水月泡沫
- ナノ -

02

朝早くに城へ来るように言われ、王の間へと足を踏み入れた。
ダリルシェイドの王城は華の王都に相応しい煌びやかな装飾が施された王城はユウナにとっても眩しく映るほどだった。そして、そんな王城の王の間には、勿論王様や、七将軍であるドライデンやヒューゴ、そしてリオンが居る。
そんな張り詰めた空気の中で、今しがた客員剣士補佐任命式が行われた。
リオンは明様に不満げな顔をしているが、決定してしまったものは仕方がないと、あきらめた顔をしている。

そう、リオンも諦める理由はつい三十分前のことだった。


「ヒューゴ様、彼女の腕は確かなんですか?」
「うむ……私も同じ意見だ」


ヒューゴが彼女を客員剣士であるリオンの補佐に付けると突然言い出したことに、当然周囲は疑問を抱いた。先ず、彼女が一体どこからやって来た者なのかも分からなければ、その腕前も分からない。ありとあらゆる信用がなかったのだ。
ドライデンも再度疑いの問いを投げかけるリオンの言葉に賛同する。
客員剣士などそうそうなれる立場の物ではないのに、突然現れた娘に任せると言われても信じる事など到底出来ない。ユウナ自身もそれを理解しているから、ヒューゴがどう対応するのかーー自分ではどうにも出来ないからこそ、焦っていた。

「では、手合わせをさせてみたらどうかね?」

しかし、当然ながらヒューゴはその答えを用意していたのだ。
ヒューゴの言葉にユウナは顔を上げ、ぱちぱちと瞬き、目を開く。幾ら剣術を習っていて、その筋の良さから期待されていたとはいえ、それはあくまで実戦というよりも練習程度だ。人、それも男の兵と手合わせではない本気の試合など行ったことはこれまでなかった。


「しかし……」
「ならばセイガルド兵隊長と手合わせをさせてみたらどうかね?」


ーー更に自分の状況が悪化した事態に、思わず頭を抱える。新兵はともかく、剣術に優れている隊長なんて。
ヒューゴは自分の剣筋を知らない筈なのに、何故こんなにも信頼したような口ぶりなのかが気になって仕方がない。もしかしたら、一度は助け舟を出したけれど、結局他の道はないのだという事実を突きつけるためなのかもしれないが。
自分を純粋には信頼はしていない筈だろう。それがヒューゴという人間性だと思っているところもあったし、彼は自分を優秀な社員としてしか見ていない。その点にもどうして小娘に執着するのかという疑問は残るが。


「ふむ……リオン君もそれでいいかね?」
「分かりました……」
「坊ちゃん」


分かりました、と了解しているものの顔は不満そうで、シャルティエがリオンを制す声も聞こえてくる。
もう諦めるしかないと、自らの剣を確認する。銀色の刀身は鋭く、古くから家にある剣にしては刃こぼれなど一つもない。凄く自信があるかと問われたら、素直には頷けない。
だが、違う道を行くにはもうこれしかないのだ。潔く了解して手合わせをする場所へ向かうと、既に男が一人立っていた。どうやら彼がセインガルド兵隊長なのだろう。


「よろしくお願いします」
「こんな小さな子と戦うだなんて……」


向こうから見れば、十四歳の何も出来ないようなひ弱そうな少女に見えるだろう。直感で、この僅かな心の隙が自分に有利に働くのではないかと感じたユウナは剣の柄を握りしめる。この剣は、もはや一心同体である。
そして二人は剣を鞘から引き「始め!」という試合開始の合図と共に、ユウナは地を蹴って相手の懐へと走りこんだ。小さな女の体ではあるが、その分の俊敏性はある。
相手の振りの大きな剣先を軽く後ろへ下がって避けたが、すぐさま切り返して剣を突き出してくる。流石は隊長を務める人の剣筋だ。隙などそう簡単に与えてはくれない。地を蹴って宙に飛び上がり、軽々と避ける。


「ほぉ……」
「……ユウナって強いんですね。あんなに腕細いのに……」
「ふん、どうだかな」


シャルティエのリオンは不満な声を漏らす。
どうしてもユウナを認めないリオンにシャルティエは小さく溜息をつく。

「かわしているだけでは俺は負かせないぞ!」

未だにユウナは軽々と避けるだけで、刃を相手に向けていない。大きな力強い振りを初めて剣で弾き横へ受け流し、相手の体制を崩す。



「アイツは何なんだ?避けるだけで……」
「それにしては動きに無駄がありませんよ。反応もあの方よりも数段階いいです」
「……」


目を閉じて、剣を鞘に収める。相手からしたら戦闘放棄、というよりも舐められているように見えるだろう。
男は怪訝そうな顔をして、剣を一振りしてくる。目を瞑っているが、何となく気配で分かる。
本当に不思議な感覚なのだ。試合前は実戦はしたことが無いと不安に思う所もあったが、やけに剣は手に馴染み、感覚が数倍研ぎ澄まされている。剣の振り方が――この剣を持っていると、自分の経験以上に分かるような錯覚を覚えるのは一体なぜなのだろうか。
それは判らない。けれど、今だ、と解るのだ。
男が剣を振り下りした瞬間、消えたかに思えた刹那。男の呻き声共に剣が鞘に収まる音がした。


「っ……!」
「うわ!つ、強いですねユウナ……素早く峰打ちをしましたよ……」
「あ、ご、ごめんなさい!すみません!大丈夫ですか?」
「くっ……油断したな……見事だよ」
「あ、ありがとうございます」


峰で攻撃したため、相手の体から血が流れている事は無いけれど、念の為、と言う事でポケットからハンカチを取り出し、渡す。そこへ後ろから小さなひとつの拍手が聞こえてきた。


