水月泡沫
- ナノ -

03

この一週間で分かったことと言えば、ヒューゴは常に家には居ないこと。リオンはマリアン以外には誰に対しても壁を作り、手厳しいこと。シャルティエは非常におしゃべりであること。
そしてマリアンの作るお菓子や食事、お茶はどれも全て美味しく、姉のようでもあり母のような印象も受ける女性だということだ。

確かに、屋敷に居た時も自分で家事をしたことが無かったからヒューゴの提案を断って、何処かに一人暮らしを始めていてもかなり苦戦したことだろう。だからこそ、マリアンが身の回りの世話をしてくれるというのは申し訳なく思いつつもありがたい話だった。
この屋敷に女性はメイド以外に居ないからか、彼女は自分に対してよく話してくれるのだ。それもまた嬉しいことではあったが、リオンの冷ややかな視線が気になってしまうものだ。

今日はとうとう客員剣士補佐としてリオンと共に任務へと向かう日だ。
服や装備を確認し、立てかけてあった剣を取りだして刃を確認する。古くから家にあったという剣なのに、その切れ味は武器屋で売っているような剣とは訳が違う。

自室を出て広間でリオンを待ち、何時も通りシャルティエを携えて悠然としたリオンと共に任務へ向かいに屋敷を出ようとした所を、マリアンに呼び止められる。心なしかリオンの顔が少し明るくなった気がする。


「早めに帰ってくるつもりだよ」
「そう、なら夕食の準備をして待っているわ。行ってらっしゃい」
「行ってきます」


手を振るマリアンに手を振って、華の王都、ダリルシェイドを立つのだった。

故郷を出てダリルシェイドに来た際も、港から船に乗って港に降りただけだったからこそ、こうして街の外の道を歩くのは、実はユウナにとって初めてのことだった。
この歳になっても外に出たことがなかっただなんて、とんだ箱入り娘だと自分自身呆れてしまうが、見る物、触れる物全てが新鮮で、感動さえ覚えていた。街の建物が遮ることのない地平線と青空――あぁ、なんて綺麗なのだろうか。


「リオン様、二人での任務ですか?」
「今回は軽い魔物討伐だ。兵など必要ない」
「何処ですか?」
「ここから北の方だ」


リオンの素っ気無い態度に会話も自然に途切れる。リオンの心境も解っているつもりだ。客員剣士に誇りを持っているのに、中途半端で嘘を吐いている人間が補佐となって行動を共にするというのは憤りを感じることもあるだろうし、信頼出来ず風当たりが強くなるのも当然というものだろう。
しかし長い道中、無言が続く、というのは思っていた以上にきついものがあると思っていた時。

「ユウナ、ユウナの出身地って何処なんですか?」

歩いている途中、シャルティエが不意に聞いてくる。
お喋りな彼らしい気遣いだ。彼はリオンが居る前でも、自分に積極的に話しかけてくれるから有難かった。しかし、今回ばかりはその話題のチョイスがやや都合が悪い。その問いにどう答えようか迷う。


「えっと……私、孤児院だからさ」
「そうなんですか。なんか変な事聞いちゃいましたね……」
「いや、そんなことないよ!それでまぁ……剣士になったみたいな感じで。でも生涯で剣と喋れるなんて思っても無かったよ」


シャルティエの言葉にユウナは小さく笑う。その笑顔を見てシャルティエはぽつりと漏らした。


「ユウナ、今みたいに笑った方がいいですよ。いつも何だか無理をしているのか、事務的な表情ですし」
「え……?」
「坊ちゃんに似てるんですよ」
「黙れシャル」
「……すみません……」


