水月泡沫
- ナノ -

24

スタンの最後の一撃が入り、シャルティエを支えにして膝を突く。所々、服は切り傷から出た鮮血によって赤く染まっている。
スタンの悲痛な声に、悲鳴を上げている体を持ち上げて仲間に背を向ける。


「ふん……一対一なら、負けはしなかった……」
「バカ野郎……!どうしてこんなこと……!」


思わず怒鳴って責めてしまうスタンの言葉を遮るように先程まで黙り込んでいたリオンのソーディアンが声を上げる。


「坊ちゃんを責めないでください!坊ちゃんはマリアンを……ユウナを守るためにこうするしかなかったんです!」
「シャルティエ、お前今頃……」
「シャルお喋りが過ぎるぞ」
「マリアンにユウナ……?何かあったのか!?」


スタンの問いかけに黙ったリオンに、察しが付いた。リオンの大事とするマリアンとユウナを人質に取られたから、こうして自分達と対立したのだろうと。


「だからと言って何故ユウナさんを殺す必要があったんですか……!?」
「アンタはユウナのこと好きじゃなかったの……?」
「そんなことは僕が一番分かっている!」


ユウナを好きなことも、何を失ってでも守りたい大切な愛しい何にも変えがたい存在であることも知っている。
だからこそ、生きて欲しい。スタン達が彼女を自分の代わりに助け、裏切り者ではなく英雄としてこの後の人生を、自分のことを忘れて幸せに生きて欲しいんだ。


「僕は自分のしたことに一片の後悔もない。たとえ何度生まれ変わっても、必ず、同じ道を選ぶ」
「リオン!?」
「ここは……通さん」


再び剣を構えて立ちはだかるリオンに驚く。
無理矢理自分をこの言葉で納得させようとしている様子が痛々しいほど分かり、苦しげだった。フィリアは絶句してそれ以上何も言えなかった。スタンは肩を震わせ、拳を強く握り締めてこの洞窟に響く大声で叫んだ。

「こ……このバカ野郎!なんでそんなに頑固なんだよ!おまえ、間違ってるよ……!なぁリオン!お前、間違ってるよ!」

声は裏返っていて今にも涙を流しそうに伝えてくるスタンに黙れ、と言うリオンの声も震えていて力なかった。


「……これは僕が自分一人で決めたことだ……」
「だから、そのひとりってのが間違いだって言ってんだよ!どうしてそれが分からないんだ!?」


まるで自分のことのように涙を流してリオンに近づいていく。
フィリアとルーティの制止が後ろから聞こえるが、そんな事お構い無しに訴える。


「どうして何も相談してくれなかった!どうして一人でやろうとした!俺達仲間だろ!友達だろ!どうして、どうして黙ってたんだ!」
「だから来るなと……」
「なんでおまえだけ、辛い思いするんだよ!何でおまえだけ、傷だらけになるんだよ!どうしてユウナのこと、相談してくれなかったんだよ!」
「黙れ……!」
「友達ってのは、助け合うものなんだぞ……!どうしてそれが分からないんだよ!」


スタンの言葉にリオンは呆然とする。こんな過ちを犯した自分に未だに友達といってくるのか。


「……この期に及んで、おまえはまだ、僕を友達と呼ぶのか……?」
「当たり前だろ!」


怒鳴ったスタンはリオンに向かって手を伸ばしてくる。その手を握ろうか、握らないか迷っているうちに地面が揺れ始めた。
これはヒューゴの起こした地震。スタン達と息子であるリオンごとこの海底洞窟の地下まで埋めるつもりであろう。

「……まだ手はある、向こうを見ろ。非常用のリフトだ。全員乗り込め!」

リオンの声に全員が動き、この場所の端にある非常用リフトへと乗り込んだ。
このまま彼らといければどんなにいいだろう、そう心の中で思ったが振り切るように彼らとは別の方へ歩いていった。早く来いとスタンは叫ぶが、リオンはリフトの操作装置の前に立ち、スタン達にこのリフトを動かす為には誰かがここに残って動かさなければならないのだと伝える。

