水月泡沫
- ナノ -

22

体が異様に重たい上に、腕や足が何かに縛られていて自由に動けない。重たい瞼をそっと開けるとそこは暗い光も射ささない、一室だった。
どうやら閉じ込められているようで、この浮遊感や過去の記憶からここが飛行竜の何処か一室であると分かった。一体どれくらい長い間眠らされていたのか全く分からないが、記憶に鮮烈なほどに残っているのは最後に見たリオンの顔だった。


「エミ……リオ……」


何故彼は自分と剣を交えて、攻撃をしてきたのだろうか。こんなにも悲しい別れをしなければならなかったのだろうか。

リオンのことだ。
この後きっと彼は一人で無茶でもするのだろう。自分をここまでして遠ざけようとしたのだから、恐らく自分達には想像も付かないようなことに巻き込まれようとしているのだろう。
脳裏に蘇るのはロイの忠告とグレバムの最期の言葉だ。ロイは何故か分からないが、ヒューゴの動向をやたらと気にしていたし、グレバムはリオンに対して自覚していない駒は幸せだと告げていた。
その時は何故そんな事を言ったのか分からなかったが、今ならよく分かる。ヒューゴに目をつけていればよかった、そう思ってももう何もかもが遅かった。

――彼に拒絶されてしまった。そう考えるだけで胸が締め付けられるように痛く疼き、涙がまた零れ落ちた。
そして、ある違和感に気づく。腰に手をやってもいつもある筈のものが無いのだ。


「ロイ……?まさか……ヒューゴに取られた……!」


このまま自分は何かこの悪夢が終わるまで何も出来ないと言うのか。
ここから指をくわえて待っていることしか出来ないのか。そう思うと悔しく、希望の光など全く無かった。
もう、彼に会えないのだろうか。自分は彼の足枷になってしまうのか。リオンがこの街を黙って出て行ってくれと忠告してくれた事を鮮明に思い出す。
悔しくて悲しくて、涙だけが零れ落ちた。


「くっそ……!ユウナ……!」

ロイはユウナとはまた別室に安置されていた。ソーディアンを彼女の近くに置いて逃げられてはいけないと判断するのは当然というものだろう。それに、ディムロスを護送していた時の様に、見張りが付いていることも気配で感じ取れる。今すぐにでもマスターを助けに行きたいというのに動くことなど出来ない。


「あの馬鹿、ユウナを庇って自分一人死ぬ気だ……!」


――全ての重荷を背負い込み、リオン・マグナスという少年は愛する人を守る為に死ぬ気であるのだ。
だからあの時、どんなに苦しくても巻き込んでしまわぬよう、自分のようにヒューゴに使われてしまわないようにユウナに刃を向けて気を失わせたんだろう。

これでは何も意味が無い。自分は何のためにこの時代に居る?
天地戦争を止める為でもなく、神の眼を破壊する為でもなく。彼女たちの悪夢を切り裂くために、千年の時を超えることを決意したのだ。このままここに止まったままで、後悔しないなど出来るものか。
あぁ――だから、彼女の手に握られたソーディアンのコアクリスタルは何も語らなかったんだ。イクティノスのように機能が一部損壊したのではなく、喋る人格がそこにはもう無かったのだ。
コアクリスタルから淡い蒼の光を放ち、静かに、決意をして呟いた。


「お前がどんな状況に陥ったって俺がいつでも力になってやる……そう言ったもんな。全力でお前等を助けてやるよ」


例え自分を犠牲にしようとも自分のマスターとリオンの為に自分は、何でもしよう。
その為にこの命を使うと決めていたのだから。友人たちと別れを告げ、自分に唯一差し込んだ光の為に力になると決めていたのだから。


「どうしようもない、頼りない俺のマスター様の為に、な」


剣が置かれていた場所に居たのは、淡い紺色の髪を持ち合わせた青年だった。


――虚ろな眼でぼう、と部屋を眺めていた。自分はここでただ事が終わるまで待つか、あるいは用済みになったら、殺されてしまうか、どちらかだろう。
ロイが居なければ、自分は何をすることも出来ない役立たずだという事実に胸を痛めて唇を噛み締めた。だって、この縄を解くことも出来ない。リオンを助けに行くことだって出来ない。

自分では彼を救うことなど到底出来ないのかと諦めかけていると、部屋の端が突如青い光が現れ、ユウナは警戒して身を引いた。
その光が収まったと思ってそこに視線を向けると居たのは青年の姿だった。


