水月泡沫
- ナノ -

18

それぞれの幻惑。
甘く誘う幸せな夢。誰しも弱さを持ち、それを乗り越えて今を生きている。しかしそんな過去に付け入り、エルレインは幻想を見せる。

カイルもロニもナナリーも一瞬は負けそうになったが、その夢に打ち勝ってきた。残るはリオン・マグナスだと正体が判明したジューダスと、ユウナ・バレンタインだったユウナだけだった。

そして次に目を開いた時に目の前に広がったのは古都、ダリルシェイドの城前だった。
自分たちが知っているダリルシェイドはもっと廃れていて、こんなに華やかな景色を見たことがない。つまりは昔、十八年前の景色なのだろう。とは言っても、月夜が嫌に輝く静かな夜だった。


「確かリオンとユウナさんはここダリルシェイド……というかセインガルドの客員剣士と補佐だったはずだ」
「ということは二人の?」
「……それにしちゃ、何だか嫌な空気がするね」


エルレインは三人に幸せな夢を見せていた。だが、このどちらか分からない記憶が形作る空気は、どこか重たいのだ。
四人して顔を見合わせていると、誰かがこの城に近づいてきているのが見えた。自分達の姿は見えていないようで、こちらと目が合うこともない。


「ユウリィ……!?いや、ユウナさんか?」
「……本当に、ユウナさん……なんだね」


目の前に居るのは、十八年前とはいえ今と姿が変わっていないユウナだった。何が違うかと言えば髪の長さ、そして格好くらいだ。兵士二人に近づき、ユウナは声をかける。


「王から命が無かった?急用で呼ばれたみたいなんだけど……」
「……そんな命はありませんでしたが……」
「それにもう王は自室へ戻ったようです。何かの誤報では……」


兵士の言葉にユウリィの表情は曇る。そして、次に聞こえてきた声はどこから響いているのか、兵士とは違う青年の声だった。


『おい……ユウナ。その伝令は誰から受け取ったんだ……?』
「え……?リオンから……、じゃない。ヒューゴ……ヒューゴだ……!」
『くっそ!ユウナ、これは罠だ!ちっ……とっとと屋敷に戻るぞ!』
「まさかヒューゴが何か……?っ、早く戻らないと!」


血相を変えて走り出したユウナを、四人は慌てて追いかける。今の声、どこから聞こえているのだろうか?いや、これはソーディアンの声だ。
歴史には残らなかった、ユウナ・バレンタインのソーディアンなのだろう。そしてもう一つ、ロニとカイルの中で引っかかった言葉があった。

――ヒューゴ。

神の目を盗んで世界を滅茶苦茶にした張本人、ヒューゴ・ジルクリストだろう。


「けど、ヒューゴの罠って……どういう、こと!?」
「そのまんまの意味だろ!くそ……足速いな!」
「あの中に入っていくわ!」


ユウナが入っていったのは、ダリルシェイドの一角にある一際豪勢な屋敷。それこそがオベロン社総帥のヒューゴの、そしてリオンの家であった。
中に急いで入ったユウナの後を追って、家に入ると妙な空気が流れていることに気が付く。


「ねぇ……これって本当に幸せな夢なのかい?……あたしにはそう思えないよ」
「少なくともこの様子は違う、だろ……」


彼らは知らない。ユウナが帰ってくる少し前にヒューゴがリオンを脅していたことを。マリアンを人質にとって、計画の障害になるユウナを殺すように命令していたことを。
きょろきょろと辺りを見回しているユウナも同じく不安になっているのだろう。この屋敷の静けさを。何時もは夜まで部屋の片付けなどをしているメイドが誰一人居ないし、物音さえないのだ。

その時、キィという音を立てて奥の部屋の扉が開いた。
そこから出てきたのは、リオン・マグナス。そして今は自分たちがよく知るジューダスだった。思わずあっと声を上げそうになるが、この雰囲気の中それさえも出来ない。ユウナは安心したのか、ほっと息をついてリオンに近づく。


「リオン、あれ誤報だったみたい。だから……」
「ユウナ」


名前を呼ばれてリオンを見たユウナは動きを止めた。そしてちらりと見えたリオンの瞳には深い悲しみが刻まれていたのだから、驚きの余り息を呑んでしまった。
何なんだ、この様子は。リオンに、一体何があったんだ?


