水月泡沫
- ナノ -

03

「おい、ジューダスは何処だ?」
「あ、あの女の子に付いてるよ」
「……あのひねくれ者がずっと看病してるなんて本当に珍しい事もあるもんだな……カイル、お前スタンさんの事聞いてくればどうだ?」
「うん!俺、父さんの事について聞いてくるね!」


カイルが家を出て行った後、ロニは一人で考えていた。
そう、ジューダスはニヒルな性格で決して他人と自分から馴れ合おうなど思わない性格なのに。船で戦っていた少女が眠っている部屋から出てこようとしない。一人で魔物と戦った少女の勇気には感心するが、言ってしまえば偶々船に居合わせた赤の他人だ。なのに何故あんなに心配していたのか。そして彼女にも目的地があるだろうし船で寝かせていればよかったのに、何故リーネの村まで連れてきたのか疑問だった。


「もしかして……知り合い、なのか?」


正体を決して明かそうとしない謎な人物であるジューダスの知り合い?

ロニはそっと扉を開けてその部屋を覗くとそこには未だに眠っているユウナと、その手をただ握っているジューダスの姿があった。その横顔は仮面で見えないが、きっと穏やかなのだろう。
普段なら茶化すのだが、何となくそんな事はしない方がいいと感じ、そっとまた扉を閉めた。大分打ち解けてきたとはいえ、彼が気を緩めている姿を見るのが初めてだったからなのもあるだろう。


ユウナについてから数時間は経とうとしてるがジューダスは彼女から離れようとはしなかった。仲間同士でも比較的単独行動を好む彼がここまで熱心になるのも不思議ではない。
――愛する者のためならば世界をも捨てる、そんな選択をした少年だったのだから。
それが正しかったのかどうかは彼にはもはや価値の無い評価だった。己が望むままに後悔の無い選択をした、ただそれだけだった。

眠るユウナの頬を撫でたその時、微かに動いたことに気付いて手を握ると、閉じていた目が微かに開いた。ぼうっと天井を見上げて重たい瞼を開けたり閉じたりを繰り返し、まだ少し寝ぼけているようだったが、ジューダスにとっては目を覚ましてくれた、それだけで十分だった。


「ユウナ……!」
「え……?リ、オン……?」


自分の名を呼ばれ、そして見覚えのある顔立ちに、今自分の目の前に居る人物が外見は少し変わっているが、ユウナは未だぼんやりする頭の中、これだけは理解した。
そう、会いたいと思い焦がれていたリオン・マグナス――そしてエミリオ・カトレットだと。

先程まで一人で船に乗っていた筈なのに一体どうして待ち焦がれていたリオンが目の前に居るのだろうかと信じられず、喜びを通り越えて呆然としていると、ジューダスはユウナを抱きしめた。背中に回された手が僅かに震えていることに気付いて、一気に目頭が熱くなる感覚を覚えたユウナはこの事実を噛み締めるように尋ねた。


「会いたかった、ユウナ……!」
「本当に、本当に……エミリオ……?」
「あぁ、そうだ」
「良かった……っ」


エミリオと本名で呼ばれた少年の表情は本当に穏やかなものだった。彼の背中に手を伸ばして抱き付くとより一層抱き締める力が強くなる。
あの海底洞窟以来の温もりで、短いようで会うまで長く感じた。再び居なくなってしまうのではないかと言う不安や恐怖もあったのだろう。
けれど、本当に今目の前に居る。ただそれだけで十分で、ユウナは涙を堪えながら喜びに笑顔を浮かべた。

気持ちが落ち着いてからジューダスはユウナの身体を離したが、リアラの治癒術で治したとはいえ、一応包帯が巻かれている姿に顔を顰める。あの時にもしも自分達が来るのが一歩遅れていたらと思うと寒気がする。
この時代に来たばかりで何も分かっていない上にロイを失っている心細さは相当なものだっただろう。そう考えると再会出来て良かったと心から思うのだが。


