水月泡沫
- ナノ -

16

ハイデルベルグと同じ場所なだけあって、歩くに連れて雪が降ってくる。辺りは真っ白で、真っ白すぎて何処か気味が悪いくらいだ。レアルタと呼ばれる街は他の街と相変わらずドーム状で、けれど一番大きな町だった。


「なーんか、こうも変化が無いとつまんねぇよなぁ……」
「似たような街でもたらされる似たような幸せか……」
「幸せなんて千差万別な筈なのにね」
「そうだね。やっぱおかしいよ、ここは」


辺りを見回すと普通に暮らしているように見えるけど、やはりヴァンジェロと同じと感じてしまうのだから、様は同じ幸せな環境なんだろう。
街を見ながらどこかぼんやりしているリアラに声をかけるが、彼女は上の空だった。このドームが何処も同じということはこの世界の人達はみんな幸せということなのだろうーーそれならば自分の役目ももう無いのではないか、という思いが過っていたのだ。

色々と街を見回ってみるけど、元のハイデルベルグの欠片もない。当然城もないし、自分の家も存在するわけがなくて故郷を失った気分になる少し寂しかった。


「何か……この街、雪に覆われてるのに中はヴァンジェロと同じ様だし……嫌だな」
「ユウリィって雪好きだったっけ?」
「うーん……見慣れたってだけかな」
「え、じゃあハイデルベルグに住んでたとか!」
「ユウリィは旅でハイデルベルグをよく通ってただけだ。お前のように雪遊びが好きだからという理由じゃないからな」
「カイルはさっきもロニに雪球ぶつけてたしね!あれは感心したよ」


ナナリーの言葉にロニがまた突っかかろうとするが、リアラに制されて喧嘩せずに済んだ。それにしても、ジューダスのお陰で出身地を知られずに済んで良かったとほっと胸を撫で下ろした。


「ありがとう、何て答えようかって悩んでたから」
「全く、世話が焼けるな」
「……一言多いよ」
「ふん、ユウナは馴れてるだろう?」
「当然、元補佐ですし」


補佐だから、という言葉の中に含められた意思もジューダスには伝わっていたのか彼はふっと表情を緩めた。客員剣士となったリオンと苦楽を共にしてきて、それを支えたいと思うし、もはやそれはユウリィの中では当たり前のことになっていた。


考える前に直ぐ行動に移すカイルは直ぐ近くに居たおばあさんにウッドロウという英雄が居ないかと声を掛ける。
当然、ウッドロウは居ないから首をかしげたのだが、その後に信じられないことを言ったのでえっと声を上げそうになった。


「英雄といえばバルバトス様でしょう。エルレイン様と共に世界を混乱から救った人ですからね」
「バルバトスが世界を救った英雄!?」
「ご存じないのですか?フォルトゥナ神団の方に聞けば教えてもらえますよ」
「いや、自分達で調べたい。この街に歴史を調べられるような図書館はあるか?」
「歴史を調べられるような……以前は、そういう場所があったと聞いています。ですが、誰も使わなくなってしまって、分からなくなってしまったそうです」


これ以上聞くとまたカイルが変なことを聞きそうだったので、建物を出て人気の無いところに向かう。そしてここに来るまで溜めていた事を住人に聞かれないように吐き出した。
ウッドロウを手にかけようとしたあの男が英雄だなんてとても思えないどころか、むしろ正反対に位置するような存在だからだ。


「バルバトスが英雄だって!?一体どういうこと!?」
「多分、エルレインが歴史を変える時にバルバトスも居て助けたんじゃないかな……図書館に書いてあると思うけど」
「誰も使わなくなったって言ってたよね。じゃあ、ここの人達って歴史に興味が無いのかな?」
「きっと、穏やかで何もない日々がずっと繰り返されていたから歴史を学ぶ意味を失ったんだと思うわ」
「人は過去の過ちを反省し、よりよい未来を作るために歴史を学ぶ。だが、この世界の未来はエルレインが決める」
「それで歴史を知る必要なんてなくなって、段々と廃れていった、ってことか……」


幸せすぎるとそんな風に、歴史に重要さを感じないようになるなんて思いもしなかった。確かに、同じような幸せな日々が続きすぎると変化なんて無いから歴史なんて切り捨てられたものなんだろう。均一な平和ーーそれは理想なのかもしれないが個人が自分自身の価値観で選ぶ未来までもを切り捨てられているようにも感じるのだ。


「でも、それはこの世界が今まで本当に平和だった証なのかもしれない……」
「そうかもしれないけどさ、けどやっぱおかしいよ、そんなの。自分の未来を誰かに決められるなんて!」
「うん……」
「まずは図書館探さないと話にならないんだけどね。直ぐに見付かればいいのに、街の人も忘れてるからなぁ……」
「そうだな、ってうお!?カイル何やってるんだ!?」
「え?ソーサラースコープってそういう物見つけられるんじゃないの?」


何時もなら単純に物事を考えるなとか、レンズを無駄使いするなという怒鳴り声が特にジューダスから聞こえてくるのだけど、今回は違った。カイルにそんな頭があったとは、と零すジューダスにロニも同意するからカイルが可哀想だ。

ソーサラースコープが反応したのは、一見普通そうな壁だった。しかしそこへ触れるとふっと壁が消えて小さな扉が現れた。恐る恐る中へ入ってみると広い空間のようで、階段を下りたそこには機械が一つ置いてあるだけだった。映像機のようで、ナナリーが映写機のボタンを押すと映像資料が流れ始めた。

