水月泡沫
- ナノ -

20

ユウナはヒューゴに呼び出された為、彼の部屋の前まで足を運んでいた。
扉を軽く叩くと中から入るようにと声が聞こえてきたので扉をあける。敬語を使い、頭を下げて用件を聞く。けれどヒューゴはユウナの妙にこわ張ったその態度に小さく笑う。


「お呼びでしょうか、ヒューゴ様」
「そんなに畏まらなくても良い。それより君に話があってね」
「……何ですか?」


目の前に居る男の奇妙ともいえるほどの笑みに眉を潜めるが、その後彼の口から出てきた言葉はとんでもないもので、ユウナは顔を明るくさせた。


「君をオベロン社ファンダリア支部から外そう」
「……え!?そ、それは……!」
「ファンダリア支部から連絡があってね、君が望まないのなら君の未来の為にも辞めさせてやってくれと」
「本当……ですか!?でも貴方は……」
「たまらなく惜しいが、君は今やこの王国にも必要な存在だ」
「ありがとうございます……!」


その日、今までで初めてヒューゴに向かって心からの御礼をした。彼を好きでなかったユウナにとってはこれは大きなことだ。そして今までリオンに対する彼の冷たい態度を見てきたからもあって、この計らいは意外すぎた。
結局ファンダリアの実家には顔を出すことは無かったが、王国を乗っ取られた際に自分が客員剣士補佐としてあの場所に居たことは耳に入ったのだろう。代理としてオベロン社支部の業務を家の者が続けてくれていたが、彼らは無理に帰って来て継ぐ必要はないと受け止めてくれたのだ。
あぁ本当に、あの日黙って飛び出して来た私にそんな声をかけてくれるなんて。自らの不義理を反省しながらも、感謝が尽きなかった。

今度、改めて二年目にして初めて「ごめんなさい」ではなく、「ありがとう」という旨の手紙を出そうと決意し、リオンとマリアンにこのことを伝えるべく、部屋を後にして廊下を進んだ。


「ロイ、やったよ!やっと……!」
「あぁ、良かったな。でも、ユウナ。これで気抜くなよ?」
「うん、分かってるよ。早くリオンに言わなくちゃ……!」


あまりにも嬉しすぎてロイの話をそこまで聞いていないようなユウナに溜息をついた。


「そういうことじゃねーんだよ……」


――彼女たちに必ず訪れるだろう『悪夢』。それが何時のことかはロイにも分からない。
だが、神の眼が破壊されたのではなく保管された状態で、ヒューゴがこのタイミングで二年間拒否し続けてきた辞表を受け入れたこの状況に、ロイも嫌な予感を感じ取っているのだ。
自分がこの時代にやって来たのは、神の眼を破壊する兵器として生み出された訳ではないのだ。寧ろ、ユウナを守るという意味ではこれからが重要になってくるだろう。
しかし、ユウナにそれを悟られてはいけないのだ。それはきっと、彼女を今後さらに苦しめることに違いないのだから。

扉を開けるとそこにはお茶をしているリオンと、ティーポットを持っているマリアンの姿があった。


「リオン!マリアン!」
「どうしたんだ、ユウナ」
「何かあったんですかねぇ?」
「どうしたの、ユウナ。嬉しそうね、何かあったのかしら?」
「そうなの!ヒューゴ様が私をファンダリア支部から外してくれたの!」
「……それは本当か?」
「そう、さっき言われたんだけどいまいち信じられなくて……」


ヒューゴがユウナの解雇をしたなんて、どうして突然そんなことを。
それは二年前から彼女が望んでいた事なので素直に良かったと共に喜びたい所だが、彼の性格上、何か無い限りこんなことはしない。何か裏があるのではないかとつい勘繰ってしまう。
確かに今回の件で、客員剣士補佐としての地位も実力含めて確立し、ファンダリアでの功績が実家にも届いて認められた可能性を考えると無きにしも非ずなのだが。


