水月泡沫
- ナノ -

20

会議室を出て階段を下りた先に広がっていたフロア。そこには上層部の部屋、そしてハロルドの部屋兼ラボがあるそうだ。その中に取りに行くものがあるといって自動扉を開けた瞬間。
ハロルド目掛けて中から物が飛んできた。


「いったぁ!ちょっと何すんのよ!」
「何すんなよ?もう少しで壁に穴開くような暴走させといてよく言うな!」


――う、そ。
うそうそうそうそ、嘘だ。だって、この声は。

ユウリィの顔からどんどん血の気が引いていく。
ジューダスはまさか、とでも言うような驚きに満ちた表情をしていて、四人はというとどこかで聞き覚えがある声だと頭の中で引っかかっているようだった。


「あれは私のせいでもないし、結果オーライだったんだから全てよし。もっと柔軟な考え持たなきゃだめよ」
「柔軟な考え持ってラディスロウ壊しかねないならお断りだ!……ん?客人か?」


部屋から出てきたのはあの時私達を助けてくれた、いや、いつもいつも心の支えとなってくれていた存在。


「ロ、イ……」


分かってる。
目の前に居る彼が私の知っているロイじゃないなんてことは。でも、いざ姿を見てしまったら。感情の押さえが利かなくなる。


「俺のこと、こいつらに紹介したのか?ハロルドにしちゃ珍しい気遣いだな」
「あんたのことなんて紹介なんてするわけないじゃない。……あれ?何でロイのこと知ってんの?」
「え、い、いや……ごめんなさい、人違いだったみたい」


上手く、笑えてるかな。
ごまかそうと作っている笑みは、変に見えていないかな。
泣きそうに、なってないかな。

「私の、知り合いによく、似てて」

――だめだ、声が震えそう。

目の前に居るロイはユウリィの作り笑いに気が付いたのか、その言葉の奥底に隠された思いに感づいたのだろうか、目を細める。そんな妙な空気が流れていることにも気付かず、ハロルドは手をひらひらさせて呟いた。


「それって、その人が可哀想ね〜ちょっと興味があるわ。その似てるって可哀想な人に会ってみたいかも」
「……はぁ、もういいや。で、また俺に全部投げ出してどっか行くつもりか?」
「投げ出してっていう言い方は好きじゃないわね。それに私はこれから部品を取りに行くのよ!」
「もう夜になるぜ?んな中行ったら確実に遭難するだろ」
「うーん、それもそうねぇ。なら一晩泊まってから行きましょっか!グフフ、楽しみだわ〜空いてる部屋ある?いや、男どもはアンタの部屋って手があるわね」
「絶対、嫌だ。ほら、案内するから……」


案内するから付いて来い、と言うロイを見てユウナはもう限界だった。キャパシティオーバー、これ以上は我慢できなかった。


「ご、めん。ちょっと私、外の空気吸ってから行くよ」
「え?あ、ユウリィ!」
「よせ」


引きとめるために追いかけようとするカイルの腕を引っ張ってジューダスもまたカイルを引き止める。カイルはどうして?とでも聞くようにジューダスを真っ直ぐ見つめる。
ロイ、それはユウナの夢の中で出てきた相棒であるソーディアンの名前だ。


「何でさ、ジューダス!ロイさんはユウリィ……ユウナさんのソーディアンだったんだろ?それならちょっと話を……」
「それが、あいつにとって……何よりも辛いことなんだ」


私は、一日だって忘れた事無い。

目を閉じれば浮かんでくるのは潮の香り漂う暗闇の中、届かない伸ばした手に、喉が潰れそうになる位に叫んだあの光景。
戻ってきて、それだけが頭の中を占めていて、彼に駆け寄ろうとする私を抑えるリオンの手を必死に振り払おうとしたのに、視界は白い光に包まれてその手は空を掴むだけ。
ロイは死を予感していたというのに嘆く訳でもなく、私とリオンの為にただ笑っていた。
それがどんなに覚悟を要する事だったのか、なんて想像するだけで何時も息が詰まりそうになる。何度も泣きそうになったけれど、きっとロイはそんな事を望んでいないと言い聞かせて堪えてきた。
泣いていたら「情けねーな」なんて怒られそうだから。適当そうに見えて責任感が強くて面倒見のいい性格だから、私が挫けそうになる度に叱って道を照らしてくれた。

でも、いざあの声を、姿を見てしまうと抑えていた感情が溢れ出してきて止まらなかった。

星の輝く夜空を仰ぐと、白い雪がはらはらと舞い降りてきて体に触れるとすっと溶けていく。故郷のハイデルベルグと同じ風景だ。
ロイと会ったのは物心付く前からだった。ユウリィ家に在ったその剣は誰にもソーディアンと知られず、何時しか私の愛剣となって共に故郷を出てきて、相棒となった。