「リオン……?」
「このまま、何も言わずにこの街から出て行ってくれ……」
「え……?」
「……、僕はお前を巻き込みたくない……」


紡ぎだされた言葉は残酷で、優しくて。
一瞬時が止まった感じがした。


「僕はお前を守りたいんだ……」
「エミリオ……?また……!また一人で全部背負う気なんでしょ……!?」
「ユウナ」
「私にも頼って欲しいんだよ……!何があったの……?もしかして、ヒューゴが……」


それ以上何も言わないでくれ、とでも言うかのようにリオンはシャルティエの切っ先をユウナに向ける。リオンも何も言わなければ、シェルティエも何も言わない。
ただ分かるのは、これが本意では無いということだ。優しい言葉と矛盾した行動。それは重々と本人が分かっているのか、苦痛に歪んでいる。


「リオン……?」
『何やってんだよリオン!おい、シャルティエ!』
『……』
「最後だ……何も言わずにこの街から出て行ってくれ……!」
「そんな事……出来る訳ない……!」


ユウナは震える手で何時も使っている剣、ソーディアンロイを構えたが、その手は震えている。リオンは視線を落として、何かを呟いた後ユウナに素早く近づいた。
それは謝罪の言葉でも、懇願する言葉でもない。ユウナには聞こえなかったようだが、見ていた四人にはしっかりと鮮明に聞こえてしまった。

ーー愛してる

それは愛しているが故の行動だった。剣から生み出された黒い影にユウナの体は壁に叩きつけられる。
必死にマスターの名を呼ぶ声が聞こえるものの、空しくもユウナの体は動かず、瞼は落ちかけていて、行かないでという悲痛な、叫びが耳に響く。
リオンはユウナを見ようとはせず、家を出て行こうとする。そのまま気を失ってしまったユウナと去っていくリオンを見て唖然とした。その表情は悲しみに歪んでいたから。


「……どういう、こと……?」
「さっき確かに……愛してる、って……」


驚愕する事実だった。歴史に残っているリオン・マグナスは少なくとも今見たような人物ではなかった。ユウナを殺した、という歴史が残っているが今は気を失っているだけのようだし、今現在存在している。

こんなの、幸せな夢なんかじゃない。
悲劇の始まりの夢、だ。

黙り込んでいた四人の視界を白い光が覆い、目を開けた時にはさきほど通ってきた屋敷前に居た。その扉の前にはリオンが座り込んでいて、シャルティエを震える手で力強く握り締めている。


「すまない……ユウナ……っ」
『坊ちゃん……』
「僕はユウナを守りたかった。けれど……!」


零れた、本音。守りたかった、守るが故に突き放した。そして、傷つけた。ユウナをこの後にある悪事に巻き込みたくなかったから。


「僕は最低な男だな……」
『きっと違いますよ……坊ちゃん……これはユウナを守るためだったんですから……』


マスターを気遣うソーディアンの言葉に、リオンは拳を爪が食い込むくらいに握り締める。悔しい、状況を変えることが出来ない無力な自分が悔しい。そんな彼を嘲笑うかのように、元凶である男は近づいてきた。それはヒューゴで、カイル達はその冷たい背筋の凍るような表情に息を呑む。


「ユウナの始末は終えたか?」
「……っ」
「……ふん、どこまでも甘い奴だ。まぁいい、ユウナが目を覚ました後に利用させてもらおうじゃないか。お前のその行動に応えてだ」


