水月泡沫
- ナノ -

02

「おじさん、チケット四枚!」

カイルが元気よくウッドロウ王の居るハイデルベルク行きの船のチケットを売っている男に話しかけた。どうも運がいいことに先ほど女の子が買っていったことで丁度残り四枚になったらしい。
それを聞いてカイルは顔を明るくさせて、運がいいなと上機嫌な様子で喜んだ。
木の塊が海に浮くなんて考えられないと船を嫌がっていたロニだが、船に女性が乗っているのを目にして意気込むのを見てジューダスはこんな時まで女の事を考えているのかと呆れてチケットを受け取るなり先に船へ入っていった。

カイル達と偶々出会った、と言えば聞こえがいいが今こうして仲間として共に旅をしている仮面を被った細身の剣士ジューダス、――彼の正体はこの世界にやって来たリオン・マグナスだった。
それを口外するとどうなるか彼自身がよく分かっているから伏せているが彼の目的はカイルを見守ること、そしてもう一つあった。


――ユウナは無事なのだろうか。

それはジューダスの頭を占める心配事だった。
そもそもこの時代に来ているかどうかさえ分からないし、彼女は今ロイを失っている。その直前まで守るためとはいえ散々傷付けてきた自分が言うことでも無いが、精神面的な意味でも心配だった。
手がかりが無い以上名残を追うことしか出来ない。
歴史として名を残すユウナが汚名を受けないでよかった、それだけが唯一の救いだ。この十八年後の世界では、リオン・マグナスという裏切り者に殺された英雄の一人として名が残っている。

そう、それでいいのだ。
もしも、彼女の未来に自分が居ないとしても守りたい、そう願う。


船室へと行くと、ロニが船でナンパをしようとしていてカイルに必死に力説していたが、カイルにとってはもう何度も聞いた話なのか理解出来ないし半分以上聞き流しているような状態だった。この男は本当に呆れたやつだと内心溜息を吐きながら、ジューダスは荷物をベッドに置いた。


「またナンパかよ、ロニ」
「まぁ、そうなるな」
「ロニには好きな人とか出来ないの?そんな、一日限りの恋に燃えるとか言ってないでさ!」
「憧れの女性ならいるけどな。フィリアさんもルーティさんも憧れるさ」
「あれ、ロニってば前に三人いるって言ってなかったっけ?」


カイルの質問にあぁ、と頷いて嬉しそうに名前を言うロニに、話を流し聞いていたジューダスは驚き手を止めることになった。


「ユウナさんだよ。ルーティさんに少し話を聞いたことあるがあの人は本当に強い女性だよ」
「っ……ユウナ?」
「何だよ、ジューダス。お前も知ってるだろ?英雄の一人ユウナさん。なんか苗字の方は公表してないらしいけどな」
「……」


勿論自分は本人をよく知っているし彼女の事なら自分が一番よく分かっているつもりだ。……いや、一番理解しているのは彼女の相棒であるロイか。今はもう居ないけれど。
自分のソーディアンであるシャルティエはロイに救われてまだ機能も失ってはいない。今はばれてしまうとまずい事になるのでコアクリスタルに蓋をして喋らないようにしている。


「少し一人で考え事をしたい。付いて来るなよ」


短くそう告げるとジューダスは一人部屋を出て行った。
甲板に出て周りに人が居ないことを確認し、ジューダスは独り言のように呟いた。それを聞いていたのは背中にある剣ーーソーディアン・シャルティエだった。


「……シャル、ユウナなら僕の選択をどう思うんだろうな」
『坊っちゃん……』
「いや、答えなくていい。僕は、愛するものの為ならばどんな対価でも払う。それが理に背いていようが、非難されようが構わない」
『……』
「けど、ユウナの悲しむ顔だけは見たくないなんて、我が儘だな」


自嘲しながら空笑いをしてぼんやりと地平線を眺めるジューダスーーリオンという少年が溢した本音に相棒のシャルティエはかける言葉が見つからなかった。しかし、ジューダスは同意を求めていたのでも、指摘を貰いたかった訳でもない。

ただ、その葛藤を打ち明けたかっただけだった。


――同時刻、船室を出た廊下に貼ってあった世界地図を見てユウナはこの世界について学んでいた。
どうやら本当にここは十八年後の世界で、地形も何があったのかは分からないが大きく変わっている。特に変わったのがセインガルド地方で、先程のアイグレッテもセインガルドにあったようだった。
首都だった筈のダリルシェイドは古都という扱いになっているようで廃れているのかもしれない。たった十八年であんなに栄えていた都市が廃れるなんてにわかに信じがたいが。


