水月泡沫
- ナノ -

15

目を覚ますとそこは洞窟のようで、潮の匂いが漂っている。外に出ると先程とはまた違う場所のようだった。
海が近くにあり、崖を上って辺りを見回すと遠くにドーム状の街があり、更に上空にはあのダイクロフトが浮かんでいた。ダイクロフトが存在していたのは今から十八年前、そして千年前だ。しかし、十八年前にドーム状の街が存在していたわけがないとユウリィは眉を潜める。それでは一体この世界は何時の時代の物なのか、見当もつかなかった。


「何なんだろう、この世界」
「よく分からないな……リアラの空間転移能力でここまで来れたものだが……」
「でも、人が全然居ない……」
「そうだね、何となく気味の悪い世界だよ」


原野を歩いていたが人ひとり外を出歩いてはいないようで、街の出入り口にもかかわらず人は誰一人居ない。レンズのようなドームに覆われた街に入ると、清潔な感じはしたけれど何処か変な感じがしてそれぞれ顔を合わせる。


「……この街は外界から空気が入るのを完全に防ぐように設計されているな……」
「どうして、そこまでする必要があるのさ?たしかに外は荒れた世界だけど生きていけないってほどじゃないのに」
「何らかの理由で外界と遮断せざるを得ない……といったところだな」
「うーん……どうなってるんだろう……」


入り口で話をしていると、人がやって来てカイル達を見て驚いた顔をし、慌てていた。
男の人は身なりは普通、けれど自分たちと違うのは額に何かレンズのようなものが埋め込まれていた。


「あ、あんた等、外から来たのかい!?大丈夫か!?レンズはどうしたんだ」
「あんたこそ、何で頭にレンズなんて貼り付けてるんだ?」
「何でって……あぁ!外気に触れたせいで頭がやられちまったのか!こりゃあ、大変だ……」
「なに言ってんだ!俺たちは……」
「……どうやら、そうらしい。何も思い出せないんだ」
「ジューダス!?」
「カイル、静かに……この方が情報を得られるでしょ?」


カイルの言葉を遮って記憶喪失のふりをするジューダスに驚いて声を張り上げるカイルに小声で静かにするように言う。
レンズのことや街のことをその男性から教わったが、この街は蒼天都市ヴァンジェロという名で、額に埋め込まれたのは命のレンズと呼ばれる汚染した外界の空気に触れても生きていけるようにするための代物のようだ。


「慈悲深きエルレイン様はドームの中でしか生きられなかった我々に希望の光を与えてくださったんだ」
「エルレインが……!」
「あぁ、エルレイン様のことは覚えているんだね、よかった……何せエルレイン様は我らにこのドームと生きるための力を与えてくださる大事な方だからね」
「そんな……」
「あんた達、とりあえずフォルトゥナ神団の方たちに話をしてみなよ」
「フォルトゥナ神団って……」


フォルトゥナ神団というのはエルレインを支えるための人たちの集まりだそうで、その人達に相談するように言ってくれた後、男の人は何処かへ行ってしまった。エルレインが存在しているのだから現代なのかもしれないが、しかしまるでここは別世界だし、エルレインが世界を掌握しているようにさえ感じる。
大がかりな歴史改変が行われたのには違いないのだろうが、一体何をしたのかは分からない。
街を探索していると、今の街とは大分変わった作りをしている。何よりも住人一人一人皆レンズが額にあるのが気になってしまう。そんな住人を見て、ロニがぽつりと呟いた。


「俺はどうしても解せねぇな、こんな世界を変えちまうなんて本当に出来ることなのか?」
「それに関して一つ気付いたことがある。ここのドームは建てられてから相当時間が経っている、最低でも百年単位だ」
「つまり、こんな世界に変わったのは随分昔からってことね」
「恐らく、かなり前の歴史をいじったからこそドームも古いし、これだけ様変わりしているのだろう」


ジューダスの言葉に、カイルは頭をかいてどこら辺から変わったのだろうかと呟いた。
そういえば、この時代には天地戦争時代にあり、ヒューゴが復活させた時に現れたダイクロフトがある。ハイデルベルクにあった歴史書で知ったことだけれど、そこから考えるとそのどちらかの時代に歴史を改変したのには違いない。


「それは調べてみないと分かんないけど……天地戦争時代か十八年前をいじったのかな」
「……その可能性は無くも無いな、他の街で情報を集めてみるしかないだろう」
「そうだなぁ、確かにダイクロフトがあるし……ダイクロフト……か」


ロニが表情を暗くして恨みがましく呟いたのでどうしたのだろうか、と思っていたらカイルがそれを代弁するようにこっそりと教えてくれた。


「ほら、昔ヒューゴやリオンって奴が世界を滅ぼそうとしただろ?その時にもダイクロフトがあった。ロニの両親はその時に巻き込まれて……」
「……」
「……そっか」
「まぁ、それでちょっと苛々してるだけと思うから気にしないで……って、ナナリー?」
「ほら、あんたが暗い顔してるとこっちにまで悪い空気が流れてくるんだよ!」
「ちょ、いてててっ!何すんだよこの男女!」
「……何だって?」
「え、いや……関節技はやめ……いってぇぇええ!」


暗い表情をしていたロニをナナリーなりに励まそうとしたのか関節技に悲鳴が轟く。いつもなら苦笑して放っておくのだけど、何とも言えない気持ちだった。
やはり、この世界ではリオンは世界を破壊しようとした裏切り者として認識されているのだと改めて実感してしまったからだ。でもそれを完全に擁護することも出来ない。リオン自身がそれを自分の優先するべきことの為に犯した忘れてはいけない罪であると思っているのだから、それを否定することも自分には出来ないのだ。
そんなユウリィの葛藤を知ってか、ジューダスはぽんと頭を撫でた。