「……っ、誰!?」
「無事だったか、ユウナ!」
「!?」


その青年は息苦しそうに胸を抑えながらも、ユウナを見るなり、安堵の溜息をついて早足で近づいてきた。見知らぬ青年に誰かと思うより先に驚いたのはその声だった。


「うそ……?まさか……」
「この姿で会うのは初めてだったな、マスター」
「え……?」


いつも自分と共に戦ってきた愛剣であった彼が、目の前に人の姿としてあるのだから。聞きたいことは沢山あった。何故彼が今人の姿をしているのか、何故ここにこれたのか。
しかし、ロイは複雑そうな顔をして言葉を濁し、何処から拾ってきたのか短剣を取り出してユウナの紐を切り取った。ユウナは自由になった体でふらりと立ち上がる。リオンの攻撃による痛みはまだ残っているが、身体の感覚的には数日経っているのだろう。


「……それは後で移動しながら説明する、まずはマリアンを助けるぞ!」
「マリアンも捕まってるの!?」
「あぁ、マリアンを安全な所に移動させたらリオンの所に行くぞ。あいつは自分一人で全てを背負って死ぬ気だ……!」


ロイの言葉に、目を見開いて固まってしまう。リオンは確かに自分一人で何かをするつもりであったと分かったけれど何故死ぬ必要があるのだろう。


「何でリオンが……!どういう意味!?」
「ヒューゴが黒幕でこの飛行竜を使って神の眼を盗んだんだ……!リオンはお前とマリアンを助けるために、ヒューゴの駒になって……」
「死ぬ……気……?」


ロイは目を瞑って静かに頷いた。彼はそうなる事を知っていたと言うのに自分を助けようとしたのだろうか。
そう考えると、彼の言動も理解できるのだ。例えリオンにマリアンのことを言われていたとしても、間違いなく自分は彼と共に付いて行こうとしただろう。それがヒューゴの思惑に乗る形になるとしても、リオンを一人で行かせる訳は無かった。
しかし、自分がそう考えることも知っていて、彼は自分が利用されないようにこの手段を取ったのだろう。そんなリオンの葛藤を考えると、涙が流れてきた。


「泣くなら全部終わった後にしろよ。……お前は、何をしたいんだ?」


ロイの問いかけに涙を拭って今度は強い光を目に宿して、決意を言葉にした。


「私は……リオンを助ける。ロイ、お願い。力を貸して……!」
「あぁ、困ったお二人さんのために俺が全力で助けてやるよ」
「……私はロイが居ないと何も出来ない……こんな私でリオンを助けられるのかな……」


ユウナの自分に自信の無い言葉にロイは溜息をついて自分よりもいくらか背が低いユウナの頭に手を乗せて宥める様に言った。


「可能性なんか気にすんな。やらなきゃいけないもんは絶対に決めるんだよ。お前がやりたいと思った事を貫き通せよ。な?」
「うん……、ありがとう……!」
「マリアンが居る場所まで行くぞ」


行くと言ってもどうやって行くのだろうか。ソーディアンを使って扉を破壊するにしても、派手な音がすることを考えると騒ぎになり、賢い手段とは言えないだろう。聞き返す前にロイに腕をつかまれたと思うと、視界が歪み、部屋が歪んだ。
そして、その部屋にはもう何も残っていなかった。

気が付けば先ほどまで居た部屋とは違う廊下に出ていた。先ほどまで鍵を中から開けられない部屋に閉じ込められていたのに今のたった一瞬で一体何が起こったというのだろうか。
何が何だか分からなくてロイに視線を向けようとしたが、部屋の端に居たマリアンを見つけて、ユウナは安堵の表情へと変わる。

「だれ……!?え、ユウナ……!?」

怯えたように体を小さくして身を引いたが見覚えのある、ここに居るはずの無い人物に驚く。


「マリアン、いい?ここからマリアンを安全な場所に連れて行くからそこでじっとしていて」
「ユウナは!?それにエミリオが……!」
「リオンは絶対に私が助ける……私は大丈夫だから。マリアンは私の家で身を隠していて。ロイ、出来る?」
「あぁ、でも自分とあと一人しか連れて行けないんだよ。悪いけどすぐに戻ってくるからここで待ってろ」
「ユウナ……!絶対に無理しないでちょうだい……!」
「……うん、全部終わったら会いに行くから」


マリアンに不安にさせないように笑って挨拶をして、手を振って見送った。彼女はきっと罪悪感を感じているのだろう。自分が捕まってしまったことでリオンが今利用されていることにも、そしてユウナが捕まってしまう結果に繋がったことも。
彼女の為に、そして自分を巻き込まない為に死地へと向かったかもしれないリオンを、救うのだ。

マリアンを安全な場所に移動させる事が終わったらしく、ロイが突然部屋の中に姿を現した。マリアンをファンダリアのバレンタイン家に届けて来たらしく、ユウナの大切な人でオベロン本社のメイドだと話したら、何かを察したのか快く彼女の身の安全を保障してくれたのだ。
安堵の溜息をついてほっと胸を撫で下ろした。これでもう暫く、マリアンは無事なはずだ。今飛行竜がどこを飛んでいるのかは分からないが、ヒューゴ達もマリアンが突然ファンダリアにまで移動しているとは思わないだろう。一人で戦い続けている彼に会わなければ。