「お前はどうしてあの船に乗っていて一人で相手をしていたんだ?」
「目が覚めたらアイグレッテ港で、とりあえずウッドロウに話をしておこうかと……あれ、何でそんなに怒ってるの?」
「当たり前だろう!一人で相手をしていて締め付けられている奴が居ると思えば……!」
「い、いやだってあれは……あのまま放って置いたら船沈むし……!」
「反省しろ!僕が一体どれだけ心配したと思って……!」
「だって!」


ユウナの言い分が分からなくも無いがそれでも心配したのだと怒るジューダスにユウナは拗ねたように反論しようとする。

一方リビングで休憩していたロニは急にベッドのある部屋が騒がしくなったことに気付き、眠っていたあの少女が起きたのだろうと察して「入るぞー」と一言かけて扉を開け、そして中の光景に絶句した。
ベットの上でジューダスがユウナに詰め寄っているように見えたのだ。二人もロニが扉を開けたことに気付き固まるが時既に遅し。ロニは肩を震わせて叫んだ。


「ジューダス、貴様ぁぁあ!」
「誤解だ!」


ジューダスに掴みかかろうとしたロニを何とか鎮めて、話をするためにリビングへと出てきたのだが、ロニのじとりとした視線は依然としてジューダスに突き刺さっている。
とはいえ、ロニの怒りの対象は女子を襲いかけていたことより、日頃ナンパをしても相手にされないことの多いロニにとって抜け駆けは許せないという方が強かったのだが。


「で、さっきのは誤解なんだな?」
「そうだと言っているだろう!」
「あ、えっと貴方は……」


リオンの事をジューダスと言っているのだから彼は偽名を使っているのだろうと考え付く。リオンが正体を隠しつつ行動を共にしているこの青年は一体誰なのだろうと疑問符を浮かべていると、ロニは困惑しているユウナに気付いたのかにこやかに笑って挨拶をした。

「俺はロニ・デュナミスだ。宜しくな」

短い銀髪で長身が特徴的だ。ここまでの会話を聞くとリオンよりも言動は年下のようにも思えるけれど、やはり大人の落ち着いた雰囲気がある。恐らく自分よりも年上なのだろう。差し出された手を握り返す。
何となくリオンに睨まれた気がしなくも無かったが、そこは見なかったことにしておいた。


「船で気を失っていたからこのリーネの村に連れてきたんだよ」
「リーネの村?そう、ですか……」
「どこか向かう途中だったか?」
「い、いえ。別にそんな事はないんですけど……」


何も分からない以上、自分の生まれ故郷であるファンダリアを確認しウッドロウと謁見するためにも向かう途中だったが、一番の目的であったリオンに会えたならこれから先はどうするのか、起きたばかりだからまだそんな事考えてもいない。
ロニに名前は、と聞かれてどうしようかと一瞬悩んだが、咄嗟に思いついた名前を上げておく。


「えっと、ユウリィです」
「ユウリィか。まったく、女子が一人であんな化け物相手にするなんてな」
「あはは……結局隙つかれちゃったんだけどね」
「まったく、笑い事じゃないだろう」
「ただいま!って君、起きたの!?」


その時丁度カイルも帰って来て、家の中が一気に騒がしくなる。「まだリアラも寝てるんだから静かにしろ、カイル」というロニの注意にカイルはごめんと頭を掻いた。
カイルと呼ばれた少年の明るい朗らかな笑顔と風貌にどこか見覚えがあるような気がして、ユウナは疑問に思った。どこかであった事があるのか、それともただ似ているだけなのだろうか。


「あぁそうだ、俺たちも今話聞いてたとこなんだけど彼女はユウリィ。……気になってたんだが、もしかしてジューダスと知り合いか?」
「え、ジューダスと知り合い!?」
「えっ」


