水月泡沫
- ナノ -

12

ウッドロウにレンズの件を報告すると、彼は焦燥した様子だった。カイル達のエルレインを追うという申し出に、明日また体勢を整えてから話をすることになった。
一命をとりとめたとはいえあの深手を負ったのだから今日は一日安静が必要だろう。

バルバトス=ゲーティア。
彼はどうやら英雄という存在を憎んでいるようだが、エルレインに協力してウッドロウ達を傷付ける彼が許せなかった。
彼の殺意は逆恨み以外の何物でもない。英雄とは自ら望んでなれるものではなく、他者の評価があって初めてそう呼ばれる。

ユウリィ自身がそうだったからこそ痛いほどそれが今なら分かるのだ。
英雄と呼ばれるようなことを自分がしたかーー否、何もしていない。自分はリオンの補佐として彼を支えたくて、そして最後には苦渋の決断の末にスタン達を裏切ることになった彼を助ける為だけに剣を振るった。それが全てだ。


「時間旅行から帰ってみりゃレンズはなし、よくもまぁこう難題ばかり続くもんだ。波乱万丈とはこのことだな、リアラと会ってからこっち退屈する暇もありゃしない」
「ロニ」
「いてっ!何すんだよ!」
「言い方に問題があるでしょ!今の言い方だとまるでロニがリアラに会って迷惑してるみたいじゃない。まさかそう思ってんの?」
「違ぇよ!退屈しなくていいよなってのが言いたくて……な、なぁカイル!」
「何?ごめん、聞いてなかった」
「とりあえず今日は休もう。他にする事も無いしな」


こちらでの時刻はまだ昼頃とはいえ、向こうでの体感時間とカルビオラまで歩いてきた一日の疲れがどっと襲ってきたのかカイルとロニはベットに飛び込んで眠りにつき出した。
眠りに付こうと目を閉じていたのだが、中々眠れずにユウリィの意識はしっかりと残っていた。すると、扉が開く音が二回して目を開けるとリアラとナナリーが居なくなっていた。


「二人とも……気になって出て行ったの?」
「そうみたいだな……」
「ジュ、ジューダス、起きてたの?」
「そんなに驚くことか」
「寝てたと思ってた人がいきなり口開けばそりゃ驚くよ!……寝なくていいの?」
「あぁ、今寝ておいたからな」


今寝ていたと言っても彼の仮眠時間は毎回思うが少なめだ。それだけで十分なのかだろうかと心配になってくる。


「……背、伸びないよ」
「うるさい!大体、ユウナは僕よりも小さいだろう!」
「それはそうだけど……」


大声でいい争いをしていると、カイルが煩いとでも言うのに少し唸ったので声を抑えた。しかしフライパンが無ければすっきり一度で目を覚ますことのない、目覚めの悪い彼がこれ程度で起きる筈もなく寝返りを打って気持ちよさそうに眠っていた。


「……やっぱり、起きないし……」
「そうですね、スタンに似てます」
「シャル」


部屋に響いた男性にしてはやや甲高い声にジューダスは眉を潜めて背中に隠している剣を握り締めた。痛いって叫んでる声、久しぶりだ。


「いいんじゃない?今寝てるんだし。シャル、霧の日以来久しぶりだね」
「はい、お久しぶりです!大変でしたね。十八年後に飛ばされたり更に十年後に飛ばされたり……」
「うう……目が覚めたらいきなり暑い所に飛ばされるし、ナナリーには悪いけど暑いのはもう勘弁してほしいかな……」
「そりゃあ、この寒い所からいきなり暑い所ですもんねぇ。ユウナは暑さには滅法弱いですし」


以前もそれで気を失った経験があるという話を持ち出されてユウリィは苦笑いを浮かべる。ファンダリア育ちでこの気候に慣れきっていると、カルビオラは本当に辛いものがある。
ホープタウンでは居候させてもらっていた身だし、なるべく不満を言わないようにしていたけれど堪えるものがあった。カイル達が通って来たというヒートリバーに行っていたら足も動かなくなる程ばてたに違いない。


「ユウリィは明日ウッドロウと会いに行ってもいいのか?」
「うーん、今日ちらっと見られたし……けど、何も言われなかったって事は帽子で隠せたかな」
「まぁ、まさか時間移動をしてこの時代に居るなんて想像もつかないことには違いないんだろうが、こんな変装でよくもまぁ……」
「こんな変装で悪かったね!」


ジューダスも人のことは言えないと文句を言うけれど、彼は隠せている自信があるのかユウリィの変装が甘いと指摘する。
髪を斬って服も変えているし、帽子を被っていることも多いから結構前と印象も違っているような気がするのに、とユウリィは髪を触りながら納得いかないと不満そうに口を尖らせる。


「そうだ、シャルに聞きたい事があったんだった」
「何ですか?」
「エルレインやリアラの力を見て思い出してたんだけど……ロイの晶術って空間転移だよね?」
「晶術というか……能力ですかね。彼は病気みたいなもんだって言ってましたけど」
「病気みたいなもの……?」
「使えばそれだけ身体的ダメージを受ける……望んでもないのに持っている、必要が無いものだってはっきり言ってました。……彼女達と似ている力だなぁとは思いましたけど関係は無いと思います」
「やっぱり関係ない、か……」
「彼は千年前の人間ですしね。失うために研究してもらっていたみたいですが、結局原因は分からず終いでした」