リオンの目には先程までの悲しみはなく、殺意だけが宿っていた。目の前の男、自分の実の父親であるヒューゴ・ジルクリストに恨みを全てぶつけたいというのに。


「今度裏切るような行為をしてみろ。お前の大事な人間が死ぬことになる。……今も、囚われの身だから関係ないか……」
「くっ……」


ーー今の会話でようやく理解できた。
ヒューゴは人質をとってリオンを脅し、ユウナを殺すように命じられた。だからこそ、あんなにも街を出て行くように懇願していたのだ。そして、守るために気を失わせた。意識がある状態で捕まったらすぐに利用されてしまうし、上手くいけば誤魔化すことが出来ると思ったからだろう。


「なんだったんだい、これ……」
「……こんなの、悲しすぎるよ」


こういう理由があったから、エルレインに連れてこられる前にユウリィは必死にジューダスを庇おうとしていたんだ。あれは裏切られたんじゃない、と。
またしても白い光が覆い、次に来たのは潮風が漂う薄暗い洞窟だった。そこに、ユウリィは居た。


「ユウリィ……」
「……見て来たんだね。私とリオンが犯した罪を」
「でも、二人は仕方なく……っ!」


カイルの言葉に、ユウリィは悲しそうに目を伏せて静かに首を横に振った。そして一言、カイルにありがとう、と呟いた。誰がどんなに許そうとも。私達自身がその罪を許さない。決して許してはいけないのだから。


「仕方ないの一言で済まされるものじゃないってことは、よく分かってる」
「そんな……どうしてそんなに……」


何時もの無邪気な笑顔ではなく、大人びた表情。
嘆くこともなく自分の罪を受け入れているその姿勢は、過去を見た第三者の方が理解できないくらいだ。自分のことではないのに、目の当たりにした悲劇に思わず泣きたくなった。なのに、本人は決して涙を流すことは無い。

「もう泣くだけ泣いたし、リオンが泣かないなら…私も泣くわけにはいかないの」

それに、泣くだけはもう止めた。ロイが、全部終わってから泣けと言ったから。


「あんたって……本当に強い子だよ」
「……そんなこと、ないよ」


ナナリーに頭を撫でられて、思わず涙ぐみそうになったが堪えた。強くなんてない、私はリオンに、そしてロイに助けられてばかりだから。だからこそ私は今度こそリオンを守らなくちゃいけない。守られるだけではなくて。

一方、ジューダスは一人海底洞窟でエルレインと対峙していた。エルレインが見せる記憶はユウナを自らの手で攻撃し気絶させたあの晩ーーそしてスタン達を裏切り、剣を交えたあの時だった。それが蝕むような悪夢だろうと、ジューダスにはそれを耐えられるだけの強い意志があったのだ。


「分からない……拒むことを止めるならば幸せになれるというのに」
「フン……お前には分からないだろうな……あの時の選択を後悔していないし……ユウナが隣に居るだけで、僕にとっては、幸せなことだ」
「そうなるようにしたのは誰だか、お前は分かっているだろう?」
「……恩着せがましい奴だ……お前にとって、僕たちがこの時代に存在するだけで歴史の歪みになる都合のいい人間だった。だからこそ時空間の狭間を彷徨う僕たちをあの時お前はこの時代に連れて来た。いや、そうなるよう干渉したんだろう?」
「……」


ジューダスの問いに対してエルレインはすっと目を細める。ロイの手によって空間転移をしたその時にエルレインは時空間に干渉出来る能力を用いて、ユウナとリオンを何処にも属さない空間に引き摺り込んだのだと、彼は気付いていたのだ。
そして彼女は何食わぬ顔で狭間を彷徨っていると気付いたジューダスに話を持ち掛けたのだ。ユウナと共に世界に戻り、その代わりに人々を幸せに導く計画を助けるようにと。そうすれば、リオン・マグナスとしての幸せを得ることも出来るのだと。

しかし、彼はこの十八年後の世界に戻って来て、エルレインを助けることはしなかった。歴史を改変してユウナやスタン達と共にリオンとして生きる道を断ったのだ。裏切りという行為も含めて自分の選択を無かったことにするのは、リオンにとっては背負った罪以上に許し難いことだったのだ。