「ファンダリアは見た感じ変わってないみたいだけど……やっぱりウッドロウ様の治世がいいから、かな」


多分十八年の時が経ったことを考えると、ウッドロウが現国王だろう。彼の元でファンダリアが繁栄しているのなら、仲間として、元々そこの国民の身としては嬉しい限りだ。
もう少し情報を集めたいと考えつつも甲板に出ようとした時、不意に大きく船全体が揺れ始めた。地面から伝わってくる振動に慌てて剣を手に取り、扉にかけていた手を引っ込める。


「まさか……魔物……?」


もしそうだとしたら最悪の事態だ。船底に穴を開けられたらこの船はひとたまりもなく海の底へ沈んでしまうだろう。この船を襲うという事は相当大きな魔物だ。振り返ると戸惑いながらも情報を確認している乗組員が目に入り、ユウナは彼らに駆け寄り詳しい話を聞いた。


「先程のゆれ、一体どうしたんですか?」
「海の主がこの船を襲ってきたんだ!もうお終いだ……!」
「落ち着いて!それで本体は何処に?」
「先程甲板に向かっていった人達が居たんですが、どうやら下に居るようで……」


乗組員が指差す階段を見て、ありがとうと言うと一人階段を下りてそこへ向かおうとする。
危険だ、と引き止められたが彼らに避難するように言ってから自分は単身下へと出向いた。階段を下りていき、段々暗くなってくる。海の香りがきつく、どうやら潮水がこの船へ入り込んでいるようだ。

そこに居たのは長い触手を持ち合わせた大きな魔物。船の底を突き破り、侵入してきている。このままでは沈むのも時間の問題だとユウナは苦々しく表情を歪めた。


「……一人旅そうそう幸先悪いなぁ……」


剣を取り出し構えて詠唱に入る。ユウナの存在に気づいたのかフォルネウスの触手がユウナの方へ伸びてきた。
無数の炎の玉で触手を相殺し、出来た道を素早く走りぬけ、本体へと斬りかかったが一撃を与えたと思ったら横からまた新たな触手が伸びてきて、吹き飛ばされる。

「くっ……!ブラッディクロス!」

痛みを堪えて反撃に晶術を一つ食らわせると、魔物の動きも怯んだ。
――ロイがもう居なくても、ソーディアンとしての機能自体が残っていることに、胸が空くような感覚を覚える。その隙に更に詠唱をする。潮水と合わさり、雷の刃は魔物を貫き、きつい一撃を喰らわせた。

力なく倒れた姿を確認し剣をしまおうとすると、視界の端に光るものが見えた。
フォルネウスから放たれたレーザービームが肩に当たり、血が流れる。怯んでいる間にも魔物の触手が伸びてきて、体に巻きつき捕まってしまう。

「しまった……!」

船倉に入ってきた人は全員で四人のようで、それぞれ武器を構える音がする。そちらの方を向こうと思っても、体は締め付けられており、段々意識も遠のいていった。


「っ、ロニ!女の子が!」
「本当に一人で相手をしていたのか!カイル、助けるぞ!」
「この魔物、結構弱ってるみたい……!」
「あの女の子一人でここまでやったのかよ……俺達も行くぞ、おいジューダス!」
「あ、あぁ……」


後姿しか見えないがどうやらその少女は金髪のようで不覚にも動揺してしまう。ユウナと同じ色で、後ろ姿も何となく見慣れたもののような気がしたからだ。
リアラの晶術がユウナを縛っている触手に当たり、縛る力が緩んだ瞬間、ジューダスは飛び上がって斬り付けた。

触手は斬れ、少女の体が解放された。被っていた帽子は取れ、地面に落ちた。ジューダスは少女の体を受け止めて顔を確認するなり驚愕しその場で固まった。


「おい、ジューダス。その子は無事か!?」
「……ユウナ……?」


髪は短めに切ってあるし服も上が変わっているけど見間違える訳がない。それはジューダスがこの世界に来てから探し続けていた少女だった。
探していた彼女がこうして同じ船に乗っていてフォルネウスと対峙していたとは誰が予期するだろうか。

「しっかりしろ!」

苦しそうに息をしているだけで目を覚ます気配は無い。ジューダスはユウナをそっと降ろして寝かせた後、鋭い目をして剣を構えた。
カイルが攻撃した後、続いてロニの斧が振りおろされる。それに続いてリアラの晶術が当たり、敵は動きを止めた。


「斬り刻む……魔人千裂衝!」


素早い動きでフォルネウスに斬り付け、剣を振り下ろしたそこにはもう魔物の姿は無かった。短剣を懐へしまい、剣を鞘に収めてユウナに急いで近づいた。

「この子、凄く無理をしたみたい……肩から血が出てる。ヒール!」

暖かな光が包み込み、見る見るうちに傷がふさがっていく。僅かに表情が柔らかくなったのを確認し、ジューダスは安堵の溜め息を吐いた。
魔物を倒したはいいが船倉に開いた穴から凄まじい勢いで海水が入ってきているのに気付いて、もう間もなく沈没するだろう事態に焦りを隠せない。