ロイの葛藤を間近で見てきたシャルティエには奇跡の力とはどうしても思えなかったのだ。あんなにも悩み、心を閉ざしていた青年が自らの非科学を否定する道に入ったのも分かる気がすると、遠い昔を思い起こしながら感傷に浸っていた。

結局二人を助ける為にその力に呑まれる形であの海底洞窟で彼は。
ユウリィもそれを思い出していたからか表情に影を落とすが、ジューダスはお前のせいじゃないと言うようにユウリィの頭をぽんぽんと撫でた。
悲しい決断ではあったけれど、それが長い時を超えて生き過ぎた、生きる目的を見失っていた親友のやり遂げたいと心から願ったことなのだとシャルティエも理解していたのだ。納得できるかどうかは、別として。

シャルティエと暫く話していたのだが、扉の外から近付いてくる足音に気が付いてジューダスはシャルティエを背に隠すようにしまった。次の瞬間扉が開き、焦ったような表情をしているナナリーの姿があった。


「あ、あれ、一人なの?ナナリー」
「……あぁ。リアラを見なかったかい?」
「ナナリーと一緒じゃないの?」
「ここにも居ない……本当に居なくなっちまったよ……」
「どういうこと……?」


カイルと喧嘩していた事を気にして落ち込んでいたリアラを元気付けに行ったのらしいのだが、別れてから何処にも居ないらしい。
カイルとロニを叩き起こして事情を話すと二人の表情は段々と引きつっていった。
リアラが居ないと知り、慌ててウッドロウの居る謁見の間へと向かう。彼はもう既に椅子についてカイル達を待っていたのだろうが、今はレンズの話よりも聞くことがある。


「すまないな、わざわざ来てもらって。例のレンズの件だが……」
「あの……その前に、リアラを見かけませんでしたか?」
「リアラ君を?いや、私は見かけていないが……」
「ここには来てない?じゃあ、あの子は一体何処に?」


次第に焦り始める私達に、一人の兵士がこの謁見の間へと入ってきて近づいてきた。どうやら彼は正門の警備を担当しているらしく、光に包まれて消えてしまったリアラを見たらしい。恐らく単身アイグレッテに乗り込んだのだろう。
勿論。エルレインの思惑を阻止する為に、誰も巻き込まないようたった一人で。
カイルに助けに行くよう促すものの彼は黙ったままだった。リアラに英雄ではないと突き離されたことで気まずい状態になってしまったのもあって、未だ躊躇っているのだろう。そんなカイルに、ジューダスは問いかけた。


「また拒絶され、傷つくのが怖いのだろう?」
「え……」
「……僕も同じだった。傷つくのを恐れ、立ち止まってしまった。そして友を失った。最後に僕に残されたのは……自らを隠す仮面だった」
「ジューダス……」
「お前がどんな結果を選ぼうと、僕にはどうこう言える義理は無い。だが、忠告は出来る。恐れるなカイル。その先にこそ、お前の求める物がある」
「……へっ、めずらしいな。こいつと意見が合うなんてよ。どうしたんだよカイル。うじうじ悩むなんてお前らしくないぞ。考える事はねぇんだ、大切なのはお前の気持ち。それだけだ」


ジューダスの経験してきたからこそある重みのある背を押す言葉に、ロニは同意しにっと笑ってカイルを見た。彼は依然下を向いていたが顔を上げ、その目に宿るのは先ほどまでなかった強い光だった。


「俺はもう必要とされて無いかもしれない。英雄じゃない俺はリアラにとってどうでもいい存在かもしれない。でも、それでも……それでも、俺はリアラを助けたいんだ!だから、皆……」
「よく言ったよ、カイル。必要とされてなくても、助けたいって気持ちがあれば、助けていいんだよ。その人が苦しんでるかもしれないのに放って置くなんて、英雄、のすることじゃないでしょ?」
「ユウリィ……うん!」


今のカイルと前の自分を重ね合わせているようだ。リオンに突き放され、彼の行動が自分を助けるためだと分かっていても、自分を救おうとしてくれた彼自身を助けたかったから。
カイルが元気を取り戻し、リアラを助ける腹を括れたところでアイグレッテへ急ごうとするが、ウッドロウに引き止められる。
彼曰くこれはアタモニ神団とハイデルベルク間の政治的問題で、私達が向かうと武力闘争は避けられず、戦争に発展するかもしれないそうだ。


「カイル君、君はスタンのような英雄になりたいと言ったね?英雄とは、多くの人を救うものだ。君の取ろうとしている行動はそれとは正反対とは思わないかね?」
「たしかに、そうだけどよ……!」
「カイル、どうするんだい?」
「……ウッドロウさん、それ違うと思います。人一人……自分の大事な人も守れない奴が英雄なんかになれっこないです。だから俺は行きます。行って、リアラを助けます!」


カイルの返事にウッドロウは満足そうに頷いて、試すような真似をしたことに謝罪をした。流石はあのウッドロウだとユウリィはふっと微笑んだ。カイルの決意を固いものにしてくれたのだ。
ウッドロウは巻いた紙をカイルに手渡した。それはカイル達にレンズ奪還を任せるというウッドロウの国王としての勅命状だった。


「これって、勅命状……!」
「君の思うようにしたまえ、後のことは私が何とかする」
「ウッドロウさん、それじゃあ……!」
「行きたまえカイル君。他の誰でもない、彼女の英雄になるために」
「はい!」


謁見の間を後にするカイルの背を見送りながら、ウッドロウは微笑んだ。もう彼をスタンの息子と呼ぶのは恥ずべきことだろう。彼は既にカイル・デュナミスという一人の男なのだから。
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