ーーならば、永遠にこの悪夢を繰り返すがいい。


エルレインの言葉が響いた洞窟の奥から、複数の足音が聞こえてくる。そうそれは海底洞窟の別の場所に居たカイル達で、ジューダスが座り込み、その横にはエルレインが冷たい眼差しを彼に送っていることに気が付いて彼から離れるように声を張り上げた。

「分からない……なぜ、お前達はその男を庇う?リオン・マグナスは私利私欲のために仲間を捨てた裏切り者なのだぞ?」

それでもなお信じられるのか、と問いかけたエルレインにカイルは当たり前だと怒鳴った。その言葉にジューダスは勿論のことユウリィも驚いて、カイルを見つめる。


「それに、俺はリオンなんて男は知らない!口は悪いけど本当は何時だって仲間のことを考えている、俺達の大切な仲間だ!」
「……カイル……」
「あんたも。ユウリィに変わりはないだろ?」
「ナナリー……」
「エルレイン、あなたの思い通りになんかさせない。そうでしょう?ジューダス!」
「……ふっ」


まったく、スタン達と同じでバカな奴らだ。
ーーだが、嫌いじゃない。

ジューダスは立ち上がり、そして剣をエルレインに向ける。自分の大切なものを守るために、全力を尽くすと決めたのだから。その様子を忌々しげに見ていたエルレインはおのれ、と言い残して姿を消した。

夢は覚めるものーー現実に帰らなくては。


光がはじけたと思うとそこは、繭の仲でまどろむ人々に囲まれた神の目の前。それぞれ夢の中から帰還し、現実の世界へと戻ってきたのだ。視線の先には解せないという顔をしているエルレインが居た。


「なぜ、自ら苦しい道を選ぶのだ?神の力でまどろんでいれば、あらゆる望みが、幸せがかなうというのに」
「そんな幸せになんの意味があるのさ!幸せってのは、誰かに与えてもらう物じゃない。自分で掴み取る物さ!あんたには感謝してるよ、そのことをきっちり思い出させてくれてね!」
「……誰にでも、辛い過去や悲しい思い出はある。だが過ちも後悔も全て僕らが生きた証だ。それを否定することは誰にも出来ない、いや、させはしない。そうだろう?」
「……そうだね。それに過去だけじゃない。未来も、決められた未来なんてまっぴらごめんだよ」


なぜ授けられる幸せから逃げようとするのか、エルレインには全く理解できなかった。目の前にある幸せをなぜこの人間達はわざわざ手放そうとするのか、人々は苦しみからの解放を臨み自分の欲望が叶えられることを望む人々の為に自分という聖女という存在があるというのに、という疑問を抱くエルレインにリアラは言い放った。


「いいえ、人々は忘れているだけよ」
「無駄なことだ、リアラ!人々は繭の中で眠り続けるのみ。お前が何をどう考えようと、もはや何一つ変えられはしない!」
「いいえ、変えられるわ。人の思いの力は、なんだってできる。そう、時を超え、天地戦争の結果を元通りにすることだって!」
「やめろ!」


リアラのペンダントが強い光を発しだして、それと共鳴するかのように神の眼は輝きだす。それを阻止しようとするが、リアラは強い光を目に宿してエルレインを見つめる。


「止めないわ、私は私の使命を果たす。私の考える人々の幸せはカイルたちと行く、その先にある。皆、行きましょう!」
「うん、俺達の歴史を取り戻すんだ!」


神の眼がより一層、眩い光と熱を放ち、弾けた。光が見えなくなった頃には、居たはずのリアラ達の姿はなくてエルレインと数多くの繭を残すのみだった。

――愚かなリアラ。お前が選んだ道の先には、悲しみしか待っていないというのに。

リアラの決断の行きつく先をエルレインは知っていたからこそ、愚かな判断だとしか思えなかったのだ。その呟きは、リアラには届くことはなかった。
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