「リオン?」
「いや何でもない。良かったな、ユウナ」
「ファンダリア支部というのはどういうことかしら?」


彼女にはまだ話していなかったため、急にファンダリア支部と言われても分からなかったようだ。
ユウナは過去自分が何処に居て何をしてきたのか話すと、マリアンは最初は驚いた顔をしたがそう、と小さく呟いてユウナの頭を撫でた。
家の名に左右されず、自らやるべきことの為に異なる環境に飛び込み、必死で努力をしてきた少女。同じように必死に自分自身の力で切り拓いて来た少年を見て来たからこそ、彼女の願いが叶ったこと――そしてこうして笑顔で居られることが何よりも見守っているマリアンとしては嬉しかったのだ。


――それから数ヶ月過ぎた。特に最近はそんなに指令もあるわけでもなく、最近では非番が増えていた。穏やかな日々が続いているのは、神の眼の騒動を考えると何故か非日常的なことに思える。
ヒューゴとは数ヶ月前に話したきり会っていなかった。彼が何故忙しくしているのかは分からないが、妙な違和感が残るのも確かだ。
むず痒さを覚えながらも任務が来るまで待機していたユウナに、リオンが伝令を伝えるために部屋を訪ねる。


「ユウナ」
「どうしたの、リオン。何かまた任務?」
「いや……ユウナに休暇だそうだ」
「休暇?」
「あぁ……ヒューゴからの伝令だ」
「え……?」


この間の解雇と続き、この休暇。確かに嬉しいものだけれど、ここまで彼が優しいと逆に怪しくなってくる。何せ特別に休暇を貰うことなんてこの二年間貰うことは無かったのだ。何か裏があるのではないか、そう感じてしまうこともある。

――確かにこの数ヶ月間何も無かった。
そう、何も無さ過ぎた。
この静けさが何かの予兆のような気がしてならなかったが、今のところ何も無いのでそんな不安も忘れてはいたが、今の伝令でその不安がまたよぎった。


「ヒューゴから……?……何日の休暇?」
「三日だ……僕は正直言って反対だ。あのヒューゴからだと?何かあるに決まってる」
「でも王かも、って言ってましたよね、坊ちゃん」
「……」
「王様からの命でもある……んでしょ?……どうして突然そんな休暇をくれたのか分からないけど……帰郷とかするつもりはないし、私はこの街から出ないから安心して」
「そうですよ、そうするのが一番です!それにそうしなくちゃユウナに何かあったとき坊ちゃんが守れませんから!」


シャルティエの言葉に無粋なことを言うなとリオンは一睨みするが、まさに彼が思っていた通りのことだった。
リオンという少年は愛した人に対して、自分の身に変えても――そして世界を天秤にかけても守り抜こうとする少年だ。もし万が一何かユウナに危険が迫っているのなら、彼女が死ぬなんてことがないよう、守り抜くのだとあの飛行竜の一見以来より一層心に決めていたのだ。
自分が見ていない所で何も出来なかった無力さを噛み締めるなんてことはもうご免なのだ。

「……ありがとう」

少々照れながらも感謝を述べるとリオンも赤くなってユウナを自分の腕の中に閉じ込めた。抱きしめられて、彼の体温が伝わってくる。


「ユウナは絶対に僕が守る。何があっても」
「……うん」


リオンに助けられて守られているだけではない。
彼がもし、どうしようもない闇に引きずり込まれてしまうのだとしたら、助けたいと願うのだ。リオン・マグナスという少年は時に抱え込んで、独りで行動してしまう所があることを知っているからだ。スタン達と出会ったことで仲間に頼るということを知った彼のことを考えると杞憂なのかもしれないが、その友人たちも今は別々の道を進んだのだから。


「本当に幸せものですねぇ、見てるこっちが逆に苛々してきますよ。ね、ロイ?」
「……、あ、あぁ……」


――これは、警告。残り三日しかないという。
悪夢から逃れられはしないのだから、精々残りの幸せを噛み締めておくようにという、警告。
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