「ユウナ」
「……リオン……」


ユウリィをこの名前で呼ぶのはこの時代では二人しかいなくて、振り返るとリオンもといジューダスが建物の中から出て来た。ユウリィが皆と別れて外に出てから既に何十分経っていた。
ジューダスはマントを外すとそれをユウリィの肩にかけて、一つ白い息を吐く。


「上に羽織らずこんな寒い中外に居続けたら風邪を引くぞ」
「寒い所出身だしこれ位は大丈夫だよ。でもありがとう、暖かい」
「まったく……少しは体を気遣ったらどうだ」


その小言は心配しているようにも聞こえ、ユウリィはくすっと笑みを浮かべる。けれど明らかに空元気で、ふとした瞬間に落とす影にジューダスも気付いていた。落ち込むのも当然だ、常にユウリィの中にはロイが居た。あまりに存在が大きくて、ずっと彼女に影響を与え続けていたのだから。
ユウリィは肩にかけられたマントをぎゅっと握り、空を見上げてぽつりと呟く。


「……分かってるの、彼は、私が知ってるロイじゃ、ないんだって」
「あぁ……」
「向こうは私たちの事を知らない、初めて会った人。そう思うのに……顔も、声も同じで」


剣の柄をぎゅっと握り締めて、震える声を絞り出してユウナは続ける。それで、と続ける彼女が今にも泣き出しそうなのに気が付いて、ジューダスはもう言わなくていいと、開いている手を取って強く握り締める。
じんわりと温もりが伝わってきて、気持ちが落ち着いていくのが分かってそっと目を伏せ微笑みを浮かべた。私が潰れないのは、ジューダスが、リオンが居るからだ。


『ユウナ、すみません。彼がハロルドの助手だった事を、僕が言っておけばよかったのに』
「ううん、シャルは気を使ってくれたんだよね。吃驚しちゃった、ロイがあのハロルドの助手なんて」
「頭が悪いとは思わないが、失言が目立つ奴というイメージがあったからな。破天荒なハロルドの保護者役をしているとは思わなかった」
『ハロルドには勝りませんが実は研究者の頭脳としては地上軍で二番目ですよ、彼は。それに世話好きなんですよ』


世話好きか、本当にそうだよね。
素っ気無く見えながらも面倒見のいい兄貴分のような人だから。ジューダスの言う通りあの性格から一見知的には見えなかったけれど、結構博識な面もあると思っていた。でも本当に頭が良かったんだ。ハロルドと会ってからまだ其れほど時間が立っていないが、彼女の鬼才ぶりには驚かされている。そんな彼女に次ぐ頭脳を持っているなんて知らなかった。
私、ロイの事を知っているように思っていたけれど案外何も知らないのかもしれない。


『あ、あの、ユウナ!そんなに落ち込まないで下さい、彼にとってこの時代は苦い記憶の方が多いんです。僕が初めて会った時も、冷淡な位に心が冷え切っていて恐ろしかったほどで……ユウナに、言いたくなかったんですよ』
「お前が千年経っても語ろうとしない事があるようにな」
『やだなぁ坊ちゃん、揚げ足を取らないで下さいよ』
「ふふ、シャルって優しいよね。千年前の姿見てこんな人だよね、って納得できたし。今に比べて大分弱気にも見えたけど……」
『坊ちゃんと居ると色々と鍛えられたんですよ、身も心も』
「ほう?その結果習得したのが減らず口と言うわけか」


過去の経験上リオンを怒らせた場合コアクリスタルを塞がれたり剣自体を投げられたりすると予感が走ったシャルティエは、げっと声を詰まらせて大人しくなった。こういう弱気な所がやっぱり今でも残ってるんだ。
ジューダスとシャルティエの会話を聞いていたら笑えてきて、声を上げて笑った。一人で物思いに更けていた時は先の見えない暗闇に迷い込んだような感覚に囚われていたのに、二人が居るだけでこんなにも変わるなんて。
もう一度「ありがとうね」と笑いかけると、仮面越しにジューダスも柔らかい笑みを浮かべて当然の事をしたまでだ、と私の手を取ってゆっくりと歩き出す。

――もう、大丈夫。

そっと今は光らないコアクリスタルを撫でて、顔を上げた。見慣れている筈の雪さえもが、今は新鮮に見えた。


「あら、アンタ達遅かったわね。カイルなんて先にぐーぐー寝てるわよ」


施設内に入ると、丁度自室から出て来たハロルドと鉢合わせた。夜遅くにも関わらず、その手には分厚い本が握られていて付箋が至る所に付けられている。
結構研究熱心なんだ、と感心していると、ハロルドは視線の先が自分の手に握られている本だと気が付いて「あぁ!」と声を上げる。