「リオン、お前何言ってるんだよ!?」

けれどそれには答えず、今だ呆然としているルーティを、姉の顔を見て伝えなければならない事を話し始める。


「お前の知りたい事を、教えてやろう」
「え……?」
「ヒューゴの死んだ妻の名はクリス・カトレット」


カトレットという名にルーティは肩を揺らして眼を開いて顔を引きつらせた。


「クリスは……僕の母でもある」
「何ですって……!」


つまりそれは彼とルーティが兄弟である事を示している。そのことに気づいて仲間達も一斉に彼女を見る。


「認めたくないことだが、おまえと僕には、全く同じ血が流れているのさ」
「嘘でしょ……」


顔を青くして、呟く。
今まで家族など知る事のなかったルーティの家族が、今まで共に旅をしてきて先程まで対峙していたリオンだったのだから。弟だったことを初めて知ったのに、彼は傷だらけの体で、自らを犠牲にして救おうとしているのだ。


「リオン、いいからはやくこっちへ来いよ!話は後だ!」
「それと、スタン。お前は僕を友達呼ばわりするが、僕はそんなもの受け入れた覚えはない!僕は……お前のように、能天気で、図々しくて、馴れ馴れしい奴が……大嫌いだ」


声は震えている。出会った初めの頃から、言い続けている事だった。最初は本当に疎ましくて仲間、仲間と容易く言ってくるスタンが嫌いだった。
だが、今は違う。
信頼できる友だからこそ。


「……ユウナを任せた」


リオンはそれ以上見ていられなくなり、背を向けて自分のあふれ出す気持ちを断ち切るようにレバーを両手で降ろした。
急に動きだしたリフトに声を上げる。リオンが振り返った時にはもう既にリフトは上へ上へと登っていた。

「ユウナを任せたってどういう意味だよ!リオン!」

身を乗り出してこちらに手を差し伸べて必死に尋ねてくるスタンに何も返さずにただ悲しそうに微笑んだ。
今直ぐにでも彼の手を取りたい衝動に駆られるが、目を瞑ってじっと堪えた。

「リオ――ンッ!」

絶叫がこだまし、リフトは見えなくなった。そして、それを見送った後、その場へしゃがみ込む。
もう既にこの運命は決まっていたのだ。ヒューゴに利用され、そしてこの命は尽きる。だが、愛した人を自らの手で救うことは出来なかったが、守ることは出来たに違いない。
辺りは入り込んできた海水が押し寄せてき、見る見るうちに溜まっていく。この水が満たされれば、自分は濁流にのみこまれるだろう。
これが最期の時だと予感し、ゆっくりとした手つきでシャルティエを抜き取る。


「付き合わせてすまないな、シャル」
「どこまでもお供しますよ。僕のマスターは坊ちゃんです」


こんな状況でも明るい声をしてコアクリスタルを光らせるシャルティエに感謝した。


「スタン達ならユウナとマリアンを助けられる……」
「……坊ちゃん、良かったんですか?ユウナのこと、本当のことを言わないで……」
「これで……これでよかったんだ……」


眼を瞑ろうとした時、この洞窟に聞こえるはずのない声が聞こえてきた。
ありえる筈がないのに、自分の願望が生み出した幻聴だったのであろうか。


――スタン達が居るだろう場所に向かって走っていたユウナとロイだったが、突然地面が揺れだした事に驚いて一瞬立ち止まってしまう。自然現象とは思えない激しい揺れだ。


「ロイ、地面が揺れて……!」
「ヒューゴが何かしたんだろ……!っ!?海の香り……!」


微かに漂いだした潮の香りに顔を引きつらせる。今の地震で岩盤が崩れ、海水が流れ込んできているのだろう。
ロイは痛みに軋む体に鞭を売って、先へと進む。早くしなければ、自分達もリオン達もこの海底へ閉じ込められてしまう。