今まで黙っていたリオンが煩いと言わんばかりに顔を歪める。
リオンの冷たい態度も私と同じ理由からなんだろうか?シャルティエとの会話からそう考えられる。

「此処か……」

ダリルシェイドから少し離れた、鬱蒼とした森へ入って暫く。
魔物が出るという出現場所へ辿り着た。目的ポイントに来ても、辺りには何も無い。本当にここなのだろうかと疑った所に、微かに聞こえてきた羽ばたく音。
その音に上を向くと、魔物がこちらに向かってきている様子が分かる。鋭い爪やくちばしが光っている。段々近づいてくる姿は最初は小さかったのに、段々比に生らないほど大きくなってきて。

「リオンッ!」

リオンもその魔物に気づいたのか、シャルティエを抜き、数歩下がる。リオンが元居た所に地面がえぐられて魔物のくちばしが突き刺さる。


「何これ……大きい……!」
「報告よりも数段大きいな……!」


リオンはその魔物に切りつけるが、空中を旋回し、避けられる。


「くっ……」
「晶術も飛ばれたら無理ですね……」


シャルティエは地属性であるため、高く飛び回っている魔物にはあたらない。これは厄介な敵だなと、リオンは舌打ちをして魔物を見据える。
ユウナが交戦して地上に近い場所にいる間に、晶術を唱えようと構えたのだが、リオンに気付いた魔物は急旋回をしてリオンに襲い掛かろうとする。

「つっ…!」

リオンの詠唱の邪魔をさせないように、ユウナは彼の前に飛び出して、その鋭い爪を剣で弾いたのだが、少し腕をかすり、血が流れてくる。

「ユウナ、後ろです!」

シャルティエの言葉に後ろを振り向くと鋭いくちばしが直ぐそこまで迫っていた。咄嗟に剣を前に構えて受け流すが、吹き飛ばされる。
吹き飛ばされて背中が木の幹に勢いよくぶつかる。叩きつけられた背中が痛む。
報告よりも数段強い魔物。

これを二人相手でどうすればいいのかと唇を噛み締め、己の無力さを痛感して剣の柄をぎゅっと強く握りしめたその時。


――だらしねぇな、俺のマスターは。


「!?だれ……!?」


この声は何処から聞こえてくるのか、全く分からない。けれど、確かに聞こえてくる声に思わず辺りを見渡す。

――俺を使え。お前、弱くなんて無いだろ?

まさかと思い、自分の手に握られている銀色の刀身を持つ剣を見る。
この辺りには私たち以外居ない、ということはシャルティエのように。


「この剣……?」
「そのもしかして、だよ。ほら聞きたいことは後で、とっとと仕留めるぞ。晶術だ、晶術!」


幼い時から共に過ごして来た自分の剣が喋っているだなんて。
信じられなくて、目を開いたまま剣を見つめてしまう。
とりあえずよく状況を理解できていないが、この剣の言うとおりに詠唱すると、闇の色をした球の塊は魔物にあたり、魔物の体はどさりと地面に落ちた。なんて威力なのだろうか、と使った自分が驚いてしまう。

「なに……!?」

自分たちの使用する晶術とは違う攻撃が魔物を襲ったことに驚いたリオンとシャルティエは驚きの声を上げ、リオンはユウナを振り返る。
驚きたいのはこっちの方だ。状況が全く分からない。


「気付かないか?俺だよ、シャルティエ」
「ロ、ロイ!?」


ロイ――シャルティエがよく知るその人の名前は、長年自分の腰にあった剣の名前だったのだ。

森を抜けたリオンとユウナだったが、真っ先にするのは先ほどまで戦っていた魔物の退治に関する話ではなく、もう一本あったシャルティエと同じような剣に関する話だった。しかし、その剣を持っていたユウナもあまりの突然のことに困惑していて、よく分かっていなかった。


「それにしてもどういう事だ?何故お前がソ−ディアンを持っている」
「でもロイはソーディアンチームには入っていませんでしたよ?」
「待てって、悪いけどその前にユウナに説明してやら無いとな。何も知らないみたいだし」


自分が今手に持っている剣はコアクリスタルを光らせて、シャルティエと同じ様に喋っている。
幼い頃からずっとこの剣を持っていたが、喋れる剣だなんて知らなかった。父からも何も言われていなかったし、極々普通の一般的な剣だと思っていたのに。