知り合いと言うか、何と言うか。問い詰められて困ったような表情をしながらリオンを見てどうしようかと目で訴えるが、彼は白を切るのは諦めろという溜息を吐いた。


「……ちょっと昔会った事があって。知り合い、かな」
「やっぱりそうなのか……!くっそ、ジューダス……興味ないような顔して早々に抜け駆けしやがって!」
「そういうことしか考えられないのかお前は。呆れたやつだ」
「なんだと〜?俺が運ぶって言っても悉く邪魔したのはジューダスだろうが!」
「それはお前に邪念があったからだろう!」
「ロニの女の子に対する気遣いって本当に空回ってるよね」


昔からロニを見続けているカイルの冷静な見解に言い返す言葉も無いとロニは言葉を詰まらせた。そんなカイルを見ていたユウナはその面影が一体誰のものなのかと気付いて、あっと声をあげそうになる。純粋とも言える素直な性格とツンツンした金髪と蒼い目――かつての仲間であるスタンと良く似ていた。


「カイル、だよね。……スタン・エルロンと似てるって言われない?」
「本当!?俺の父さんなんだ!」


カイルの口から出た事実に驚いて目を見開く。もしかしたらと思って何気なく聞いただけだけれどまさか本当に目の前に居るこの少年がスタンの息子?でもこの世界は目が覚める前まで居た自分達の世界とは違って十八年後の世界だ。あり得なくは無いし、むしろ息子と聞いて納得出来る所がある。


「こいつの母さんはあの英雄の一人ルーティさんなんだ」
「ほ、本当!?」


以前からルーティに尻に敷かれながらも何だかんだ仲は良いとは思っていたけれど、あの動乱の後、一緒になったのだと思うと純粋に嬉しくもあった。
ちらりとリオンを見ると顔を伏せているためどんな表情をしているか分からないが、きっと複雑な気持ちなのだろうと胸の奥が痛くなる。人との関わりを拒絶し気味だったリオンを信じ続け友と呼んでくれたスタン、そして自分の実の姉であるルーティの子供であるなんて、仲間を裏切るという選択をしたリオンには――。


「助けてくれてどうもありがとう」
「いや別に俺たちはそんな大したことしてねぇっつうか……な、カイル?」
「何照れてるの?ロニ」


その後自分が倒れた後一体どういう経緯で助かったのか詳しく話を聞くと、リアラという少女が起こした奇跡によって沈没しかけていた船が浮いて乗客全員が助かったようだ。船の修繕が終わるまで陸道を進むつもりのようでノイシュタットで再び合流する手筈らしい。その少女は力を使いすぎたのか、未だにベッドで眠っていると聞きながらも普通の人ではありえないような奇跡を起こしたという話に、ユウナは疑問を覚えた。
しかし、リオンはともかく今日知り合ったロニやカイルにそのことを興味津々に聞くのは疑われる要因になるかもしれないと思い、後でリオンに聞こうとその場は何を問うこともなかった。


――気付けばリーネの村は静寂に包まれ、夜空に星が瞬く時間帯になっていた。この村には人工的な明かりも少なく、朝が早いからかまだ夜にしては早い時間帯ではあるが村人達は寝静まっていた。
スタンの妹であるリリス特製のマーボーカレーを頂き、舌鼓を打ち温かな夕食に満足してカイルとロニも寝た後、ずっと眠っていたせいで寝付けなくてユウナはこっそりと外に出た。

その腰には寝てる間ベッド脇に立てかけられていた愛剣――ソーディアン・ロイが携えられていた。


「ロイ、これって運命の巡り合わせってやつかな……?」


リーネの村から見える星空はとても綺麗で、無数の星が光として散りばめられている。きっと自然が豊かだからこそこんなに美しく空が見えるのだろう。
どこの時空間に飛ばされるかは分からないと言われていたけれど、飛ばされた先が十八年後の世界で、目が冷めてから直ぐにリオンに会えただけではなく、スタンとルーティの子供であるカイルにまで会えたのだから。

どんな事情があるとはいえ、この世界では十八年前の神の目を巡る動乱の途中で離脱したことには代わり無い。だからこそ、自分が英雄として名を残したことが不甲斐なく、リオンが裏切り者として名を残したことが苦しくもあった。
この世界でもしも何か自分にしか何か出来ないことがあるのならば、ロイが繋いでくれた命だからこそ、そのことに全力を注ぎたかった。

