ねるとハロルドは険しい顔をして問いに答えた。


「私の『解析君二号改』が時間軸の歪みを検出したのよ。情報理論上のエントロピーも異常なまでに高くなっているわ」
「えっと、どういうこと?」
「簡単に言っちゃえば、ややこしくなった歴史を、ここで一旦なかったことにしちゃおうって考えている奴がいるってこと」
「まさか、エルレインが全部自分の思い通りにやり直しする為に世界ごと作り直そうとしてるってこと……?」
「まぁ大体あってるけど、もっと概念的には恐ろしいこと考えてるってことね。要は、全てお終いってこと」
「そ、そんなの合っていい訳がないよ!」


ハロルドが機械から割り出したのはおよそ十年後の世界で、リアラはカルビオラでその何らかの儀式が行われているのだろうと呟いた。しかし十年後の世界に向かうにしてもレンズが足りない上に、飛行竜の中に積まれていたレンズは海の深くに沈んでいるような状況だ。

どうしたものかと悩んでいたが、ハロルドはイクシフォスラーのレンズを使えばいいと提案した。イクシフォスラーには高密度集積レンズが使用されており、あのレンズを使えば時を超えられる。
しかし歴史が改変された時の空間の歪みに巻き込まれたからどこにあるのかは分からない。
しかしハロルドは一定時間が経過しても入力が無かった場合自動で帰還するようにプログラムしているのだと自慢げに答えた。


『この雪景色も千年経っても変わらねぇんだな。まぁ、ハロルドの発明で続いてる現象なら納得出来るが』
「あはは、忘れがちだけど本当に凄い人だよね。ロイもそんな人の元で助手してたなんて」
『お守りに近いけどな。けど……リトラーに言われてもソーディアンチームを辞退して研究者に逃げて、本当にやりたいことがあの頃は無かった』
「ロイ……」
『ったく、心配しなくとも今はやりたいことがはっきりしてるし、あの剣も……人格投射された俺も、マスターの大切な仲間がやり遂げたことの助けになる役割を担わせてもらってーー幸せだっただろうな』


ロイの言葉に、ユウリィはきゅっと唇を噛みしめ、そしてありがとうと礼を述べて彼女もまた幸せそうに笑った。全く同じ本人というわけではないけれど、彼にそう言われること程嬉しいことは無かったからだ。


『しっかし、シャル。お前、なんか性格変わったか?』
『え。まぁ、坊ちゃんと居ると自然とそうなりますよ』
「僕のせいにするな!」
『シャルが垢抜けたのもお前のお陰ってことか。あんなに毎日愚痴を綴ってたってのになぁ』
『でも、ロイも変わりましたよ。ロイにとって、ユウリィと知り合ってまだ日が浅いとしても』
「……」


シャルティエの意味深なその言葉に、ユウリィとジューダスは口を閉ざした。自分にも他人にも興味関心を持てずに居た彼の性格が自分達と共に行動するにつれて変化を見せていたことはシャルティエから聞いて知っていたが、新たにソーディアンに投射されたばかりの筈のロイもが以前のロイを連想させるようなーー否、まるで重なり合わさっているように感じるのだ。


『俺が今を楽しんでるって証拠なんだろうな。宜しく頼むぜ、マスター』
「……うん!」


まだ出会って日も浅いけれどシャルティエ含め、ジューダスとユウリィと一緒に居る時間は居心地が良いと、ロイは胸の奥が温かくなる感覚にそっと目を伏せた。


ファンダリアを出て暫く歩き、旧地上軍跡地の地下の格納庫にイクシフォスラーは戻って来ていた。
まさか本当に戻って来ているとは思わず、こればかりはハロルドに感心していしたのだが、浮かない表情をしていたリアラは意気込むカイルの袖をくいっと引っ張った。


「……カイル。お願いがあるの。これから例え何が起こっても……エルレインを止めるって、誓って」
「ど、どうしたのさ、リアラ。そんなの当たり前じゃ……」
「お願い、誓って」
「……分かった。誓うよ。何があっても、エルレインを止める。絶対に」


カイルの返事に安堵したリアラはふっと微笑むと頷き、そしてレンズを握り締める。その顔に憂いは残っていなかった。

そして時間移動をし十年後のカルビオラに着いたのだが。
カルビオラに信者の姿は無かった。階段を駆け上がり神殿の中に入ると、降臨の間は開かれていて、その中に入ると以前部屋の中央に置かれていた筈の巨大なレンズは無くなっていた。
その代わりに台座の下の部分に地下へとつながる階段が現れていて、リアラは天上人が作り上げた地下墓地なのだと語った。最深部にはミクトランを祀った部屋もあるようだ。