「実に見事だったよ、ユウナ君」
「あ、ありがとうございます……」
「これでいいでしょう」
「うむ……異存は無い」
「坊ちゃん」


黙ったままのリオンをシャルエィエが促す。不満そうな顔をしているが、顔を背けてぼそりと聞こえるか聞こえない程度に呟いた。

「……まだ僕はお前を認めたわけじゃないからな」

突き放すように聞こえるその言葉に、出会った当初ほどの棘は無かった。補佐を必要としていないことに変わりはないが、それでも王や軍の人間にその実力を示したのならば、自分が抗議することももう出来ない。


「ありがとう、リオン」
「ふん……」


別に認めたわけじゃないのに一体何故礼を言われているのか――あぁお人好しなものだと思いながら、リオンはその場を立ち去った。
任命式を終えたユウナは、王に頭を下げ、リオンに続いて謁見の間を出た。昨日、ヒューゴから提案を受けた際にはどうしたものかと頭を悩ませていたが、何とか一歩を踏み出せたような気がしてとにかく安堵するばかりだ。
ここからが大変だということも分かっているが、この試練を乗り越えなければ故郷に帰って彼の望む通りの仕事をする道に戻ることになっていたかもしれない。
宿屋でも借りて疲れを癒そうと考えていた時、不意に誰かに呼び止められる。その声で呼んだ人物がすぐに分かり、ユウナは立ち止まって振り向いた。


「何でしょうか、ヒューゴ様」
「今日は見事だった。……それで、君には家が無いのだな?」


そう、昨日は宿屋に泊ったけれど、いきなり飛び出してきたから所持金は暮らしていくには不十分過ぎる金額だし、家も無い。
最優先にしていたことが今日の件だったから生活の手段に関しての考えがすっかり抜け落ちてしまっていた。こういう所が、まだまだ子供なのだろうと実感する。


「……はい。でも、今日は宿屋に泊まって、家を探します」
「私の家に住まないかね?」
「……はい?」


突然、何を言われたのか分からず、間抜けな声を上げてしまう。
私の家に?それは、どういう意味だろうか?

「君には家もないし、家の事が周囲に知られてしまったらいけないのだろう?それにリオンの補佐になるわけだ。どうだね?」

家の事を上げられて、無理とも言えなくなってしまう。ヒューゴではない誰か偉い方に家出中だとばれたら連れ戻されてしまうかもしれない。
要は拒否権なんて最初から私に無いという事ではないかとふと思ってしまう。
居候させてもらう、というのは家出中の身にとってはありがたいが、それがあまり得意としていないオベロン社社長の家であり、更には疎まれているだろうリオンが暮らしている家だと思うとあまりに気が引ける。だが、家のことを持ち上げられている以上、拒絶は出来なかったのだ。

ヒューゴに言われて、街の中にある大きな屋敷へと足を運ぶ。
重たい気持ちで、扉をそろりと開けると出迎えてくれたのは優しく微笑むマリアンだった。


「あら、ユウナ様。どうなさったんですか?」
「ヒューゴ様に言われてこちらに住まわせて頂く事になったんです。……あの……迷惑、です、よね……」
「そんな、女性の方が増えるなんて、とても嬉しいですよ。お部屋を用意させていただきますね。リオン様には私から伝えた方がよろしいですか?」
「いえ、自分で伝えます」
「リオン様は自室に戻られていますよ」
「ありがとう」


マリアンの微笑みにつられてユウナもマリアンに優しく微笑んでお礼を言った。
そして昨日向かった場所、リオンの部屋に向かい、閉じられた扉に軽くノックをする。


「誰だ」
「ユウナです」
「……入れ」


昨日と同じ声で入るように指示を受けてから扉を小さく開ける。そこには本を読んでいるリオンの姿があった。邪魔されたような感じで、眉を潜めて睨まれている。
ただでさえ自分には不要な補佐を付けられていい気分ではないリオンに、今日から同居させてもらうなんて言ったら一体どんな反応をするか。容易に想像は出来た。


「何の用だ」
「えっと……今日からここに住まわせてもらう事になって……」


その一言にリオンは驚いた顔、というよりも信じられないというような顔をして本から顔を上げる。


「何の冗談だ?」
「いえ……ヒューゴ様の……ご好意です」
「……前から気になっていた。お前は本当にただの護衛剣士か?それにしては礼儀を知っているしヒューゴ様の態度が明らかに違う」
「……」


当然と言えば当然の疑問だろう。ヒューゴが突然現れた小娘を気に掛け、客員剣士補佐に推薦するばかりか、自分の家に住まわせるなど普通の人間ではないだろう。護衛剣士が全員そうだという訳ではないが、所謂武術の道理を弁え、礼儀を備えているものはそう多くはない。腕っぷしに自信があり、それで生計を立てることしか出来ないあらくれ者も多いのだから。
リオンの鋭い指摘に、言葉をなくしてしまう。
ヒューゴにとって私は会社の利益になる存在であり、手放すわけにはいかないと言っていた。態度が他の人と違うのもそのためだろう。
自分自身、どうして彼がそこまで自分を有益だと思ってくれているのか、未だにしこりが残る点ではあるが。


「……昔、ヒューゴ様を護衛した事があるただの剣士です」
「……分かった」


リオンはこれ以上言っても絶対に口を割らないと感じて、話を終わらせる。


「それと、一週間後は任務だ。忘れるなよ」
「わ……分かりました」
「足を引っ張るなよ。僕が邪魔だと思ったら任務から外れてもらうからな」
「はい……」
「坊ちゃん……」


あぁ、やはり前途多難だ、と小さく溜息をつく。その溜息がもう一つ聞こえてきた事は黙っていよう。
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