「……リオン……リオン……っ」


必死に彼の名を叫んで今も苦しんでいるだろうリオンを探した。


――リオン。

幻聴なのだろうか。最後にユウナの声が聞けるなんて。
リオンの頭を占めるのは、自分を友だと最後まで言ってくれたスタンとその仲間たちへの罪悪感と感謝が入り混じった感情。そして、今も捕まっているだろうマリアンと自分が傷付けて遠ざけたユウナの安否だ。
彼女たちが無事であるように願い、そして自分の心を満たすような愛を抱かせてくれたことは、リオン・マグナス――エミリオ・カトレットにとっては命にも代えられる幸福だったのだ。
愚かな男の末路は裏切り、そして破滅ではあったが――二人への愛情故の決断に、何の悔いもないのだ。ただ不器用に、傷付けることで巻き込まれないよう願った自分を、そして身勝手にも逝こうとする自分を許して欲しいとリオンは力なく笑った。

頭の片隅で今のは会いたいという願いが生み出した幻聴かと思っていたが、リオンは目を開くと、息を呑んだ。
どうして、ここに。こんな場所に君が居るんだ。


「リオン……!」
「ユウナ……?」


そんな筈はない。暫く起きないように攻撃した上に、彼女は飛行竜の中で閉じ込められていたのだから。


「エミリオ!」


ユウナはリフトの操作装置に力なく寄りかかっているリオンに近づいて、抱きついた。その腕は震えているようで、力が込められる。
その熱に、これが願望から生み出した幻視ではないことを実感して、言葉が詰まった。もう二度と出会えることはないと思っていた少女が、目の前に居るなんて。


「ユウナ……!?」
「馬鹿!どうして……どうして黙ってたの……!?」
「本当にユウナ、なのか……?」
「そうだよ!私は自分を犠牲をしてまで守ってもらいたくなんてなかった!どうして?どうして自分を大切にしないの……?私はエミリオの力になりたかった……!」


涙混じりに訴えるように伝えてくる彼女に何も言えなくなる。彼女は、自分の為にこんな危険を冒してでも来てくれたというのか。


「ユウナ、済まなかった……」
「謝るなら助かってからにして?マリアンは無事だから。私の家で匿ってもらってる」


その事実に目を開いて驚く。本当なのか、マリアンは無事なのか。そう思うと安心して力が抜けた。
マリアンも無事でユウナもこうして、自分を追いかけてきてくれた。嬉しくなって抱きついてきたユウナを抱きしめ返す。
――だが、彼女が追いかけてきてしまったということは、ユウナもまたこの濁流に飲まれる運命を辿るということだ。彼女だけは守りたいと願っていたのに、中途半端に遠ざけてしまった結果、死の運命に巻き込んでしまったのだ。


「ユウナ、もうここは無理だ!」
「え……ロイ!?どうしてオリジナルの……!」


オリジナルの姿であるロイを見てシャルティエが驚く。リオンも彼に目をやって驚きの声を漏らした。見知らない青年が居たが、その声に彼がソーディアンであった筈のロイだと分かったのだ。
まさかソーディアンである彼がこうして自分たちと同じように人の姿をしているだなんて。人格投射を行ったシャルティエには分かってしまったのだ。彼がソーディアンとして機能していたのは人格投射をしたからではなく、自分自身をコアクリスタルの中に転移させていたからだと。そして目の前に居るのは間違いなく、本人なのだと。
ロイは、天地戦争が終わった後、何も言わずにふらりとその姿を消してしまった。最初から軍には向いていないと零していた彼のことだから、故郷に帰ってしまったのだろうとシャルティエとハロルドは思っていた。だが、違ったのだ。


「そんな事は後だ……!ここから出るぞ!」
「無理だ!リフトはもう無いし、出口へ向かった所で間に合わない!ユウナだけは救いたかったのにこれではまるで意味が……」
「だから俺が居るんだろ」


ロイは決意を目に宿して、静かにそう言った。今から彼がやろうとしていることが分かり、シャルティエは声を上げる。


「ロイ、まさか空間転移を……!?それは使う度に寿命を縮めるし、一度に自分と他の人を二人以上はロイの体が虚無空間に飲まれるとハロルドも言っていたでしょう!?千年前に体をそのコアクリスタルの中に移して再び出てきたなら、恐らくもう限界の筈だ!」