「俺はロイドマルク、愛称はロイだ。シャルティエと同じソーディアンで……何故かっていうのは訳有りなんだよ色々と」
「私が今まで使ってた剣がシャルと同じ喋る剣?で……でも今まで話せたことなんて……」
「そりゃ無かったな。俺だって今まで意識が寝てたようなもんだから、話せなかったんだよ」
「じゃあ何で今起きたんです?」
「俺のマスターがドジ踏むからじゃねぇのか?」


その言葉に、返す言葉がなくなってしまう。
シャルティエとは違って随分と物事をストレートに言う剣みたいだな、と苦笑いをする。混乱しすぎて段々顔が暑くなってきた事が分かる。頭が、フラフラする。


「では何故お前が持っていたんだ?」
「それは、今は言えない……」
「何故だ」
「……」


彼女は口をつぐんだまま話そうとしない。家に昔からあったものだけれど、そう答えてから家のことや故郷のことを聞かれると答え辛かった。
ユウナの煮え切らない態度に苛立ちを覚えたリオンだが、もしかしてヒューゴが彼女への態度も良かったのも、客員剣士補佐にしたのもこの剣がソーディアンだと知っていたからか――そんな考えに至る。

「おい、ユウナ?何か顔赤いぞ?」

ロイの言葉にリオンはユウナを見る。変に息を切らしていて、顔は赤く、汗を掻いている。

「お前……」

リオンはユウナの額に手を当てる。額から伝わってきた熱は普通じゃない。この症状は、熱毒だ。そして先ほど自分が詠唱をしていた時に、庇うように前に飛び出して交戦していた彼女が腕を負傷していたことを思い出す。

「おい、ユウナ!」

ユウナの視界は段々薄れていき、完全に意識が無くなり、リオンへと倒れこむ。
消えていく意識の中であの時の爪か、と思うが、考えても遅く意識は完全に無くなった。


――目を薄くと開けると、ぼやけた視界から徐々に見えてきたのは天井だった。
一体何があったんだっけ。自分は任務に行って、魔物と戦った際に剣が喋って、その後魔物による攻撃で熱毒に侵されて。
そこまで思考が行くと体を勢いよく起こした。


「な、何で戻ってきてるの?」
「やっと目覚めたかよ」


ベットの傍らで声がしたと思えばそこにあったのは一本の剣。確か彼は、シャルティエと同じで喋る剣だったはずだ。名は確かソーディアン、と言ったか。


「……ロイ?何でここ……」
「お前熱毒でぶっ倒れてリオンにここまで運んでもらったんだよ。全く……」
「リオンが?」


あぁ、迷惑をかけてしまった、と頭を押さえる。彼の補佐をする為に共に任務に向かったのに、寧ろ足を引っ張っているなんて笑えない話だ。


「随分焦ってたけどな。で、大丈夫なのかよ?」
「うん……それにしても本当にロイって喋るんだね……」
「ありえなさ過ぎて混乱するだろうな、そりゃ。人格をこのコアクリスタルに転移させたらソーディアンの完成だ。俺だって喋れたらもっと早くに正体ばらしてたよ」
「そっか。ロイってシャルティエと仲良かったっぽいけど……」
「まぁ、昔の親友だよ」


このロイがシャルティエの親友だったなんて。そもそもソーディアンである彼らが人だったのか、そして何時の時代からある物なのかは分からないが、ソーディアンにも交友関係があるというのは身近な気がする。


「あいつの愚痴を聞くの担当だったって感じだな。それに、今はお前の相棒だし」
「私、ロイのマスター?なの?」
「あぁ、俺が決めた」
「……結構勝手に決めるんだね」
「失礼だな」