ーー世界は天上人に支配されていて、地上に住む者が対抗した。これが天地戦争とよばれるものだ。しかし、天上人の力の前にどうすることも出来ず、地上人は負けた。更には戦争の痕は酷いもので、人々は住む所が無い。
そんな時救いの手を差し伸べたのが、神だった。その名はエルレインといい、彼女は人々にレンズを与えた。レンズを得た人々は生きる気力を取り戻し、エルレインに感謝するようになったらしい。


「……何この、でたらめは……」
「歴史はエルレインの手によって変えられたんだな」
「天地戦争の結末は丸きり反対……なのに、変えることで自分が崇められる様にしてる……」


天地戦争は地上軍に軍配が上がった筈なのに、それが入れ替わっているから全てが狂ってしまったのだろう。正しい歴史で天地戦争以降生きてきた人々の人生までもが無に還されてしまったのだ。


「……ずっと思ってたんだけどよ、この世界が出来たって事は俺たちが居た世界は……」
「残念だが、お前たちの思っているとおりだ。ゆがめられた歴史のベクトルの上に僕たちの世界は存在しない……」
「くそっ、何てこった……」
「ようやくはっきりしたね、この世界のからくりってやつがさ。けどね、はいそうですかって全てを受け入れられるほどあたしは人間が出来ていないんだよ!」
「俺だってそうさ!こんな世界を創ったエルレインを絶対に許せない!」


エルレインに対して怒りを感じている皆とは反対に、リアラは戸惑っていた。どんな形であれ、皆が幸せに暮らせる世界が理想なのではないかと。


「……ねぇ、カイル。この世界は本当に間違っているのかな?確かにこの世界は歪んだ方法で作られたかもしれない。でも結果的に人々は……幸せに暮らしているじゃない」
「リアラ……」
「もし、間違っていないんだとしたら私の役目も終わってカイルと二人で……」
「リアラ!どうしちゃったんだよ、リアラ!リアラはこのままでいいっていうのか!?」
「それは……」
「俺は嫌だ!だって、ここには誰も居ないじゃないか!父さんも母さんもフィリアさんもウッドロウさんも……誰も居ない!このまま皆が消えるなんて、俺は……嫌だ!」
「消える……」


カイルの言葉に、リアラは俯いた。
ーー消える、それがどんなに辛いことか自分にはよく分かるから。


「人が消えるという事はその人間が積み上げてきた歴史もまた、消えるという事だ。人の歴史を否定し、存在する世界……少なくとも僕は許せない!」
「ジューダス……」
「リアラも聖女として迷うのも分かるけどね、やっぱり私も元の世界の方がいいな。運が良かったってだけで私たちも存在を消される所だったし」
「……分かったわ、ごめんなさい。変なこと言っちゃって……」


ふと微笑んで優しく言うと、リアラも俯かせていた顔を上げて、暗かった顔を少しだけ明るくさせて笑った。
それじゃあ行くか、と意気込むカイルとロニにナナリーは疑問の声を上げる。どうすれば世界を元に戻せるのか、根本的な疑問だった。


「簡単なことだ、エルレインが捻じ曲げた歴史を元に戻せばいい。そのための力は……リアラ、お前が持っている」
「時間移動……ね」
「……そっか!天地戦争の時代に行ってエルレインのしたことを元に戻せばいいんだ!早速行こう!」
「でも、リアラ一人だけでこの人数を運べる?」
「レンズがあればいいのだけど……」


そんな大量のレンズは何処にあるのだろうか、と考える前にこの資料室にも響く聞き覚えのある声がした。


「地上に住む人々よ……扉を開け、外にお出でなさい。そして神の恵みをその身に……」
「!今の声は……エルレイン!」
「外に行ってみよう!」


外に出てみるとダイクロフトから眩い光が発せられて、そのままその光はドームへ吸収された。けれど、辺りを見渡しても肝心のエルレインが居ない。上空から聞こえたと言う事は恐らくダイクロフトに居るのだろう。
ダイクロフトの力で額のレンズに力を与えているようで、まるで神様気取りだとロニは吐き捨てた。

「待てよ……そうか、その手があった!」

声を上げたジューダスに何かあったのかと尋ねると、時間移動のための大量のレンズはダイクロフトにあるからそれを使ってしまうとの作戦だった。人々のレンズに補給できるくらいの数だ、時間移動くらいは普通に出来る量があるのだろう。


「それで問題解決だね!」
「なら、ついでにエルレインの鼻っ柱も折っていこうよ!一発殴らないと、収まりそうも無いよ!」
「当然だな」
「……それはいいんだけど、飛行竜も無いしどうやってあのダイクロフトに行くんだろうね」
「……確かにそうね、多分何か道はあると思うんだけど……」
「なら、リアラの力を使って上に行くとか」
「馬鹿者、その力を使うためのレンズを取りに行くんだろう」
「聞けばいいんじゃないのかい?」


エルレインに祈っている人達にダイクロフトにはどう行けばいいのか尋ねると、光のほこらという場所を通ればいいらしい。けど、ふさわしい資格を持った者だけがいけるという。それを調べるための場所が光のほこららしい。


「相応しい資格を持った人間か……俺たちに、はたしてそれがあるかな?」
「あってもなくても関係ないよ!」
「通れなかったら意味無いけどね」
「そこは……強行突破しかない?」
「はは、その時はあたしもその作戦に乗ることにするよ」


ダイクロフトへ向かう為に準備を整えて光のほこらへ歩いている中、ジューダスの背に収まっていたシャルティエは声を発することは無く悶々と一人物思いに更けていた。
時間転移で天地戦争時代に行く事になったら小心者でなかなか実力を発揮しきれずにいた自分も居るだろうし、そして何より。彼女の相棒であったロイが居るのだ。
しかしそれをユウリィに言うにはあまりに気が引けてーー一抹の不安を覚えながらも上手くいくことを願っていた。
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