「ユウリィが、悪く思うことじゃない」
「そうじゃなくてね……」
「っ、何するんだ……!」


ユウリィがジューダスの頬を少し抓ると、驚いたように目を丸くした。自分を気遣うばかりではなく、気遣わせてほしいとユウリィは拗ねたように顔を顰める。


「無理しないでってこと」
「……ふっ、僕もユウリィに心配されるようじゃ駄目だな」
「な、何それ!」
「おーい、お二人さんそろそろ行ってもいいか?」
「え、あ、大丈夫!」


にやついてこっちを見ているロニに声をかけられてユウリィがぱっとジューダスから離れた。自分の前では気を張らなくていいと言ってくれるユウリィの存在が隣に居てくれるという事実にどれだけ安心することかーージューダスは歩いていくユウリィ達の背を追って歩き出した。

ヴァンジェロと目指す街の間にある未開の森を苦労しながら抜けると、またしてもドームに覆われた街が見えてきた。ただ先程まで居たヴァンジェロよりも小さめの街のようだった。


「またドーム状の街……」
「まるで箱庭だな。同じ形をしていてその中だけで世界が完結している」
「作り物の街……か」
「うん、でも……」


幾ら作り物の街といっても、以前十年後の世界で見たようなアイグレッテとは違い住民の顔も穏やかなものだった。けれど、この幸せだって作られたものの上に成り立ったものであり、認識を意図的にエルレイン中心に書き換えられてしまっているのだから、良いとは言いがたい。


「何か、この街に住みたくないな……それに額にレンズ付けたくない」
「まぁ、普通ならそう思うだろうな」
「そうだよね、ジューダスって仮面被ってるのにレンズあったら邪魔なだけだもんね!」
「……カイル、そこに直れ」
「えぇ!?だって……」


カイルの純粋な言葉に危うく笑う所だった。けれど、ジューダスが笑うなと言わんばかりに睨んできて笑いそうになる口元を手で押さえる。


「うん、ジューダスには似合わないと思うから無くて良いと思うよ」
「そういう問題じゃない!大体、僕じゃなくても変だろう!」
「カイルにレンズあったら……頭もう少しよくなるかもしれねぇな」
「そうだねぇ、その前にアンタの頭も変えてもらったらいいんじゃないの?」
「何だと……?」


ナナリーの皮肉に対して突っかかるロニがまたナナリーに対して凶暴女だとか罵倒してしまったようで、ナナリーの怒りを押し殺したような声と、ロニの悲鳴が聞こえて来て相変わらずだと皆は苦笑いを浮かべる。


「何かあんまり変なこと聞いたら怪しまれるよね」
「俺達は記憶喪失なんだからいいんじゃないの?」
「あのなぁ……何にも分かってないのに変な行動しすぎると情報収集もしづらくなるだろ?」
「けどなぁ……聞いて聞いて聞きまくる!これが一番情報を貰えるんじゃないの?」


カイルの猪突猛進っぷりに普段から馴れている筈のロニも含めて溜息をついた。スタンも村を出てダリルシェイドに来る為に後先考えずに飛行竜に乗ってきた強者だけどカイルはそれを越えそうだ。


「ふふ、それがカイルの良い所だからいいんじゃないかしら?」
「へへ、そうだよね!」
「調子に乗るなよ、ただでさえ馬鹿なんだからな」
「何だよ。皆、俺を馬鹿って言って……ってあれ?何だ?」


カイルが拗ねるように顔を逸らすと、その目線の先に一つのボタンが付いた台があった。何かと不思議がる前にカイルがそのボタンを押すと目の前に電子地図が現れた。
世界地図がホログラムで現れ、山や川も全て現代と同じ場所同じ位置にあったのだ。まるで別世界のようにも思えたが、この世界は自分たちの知っている世界で間違いないのだろう。


「でもよ、街は違ってるぜ。クレスタも、アイグレッテもハイデルベルグも無い」
「場所も名前も違うな……これが歴史改変の手がかり……」
「坊ちゃん……!」


今確かにシャルティエの声が聞こえた気がして、ジューダスを見ると背に手を回している。皆が居る前なのに何かあったのか、と少し離れて耳を傾けた。


「シャル……今喋っていいの?というか何か知ってることがある?」
「はい、この地名といい天地戦争時代と変わってないんですよ」
「それは本当か……!?」
「二人共どうしたの?」
「……ううん、確かハイデルベルグで見つけた文献でこの街の名前聞いたことがあるなと思って」


苦しい言い訳かとも思ったけど、ユウリィは三人がウッドロウの話を聞いている間に別行動していたので、怪しまれることはなかった。
天地戦争時代以前にあった街は戦争終結と共に壊滅した筈。復興の際に名前が変わった筈なのにそれが行われていないとなると、天地戦争時代の歴史が捻じ曲げられていると考えてまず間違いないだろう。


「ねぇ、この街ハイデルベルグと同じ場所にあるんじゃない?」
「どれどれ……レアルタって所か。で、今居るのがスベランツァだから……何とかいけそうだな。明日にでも……」


休憩してから行くか、と言うロニを別にカイルは待ちきれないと言わんばかりにえっ、と声を上げる。


「はぁ?けど俺達は今まで飛行竜やら何やらで大変な思いを……」
「したいなら一人でしておけ、年長者のわりには根性がないんだな」
「何だと……?」


ジューダスの挑発に乗るように、ロニは行くに決まってんだろと叫んで、意気込むカイルと共に先に階段を下っていってしまった。喧嘩するほど仲がいいというか、ジューダスはロニの扱い方をよく分かっている。
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