螺旋状になっている階段を降りていき、仕掛けを解いて進んだその先ーーエルレインを崇拝している幹部司祭のガープを一蹴し、エルレインが居る玉座へと急いだ。

「エルレイン!」

それぞれ武器を構え、巨大なレンズの前に佇む彼女にカイルは切っ先を向ける。しかし振り返ったエルレインは自分の部下が全員天へ還ったのにも拘らず、何の感情も見られないような顔をしていて、まるで諦めや絶望にも近い冷め切った瞳をしていた。


「これ以上お前の好きにはさせないぞ!答えろ、エルレイン!今度は何を企んでいる!」
「お前達か……もはや時は過ぎた……すでに弓は引き絞られた……」
「どういう意味……!?」
「千年前……星を射抜いた光の矢があった……その輝きを今再び」


光の矢ーーそれが一体何を意味するのかハロルドは気が付いた。千年前の彗星の大衝突を再現しようとしているのだろう。衝突のエネルギーは時空を歪め、そこから先の時間を全て消滅させることを企んでいたのだ。
彼女は人を幸福にするという事を目的として幾度となく歴史に介入してきたというのに、その人自体を滅ぼそうとしているのはもはや矛盾していた。


「何故だエルレイン!貴様の目的は人類の救済じゃなかったのか!?」
「そうだ。そのために、わたくしはお前達を滅ぼすことに決めた」
「言ってることがむちゃくちゃだよ!」
「私は間違ってなどいない。そうーー何も救うのは、今いる人間でなくても構わないのだ」
「なんて傲慢な……」


神の卵ともいえる巨大彗星を落下させ、二つの天体が衝突する際に生じるエネルギーを使いフォルトゥナの降臨を完全なものにすれば、やがて生まれる人間を導き絶対幸福の世界を作り出すことが出来るとエルレインは考えたのだ。
神によって救われるべきはかなき愛おしい存在であり、破滅もまた神による救いの手なのだと述べるエルレインにふざけるなと反発する。
ならば何故自分やフォルトゥナが生まれたのか、人々が幸福を望んだからではないかと疑問を口にするが、所詮人間であるカイル達には己の考えなど理解できる訳がないと愁いを帯びたような表情で溜息を吐く。


「今ここに居る私を倒した所で、何の意味もない。私はフォルトゥナより生まれし者。何度でも生まれ変わり、完全なる世界を作り上げる」
「だったら、神を殺してやる!そして二度とお前が生まれないようにしてやる!」


力強いカイルのその言葉に、エルレインは嗤った。それまでの表情が一変して、カイルを憐れむように嘲笑い、その後ろで白い手をぎゅっと握りしめるリアラに視線を送る。リアラがカイルを愛しているのならば伝えられるわけがないだろう。


「……ふふふ、やはり真実は告げられなかったようだなリアラ」
「リアラ、何の話……?」
「……」
「言えぬか。ならば私が代わりに教えてやろうカイル・デュナミス。リアラと私はーーフォルトゥナ神だ」
「り、リアラが……フォルトゥナ……!?」
「そうだ。故に神を殺せば、私と共にリアラも死ぬ」


人の姿をしていてもフォルトゥナの一部であり、フォルトゥナが死ねばエルレインも、そしてリアラも死ぬことを意味していた。その事実を知った上で、カイルはリアラが死ぬと知っていて神を手に掛けることが出来るのかーーあまりに残酷な真実だったのだ。
嘘だと思いたかったが、リアラは首を縦に振った。


「二人の聖女は神より生み出された、その化身……フォルトゥナが消滅すれば、私とエルレインもまた……」
「そ、そんな……」
「そう……やはり、お前達に神は殺せはしない。それが分かったのなら変えるがいい。そして、捌きの時を迎える場所を自らの手で選べ。それがお前たちに与えられた最期の幸福だ」


リアラを自らの手で殺せるわけがないーーそう確信しているからこそ動揺しているカイルを目にしたエルレインは嘲笑し、そしてふわりと溶けるように姿を消した。
俯くカイルにリアラはごめんなさいと謝り、しかし神を殺さなければこの世界は滅ぶと言いかけたのだが取り乱したカイルはそれ以上は聞きたくないと言葉を遮る。自分がどう行動するのが正しいのか、カイルにも分からなくなってしまった。
イクシフォスラーのレンズを手に、リアラは再び元の時代へと全員を送ったのだ。
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