「これ私のじゃないわよ、ロイの。我が助手ながら勉強熱心なのよね〜私の前じゃそんな姿見せないくせに」
「随分と仲が良いみたいだな?変わり者のお前の事だ、一人で研究に更けていると思っていたのだが」
「ん?私だって助手取るようになるなんて予想外だったし。まぁ、詳しくは言えないけどアイツ、結構手に負えないもんがあるから私が解明してってんの。ざっくり言えば研究対象?」
「……」


顔を輝かせ、疑問符を付けながら楽しそうに笑うハロルドに、複雑な思いが込み上げる。手に負えないものって、きっとロイが生まれながらに有していたと言うあの能力の事だろう。
全ての概要は分からないが使う度に使用者本人の体に深刻なダメージを与える、時空間に干渉する力。リアラやエルレインの奇跡の力とは少し違う不完全な物。シャルティエは以前に、ロイはそれを病気のような物だと語っていた事を明かしてくれた。


「あーそうだ、会った?ほら、さっき会った私の助手のロイドマルク、っていうかロイに」
「何故アイツに?」
「何でって、ロイがユウリィの事ちょっと気にしてたみたいだから」
「え?」
「あー、口には出してないわよ?あぁ見えて秘密主義なトコあるし、誤魔化すの上手いから。まぁ私の女のカンには勝らないけどね。でも珍しかったからちょっと気になっちゃって!アイツ滅多に人に関心示さないのよ」


私なんてぞんざいな扱いされるし、とハロルドは拗ねた子供のように不満そうな声を上げる。
ロイが、私の事を気にしてた?やっぱり、ハロルドが紹介をしていなくて知らない筈なのに名前を知っていた上に顔が一致していたのを怪しまれたのだろうか。


「ね、アンタ、ロイの事知ってるでしょ?もしかして未来に居たとか」
「っ、そ、それは……」
「別に言い辛いなら言わなくて良いわよ、それに言われても答えを先に出されちゃ面白くないし。この時代の人間が千年後に居るとしたらアンタの背中にあるソーディアンと同じ様な方法しかないんだけど……私、ロイのソーディアンなんて作ってないのよね」


ロイのソーディアンをハロルドが作っていない?
確かにシャルティエを含めてソーディアンチームはロイがソーディアンになった事を知らなかったみたいだし、そもそも彼はハロルドの助手と言う立場にある地上軍研究者なだけであってシャルティエ達のような軍師ではない。
だからソーディアンになった理由も謎に包まれていた。作った張本人だろうハロルドなら知っているだろうと思ったのに、作ったことすら知らない?

疑問に頭を悩ませていると、ジューダスの背中に隠されているシャルティエがこっそりと口を開く。ハロルドには聞こえない声だからそんなに過敏にならなくていいと思うんだけどな。


『僕が知る限り、僕らがソーディアンになった頃は剣さえも作っていないと思いますよ。僕らは目的があって作られましたが、彼に至ってはその理由さえも謎で……肝心な所を話してくれないんですよ』
「そっか……。ハロルド、ロイに会ったら勝手に人間違いしてごめんなさいって言っておいてくれる?」
「オッケーオッケー、シャルティエ以外にロイに謝る人間が居るなんて新鮮だわ〜これは良い材料になりそうな予感!」


それじゃ、と元気よく挨拶したハロルドは跳ねるような軽快な足取りで廊下の奥に進んでいく。
会えなくて残念な思いも少しあるけれど、何処かで安心している自分が居る。大丈夫だと心の中で何度も唱えて自己暗示をかけていたけれど、やはりまだ十分に整理し切れていないみたいで今日はこのまま眠りたいという思いが勝っている。


「明日に備えて僕たちも早めに寝るとするか」
「うん。ねぇ、ジューダス、今日は隣に寝ても良い?」
「……」
「ジューダス?」
『坊ちゃん、煩悩に呑まれないで下さいよ』
「黙れシャル。ユウリィも軽々しくそういう事を言うんじゃない、特に他の男には絶対に言うなよ」
「何怒ってるかよく分からないけど……ジューダス以外には言わないよ、あ、あとシャル以外にも」
『ユウナ……!僕に体があったらユウナを抱きしめて寝るのになぁ!あ、嘘です坊ちゃん痛い痛い!』


無表情で背に手を回すジューダスに、ユウリィは苦笑いを浮かべて窘めるようにジューダスに声を掛ける。ハロルドの部屋に入ると、電気は既に消されていてカイルだけではなく他の皆も眠りについていた。
今日千年後にいきなり飛ばされたし、全員疲労が溜まっていたのだろう。
カイルは珍しく鼾さえも聞こえない位に熟睡していた。開いている布団に並んで潜り込み、おやすみ、と隣で横になることなく壁に寄りかかったまま眠りに付こうとするジューダスに声を掛けると、優しい声音で返事が返ってきて胸の奥が温かくなる。
そっと目を閉じて、すっと息を吸って吐いた。


一晩経てばきっと、気持ちの整理も付く筈だから。
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