今この場にいる人の数は本人を含めて三人。
一度一度、連れて行くにしてもこのままでは崩れてしまい、一人だけここに取り残されてしまうことになるだろう。それ以上に、運んで戻ってくる体力も恐らく残っていない。
シャルティエの指摘は正しく、ロイの体は今立っているのが不思議なほどに限界だった。反動によって内臓は損傷しているし、恐らく、このまま放って置いても自分はもう間もなく死ぬだろうことも解っている。

「……リオンとユウナ。お前等で丁度二人だろ?」

悲しそうに笑いながら言うロイにユウナは嫌な予感がして尋ねる。


「どういうこと、ロイ!?ロイはどうするの!」
「……リオン、ユウナを押さえてやってくれ」
「……」


リオンは黙って、悔しそうな顔をするものの、彼の言葉に従い、ユウナを押さえた。


「ロイ!?」
「なぁ、ユウナ」


涙を浮かべて必死に叫んで振りほどこうとするユウナに静かに語りかける。


「俺は、ずっとパートナーとしてお前を見てきた。どんなに苦しくても自分で一人片付けようとして、本当に慌しくて……」


彼は過去、自分が剣としてユウナと友に過ごしてきた日々を鮮明に思い出していた。
強がりで無茶ばかりをするマスター。本当に危なっかしかった、何度こちらが焦ったかも分からないくらいだ。だが、どうして自分がこの時代に来てまでこの二人を救おうとしたのか、実感するばかりなのだ。
自分の命が尽きることは惜しくはない。何せ、人である以上死は平等に何時か訪れるものなのだから。それを捻じ曲げて千年の時を超えたが――本当に美しいものを知った。
自らの運命を呪って生きる意味を見出せずに虚ろに生きていた男が、こんなにも満たされて生涯を終えられるなんて、当時思っても居なかった。これを得る為に、自分はここまで来たのだ。


「けどな、俺はそんなお前を誇りに思うし、最高のマスターだと思うぜ……」


自分の未熟さに時に悔しい思いをしながらも、それでも自分の手で切り拓こうとする危なっかしい少女。そんな少女をマスターにして仕えられたことはあまりに幸福なことだった。
ロイは静かに手を振りかざして、眩い光を辺りに発生させた。
涙ながらに彼にもこっちに来い、と必死に名前を呼んで頼むものの、彼は聞いていない。


「俺以外の奴二人同時に運んだことないから、何処に行くか分からない。でも、リオン。俺のマスターを頼んだぜ」
「……あぁ」
「男と男の約束だから破るなよ。幸せにしてやれよ?……シャル、見張り役頼んだぜ?」
「本当に馬鹿ですよ、ロイは……!」
「ロイ!ロイ、嫌だよ!私はロイが居ないと……!」


ユウナの言葉に静かに首を横に振る。
今の彼女には自分じゃなくて、リオンが居る。それで十分だ。


「俺は……願わくばもう一度お前のソーディアンになりたい。……また、な……」


彼の名を必死に叫ぶものの、ロイは目を閉じて最後に静かに笑い、手を振り下ろした。


「ロイ……!」
「頼んだぜ、リオン……」
「馬鹿者……!」


光がふっと消えると、ユウナとリオンはそのまま海底洞窟から姿を消し、何処かへと行ってしまった。彼らが何処へ飛ばされたかは分からない。だが、この場所から離脱できただけで、未来につながるというものだろう。


「……俺も……ここまで、だなぁ……」


今の力で全て出し切ったようだった。そのまま地面に倒れこみ、指を動かそうとしても一本も動かない。げほ、っと咳き込むだけで血の塊が地面に零れる。
こうなる事は分かっていた。いや、もうこうなることは千年前から既に知っていたのだ。知っていて、最後の命はマスターを救う為に使うと決めていた。
時を越えたとしても、一人に与えられた時間は変わらないのだから。

「頼んだぜ、リオン……また、会おうな、ユウナ」

小さく呟いて、全てをやり遂げたかのように微笑んで目を閉じた。
――また、な。
マスターを見守ってきた青年は千年の時を経て今、漸く静かに眠りについた。意識は濁流へと呑み込まれていく。

それは、別れでもあって新たな始まりでもあったのだ。
-24-
prev next