「まずいぞ、もう沈み始めてる!船室に残ってる人間を全員甲板に避難させねぇと!俺が運ぶよ、その子」
「いい、僕が運ぶ」
「珍しいじゃねぇか、お前がそんなに積極的に言うなんて」
「……、そんな事はどうでもいい。早く避難させるぞ!」


カイルとロニが先に梯子を登って乗客の避難指示に向かい、船倉に残っていたのはリアラとジューダス、そして彼に背負われている気を失ったユウナだけだった。


「何故力を使わない?」
「え……?」


不意に尋ねられたリアラの核心部に、彼女の表情は強張った。誰にもこのことは言っていないはずなのに何故自身の奇跡の力をジューダスが知っているのか――不可解だったが、そうも言っていられない状況なのだと言うのは分かっていた。


「お前の力ならこの船を救える筈だ」
「そんな……私には……」


私にはそんな力は無い。この船ごと助けられる大いなる力なんて持ってなんか無い。
けれど、そうしなければこの船は人を乗せたまま沈む事は分かっている。カイルに呼ばれて未だに迷ったまま甲板へと向かった。岸まで泳ぐにしても男はともかく女子供が多く救命ボートも殆ど助けられない大きさだ。
悔しそうに叫ぶロニにカイルは諦めちゃ駄目だと励ますが現実問題この船上に居る人間を助けることは出来ない。そんな中、ジューダスは静かに告げた。


「……全員が助かる方法が、一つだけある」
「え!?ほ、ホントに!?」
「力を使え、リアラ」
「……私が……私が、皆を……」


その事にリアラは表情に影を落とし、ペンダントを弱々しく握った。そこから淡く弱い光が溢れ出して来る。途中諦めそうにもなるが皆に励まされてもう一度力を込めて強く願った。


「お願い、飛んで……!」


「リアラなら出来るという」カイルの激励に光は船全体を包み込み、船は持ち上がり、海から離れて空を飛び上がった。歓喜は船全体に広がり、各々絶望に染まっていた表情を明るくさせた。リアラの手を取って喜ぼうとするカイルだが、途端リアラの体は地へ崩れた。


「リアラ!?」
「力を使って疲れたんだろう……、船室で休ませるぞ」


不思議な力で奇跡を起こしたリアラを聖女だと褒め称える声は本人には届いていなかった。
ジューダスは自分の背に居るユウナをちらりと見てふと笑みを浮かべ穏やかな表情をしたが、華奢な体つきのリアラを背負い、慌てて船室へと向かうカイルと扉を開ける役割を担うロニが視界に入った為にその表情を見せたのはほんの一瞬だった。


「良かった……お前が無事で……」

船室のベッドに寝かせ、目を閉じて眠っているユウナの手を握って、頬に触れた。会いたいと願い続けていた彼女が今ここに居る。早く目を覚ましてほしい。今の願いはただそれだけだった。
リアラを背負ったカイルとロニが入ってきたので手を離した。横目でリアラがベットに寝かされるのを見る。


「大丈夫かな、リアラ……」
「体力を消耗しているが安静にしていればそのうち目覚めるだろう」
「リアラ凄いな」
「こんな小さな体でよく頑張ったよ。それにしてもこの女の子も凄いな…一人であんな魔物を相手にしていたんだろう?」
「うん、それにしてもこの子誰なんだろうね」
「起きたら聞いてみればいいだろ?近くの村でとにかく休ませるのが一番だろ。そうか……これはラッキーかもしれないぞ」


ロニは近くの村という言葉に顔を明るくさせる。
この近くにある村はリーネの村といってスタンの故郷であり、スタンの妹であるリリス・エルロンが居る。カイルがリリスに会うのも実に何年ぶりという程に久々だったからこそ笑顔を浮かべた。
修理を終えたらノイシュタットでカイル達を待つと言ってくれた船長に別れを告げて、船から下りる。砂浜を出て森のある方へ少し歩くと段々村が見えてきた。

クレスタと雰囲気が良く似ている、田舎にある小さな村。


「あそこが父さんの故郷か……!」
「そうだな、カイル。リリスおばさんも居ることだし寝かせてもらえればいいけど迷惑かかるな……おい、ジューダス代わろうか?」
「余計な心配はしなくていい。僕は大丈夫だ」
「そんな細腕でか?まぁかまわねぇけどよ……」


細腕と言われた事に腹を立てながらもユウナが眠っているのもあって大きな声で反論することを堪え、冷たい眼差しをロニに向けた。


「お前には邪心しか感じない」
「なっ、俺だって純粋な下心はあるさ!」
「……最低だね」
「最低だな」


ジューダスだけではなくカイルまでも口を揃えてロニを非難し、本人は何だよと拗ねながらも残念そうにそう呟くと、カイルに続いてリーネの村へと入って行った。
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