エルロン家にあるブランコに腰を落として、ぼうっと空を見上げながら物思いにふけているユウナだったが、この世界に来てから沸いた疑問が幾つかあることに思考を巡らせていた。


「……」
「ユウナ」


不意に声を掛けられて振り向くと、そこには寝ていた筈のジューダスが居た。彼のことだからもしかしたら深い眠りにはついていなくて外に出る足音で気付いて追いかけてきたのかもしれない。


「……ここって十八年後の世界、なんだってね」
「そうだな……」


空は18年前と変わらない夜空なのに、時間も、周りを取り巻く環境も全てが違う。エルレインという名の聖女が居て、アイグレッテが首都になっている世界。
何よりも、一番変わっていたのはやはり、英雄と呼ばれる存在と裏切り者と呼ばれる存在があることだ。


「……あの時私を拒絶したのは、こういうためだったの……?」
「……何がだ?」
「この世界でリオン・マグナスだけが裏切り者として名前が残ってる……こうなるって分かってたから……?」


恐る恐る尋ねるとジューダスは目を伏せて頷いた。ユウナはリオンがスタン達と対峙したあの場に居なかったから知らないだろうが、スタン達に自分がユウナを殺したのだと嘘を吐いたのだ。そうすれば彼女は自分の副官として加担した裏切り者にならず、裏切り者に殺された英雄になる。
実際ユウナが死んだ訳ではないのだが、この18年後の世界に直接飛ばされたせいで行方不明ーーつまりは死亡したとされている。しかし、なぜ彼だけが悪役とならなければいけないのか、ユウナには分からなかった。自分は裏切り者に殺された英雄なんかではとてもないのだから。


「これは僕が自ら選んだことだ。お前を巻き込み、そんな汚名を受けてほしくなかった」
「だからいつも一人で抱えないでって言ってるのに……私だって、何よりもリオンと居ることを選んだんだよ」
「ユウナ……」
「それなのにリオンだけの責任にするなんて、私が許さないんだから」
「……本当に、敵わないな。僕が守ろうとしているのに……お前は逆に何時も僕を守ろうとする」


一人で抱え込もうとしても、出会ってお互いを信頼し合う仲になってからはユウナがそれを許してくれなかった。守る為に突き放しても、追いかけて手を伸ばしてくる存在ーーそれがリオンにとっては如何に大きなものかはよく分かっていた。
ふっと表情を緩めて笑うジューダスに、ユウナは照れ臭そうにはにかんだ。

「この世界で私が何をしたいのか、まだはっきり決まった訳じゃないけど、私は今度こそ絶対にエミリオの手を離さないから」

ユウナは手を取り、真っ直ぐと彼を見詰めて決意を口にする。ジューダスは目を開き、小さな声で礼を述べた。それ以上の言葉が出てこなかったのだ。
ーー自分が愛している少女にこんなにも想われることほど、幸せなことはないだろう。自分には出来すぎた身に余る幸福なのかもしれないと思いながらも、噛み締めていた。


「十八年かぁ……違う時間に飛ばされて無かったら今頃どんな大人になってたんだろうね。その頃だとリオンは身長伸びてるのかな」
「……ユウナ、そんなに僕を怒らせたいか?」
「じょ、冗談だってば!」
「まったく、撤回する位なら始めから言わなければいいものを。……あまり想像出来ないが、苗字は変わっていただろうな」
「……え。ま、まって、それって」


少しの間を置いてから困惑するユウナに、ジューダスは悪戯に口角を上げて笑う。顔を真っ赤に染めて慌てていると、どこからともなくひゅうと口笛が聞こえて来て、ジューダスは目を細めて背中に腕を伸ばして背中にしまっていたソーディアン・シャルティエを握り締める。


「さぁ、戻るぞユウナ」
「ま、待ってよリオン!」


仮面の下で優しい笑みを浮かべながら戻るジューダスの背を、ユウナは手で顔を仰ぎながら追いかけて行った。
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