ロイは思いっきり顔をしかめて呟く。実際顔は見えないけれど、口調でそんな表情をしている気がするのだ。


「リオンの所に行ってやれよ。アイツ何だかんだ言って心配してたからな」
「リオンが、心配?」
「アイツ、素直じゃないんだよなー……」


ロイの皮肉たっぷりの言葉は嫉妬にも聞こえたがあえてそこには触れず、ベットから起き上がり、ロイを手にしてリオンの部屋へ向かった。
扉を叩いて「ユウナです」と声をかけると、何時ものように「入れ」と指示が返って来る。扉を開くとそこには、椅子に腰かけて当然のように不機嫌そうなリオンが居た。これは相当ご立腹だろうと感じ、咄嗟に頭を下げる。


「迷惑かけて、すみませんでした」
「ふん……全くだ」


顔を逸らして言うリオンは相当怒っているようで、どうしたものかと慌てる。
任務を達成できたとはいえ、足を引っ張ったのだから当然だろう。委縮しているユウナと、勘違いを受けるような冷たい言い方をするリオンにシャルティエは溜息を吐いた。


「坊ちゃんそんな言い方はないでしょう。ユウナ、体調は大丈夫なんですか?」
「あ、うん、大丈夫。報告は……」
「僕がしておいた」
「足を引っ張って、申し訳ありませんでした……」


ユウナの頭には最悪、客員剣士補佐を辞めるという考えもあった。リオンは足手まといは要らないと言っていたから。

「これだから僕は補佐なんて必要ないと言ったんだ。……今度はこんな失敗をするなよ」

最後の一言に驚いて顔を上げる。
今度は、ということは二度目があってもいいという機会を与えられているということではないだろうか。


「辞めなくて良いんですか……?」
「足を引っ張らない程度になれということだ!それとその変な敬語は止めろ」
「変な敬語?」
「どうせお前の失礼致しました、とかリオン様、だろ。要は敬語使うなってことだ」
「え……でも上官にあたるし……」
「僕が嫌だと言っている」


今回のユウナの怪我は、彼女の腕前だけのせいではないとリオンも分かっていた。自分の判断ミスもあったし、彼女はそれをカバーしようとして負傷したのだということをリオンも理解していた。そういう意味では、今回の彼女の働きは足手まといではなかったと言える。


「……今日はありがとう、リオン」
「ふん……」


笑ってお礼を言えばリオンは顔を逸らして、そっぽを向く。
何か機嫌を損ねるようなことをしたのかと、疑問に思っているとロイがぽそりと呟いた。


「ったく素直じゃねーな……あんなに焦ってたくせによ」
「おい、ユウナ。その剣を僕に貸せ」
「はぁ!?貸すなよ、頼むから貸すなよ!」


ロイの軽口に険しい顔に変わったリオンは、ユウナに剣を寄こすように指示する。しかし、ふとリオンに名前を呼ばれたのは初めてだということに気付いて、ユウナはくすりと笑った。
彼の元で客員剣士補佐をしていくのは前途多難だと思っていたけれど、案外もしかしたら、想っていたよりもいい関係が築けるかもしれない。きっと自分だけだったらそういう訳にもいかなかっただろう。シャルティエの知り合いで、親友だったというロイが居るからだろう。


「ロイ……ごめん」
「はぁ?ふざけんな!」
「ふん、その減らず口どうにかしてやる」
「シャルティエ!」
「坊ちゃんに逆らうと怖いですから」


――いつもは静かなリオンの自室から楽しそうな二人の声が聞こえてくる。
実際はもう二本あるのだが、他の人には聞こえないわけで、二人が喋っているように見える。

「……あら?エミリオとユウナは仲良くなったのかしら?良かったわ……エミリオもユウナとなら……」

マリアンがリオンの部屋の前を通ると聞こえてきた声に小さく微笑む。他者に心を閉ざして距離を置いてしまうリオンに、同世代の理解者――友人が出来たら。彼女は姉として、そして母のようにリオンにそういう人が出来る事を期待をしていたのだ。

――それは、運命の日が始まる二年前の幸せな日常の一片だった。
-3-
prev next