「早くリオンに会わないと……!もう人質も居ないからリオンだってヒューゴに操られる必要なんてないのに……!」
「あぁ、だけどもう今頃は……」


視線を落として呟くロイに何が起こっているのかと聞かんばかりに目を開いた。


「スタン達と……対峙しようとしてるだろう、な…」
「どうして……!?何でスタン達と……!」
「リオンは今、ヒューゴに従わなきゃならない状態だ。スタン達は神の眼を追ってリオン達を追いかけるだろうな。……あのヒューゴはリオンを利用して食い止めさせようとする」


驚いて声も出ないほどだった。かつては仲間として共に神の眼を取り戻すべく戦ってきた仲間なのに、それを引き裂くように対峙させようと言うのか。


「リオンは何処に……!」
「ユウナが眠ってから結構な日にちがたった。死なない程度に暫く眼が覚めないように……攻撃したんだろうな。その間に神の眼を盗んでこの飛行竜で移動させた」


先程、マリアンをファンダリアの屋敷に連れて行く際についでに確認してきた情報を伝える。どうやらダリルシェイドの北にある孤島で、オベロン社の工場がある所らしい。
そこでスタン達を迎えるはずだろう。先ほどオベロン社工場に向かって出て行く船を確認したからだ。
けれども、ここは飛行竜の中で鍵を閉めないほど、ヒューゴも愚かではないだろう。それにもし甲板に出れたとしても、見張りが居る可能性もある。その工場に行く方法もないし、もし今から何処かで船を手配したとしても間に合わないかもしれない。


「馬鹿だな、俺の能力を使えばいいんだよ」
「能力……?あの自由に移動できる……?あれは、何なの……?」
「俺は空間転移を使えてな。ソーディアンをある事情で作った時に人格を移すんじゃなくて、コアクリスタルに俺自身を移動させたんだ」
「コアクリスタルに自分を……?そんなことって可能なの?」
「コアクリスタルの中の空間は時間が止まってるようなもんで、だから俺は千年前の姿のままだ。俺とハロルドの知識があればそんなことも可能なんだよ」


そんなことが可能だとしても何故彼はそんなことをしなければならなかったのだろうか。何せ、ソーディアンチームの仲間でさえそもそもロイがソーディアンになっていたことを知らなかったし、まさか人格投射ではなく、本人が眠っていたなんて知らないだろう。


「俺は俺の全てをかけてでも絶対にしなくちゃならない事があるんだ」


こんなの自分の勝手なエゴだけれど。しなければならないからこそ、こうしてここまで来たのだから。
体は軋む。今にも倒れ込んでしまえる位には反動がきている。だが、そんなのは彼らの痛みに比べたら些細なものだ。そして、ロイは鞘に収めていた剣を抜き取りマスターに手渡した。


「これ……!ロイの……」
「喋らないけどな、ソーディアン・ロイドマルクだ。機能自体は残ってる。これで大切な奴、守ってやれよ」
「……ありがとう!今度こそ……止めてみせるよ」


――たとえ、俺が居なくなったとしてもいつまでも力になれるように。
そう、願いを込めて手渡した。


「工場の入り口に行ける?」
「あぁ、行くぞ!」


これが俺の最後の、戦いだ。


この海底洞窟にやってきた侵入者を発見し、ヒューゴはオベロン社の社員とリオンと共にエレベーターを降りた。
これぞまさに闇の底に居る気分だ。どう足掻いたとしても自分に出来る事などこの男に従う事のみ。自分は今からここへ侵入してきたスタン達と対峙する。
向こうも相当な覚悟をしてきているのだろうか、他のソーディアンマスターはおろか、マリーやチェルシー、コングマンまで居る。

「僕は……」

彼女達を守るために、この反吐の出るような最悪のシナリオに従わなければならない。
たとえ、自分を仲間だと信じて疑わなかった彼らと、自身の、姉と。

「ヒューゴ様、只今入った情報です……」

フードを着けて身を隠している社員の一人、イレーヌが今入った情報をヒューゴに耳打ちする。
その内容は今、この建物にソーディアンマスター・ユウナと謎の青年が侵入してきたというものだった。
一体どうやってあの隔離された飛行竜から逃れたのかは分からないが、恐らくはマリアンをも開放してからここへリオンを救うべく追いかけているのであろう。不安げな顔をしているイレーヌとは反対にヒューゴは低く笑い、嘲笑った。

「……ふん、そんなに自分の目で悪夢の終わりを見たいとはな。放っておけ、どうせ儚い夢は無残に砕かれるだけだ」

さぁ、かつての「仲間」と対峙してもらおうか。

彼女が来たとしても、何も変わりやしない。この計画に歪みなど生じるわけが無いのだから。
-22-
prev next